Category [藤原師長 ] 記事一覧
藤原師長の史跡(4)津賀田神社
瑞穂区の鎌倉街道を歩きながら、津賀田神社を目指しました。清盛に流された藤原師長が、当社に祈願したところ、3年後に京都への帰還が叶ったといいます。津賀田神社「尾張志」に「本國帳に愛智郡従三位津賀田ノ天神とある是也・・」とあり、天照大神と仁徳天皇を祀る古社で、俗に若宮八幡ともいった。 また、社宝の書写大般若経は、「尾張志」に「此社に古写の大般若経六百巻を唐櫃におさめ・・」とあり、その大般若経の多くは南北...
藤原師長ゆかりの(3)史跡 姫宮神社
藤原師長が井戸田に配流され、村の長・横江深光氏の娘・槐女(かいじょ)が大臣の身の回りをお世話しました。横江氏の子孫が娘の霊を慰めるよう祠(姫塚)を建て、個人宅内裏山に残っていましたが、現在は姫宮町集会所の姫宮神社として祀られています。 F2ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願い致します。...
藤原師長ゆかりの史跡(2)藤原師長謫居趾
藤原師長の瑞穂区に伝わる史跡を訪ねました。師長の法名「妙音院」ゆかりの妙音通を南に下ると、嶋川稲荷社があり、鳥居の後ろに、「藤原師長謫跡」の石碑があります。藤原師長謫居趾太政大臣藤原師長は平清盛の勘氣を被り治承3年(1179)11月井戸田村へ流されて来た。花の朝な夕べ琵琶を弾じて京をしのんだ。後に出家して妙音院と号したが、これが今の妙音通の地名の起りである。身辺の世話をした村長の横江の娘と契り師長が帰洛...
藤原師長ゆかりの史跡(1)小袖懸けの松
名古屋の栄のシンボルともいえるテレビ塔そのふもとにある小袖懸けの松この松には次のような伝承が残されています。そのひとつとして、藤原師長に関するものです。藤原師長は、大河ドラマで、山本耕史さんが演じた藤原頼長の息子に当たります。 この地は、名古屋大地の東端線に位置し、名古屋城築城以前は、自然に恵まれ、眺望のよいところであった。築城後は、基盤割の街づくりがされ、この辺は、袋町筋と本重筋の間で町人の町...
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