Category [豊臣秀頼 ] 記事一覧
清凉寺の豊臣秀頼の首塚
嵯峨野の清凉寺は、嵯峨釈迦堂の名で知られる浄土宗の寺院です。嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の別荘・栖霞観(せいかかん)の跡に開かれた棲霞寺にお堂を建立し、釈迦如来を安置したと伝えられています。栖霞観跡本堂(釈迦堂)は、慶長7年(1602年)に豊臣秀頼によって寄進・造営されましたが、嵯峨の大火が類焼し、本堂以下の伽藍は被災。元禄13年(1700年)より、本尊の江戸に始まる各地への出開帳が始まり、また...
玉造稲荷神社の豊臣秀頼の銅像
大阪の玉造稲荷神社に建立された豊臣秀頼の銅像を紹介します。当神社に現・大阪城築城80周年の節目である平成23年(2011)、篤志家の方々の協力のもと「豊臣秀頼公銅像」が10月13日に除幕竣工された。また銅像は、文化勲章受章・日本芸術院会員の中村晋也氏が当時の史料を基に制作された。(玉造稲荷神HPより)秀頼は、身長6尺5寸(約197cm)・体重43貫(約161kg)の並外れた巨漢で、家康が二条城で秀頼と会見した時に、秀頼の巨体...
淀殿・豊臣秀頼自刃の地
1615年(慶長20年)徳川家康は浪人解雇と豊臣家の移封を要求しましたが、豊臣秀頼は父の城を捨てるわけにはいかないと拒否し、大坂夏の陣が始まりました。淀殿は、女性でありながら、甲冑に身を包み、豊臣方の総大将として徳川との戦に臨みましたが、堀を埋められた豊臣に勝ち目はなく、ついに大阪城は落城。淀殿は、秀頼の「豊臣の人間として果てたい」という言葉で、自分もともに自刃することを決めました。家臣に救出された千姫...
方広寺の鐘銘事件
京都の東山にある方広寺は、天台宗山門派の寺で、豊臣秀吉により建立されました。天正14年(1586年)大仏殿の造営が開始され、文禄4年(1595年)に完成。大仏は、奈良の東大寺の大仏よりも大きく、18mの高さであったといいます。しかし慶長元年(1596年)の地震により倒壊。その後、豊臣秀頼により再建されましたが、寛政10年(1798年)に落雷による火災で焼失。大仏殿、大仏は今はなく、当時を偲ばせるものとしては、巨大な石を組ん...
豊臣秀頼が修復・造営・再建した京都の寺社
豊臣秀頼と淀殿は、豊臣秀吉没後から秀吉の追善供養として、畿内を中心に寺社の修復・造営を行いました。主なもので東寺金堂・延暦寺横川中堂・熱田神宮・石清水八幡宮・北野天満宮・鞍馬寺毘沙門堂など、85件にものぼったといいます。今まで撮影した画像をまとめてみました。東寺南大門東寺金堂醍醐寺金堂熱田神宮石清水八幡宮北野天満宮等持院鞍馬寺由岐神社の本殿と拝殿金戒光明寺の阿弥陀堂真如堂の本堂相国寺の法堂寂光院の本...
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