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はてなキーワード: 聖人とは

2026-05-11

白人クソビッチ美人局派遣されて傷つけられてもアメリカのためを思ってる聖人なのにバイト禁止されてるしアメリカによる精神拷問の心の拠り所のイマジナリーフレンドも没収されそう

左派はまだ理性がある」と思ってた頃の話

 別に左派聖人集団だと思ってたわけじゃない。

 人間なんだから党派性感情もあるし、ダブスタだってある。それくらいは普通にわかってた。

 でも、ここ数年でかなり冷めてしまった。

 自分たちに都合のいい話は、多少雑でも勢いで拡散する。敵認定した相手には、確認不足でも強く叩く。不都合な事実を出されると、「今それ言う必要ある?」みたいな空気になる。揚げ足取りで話を逸らす。

 で、それをやってる側が「ファクト大事に」「冷静な議論を」と言っている。

 あれを見続けるの、結構しんどかった。

 もちろん右派にもめちゃくちゃな人はいる。でも、そっちは最初からそんなに期待してなかったんだと思う。

 左派には、「少なくともファクト確認するだろ」という期待があった。だって左派=嫌われるインテリって言われがちじゃん。

 だからダメージがでかかった。インテリでもねえじゃん、と。

 最近はもう、右とか左とか以前に、「自分陣営に都合がいいかどうか」でしか物を見ない人が増えすぎて、政治の話そのものが嫌になりつつある。

2026-05-09

チン騎士くんは女さんのことなんてどうでもいい

チン騎士くんの面白いやりとりを見かけた

チン騎士痴漢を無くせば痴漢誤認逮捕はなくなるんじゃね? 」

最初から目的冤罪をふっかける人が存在するのでなくなりません

チン騎士痴漢がなくなれば冤罪が起きないよ?痴漢という犯罪がなくなったのにどうやって痴漢冤罪をふっかけるの?」

まあ普通常識がある人間からすれば「バカかこいつ」でしかないんですよね

痴漢という犯罪概念が消えることなんてありえないんだから

痴漢ゼロ状態キープするためには人類全員が絶え間ない努力永久に維持しないといけない

何十億という人間全員ですよ?24時間365日絶え間なくですよ?それを永久にですよ?

まずこの時点でチン騎士って底抜けバカなんだなってお分かりいただけると思います

そんな達成不可能目標を平気で掲げる底抜けバカであるところのチン騎士くんですが

一部の先鋭化したフェミ女さんも底抜けバカなので平気でこれを支持しちゃいます

普通ならこんなバカげた絵空事掲げた時点で「こいつひょっとしてバカなのでは?」って不信感が生まれるんですよ

でも底抜けバカなので「こんな素晴らしい理想を掲げてくれるんだ・・・」ってかえって好感持っちゃうんですよね本当にバカって怖いです

翻ってチン騎士くん、バカバカなりに考えてます

この実現不可能なクソ理想論、これに対して素直に「バカじゃねーの?」と非難すると

「この素晴らしい理想否定しやがったな!おまえは痴漢肯定するエロ野郎だ!」と返すんですよね

いや普通常識からみれば不可能なことをこれは無理だよねって反論するのは当たり前です

第三者から見てもそりゃもっともだよねって話です

でもガンギマった先鋭化フェミ界隈からすると

理想否定された!こいつは敵だ!悪だ!!」って構図が完成しちゃうんですよね

チン騎士くんからたらこの構図さえ完成すれば自分はガンギマった先鋭化フェミ界隈にとっての聖人君子ポジション確立できる寸法です

ぶっちゃけ痴漢という概念が消えようが消えまいがチン騎士くんにとってはどうでもいいんです

大事なのは自分聖人君子ポジションに収まること

そのためには掲げる理想荒唐無稽であるほど常識的な反論が呼び込めます

まぁこのせいでチン騎士くんが常識外れの底無しバカという定評ができてしまったんですが

チン騎士くんは後先考えられないバカなんでどうでもいいんでしょう

2026-05-04

天才聖人君子有名人完璧人間が憎くて怖くて仕方がない

天才聖人君子有名人完璧人間漫画主人公のように達観した人間には私のいない世界幸せになってほしい

本当に私の視界から消えてもらいたい

 

