Category [豊臣秀吉(麒麟がくる) ] 記事一覧
山崎の合戦を辿る(6)旗立松展望台
天王山「旗立松展望台」から見下ろす山崎合戦の地現在の大山崎JCTあたりを挟んで両軍が対陣したと言われています。天下分け目の天王山 天正・山崎合戦 天正10年(1582)6月2日、京本能寺で織田信長が討たれた。その報は2日後、中国地方備中高松城攻めを信長から命ぜられていた羽柴秀吉の元にも届いた。秀吉は急遽毛利氏との和睦を成し、山陽道、西国街道をひた走り京を目指した。一方、主君信長を討ち、京、近江を制圧...
山崎の合戦を辿る(5) 「秀吉の道」の陶板絵図
宝積寺を出て、ここから山道を登っていきます。サルの目撃情報の看板!う~ん、どこから飛びだしてきてもおかいくない雰囲気('◇')ゞ案内図を見て、現在地を確認!歩きにくい険しい道になってきました。119番通報ポイント!こういうのがあると、安心して歩けます。まだまだ続く山道。やっと次の目的地に到着\(^o^)/天王山ハイキングコースの休憩所には、「秀吉の道」と名付けられた秀吉の天下取りの物語を解説する陶板絵図があり...
豊臣秀吉の出生地 豊国神社~常泉寺
名古屋の中村公園駅の3番出口を出ると、すぐ目の前に平安神宮の鳥居を思わせる赤い大きな鳥居が見えます。この鳥居は豊国神社の鳥居として1929(昭和4)年に建てられたもので、豊国神社のある中村公園へと続く参道の入り口に当たります。大鳥居から10分ほど歩くと、中村公園が見えてきます。この公園は、豊臣秀吉出生の地と伝えられるこの地に1885(明治18)年、秀吉の遺業を偲んでつくられたものです。(秀吉生誕の場所は中村区中村中...
豊臣秀吉ゆかりの鎌研ぎ池~目刺橋
松下屋敷跡北方の天白神社には、豊臣秀吉ゆかりの「鎌研池」(かまとぎいけ)も残っています。天白神社 豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と言った少年の頃、この地を訪れ頭陀寺城主の松下嘉兵衛之綱に身をよせて、天文22年3(1533)より永禄元年4月(1558)の間、下僕として奉公した。この時馬草を刈るのに池のはたで鎌を研ぎ試し切りのために池に生えた葦の片方へ出ている葉のみを切ったので、それから片葉の葦が生えるようになったと...
頭陀寺ゆかりの熊野神社~津毛利神社
松下屋敷跡がある頭陀寺第一公園に隣接して熊野神社があります。熊野神社は、江戸時代までは頭陀寺の境内にあり、頭陀寺の鎮守として祀られていましたが、明治の神仏分離令で境内から分離し、町の鎮守として祀られるようになりました。 明治11(1878)年頭陀寺再建の折に、本尊の宮殿を神社の御神体の宮殿として移築しました。(頭陀寺HP参照)養老2(718)遠州灘の海難防除を願って、摂津の住吉大社から勧請されました。創建当時は...
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