Category [後鳥羽上皇 ] 記事一覧
大原の後鳥羽天皇・順徳天皇 大原陵
2019年の秋、紅葉狩りの季節の大原を訪ねました。大原には、承久の乱で敗れ、配流先で亡くなった後鳥羽上皇と順徳天皇の陵墓があります。三千院の参道を北に進んでいき、三千院を通り過ぎると、左手に実光院があります。その向かい側の小高いところに、後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵があります。後鳥羽天皇大原陵順徳天皇大原陵隠岐に流された後鳥羽上皇は,18年間のわびしい生活ののち,同地で没した。隠岐で火葬され,遺骨は山城の大...
後鳥羽上皇の邸宅跡の鳥羽離宮跡公園
城南宮から徒歩数分のところに鳥羽離宮跡公園があります。伏見区竹田・中島・下鳥羽一帯は、平安時代後期に白河・鳥羽上皇が造営の離宮があり院政を行ったところです。院政のシンボルである鳥羽離宮は、白河天皇の御所として建てられましたが、すべてが完成したのは、鳥羽上皇の時代になってからのことで、鳥羽殿とも呼ばれました。平清盛による後白河法皇の幽閉場所や、後鳥羽上皇の拠点の一つとしても用いられました。後鳥羽上皇...
後鳥羽上皇ゆかりの聖福寺~長浜の寺社
すでに当ブログで紹介済みですが、昨日12月11日の紀行で紹介されたところをまとめてみました。福岡市博多区にある聖福寺は、建久6年(1195年)源頼朝を開基とし、栄西が南宋より帰国後に、宋の人が建立した博多の百堂の跡に創建しました。室町時代末期に兵火を受け、永禄11年(1568年)耳峰が再興。天正15年(1587年)には領主小早川隆景が寺領300石を寄進、仏殿、総門などの諸堂宇を修営。文禄4年(1595年)に豊臣秀吉より200石、...
承久の乱決起の地・城南宮
承久3年(1221年)5月14日、後鳥羽上皇は城南宮で催す「流鏑馬揃え」を口実に諸国の兵を集めました。北面・西面武士や近国の武士、大番役の在京の武士1700余騎が集まり、その中には有力御家人の尾張守護・小野盛綱、近江守護・佐々木広綱、検非違使判官・の三浦胤義(三浦義村の弟)も含まれていました。幕府を支持した西園寺公経を捕らえて幽閉、翌15日、京都守護・伊賀光季(いがみつすえ)を討ち、後鳥羽上皇は三浦氏、小山氏、武田...
後鳥羽上皇ゆかりの米原(2)日撫神社
米原市の日撫神社(ひなでじんじゃ)は、旧近江町エリアの日撫山に鎮座する延喜式内坂田五社のひとつです。日撫神社のある地は、仲哀天皇の皇后である神功皇后の祖先が代々住まわれた地であるという事から、神功皇后はこの地を深く慕われていました。現米原市に祠を建立し、少彦名命と父である息長宿禰王を祀られたのが始まりとされ、後鳥羽上皇が度々参詣され、応神天皇を合わせて祀られました。承久の乱直前に後鳥羽上皇が訪れ、...
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