Category [真田信綱 ] 記事一覧
真田の郷(21)信綱寺 真田信綱の墓
真田公墓所へ向かいます。2~3分、坂を上がると、真田公墓所に行き着きます。中央が信綱、左が信綱の妻、右が昌輝のお墓父は真田幸隆で次男。同母兄に信綱、同母弟に昌幸、信尹らがいる。武田二十四将にも数えられる。長篠合戦で奮戦するも戦死した。白川兄弟の墓白川兄弟は、信綱の首を信綱寺に葬った後、ともに主君の後を追って殉死したといいます。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いし...
真田の郷(20)信綱寺 本堂~墓前の桜
信綱寺の本堂へ本堂ここにも六文銭!真田信綱は、幸隆の長子として生まれ、天正2年(1574)父病没の後家督を継ぎ、翌天正3年(1575)、武田勝頼に従い織田信長と長篠で戦い、信長軍の鉄砲の攻撃を受け、39歳にして弟・昌輝と共に戦死しました。信綱の首級は、家臣の白川勘解由兄弟の手により陣羽織に包まれ鎧とともに信綱寺の墓前の桜の下に葬られました。墓前の桜その後享保2年(1717)の寺の移築にともない、墓所が裏山の現在の...
真田の郷(19)信綱寺の楼門
信綱寺の楼門が見えてきました。あまりに見事なので、一周してみました。本堂へと進んで行きます。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ...
真田の郷(17)信綱寺の黒門(総門)
黒門前駐車場に到着。ここに、横尾の案内図と、横尾城跡の案内板があります。信綱寺は、真田昌幸の兄・真田信綱と真田昌輝、信綱の夫人の菩提寺です。横尾城の東の梅ノ木に、横尾氏の菩提寺として室町時代に創建され、好雪斉大柏寺と呼ばれていました。天文17年(1548)の上田原合戦で、横尾氏が滅んだ後、真田幸隆の長男である信綱が打越に移し、大光智照禅師を迎えて諸堂を建立、大柏山打越寺と名付けられました。黒門(総門)黒門...
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