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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「光る君へ」「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [高倉天皇 ] 記事一覧

小督の悲話(4)高倉天皇陵

小督に去られたこと、わずか3歳の安徳天皇(建礼門院との間に生まれた)に無理やり譲位させられたことなどの心痛から、高倉天皇は21歳の若さで崩御しました。その後、小督は高倉天皇が眠る東山の天皇陵近くの庵で、天皇の墓守に殉じ、44歳で亡くなりました。高倉上皇は、後白河天皇の第7皇子。母・平滋子は平清盛の妻・平時子の異母妹。中宮は清盛と時子の娘の平徳子(後の建礼門院)。安徳天皇、後鳥羽天皇らの父に当たります。二...

瀬戸内紀行(13) 高倉上皇ゆかりの多聞院

多聞院 高倉上皇が厳島神社参拝の際、夢枕に毘沙門天が立ったことをきっかけに本堂が建てられたという寺です。時代を経て毛利元就によって髙田郡吉田に移され、毛利輝元の広島築城に伴って新庄村に移築。福島正則が慶長9年(1604年)に比治山の地に本堂を建てました。福島正則が寄進した両界曼荼羅や、三条小鍛冶宗近の宝剣一振が保管されています。境内には持佛堂、毘沙門天本堂、被爆の鐘樓、頼家一族の墓、植田艮背の墓(県の史跡...

閑院址

市バス「堀河御池」下車し、歩くこと数分、押小路通と小川通が交わる所にあります。ここから北西にあたる西洞院通、押小路通、油小路通、二条通に囲まれた地域は、平安時代から鎌倉時代初期にかけて藤原氏の邸であったところである。当初は藤原冬嗣の邸であったが、11世紀初期に藤原公季が伝領してから「閑院」と称した。また高倉天皇の時代(1161~1181)大内裏が甚だしく荒廃したため閑院邸が里内裏(臨時に設けられる皇居)とし...

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Author:しずか
毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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