Category [徳川家達 ] 記事一覧
駿府城(7)駿府城跡天守台発掘現場
平成28年から駿府城公園北西部にて、駿府城跡天守台発掘調査が行われ、天守台や調査の様子を見学することができます。現場を観覧できる「見学ゾーン」焼けた壁土と瓦門扉の金具慶長期天守台漆喰の付いた塀瓦と三葉葵の鬼瓦金箔瓦金箔瓦は、織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく:織田信長、豊臣秀吉とその配下の大名が築城した城の総称)に使用され、安土城や大坂城などで出土しています。瓦の凸部または凹部に金箔が貼られていま...
駿府城(6)紅葉山庭園
駿府城の北門にかけては、城郭の大名庭園を模した紅葉山公園になっています。駿河の国の名勝を織り込んだ4つの庭を中心に、四季折々の風景を楽しめます。「里の庭」四阿を取り囲む里の庭。八つ橋周辺には、花菖蒲田が広がっていました。「海の庭」伊豆の代表的な風景を石組みで表した荒磯州浜に広がる松原庭園散策の途中に設けられた立礼席こちらで茶の湯が楽しめます。「山里の庭」茶畑に見立てた築山は、駿河のシンボル「富士山...
駿府城(5) 坤櫓
坤櫓坤櫓とは、駿府城の二ノ丸の南西の方角に位置する櫓で、この坤(ひつじさる)という名は、築城当時には方位に干支が用いられていて、北を子(ね)として時計回りに割り当て、南西の方角は未(ひつじ)と申(さる)の間であるため、坤(ひつじさる)と呼んだことに由来しています。坤櫓の外見は、屋根が二重ですが、内部は三階構造となっています。各階の床板と天井板をすべて取り外しており、1階から3階の梁まで見通すことが...
駿府城(4)本丸堀~二ノ丸水路
本丸堀 本丸堀は、駿府城の三重堀の一番内側の堀で本丸を取り囲んでいます。幅約23〜30mで深さは江戸時代には約5mありました。石垣は荒割りした石を積み上げ、隙間に小さな石を詰めていく「打ち込みはぎ」と呼ばれる積み方です。角の部分は「算木積み」という積み方で横長の石を互い違いに積んで崩れにくくしています。 発掘調査により再び姿をあらわした本丸堀は、江戸時代の雰囲気が感じられる貴重な遺構です。 銀座の柳 二...
駿府城(3)本丸跡に立つ家康像~刻印のある石垣
本丸跡には、徳川家康の像が立っています。この像は威厳に満ちていますね。駿府城 今から約650年前の室町時代、今川範国が駿河守護職に任じられて以降、駿河国は今川氏によって治められました。9代義元の今川氏全盛の頃、徳川家康は7歳から18歳までの間、人質として駿府に暮らしました。永禄3年(1560)今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、今川氏は急速に衰退し永禄11年(1568)武田氏により駿府を追われました。 徳川家康は...
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