Category [梶原景時(鎌倉殿の13人) ] 記事一覧
梶原景時が開山した犬山の興禅寺
愛知県犬山市の興禅寺は、頼朝の家臣で鎌倉幕府の侍所の別当として権勢を誇った梶原景時が、1174年に菩提寺として建てた寺で、興禅寺の東側には羽黒城跡が残されています。羽黒城は、建仁2年(1201)梶原景親(景時の孫)によって築城された。景時は、頼朝に信望のあった御家人で侍所の別当として権勢を誇っていたが、頼朝が死ぬと、しばらくして滅ぼされた。 一部の遺族たちは、景時の孫・豊丸(のちの景親)をかこんで豊丸の乳母...
梶原の御霊神社
湘南モノレールの湘南深沢駅から徒歩約10分、梶原の御霊神社が見えてきます。建久元年(1190)梶原景時により創建されたとされています。坂ノ下の御霊神社は「ごりょうじんじゃ」と読みますが、梶原の御霊神社は「ごれいじんじゃ」と読むようです。ご祭神は、鎌倉権五郎景正で、本殿には、梶原景正夫妻像、梶原景時の像、三猿像が安置されているといいます。元々は葛原ヶ岡に創建されたもので、また坂ノ下の御霊神社は、元はこの御霊...
鎌倉坂ノ下の御霊神社
鎌倉坂ノ下の御霊神社は、平安時代後期に建立されたと推定されています。もとは関東平氏五家の始祖、すなわち鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになりました。その後、後三年の役で活躍した梶原景時の先祖・鎌倉権五郎景政が祭られ、祭神の名から権五郎神社と呼ばれました。景政はまた、その武勇をもって知られ、16歳の時、源義家の陣営に連な...
鎌倉の建長寺
鎌倉の建長寺では、梶原景時の亡霊が施餓鬼供養に遅れてやってきたという伝説が残されています。毎年、景時のために7月15日、山門にて午前8時に国宝の梵鐘が撞かれ、「三門施餓鬼」と「梶原施餓鬼」が続けて行われています。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記ランキング...
静岡の梶原景時の史跡(5)梶原堂
静岡の梶原堂は、元々は、梶原山龍泉院という梶原景時を本尊とした梶原一族をまつるためのお寺でした。梶原一族が滅亡してから160年経った1360年12月28日のこと、景時の8代の孫である梶原景慶が駿河に赴任して来ました。景慶は、足利尊氏の弟である直義の援助を得、矢崎山の山腹に龍泉院を建て、景時をまつりました。1822年、龍泉院は火災により全焼しますが、景時、長男・景季、次男・景高、源頼朝、頼家の位牌と如意輪観音像、...
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