あいつらにとって私みたいなのは吹けば飛ぶ虫ケラ未満の存在で吹いて飛ばそうとも思わないんだろう、けどあいつらの起こしたピタゴラスイッチのせいで私は身を滅ぼす

あいつらを先に滅ぼしたい、できるわけがないが

 

本当に助けてほしい

あいつらのいない場所に行きたい

天才聖人君子有名人完璧人間が憎くて怖くて仕方がない

天才聖人君子有名人完璧人間漫画主人公のように達観した人間には私のいない世界幸せになってほしい

本当に私の視界から消えてもらいたい

 

あいつらにとって私みたいなのは吹けば飛ぶ虫ケラ未満の存在で吹いて飛ばそうとも思わないんだろう、けどあいつらの起こしたピタゴラスイッチのせいで私は身を滅ぼす

あいつらを先に滅ぼしたい、できるわけがないが

 

本当に助けてほしい

あいつらのいない場所に行きたい

2026-05-03

天才聖人君子有名人完璧人間が憎くて怖くて仕方がない

天才聖人君子有名人完璧人間漫画主人公のように達観した人間には私のいない世界幸せになってほしい

本当に私の視界から消えてもらいたい

 

あいつらにとって私みたいなのは吹けば飛ぶ虫ケラ未満の存在で吹いて飛ばそうとも思わないんだろう、けどあいつらの起こしたピタゴラスイッチのせいで私は身を滅ぼす

あいつらを先に滅ぼしたい、できるわけがないが

 

本当に助けてほしい

あいつらのいない場所に行きたい

2026-05-02

天才聖人君子有名人漫画主人公みたいに達観した人間人生破壊される妄想が止まらない

あいつらから身を守るためにあらゆる手段を尽くさなければ

2026-05-01

anond:20260501172943

XTC "Dear God"

https://youtu.be/p554R-Jq43A?si=zO6wPYcrvU-xmcYH

神様あなた人類を作ったのですか?我々があなたを作った後に?」

「僕はあなたを信じない、天国地獄も信じない、聖人も罪人も悪魔もいない、あんたが起こした戦争あんたが死なせる赤子たち、世界中で起こってる」「たった一つ信じないものがあるとすればそれはあなただよ、親愛なる神様

という直火焼き宗教ソング。あまりに直なので作詞作曲をしたアンディ・パートリッジは大量の嫌がらせを受けたという。

2026-04-26

オタクじゃなくても普通に進撃とか鬼滅とか漫画読むしアニメも見てる時代になってるし、大衆なんて聖人君子じゃなくて猥雑な存在なんだから普通に非オタクがエロ漫画読んでるだろ

Kindleでもなんでも電子書籍で読めるし

そもそもからコンビニエロ漫画雑誌がずっと置いてあったくらいだし

2026-04-23

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

[#改頁]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

2026-04-22

既読作品アニメ化して何が嬉しいの?

同じ映画アニメを二度と見られない人間なので、既に読んだことのある作品(小説漫画)がアニメ化しても何も嬉しくないし実際見ることはほぼない(数年後忘れたから見るは稀にある)

でもアニメ化を喜んでる人はたくさんいるようで、実際何を楽しんでいるのか知りたい

まあ分かるよ動いてるところを見たいだとか声を聞きたいだとかは

でもストーリーの大筋が一緒で既に知ってる内容だと見る気起きないんだよね

ついでに steamインディーゲームswitch で発売されて喜んでる既プレイ勢はもっとよくわからん

そりゃ作者や制作側はメリットがあるだろうけど

そんなに作品の盛り上がりを喜べる聖人ばかりなのかよ

よほど好きな作品じゃない限りどうでも良いだろ

2026-04-16

海賊版についてなぜ日本海外永遠に噛み合わないのか

海賊版論争を見るたびに思うのだが、この話で人々が最初にやる間違いはだいたい同じだ。

それは、これを善人と悪人の戦いだと思い込むことである

日本側は「海賊版窃盗だ。作者に敬意がない」と言う。 海外側は「正規で読めないんだから仕方ない。供給しない側が悪い」と言う。

そして両者とも、自分けが現実を見ているつもりでいる。 もちろん、いつものことだ。インターネット論争というのは、だいたい自分の見ている半分の真実宇宙の全真理だと思い込んだ人たちが、残り半分を見ている人間野蛮人扱いすることで成立している。

