Category [武田耕雲斎 ] 記事一覧
水戸の旅(25)天狗党の家族が処刑された「赤沼牢屋敷跡」
水戸駅の南東にある赤沼牢屋敷跡は、水戸藩の牢屋敷があった場所です。江戸時代、吉沼磔刑場や千束原処刑場などで実施されるのが一般的ですが、幕末の藩内党争期には、赤沼牢屋敷跡でも処刑が行われ、その数は350人以上にものぼったそうです。天狗党の参戦者の多くは、敦賀市で処刑されましたが、その妻子や一族が連座して投獄され、この地で斬首されたそうです。天狗党の首領であった武田耕雲斎の妻子の処刑は、市川三左衛門によ...
水戸の旅(20)妙雲寺の武田耕雲斎の墓
水戸の妙雲寺は、慶長元年(1596)、法雲院日道聖人が開山したのが始まりと伝えられ、延宝6年(1678)に現在地に移されました。天保14年(1843)、徳川斉昭が大砲鋳造のため、各寺院に梵鐘の供出を命じたところ、妙雲寺はこれに応じなかったため、一時廃寺になりましたが、その後家老の武田耕雲斎に与えられ後、再興されました。水戸藩士の子として生まれた武田耕雲斎は、徳川斉昭に信任され、藩の家老となりましたが、1864年の藤田小四...
最新コメント