Category [徳川慶喜(一橋慶喜) ] 記事一覧
徳川慶喜の墓
徳川慶喜の墓は、寛永寺の墓地である谷中墓地にあります。慶喜は華族の最高位である「公爵」を与えてくれた明治天皇に感謝の意を表すため、自分の葬儀を仏式でなく神式で行うよう遺言を残し、一般皇族と同じような円墳が建てられました。中に入ることはできませんが、門越しに見ることはできます。正面には徳川慶喜公事蹟顕彰碑があります。その奥の左側が徳川慶喜の墓で、右にあるのが美賀子夫人の墓です。慶喜の墓美賀子夫人の墓...
徳川慶喜終焉の地
西郷どんの最終回に、久しぶりにヒー様こと徳川慶喜が登場しましたね。描いていたのは、何と「牛男」の絵という面白い場面でした(^^ゞその慶喜の終焉の地を数年前に訪ねました。晩年の有爵者大礼服を着た慶喜東京都文京区春日2丁目の、国際仏教学大学院大学の前に、「徳川慶喜終焉の地」の案内板が立っています。 徳川慶喜終焉の地 春日2-8 徳川幕府最後の将軍慶喜は、水戸藩主斉昭の七男として、天保8年(1837)小石川の上屋...
寛永寺 上野東照宮の華麗なる社殿
500円の拝観料で上野東照宮の透塀内を見学できます。大楠樹齢600年以上の上野の祖木といわれている御神木。幹の太さは8m以上で上野公園一なのだそう。 栄誉権現社御狸様とも呼ばれ、江戸時代に大奥など安置される各所に災いをもたらし、 大正年間に東照宮に寄贈されてから災いがなくなったといわれています。 他を抜く狸という縁起から強運開祖、受験・就職・必勝の神様として信仰され、毎年多くの受験生が合格祈願にお参りに来て...
寛永寺 徳川家康・吉宗・慶喜を祀る上野東照宮
上野東照宮の正式名称は「東照宮」ですが、他の東照宮との区別のために鎮座地名をつけて上野東照宮と呼ばれ、徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜を祀っています。1616年(元和2年)2月4日、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言。 天海僧正は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内に多くの伽藍や子院が建立しました。1627...
徳川慶喜が謹慎した駿河の宝台院
江戸城は、慶応4年(1868)4月11日に新政府軍に明け渡され、彰義隊や旧幕臣の暴発を恐れた徳川慶喜は、11日午前3時に寛永寺大慈院を出て水戸へ向かいました。水戸では弘道館の至善堂にて引き続き謹慎した後、7月に徳川家が駿府に移封されると、慶喜も駿河の宝台院に移って謹慎。これにより、徳川家による政権は幕を閉じ、以後、幕府制度や征夷大将軍の官職は廃止され、慶喜は日本史上最後の征夷大将軍となりました。 JR静岡駅北口か...
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