Category [平忠度 ] 記事一覧
神戸の源平史跡を訪ねて(41) 柳原天神社
神戸市兵庫区の柳原天神社菅原道真が大宰府へ左遷される途次、大輪田泊に上陸し、咲き誇る真野ケ原一帯の梅花を賞で、「風さむみ雪にまかへて吠く花の柚にそうつれ匂ふ梅が香」と詠みました。道真の死後、太宰府にある安楽寺の廟所から道真の分霊をうけて祀ったのがこの神社の起源です。道真といえば牛ですね!当社は、古来、平家一門、また時宗の門徒の信仰篤く、平忠度は「天神画像」の大軸を奉納したと伝えられています。F2ブロ...
神戸の源平史跡を訪ねて(43)平忠度の胴塚(首塚)
平忠度の腕塚堂の近くにある胴塚薩摩守平忠度(1144年-1184年)は平清盛の末の弟で、文武に秀でた将に平家「一門の花」と云われていた。源平一の谷の合戦に於いて源氏の武将岡部六弥太忠澄(おかべ ろくやた ただすみ)に討たれ惜しくもこの地で戦死したが最後は駒ヶ林の辺だと伝えられている。歌道は藤原俊成に師事し、「千載集」にも詠人知らずとして採られているほど武芸にも歌道にも優れた良い武将であった。人は皆、敵も味方もこ...
神戸の源平史跡を訪ねて(42)平忠度の腕塚堂(平忠度塚)
神戸市長田区にある平忠度の腕塚堂(平忠度塚) 腕塚堂(平忠度塚) 平忠度は、平清盛の末弟で、歌道にもすぐれた豪勇で知られた武将でした。源平一の谷合戦(1184年)のとき、平忠度は一の谷陣の大将でしたが、敗れて駒ヶ森指して落ちていく途中、源氏の武将岡部六弥太忠澄と戦い、首を討ち取ろうとしたところを、忠澄の家臣に後ろから右腕を切り落とされてしまいました。忠度はついに静かに念仏して討たれ、そのエビラ(矢を入れ...
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