Category [今川義元 ] 記事一覧
豊川稲荷(2)総門~山門
豊川稲荷は、愛知県豊川市豊川町にある曹洞宗の寺院で、正式の寺号は妙厳寺(みょうごんじ)といいます。豊川稲荷の「稲荷」とは、境内の鎮守として祀られる吒枳尼天(だきにてん)のことで、その稲穂を担いだ姿などから、一般には「豊川稲荷」の名で呼ばれるようになりました。吒枳尼天は、インドの古代民間信仰に由来する仏教の女神ですが、日本では稲荷信仰と習合し、稲荷神と同一視されるに至ったそうです。豊川稲荷は神社では...
油山寺(5)今川義元ゆかりの薬師本堂
薬師本堂へ建久元年、源頼朝が眼病全快のお礼として寄進、遠江国守護職・工藤祐経が普請奉行にあたった建物。その後、元文3年(1738年)時の山主幸恵法印が8代将軍・吉宗に拝謁の砌病気平癒のお礼に再建寄進されたものであるとされています。江戸中期の遺構として静岡県指定文化財に指定され、昭和46年文化庁の指導監督により修理が施されました。薬師本堂内正面に菊の御紋がはいり金色に輝く宮殿厨子は、今川義元の寄進で...
豊橋の旅(2)吉田神社
愛知県豊橋市関屋町2番地にある吉田神社。古くは天王社・牛頭天王・吉田天王社と称した古社で、スサノオノミコトを祀り、源頼朝、今川義元、徳川家康らの多くの武将たちから崇拝を受けました。その中でも源頼朝が深く崇拝したことから、頼朝公の行列を再現した神輿渡御(みこしとぎょ)が天王祭として誕生したのが、豊橋の祇園祭の起源とされています。治承2(1178年)頼朝が伊豆に配流の途上、雲谷の普門寺に逗留した折、鈴木十郎...
今川義元の胴塚(大聖寺)
牛久保駅から徒歩で10分ほどのところに大聖寺というお寺があります。この大聖寺の境内に、石柵に囲まれた今川義元の胴塚があります。今川義元は永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで、織田信長の奇襲を受けて敗死しました。家臣達が首のない義元の遺体を背負って駿河へ帰る途中、ひとまずこの地に葬り、手水鉢を置いて墓じるしとしました。嫡子の今川氏真は、父の三周忌を大聖寺で営み、位牌所として寺領の支配、諸役免除を認めた安堵...
桶狭間の戦い(9)桶狭間神明社
桶狭間神明にある桶狭間神明社は、正式名を神明社といいます。桶狭間村は、14世紀の中ごろ南朝の落武者が山間に逃れ、隠れ住んだのが始まりとされ、村人たちによって祀られたのがこの神明社です。現在の社殿は、昭和10年(1935)に改築されたもので、境内には、13の末社が祀られています。桶狭間の戦いの際、今川方の瀬名氏俊が戦勝を祈願したといわれ、このとき奉献した神酒の酒桶とされるものが宝物として残されています。また、...
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