Category [藤原頼道 ] 記事一覧
宇治を訪ねて(9) 縣神社
縣神社は、永承7年(西暦1052年)、藤原頼道の平等院建立にあたり総鎮守となり、平等院の地主神として祀られています。祭神は木花開耶姫。平安時代、平等院建立以前では藤原道綱の母が、宇治に来た時、『蜻蛉日記』に「あがたの院」に詣でたことを記しています。明治維新までは、大津市の三井寺円満院の管理下にありましたが、「神仏分離令」により三井寺から独立しました。現社殿は昭和11年(1936年)造営。毎年6月5日から6日...
平等院(3)扇の芝~最勝院の源頼政の墓
観音堂の前に、芝が扇形になっている扇の芝があります。ここは、源頼政の終焉の地とされています。治承4年(1180年)5月26日、源頼政は以仁王を奉じて平家打倒に立ち上がり、平知盛・重衡軍を宇治川で迎え撃ちます。宇治川を挟んでのこの戦は、「橋合戦」と呼ばれ、以仁王軍は、橋の底板を外して敵の侵入を防ぎ、矢で応戦していました。橋の上でも激戦が繰り広げられましたが、17歳の足利忠綱が宇治川の急流の宇治川に馬を乗り入れる...
平等院(2)鳳翔館~浄土院
朱色に染まった紅葉を愛でながら、鐘楼の建つ小高い丘へと進んで行きます。ちょうど紅葉の中央に見えるのが鐘楼です。平等院の鐘は、姿の美しさから日本三名鐘に数えられています。こちらには、複製の梵鐘が懸けられており、実物は鳳翔館にあります。梵鐘鳳凰堂と同じ11世紀頃の制作と推定される。全面に天人、獅子、唐草文様などの繊細な浮き彫りを施した、他に例を見ない鐘である。「音の三井寺」、「銘の神護寺」、「姿、形の平...
平等院(1)道長の別荘を寺院に改めた阿弥陀堂
宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていました。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる嵯峨源氏の左大臣・源融が営んだ別荘だったものが陽成天皇、宇多天皇に渡り、朱雀天皇の離宮「宇治院」となり、それが宇多天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政・藤原道長の別荘「宇治殿」となったもの。表門道長は万寿4年(1027)に亡くなったため、当...
即成院 (1)藤原道長の孫が創建した寺
今熊野観音寺と同様、泉涌寺の塔頭の即成院は、正暦3年(992)、恵心僧都源信によって建立された光明院を始まりとするという説もありますが、実際の創立者は藤原道長の孫で、藤原頼通の子である歌人・橘俊綱が、伏見桃山に創建したのが始まりと考えられていいます。山門明治時代に現在地に移され、泉涌寺の塔頭となりました。本堂本堂内陣の本尊の阿弥陀如来と二十五菩薩は、寛治8年(1094)に作られたもので重要文化財。毎年10月の...
最新コメント