Category [藤原為時 ] 記事一覧
為時が出家した三井寺
紫式部の父・藤原為時は、長和5年(1016年)4月29日に園城寺(三井寺)にて出家。式部の母の兄弟である康延(こうえん)、式部の異母弟・定暹(じょうせん)は、三井寺の僧侶でした。『紫式部日記』には、中宮彰子が出産の際、園城寺の心誉阿闍梨(しんよあじゃり)がもののけの調伏に当たったとあります。園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山で、山号は長等山(ながらさん)。三井寺という通称を持ちます...
越前の旅(4)越前国分寺
越前市京町に建つ越前国分寺。天平13年(741)に出された聖武天皇の詔勅によって、国府があった武生にも国分寺が建てられました。ご本尊は、奈良時代の高僧行基の作といわれている天拝薬師如来座像。越前国分寺天平11年(739)聖武天皇の勅命により、越前国の国分寺として建立された。当時の越前国は今の石川県をも行政下にあった国内有数の大国であった為国分寺の規模も国内屈指のもので、三大国分寺の一つに数えられた事もある。当時...
平安時代の幻の迎賓館「松原客館」(3)氣比神宮
福井県敦賀市曙町に鎮座する氣比神宮(けひじんぐう)は、大宝2(702)年の建立と伝えられる7柱のご祭神をまつる神社で、市民に「けいさん」の愛称で親しまれています。松原客館は、気比神宮の神官が管理していたともいわれることから、気比神宮近くにあったという説もあるとのこと。敦賀は天然の良港を有するとともに、北陸道諸国(現在の北陸地方)から畿内への入り口であり、対外的にも朝鮮半島や中国東北部への玄関口にあたる要衝...
平安時代の幻の迎賓館「松原客館」(2)神明社
気比の松原から神明社へ。神明社の付近では、渤海との貿易によってもたらされたとのではないかと思われる青磁器片が出土していることから、神明社から永建寺にかけての辺りに、松原客館があったのではないかとも推測されています。当社はもともと近隣島郷十一ヶ村の惣神であり寛文年間(1667)西今浜村に創立、明治七年東今浜村の島明神を合祀神明社と改称。明治九年村社に列せられ、更に明治四十三年鋳物師村の村社及び松中村の無格...
平安時代の幻の迎賓館「松原客館」(1)気比の松原
松原客館(まつばらきゃっかん)は、平安時代前期の9世紀頃に、渤海の使節団(渤海使)を迎えるために越前国に設置されたと考えられる迎賓・宿泊施設。使節団が上京するまでの間、一時的にとどめ置かれ、食料や衣服などが支給されていたとみられています。松原客館の場所は、福井県敦賀市の気比神宮付近や来迎寺・永建寺付近一帯(現在の松島町付近)、西福寺、櫛川遺跡など7カ所が推定されていますが、存在した時期や場所など謎が...
最新コメント