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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「光る君へ」「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [細川ガラシャ ] 記事一覧

細川ガラシャゆかりの地 越中井と大阪カテドラル聖マリア大聖堂

JR大阪環状線・森ノ宮駅から徒歩で15分のところにある越中井史蹟 越中井由来ガラシャ夫人の名だけ聞いてもどんな人なのか知らない人が多いのではないでしょうか ガラシャは細川越中守忠興公の夫人で熱心なキリシタン信者でありました慶長5年(1600年)忠興公が徳川家康に従って会津上杉を征伐に出陣した留守中反家康の石田三成が大名妻子たちを大阪城中に人質にしようとしたがガラシャ夫人は聞き入れず石田三成に取囲まれぜ...

細川ガラシャゆかりの勝竜寺城

勝竜寺城は、現在の京都府長岡京市勝竜寺にあった城で、細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城として知られています。天正6年(1578年)8月、細川藤孝の嫡男・忠興と明智光秀の娘・お玉(細川ガラシャ)がこの城で結婚式を挙げ、2年間新婚時代を過ごしたとされています。後年の山崎の合戦では明智光秀がここに本陣を構えました。細川藤孝は天正9年(1581年)に丹後に入封し、代わって村井貞勝の家臣矢部善七郎、矢部猪子兵助の両名が...

細川ガラシャゆかりの地(4)大徳寺高桐院の細川三斎・ガラシャの墓

高桐院は、大徳寺の塔頭のひとつで、細川忠興(三斎)が父・細川藤孝(幽斎)のために慶長7年(1602年)建立しました。開山の玉甫紹琮は幽斎の弟で、三斎のおじにあたります。正保2年(1645年)に83歳で没した忠興は、遺言によりその遺歯が高桐院に埋葬され、以後細川家の菩提寺となっています。庭園には忠興と夫人のガラシャの墓塔となっている春日灯籠があります。忠興が生前こよなく愛し、自ら墓標に指定したといわれています。...

細川ガラシャゆかりの地(3)崇禅寺

関ヶ原の戦いの直前の慶長5年(1600年)細川ガラシャの夫・細川忠興が家康に従い、上杉討伐に出陣中、大坂玉造の細川屋敷にいたガラシャを、西軍の石田三成が人質に取ろうとしましたが、ガラシャはそれを拒否。その翌日、三成勢が屋敷を囲むと、ガラシャは家老の小笠原秀清に槍で部屋の外から胸を貫かせて亡くなったといわれています。この後、秀清はガラシャの遺体が残らぬように屋敷に爆薬を仕掛け、火を点けて自刃。ガラシャの死...

細川ガラシャゆかりの地(2)越中井と大阪カテドラル聖マリア大聖堂

JR大阪環状線・森ノ宮駅から徒歩で15分のところにある越中井この辺りは細川忠興の邸跡で、越中井は屋敷の台所にあったものとされています。細川屋敷は、この越中井の近くにある越中公園、カトリック玉造教会にかけてあったそうです。細川ガラシャとして知られる忠興の妻は、明智光秀の娘・玉で、キリシタンとなり、洗礼名をガラシャといいました。慶長5年(1600)関ケ原戦の直前、忠興が家康に従い、会津征伐に出陣中、石田三成が...

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