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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「光る君へ」「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [今川義元(麒麟がくる) ] 記事一覧

今川義元ゆかりの宗源院

浜松市中区広沢の宗源院は、山号を宝蔵山(ほうぞうさん)といい、西来院と同様に曹洞宗普済寺十三派の在天派に属し、華蔵義曇(けぞうぎどん)の法弟在天弘雲和尚が応永23年(1416年)に開創しました。ご本尊は、虚空蔵菩薩・釈迦牟尼佛・普賢菩薩です。室町時代後期には、今川氏の庇護をうけ、今川義元自身が開基としての役割を果たし、堂塔伽藍の再建を行っています。そうした関係を裏付ける史料として、当寺には今川義元...

牛久保史跡巡り(1)大聖寺 今川義元の胴塚

2016年7月、JR飯田線牛久保駅で下車し、牛久保史跡巡りをしました。牛久保といえば、山本勘助ゆかりの地でもあります。牛久保駅から徒歩で10分ほどのところに大聖寺というお寺があります。今川義元公墓所 戦国時代の駿河・遠江・三河の領主今川義元は永禄3年(1560)5月19日、尾張桶狭間の合戦で織田信長の奇襲にあって討死しました。 その時、首を取られた義元の胴体を家臣が背負って当地まで逃れ、この寺に葬って、とり...

桶狭間の戦い(11)桶狭間神明社

桶狭間神明にある桶狭間神明社は、正式名を神明社といいます。桶狭間村は、14世紀の中ごろ南朝の落武者が山間に逃れ、隠れ住んだのが始まりとされ、村人たちによって祀られたのがこの神明社です。御祭神 天照大御神桶狭間の里は、1340年代南朝の落武者によって開拓されたと伝へられる。当社はその人等の村作りの中で心の拠り所として創建された。「寛文村々覚書」に「神明、山神、愛宕三社内二町二反一畝拾歩前々除」とあるので、...

桶狭間の戦い(10)戦評の松

長福寺から西に歩いて行くと、桶狭間の大池の前に「桶狭間寺前」のバス停があります。そのバス停のちょうど後方に戦評の松と呼ばれる史跡があります。今川義元の本陣の設営を終えた瀬名氏俊隊がここの松の根元で、軍議を開いたといわれています。初代の松は、樹齢400年を過ぎた立派な松だったそうですが、昭和34年(1959)の伊勢湾台風で枯れてしまい、今の松は3代目に当たるそうです。 永禄3年(1560年)桶狭間の合戦のとき、今...

桶狭間の戦い(9)長福寺 本堂~桶狭間合戦供養塔

長福寺の堂内には今川義元と松井宗信の木像も安置され、桶狭間合戦記・鎧・槍などを所蔵しているとのことです。桶狭間合戦供養塔薬師堂観音堂地蔵堂寺から南の丘陵は、14世紀中ごろ南朝の落武者が住み着いた桶狭間村発祥の地であり、放生池に隣接する小さな泉は、村人の貴重な生活の水源であり、この泉は、これまで一度も水が枯れたことがないといわれています。昔は、長福寺の前には鞍流瀬川が流れており、 当時は合戦により人馬...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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