Category [北条氏政 ] 記事一覧
北条氏ゆかりの北条稲荷(小田原)
小田原城から北条稲荷へ。北条3代・北条氏康が亡くなったのは、小田原城内で死んだ老狐の霊が家臣に乗り移り、身辺に不幸を起こしたからだろうと考えた氏康の子・北条4代・北条氏政が城内に老狐の霊を祀って供養をしたのが北条稲荷の起こりと伝えられています。 (諸説あり) 元々は、小田原城内にあった神社のようです。え?このお稲荷さん・・・(@_@;)な、なんか・・・とっても怖いです~(;O;)ひえ~~~~ 一人でお参りは怖い...
北条氏政・氏照の墓所(小田原)
小田原駅から数分のところに北条氏政・氏照の墓所があります。氏政・氏照がこの石上で自害したと伝わっています。大きい方の五輪塔は、北条氏政夫人の墓と伝えられています。 稲葉氏が建立した笠塔婆型墓碑には、氏政・氏照の法号(戒名)が次のとおり刻まれています。 「滋雲院殿勝岩傑公大居士 天正十八庚寅年七月十一日 北條相模守氏政」 「青□院殿透岳關公大居士 北條陸奥守氏照 天正十八庚寅年七月十一日」ここから...
小田原征伐と小田原城
真田氏との間で、領土紛争を起こしていた北条氏は、一旦は豊臣秀吉の仲裁によって、北条氏が沼田城を領有して紛争地域の大半を北条領とする事で和解する事になりました。その和解の条件として、秀吉は氏政・氏直のどちらかの上洛を要求したのですが、北条父子の上洛の話は実現せず、代わりに板部岡江雪斎を使者として送ります。一旦は氏政が上洛という返事もあったのですが、天正17年(1589年)11月、北条方で沼田城将・猪俣範直に...
北条氏政・氏照の墓所
小田原駅から数分のところに北条氏政・氏照の墓所があります。氏政・氏照がこの石上で自害したと伝わっています。大きい方の五輪塔は、北条氏政夫人の墓と伝えられています。 稲葉氏が建立した笠塔婆型墓碑には、氏政・氏照の法号(戒名)が次のとおり刻まれています。 「滋雲院殿勝岩傑公大居士 天正十八庚寅年七月十一日 北條相模守氏政」 「青□院殿透岳關公大居士 北條陸奥守氏照 天正十八庚寅年七月十一日」ここから...
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