Category [安徳天皇(鎌倉殿の13人) ] 記事一覧
壇ノ浦の戦い(4)安徳天皇阿弥陀寺陵~赤間神宮小門御旅所
下関の赤間神宮境内に、安徳天皇を祀った安徳天皇阿弥陀寺陵があります。壇ノ浦の戦いの1年後、安徳天皇の怨霊を鎮めるため源頼朝の命により阿弥陀寺御影堂が建てられた。御影堂(天皇殿)が安徳天皇社であり、京都方面を向いた東向きで造立された。『玉葉』によると、後鳥羽天皇の時代に長門国に安徳天皇の怨霊鎮慰のため、一堂が建立されている。阿弥陀寺は天皇怨霊鎮慰のため、まず木彫の等身大尊像が刻まれ、本殿の中心に厨子...
壇ノ浦の戦い(3)赤間神宮
壇ノ浦の合戦から間もなく、安徳帝が沈んだ関門海峡のほとりに阿弥陀寺というお寺が建てられましたたが、明治になって赤間神宮となり、安徳天皇を祭神としています 。 海に沈んだ安徳帝を祀る本殿は、竜宮を表しています。「源平盛衰記」によると、後白河天皇から海に沈んだ三種の神器のひとつである宝剣を探すように命じられた義経は海人に潜らせて探させたが見つからず、次のように報告しました。海底には龍宮城があり、その奥に...
妙順寺の釣殿井「安徳天皇産湯ノ井」
平頼盛の邸宅・池殿に関係があるとされる井戸「釣殿井」が、京都東山の妙順寺にあるといいます。釣り殿は、池殿の別名で、清盛の継母は出家したのち、この池殿で暮らし、池禅尼と呼ばれました。この井戸は、別名を「安徳天皇産湯ノ井」ともいい、安徳天皇が産湯を使ったとされています。非公開につき、表からの撮影のみで、井戸の画像はありません。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いしま...
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