Category [大村益次郎(西郷どん) ] 記事一覧
周防明倫館兵学寮跡と靖国神社の大村益次郎の像
1815年(文化12)、長州藩士・上田鳳陽(ほうよう)は学問所として「山口講堂」を開設しました。その後「山口明倫館」と名前を変え、兵学寮と文学寮に分けられ、文学寮には小学舎及び編集局、兵学寮には歩兵・騎馬・砲兵の三兵塾がありました。一時は、大村益次郎が兵学寮の教授となり、洋式兵学の教育が行われました。大村益次郎その兵学寮のあったところに碑が残されています。大村 益次郎幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者である...
大村益次郎ゆかりの普門寺
山口県山口市の普門寺は、大内正恒が創建した寺を、延元元年(1336)に大内弘直が再建し、その菩提寺となった寺です。文久3年(1863)に萩の藩庁が山口に移り、幕府軍と戦うため、大村益次郎が藩命により江戸から帰藩し、山口明倫館の改組にあたりました。本堂大村は、観音堂を宿舎としましたが、諸生に乞われ、ここで西洋式兵学を教えました。観音堂当時は普門寺塾とか三兵塾とも呼ばれていました。また、普門寺は剣槍に優れた人を集...
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