Category [徳川頼房 ] 記事一覧
水戸の旅(8)二の丸御殿跡~水戸城跡の大シイ
茨城県立水戸第三高等学校の前に、水戸城二の丸御殿跡の案内板があります。水戸城二の丸には、藩の政務の中心施設である御殿が置かれた。初代藩主徳川頼房による寛永の水戸城大整備(1625~1638)にあわせて建設された。御殿の城絵図を見ると、およそ50数間四方の平屋建てで、水戸城最大の建造物であったことがわかる。平成22(2010)年の発掘調査で、御殿に伴う用水路などが発見され、御殿の遺構が地下に保存されている事が判明した...
水戸の旅(7)水戸城 杉山門~見晴らし台
杉山門は、2015年に復元されました。杉山門 杉山門は二の丸の北口にあたり、坂を下りると杉山通りに出ました。 門の内側には、敵の侵入を遅らせる為、土塁で桝形が形成されていました。 『水戸城実測図』によれば、門の規模は4間1尺といわれています。 この周辺は大きな杉林になっていました。 2代藩主徳川光國が、紀州産の熊野杉を取り寄せて植えたと伝えられています。二の丸の東北部には、「杉山坂」という坂があります。...
水戸の旅(6)水戸城 本丸跡~薬医門
水戸城本丸跡にには、現在、茨城県立水戸第一高等学校が建っています。水戸城 水戸城 は、建久四年(1193)、源頼朝 から地頭馬場資幹 (ばばすけもと)がこの地を賜り、大掾(だいじょう)に任ぜられたのに始まる。 以後、馬場大掾氏は九代約二百四十年間、下の丸(現本校運動場)の辺りに居館を構えた。次いで那珂道辰(みちとき)の子孫、河和田城主江戸道房(みちふさ)が大掾満幹(みきもと)の留守に水戸城を占拠。そ...
水戸の旅(5)水戸城 柵町坂下門~徳川頼房公像~白壁塀
水戸城は、北を那珂川、南を千波湖に挟まれた、日本最大級の土造りの城で、水戸藩の政庁として使われていました。元は平安時代末から鎌倉時代初期に馬場氏の手により建てられた館に由来し、後に江戸氏、そして佐竹氏の手を経て、慶長14(1609)年、徳川頼房が水戸に封じられるとともに水戸徳川家の居城となります。頼房は、三の丸や外堀の整備拡張を行い、二の丸に御殿を造営、併せて三階物見と呼ばれる櫓を建設しましたが、この三...
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