Category [島津久光(青天を衝け) ] 記事一覧
京・薩摩藩邸跡(二本松屋敷)
薩摩藩の京屋敷は、幕末までの間、転々としましたが、錦小路の藩邸が手狭になったという理由で、文久2(1862)年9月に相国寺から敷地を借りて、相国寺南の二本松に新屋敷を設け、北区等持院にも邸を構えました。明治になって錦小路の邸跡は誓願寺に、のち京都取引所に。二本松屋敷は同志社大学の敷地となりました。同志社大学今出川キャンパスの桜の木の前に、薩摩藩邸跡の石碑と駒札が立っています。 京・薩摩藩邸(二本松屋敷)...
薩英戦争本陣跡
鹿児島市常盤町に残る薩英戦争本陣跡。薩英戦争時、海に近い鹿児島城がイギリス軍の大砲の射程圏内となるため、海から離れた千眼寺(せんげんじ)に本陣に置かれ、島津久光、忠義親子がここから藩士たちの指揮を執りました。 島津久光千眼寺は黄檗宗の寺で、文化2年(1805)、島津重豪が荒田村から現在地に移築したといわれています。明治2年(1869)廃仏毀釈によって寺は壊され、現在は民家となっています。遺構はほぼ残っておらず、庭...
薩英戦争の引き金となった生麦事件
生麦事件1862年9月14日、薩摩藩の島津久光の一行が江戸からの帰路、東海道の生麦村(現・横浜市鶴見区)で馬に乗った英国人4人(横浜でアメリカ人経営の商店に勤めていたウッドソープ・チャールズ・クラーク、横浜在住の生糸商人ウィリアム・マーシャル、マーシャルの従姉妹で香港在住イギリス商人の妻であり、横浜へ観光に来ていたマーガレット・ボロデール夫人、上海で長年商売をしていて、見物のため来日していたチャールズ・レノ...
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