Category [井伊直孝 ] 記事一覧
井伊直孝ゆかりの若宮八幡宮(焼津)
寛永6年(1629)、井伊直孝は自らの出生地の駿河国益津郡(現焼津市)の中里に若宮八幡宮を建立しました。直孝の幼名は弁之助と言い、小さいころから度胸がすわっていて、誠実で裏表がない性格で、少年のころ家に忍び込んだ盗賊を退治した話や、招き猫の由来となった言い伝えなど、多くの逸話が残る人物でもあります。父の直政は戦場で「井伊の赤鬼」と恐れられましたが、息子の直孝も大変勇敢で戦術に優れ、大坂夏の陣では大きな功績...
井伊直孝産湯の井
焼津市中里に、井伊直政の次男である彦根藩2代目藩主・井伊直孝の産湯の井があります。彦根藩の初代藩主である父の井伊直政は、徳川四天王の一人と称えられた大名でした。家康が関東に移る際に井伊家も上野国箕輪に移つることになり、直政は東海道を通った折、岡部宿本陣に泊まり、中里出身の娘が、身の回りのお世話をすることになりました。直政は娘をたいそう気に入ったといいます。その後、天正18年(1590)、娘は男の子を産みま...
彦根・北野神社
彦根城の西側に鎮座する北野神社は、元和6年(1620)、彦根藩2代藩主・井伊直孝が、幼時尊崇した上野国北野寺の鎮守社の天満宮を勧請し、彦根城築城の際、古来からあった彦根寺を北野寺と改めて別当寺とし、藩主の祈願社としたのにはじまります。彦根藩主の崇敬篤く、105石の給付をはじめ、社殿の修理、祭儀の費用はすべて藩費でまかなわれ、社参、寄進等もしばしば行なわれたといいます。寛政7年、社殿が焼失しますが、その後井伊直...
彦根・圓常寺
彦根城の西側にある圓常寺は、1611年(慶長16年)井伊直孝が母の菩提のため建立したお寺です。直孝は初代・井伊直政を引継ぎ、彦根城を完成させた第2代彦根藩主です。ご本尊は快慶作の阿弥陀如来立像。快慶作の仏像は滋賀県内に石山寺の大日如来坐像と2体しか現存してないとのこと。表面に施されてていた漆や下地がはく落し、木材の損傷も進行していたことから、2013年から修理が行われたそうです。(滋賀彦根新聞より)鐘楼また、境...
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