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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「光る君へ」「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [豊臣秀吉 ] 記事一覧

多賀大社(3)奥書院・名勝庭園

奥書院は多賀大社に残る最も古い建物で、江戸時代中期、安永12年再建の不動院書院跡です。鶴の間床の間に富士山と鶴が描かれています。彦根藩井伊家の参内の時の休憩所ともなり、勅使の間ともいわれています。狩野派の絵師による襖絵は、元々多賀大社の別当寺(神宮寺)であった天台宗不動院の大書院にあったもので、安永2年(1773年)の大火で大書院が焼失した際にも持ち出されて無事だったそうです。庭園(国名勝指定)奥書院から...

多賀大社(1)反り橋~絵馬殿

滋賀県犬上郡多賀町多賀に鎮座する多賀大社を紹介します。多賀大社は、伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれ、神仏習合の中世期には「多賀大明神」として信仰を集めました。式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。当社にはお守りとしてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあり、これは「お玉杓子」や「オタマジャクシ...

豊臣秀吉ゆかりの目刺橋

鎌研池から「目刺橋」へ。松下屋敷に奉公していた頃の若き日の藤吉郎(後の豊臣秀吉)が、メダカの眼をめがけ、松葉を投げて手裏剣の練習をしていたことから、片目のメダカが現れるようになったいう伝説があります。目刺通り目刺橋にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ...

秀吉ゆかりの鎌研池

松下屋敷跡北方の天白神社には、豊臣秀吉ゆかりの「鎌研池」(かまとぎいけ)も残っています。天白神社鎌研ぎ池豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と言った少年の頃、この地を訪れ頭陀寺城主の松下嘉兵衛之綱に身をよせて、天文22年3(1533)より永禄元年4月(1558)の間、下僕として奉公した。この時馬草を刈るのに池のはたで鎌を研ぎ試し切りのために池に生えた葦の片方へ出ている葉のみを切ったので、それから片葉の葦が生えるようになっ...

高松神明神社(1)高松殿跡

平安時代、ここには醍醐天皇の皇子である源高明の邸宅「高松殿」があったとされ、鳥居の前に「高松殿」の碑があります。その高松殿内に伊勢から天大神を勧請して祀った鎮守社が「高松神明神社」の起こりとされています。平安時代の末期に起こった「保元の乱」では、ここが後白河天皇の本拠地となって、平清盛や源義朝らが集結、崇徳上皇の白河北殿へ攻め込みました。また、「平治の乱」により高松殿は焼失、神社のみが残る形となり...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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