Category [徳川斉昭 ] 記事一覧
水戸の旅(37)偕楽園 「好文亭」その弐
好文亭の中を進んで行きます。萩の間この辺りから、部屋の明るさがぐっと増します。桜の間3階の楽寿楼からは、偕楽園の庭園から千波湖方面まで見渡せます。この時点で、16時15分、夕陽が一面を照らしています。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記ランキング...
水戸の旅(36)偕楽園 「好文亭」その壱
園内には梅の異名「好文木」に由来する別荘好文亭があります。藩校「弘道館」は偕楽園と一対の施設であり、古代中国の晋の武帝が学問に親しむと花が開き、学問をやめると花が開かなかったという故事に基づいているそうです。好文亭を見学するには、偕楽園の入園料(300円)とは別に観覧料(200円)が必要です。園内の好文亭は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭自信の設計により建築された別邸で、藩内の人々とともに楽しむ場としました。木造...
水戸の旅(35)偕楽園 竹林~梅園
孟宗竹林表門をくぐるとすぐ左側に広がる竹林です。孟宗竹が1000本以上植えられています。好文亭表門偕楽園の正門です。昭和20年の戦火にも耐え、創設当初から幾度かの修理を経て残っています。梅園園内には約100品種3,000本もの梅が植えられています。様々な品種があるため、「早咲き」「中咲き」「遅咲き」と長期間に亘って観梅を楽しむことができます。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願...
水戸の旅(34)偕楽園 南門~好文亭
日本三名園の一つに数えられる偕楽園は、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭が、領内の衆ととも(偕)に楽しむため1842年に造園したもので、約13ヘクタールの広い敷地に約3000本・ 100種類の梅があり、早春には多くの観梅客でにぎわいます。水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)は、1833年(天保4年)藩内一巡後、水戸の千波湖に臨む七面山を切り開き、回遊式庭園とする構想を持った。造園は長尾景虎(後の上杉謙信)を輩出した長尾家の本草学...
水戸の旅(31)水戸八幡宮
水戸八幡宮は、文禄元年(1592)佐竹義宣によって創建されました。義宣は、天正18年(1590)に水戸城主の江戸氏を滅ぼし、翌19年に常陸太田より水戸に居城を移し、その翌年の文禄元年(1592)に常陸太田鎮座の馬場八幡宮より、八幡大神を水戸城内に奉斎しました。のち八幡小路(現在の北見町)を聖域と定め、慶長3年(1598)に御本殿(国指定重要文化財)を建立し、水府総鎮守の社と定めました。祭神は、馬場八幡宮から勧請された応神天皇...
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