Category [月照(西郷どん) ] 記事一覧
舌切茶屋と忠僕茶屋
清水寺には舌切茶屋と忠僕茶屋いう茶屋があります。当時、清水寺の執事であった近藤正慎は、月照の薩摩逃避を手助けした理由で、幕府に捕らえられ、行方を聞かれましたが自ら舌を噛み切って黙秘を貫きました。後に近藤正慎の妻子が出店を許され、「舌切茶屋」と名付け、以来、そのご子孫が茶屋を営んでいます。あの俳優の近藤正臣さんは、その直系の子孫に当たるそうです。舌切茶屋近藤 正慎(こんどう しょうしん、文化13年(1816...
月照上人・信海上人遺蹟と西郷隆盛の歌碑
清水寺の境内に、3つの石碑が並んでいます。右から西郷隆盛の歌碑、月照上人、月照の弟・信海上人の歌碑です。月照の死後、弟の信海上人も成就院の住職を継ぎましたが、青蓮院宮のための攘夷祈願をしたことで捕縛され、江戸で獄死しました(享年39)。西郷隆盛は、のちに弔意の漢詩を詠みました。西郷隆盛相約して淵に投ず、後先無し。豈図(あにはか)らんや波上再生の縁。頭を回らせば十有余年の夢。空しく幽明を隔てて墓前に哭...
鹿児島の旅(8)月照上人遺跡の碑
鹿児島市金生町にある月照上人遺跡の碑。安政5年(1858年)8月から始まった井伊直弼による安政の大獄で、月照は追われる身となり、西郷隆盛とともに京都を脱出し、下関を経て、安政5年(1858)年、11月に鹿児島に到着。藩では厄介者である月照の保護を拒否し、西郷に「日向国送り」を命じました。これは、単に身柄を移送するのではなく、薩摩国と日向国の国境で殺害することを意味していました。これを知った月照は死を覚悟し、西郷...
月照が隠棲した春光院
京都の東山・ねねの道沿いに高台寺の塔頭・春光院(春光禅院)があります。 この茅葺の門が目印です。 当寺は、1627年、木下勝俊(北政所の兄 木下家定の長男)が、娘の春光院を弔うために創建した寺院です。 訪ねた頃は、ちょうどしだれ桜がちょうど見ごろでした。 西郷隆盛と勤王僧・月照が尊王攘夷に関わる密議をしたといわれ、月照はこの春光院で安政2年より約1年、隠棲していたとされています。 月照江戸時代末期の浄土真宗...
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