Category [真田信繁(どうする家康) ] 記事一覧
大坂冬・夏の陣ゆかりの地 どんどろ大師~堀越神社~四天王寺庚申堂~徳川家康本陣跡
心眼寺の近くにある天王寺区の善福寺は、創建当初に「鏡如庵大師堂」と称し、大坂夏の陣の戦死者を弔うために建てられたと伝わるお寺です。通称はどんどろ大師。「どんどろ大師」の語源については、土井利位(どいとしつら)(生没年:1789年~1848年)(下総国・古河(茨城県)藩主)が大坂城代に在任中の期間(1834年~1837年)の屋敷が鏡如庵大師堂の近くにあり、土井利位が鏡如庵大師堂に祀られている弘法大師に深く帰依し、参...
大坂夏の陣 天王寺・岡山の戦い「真田信繁終焉の地」
大坂夏の陣、いよいよ最終決戦・天王寺・岡山の戦いです。慶長20年(1615年)5月7日未明、豊臣方は大坂城を出発し、現在の大阪市阿倍野区から平野区にかけて迎撃体制を布き、幕府方は、夜明け頃天王寺口と岡山口から大坂城へ向け進軍を開始。豊臣軍は、天王寺口には真田信繁、毛利勝永など14,500、岡山口には大野治房ら4,600、別働隊として明石全登300、全軍の後詰として大野治長・七手組の部隊計15,000が布陣。幕府方の配置は、大...
大坂夏の陣 「真田信繁が戦勝祈願した志紀長吉神社」
大阪の平野区にある志紀長吉神社は、古事記・日本書紀に載せられている延喜式内社で、真田信繁(幸村)ゆかりの神社です。大坂夏の陣の時、信繁は道明寺の戦いから退却の途中で当社に立ち寄り、軍刀や軍旗を奉納して戦勝を祈願しました。志紀長吉神社の境内ではなく、南側の鳥居のある交差点より少し南に入ったところに、真田幸村休憩所跡があります。門を開けると石碑があります。信繁が、大坂夏の陣の時、南河内誉田において東軍伊...
大阪夏の陣 道明寺・誉田合戦
道明寺合戦は、真田信繁(幸村)軍と伊達政宗軍が激突。片倉小十郎、後藤又兵衛、薄田隼人が激突しました。2014年11月、道明寺駅前に建立された道明寺合戦記念碑当時の道明寺は、現在の道明寺天満宮の階段下南側にあり、この辺りに西軍が陣を布き、真田信繁は、後藤又兵衛、毛利勝永と打倒徳川の誓いの盃を交わしたと伝えられ、道明寺の戦いの舞台になったといいます。道明寺天満宮道明寺天満宮は、土師氏の氏神として創建され、の...
三光神社の真田の抜け穴
大阪天王寺のJR玉造駅から約5分、真田山丘陵に鎮座している三光神社反正天皇時代の創建と伝えられ、天照大神、月読尊、素戔嗚尊を祀り、日本全国で唯一の中風除の神として広く知られています。 「真田丸」が放送された年に行ったので、真田信繁を演じた堺雅人さんのポスターが飾られていました。境内には「真田の抜け穴」といわれる石室状の横穴が残されています。当社は、大坂城の出城(真田丸)のあったところで、慶長19年(1614)...
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