Category [織田信長(麒麟がくる) ] 記事一覧
プレイバック「麒麟がくる」 織田信長・信忠を祀る建勲神社(3)
「青天を衝け」の放送が、五輪で休止の間、「麒麟がくる」関連の記事を紹介していきます。手水舎桁行1間梁間1間、東西棟の切妻造檜皮葺、化粧屋根裏天井で、中央に石製水盤を置かれています。拝殿本殿の東方に位置する吹放ちの入母屋造妻入檜皮葺の拝殿。内側に織田信長公三十六功臣のうち十八功臣の額を飾っています。織田信長公は戦火の巷と化した応仁の大乱に終止符を打ち、民衆を疲弊絶望から救い、伝統文化に躍動の美を与え...
プレイバック「麒麟がくる」 織田信長・信忠を祀る建勲神社(2)
「青天を衝け」の放送が、五輪で休止の間、「麒麟がくる」関連の記事を紹介していきます。船岡妙見社手水舎の南西方に位置する船岡妙見社は、船岡山の地の神・玄武大神を祭っています。今より千二百年昔、平安建都に際し、船岡山は大地の生気のほとばしり出る玄武の小山と卜され、ここを北の起点として平安京が造営されました。船岡妙見は、船岡山の地の神として、諸厄消除・万病平癒・家宅守護の御神徳が讃えられています。「大平...
プレイバック「麒麟がくる」 織田信長・信忠を祀る建勲神社(1)
「青天を衝け」の放送が、五輪で休止の間、「麒麟がくる」関連の記事を紹介していきます。建勲神社は、京都市北区の船岡山の中腹にある神社で、織田信長を主祭神とし、息子の織田信忠を配祀しています。正式名称は「たけいさおじんじゃ」通称「けんくんじんじゃ」と呼ばれています。天下を統一した織田信長の偉勲を称え、明治2年明治天皇が創建し、1910年(明治43)船岡山の山腹にあった社を山頂に遷祀しました。船岡山は平安京造...
織田信忠最期の地に立つ「二條殿址」の碑
今日はまた「麒麟がくる」関連の記事に戻ります。京都市バス、京都市営地下鉄「烏丸御池」下車、徒歩2分、現在「京都国際マンガミュージアム」(旧龍池小学校)となっている建物の裏側に、「此附近 二條殿址」の石碑が立っています。二条殿は、もとは南北朝時代の公卿・歌人・連歌師であった二条良基の邸宅で、押小路殿とも呼ばれました。邸内には龍躍池があり、洛中洛外図屏風にも描かれており、その景観の美しさから皇族や織田信長...
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