Category [佐久間象山 ] 記事一覧
松代の蓮乗寺
蓮乗寺は、もとは海津城の土地にありましたが、築城の際、現在地に移転。旧本山は身延山久遠寺。日蓮宗の名刹で日蓮が佐渡へ流された時、当寺立寄り、ー泊したと伝えられています。本堂現在の本堂は、1891年(明治24年)再建のものです。鯱と六連銭七面堂摩尼殿とも呼ばれています。また、佐久間象山の菩提寺であり、境内の右手に京都の妙心寺より分葬した墓所があります。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。...
松代の象山神社(2)佐久間象山宅跡
佐久間象山は2度目の江戸留学となる天保10年(1839)まで、20年もの間、この地に住んでいました。象山神社に隣接する佐久間象山生誕之地。佐久間象山宅跡 県史跡 佐久間象山宅跡長野県指定文化財昭和35年2月11日指定 象山の曽祖父国品以来の佐久間家の宅跡である。 象山は文化8年(1811)2月11日この地で生まれた。天保10年(1839)の2度目の江戸留学まで29年間ここに住み、藩の青年たちに学問を教えて後進の指導に努めた。 ...
松代の象山神社(1)
象山神社は、1913年(大正2年)の佐久間象山殉難50年祭を機に、地元松代町出身の大審院長・横田秀雄を中心に神社建立が計画され、1938年(昭和13年)に創建されました。佐久間象山の銅像御祭神 佐久間象山 幕末の大先覚者である。 松代藩士佐久間一学の長男として文化八年(1811)に生まれる。 6才の時から父や鎌原桐山・活文禅師などから学問・武術を習い、20才で詩文・経書・武術等免許される程の秀才であった。 23才江戸佐...
幕末維新ゆかりの地(5)佐久間象山・大村益次郎遭難之碑
三条木屋町の高瀬川の橋の東側に、「佐久間象山先生・大村益次郎卿遭難之碑」の道標があります。佐久間象山 大村益次郎 遭難之碑佐久間象山は信州松代藩出身で、儒学や朱子学を修め、西洋科学の導入で日本の殖産興国に尽力しました。彼の塾からは、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬ら傑物を排出しています。元治元年(1864)に上洛し、開国論を唱えて公武合体に努めた為同年7月11日に刺客に惨殺されました。大村益次郎は長州藩出身で、...
佐久間象山・大村益次郎遭難之碑
三条木屋町の高瀬川の橋の東側に、「佐久間象山先生・大村益次郎卿遭難之碑」の道標があります。佐久間象山 大村益次郎 遭難之碑佐久間象山は信州松代藩出身で、儒学や朱子学を修め、西洋科学の導入で日本の殖産興国に尽力しました。彼の塾からは、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬ら傑物を排出しています。元治元年(1864)に上洛し、開国論を唱えて公武合体に努めた為同年7月11日に刺客に惨殺されました。大村益次郎は長州藩出身で、...
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