Category [真田信之 ] 記事一覧
真田濠(四谷濠)
四谷見附橋から喰違見附までの間が真田濠(四谷濠)と呼ばれています。「真田」という名がついているのは、真田信之を筆頭に、真田藩が普請を請け負ったことからです。外濠造りには、信之だけではなく、仙台の伊達政宗や米沢の上杉定勝(景勝の息子)などの大名も参加していたそうです。この部分はもともと台地であり、東西に延びる分水嶺の南北を繋げる形で開削して作られた人工の地形で、戦災の瓦礫により埋め立てられ、現在は南...
曹渓寺の真田信之の供養塔
港区南麻布の曹渓寺は、元和9年(1623年)に創建され、承応2年(1654年)に赤坂から現在地に移転しました。曹渓寺には、真田信之の供養塔と、信之の長男で、沼田藩2代藩主・真田信吉の正室・松仙院の墓があります。真田信之の供養塔信吉の母は清音院殿(真田信綱の娘)松仙院は、酒井忠世の次女で、信吉との間に、長男の熊之助と次男の信利を儲けました。しかし、松仙院は寛永11年(1634)に信吉を、寛永15年(1638)年には熊之助を相...
真田信之の菩提寺 妙心寺の大法院(2)
大法院の境内には、松代藩の真田家一門や、幕末の松代藩士で攘夷派に暗殺された兵法学者・佐久間象山の墓があります。墓所入口真田一族の墓所真田信之真田信吉(信之の長男)真田信利(信吉の次男)長姫(信吉の長女)佐久間象山にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ...
真田信之の菩提寺 妙心寺の大法院(1)
大法院は、妙心寺塔頭のひとつで、真田幸村(信繁)の兄で松代藩主であった真田信之の菩提寺を拝観して来ました。普段非公開ですが、春と秋の紅葉の時期のみ特別公開されます。信之の遺命に従い、長男・真田信吉の長女・長姫により創建されました。「大法院」という院号は、信之の法名「大法院殿徹岩一洞大居士」に因むものです。紅葉に彩られる美しい露地庭園を眺めながら、抹茶とお菓子をいただけます。茶室方丈の襖絵には、江戸...
高野山の蓮華定院(3)真田家墓所
蓮華定院の境内には、真田信繁(幸村)の兄である松代藩真田家初代藩主・真田信之(大鋒院)と、信之の次男である二代藩主・真田信政(圓陽院)の墓所があります。向って、右側が真田信之、左側が真田信政真田信之の墓真田信政二人は、同年に亡くなり、一周忌に墓が建立されました。施主は、三代藩主・幸道。信之の供養塔には、徳川家についてから改名した「信之」の字でなく、「信幸」と刻まれています。お家存続のため、豊臣方と...
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