だがこの件で本当に面白いのは、双方とも半分ずつ正しいということだ。 そして、半分ずつ正しい議論というのは、完全に間違った議論より始末が悪い。なにしろ本人たちは「自分は正しい経験」を実際に持っているので、相手が何を見てそう言っているのかを理解しようとしない。

その結果、海賊版論争はいつも道徳劇にされる。 盗人だの、既得権益だの、敬意がないだの、時代遅れだの。 気持ちはわかる。人は道徳劇が好きだ。構造の話より、悪人の話のほうがずっと気分がいいかである

しかし残念ながら、この問題の核心はモラルではない。 価格であり、供給であり、制度であり、インセンティブである

道徳は「海賊版はいけない」と言うことはできる。 だが「なぜ、いけないことがこれだけ大規模に起きるのか」は説明できない。 それを全部「モラルの低下」で説明するのは簡単だが、簡単であることと有能であることは違う。風邪を全部「気合いの不足」で説明する人間医者ではないのと同じだ。

海賊版が広がるのは、人々が特別邪悪からではない。 正規版より安く、速く、便利だからである。 まずこの当たり前の事実から出発しないと、議論最初の五分で終わる。

1.よくある説明は、だいたい半分だけ正しい

この手の論争には定番説明がいくつかある。

まず、「海外海賊版に寛容で、日本けが厳しすぎる」というやつ。 これが魅力的に見える理由はわかる。実際、日本では海賊版に対する嫌悪感がかなり強く、クリエイターの怒りも前面に出やすい。他方で海外では、違法視聴違法閲覧がかなりカジュアルに語られることがある。だから日本けが異常に神経質なんじゃないか」という印象が生まれる。

でも、ここで「海外自由進歩的日本は閉鎖的で遅れている」という、いかにもSNS向きの雑な物語に飛びつくとだいたい失敗する。 違うのは、著作権保護の有無というより、どこに責任を集中させるかという制度設計の差だ。日本権利者の感覚が強く前に出やすいし、英米圏はプラットフォーム責任フェアユース議論が混ざる。見え方が違うだけで、どこも別に著作権仙人のような寛容さで見守っているわけではない。

次に、日本側に多い「海賊版モラルの欠如だ」という説明。 これももちろん一理ある。違法コピーなのだから、悪いに決まっている。 だが、何百万人規模で繰り返し起きる行動を、ひたすら人々の人間性の腐敗で説明しようとするのは、説明というより願望である自分悪人を見抜いたつもりになれて気分はいいが、なぜその行動が再現されるのかは何一つ説明していない。

逆に海外側には、「正規供給が遅いのだから海賊版が広がるのは当然」という説明がある。 これもかなり正しい。とりわけ連載マンガや毎週更新アニメのようなコンテンツでは、内容そのものだけではなく、みんなと同時に消費すること自体価値になる。ネタバレは飛んでくるし、議論にも乗り遅れるし、数か月後に合法的に読めますと言われても、その頃には祭りは終わっている。

ただし、これも全てではない。 供給改善されても海賊版が消えないなら、問題タイムラグだけではない。そこには「ゼロ円」で「検索一発」で「広告で維持される違法供給」と、「固定費を回収しなければならない合法供給」の競争条件の差がある。

まり、よくある説明は全部、一理ある。 だが一理あることと、それで全体が説明できることは別だ。 SNSではこの区別がしばしば消える。なぜなら、一理ある話のほうが、複雑だがより正確な話より、ずっと気持ちよく怒れるからである

2.海賊版問題は、まずデジタル財の問題である

マンガアニメのようなデジタルコンテンツのやっかいなところは、作るのには金がかかるのに、複製するのにはほとんど金がかからないことだ。

1話作るのは大変だ。 1冊作るのも大変だ。 人件費がかかる。編集がいる。作画がいる。翻訳必要だ。監修もいる。配信網もいる。固定費は重い。

しかし、いったんできたものを、もう1人に読ませるコストはほぼゼロだ。 すると何が起きるか。 当然、固定費を払っていない側が圧倒的に有利になる。

正規事業者は、その固定費を回収しなければならない。だからゼロ円にはできない。 だが海賊版サイトは、その固定費負担していない。他人投資で生まれものコピーしているだけなので、極論すればほぼタダで配れる。 この時点で、「正規版が正しいのだからつべきだ」という願望は、経済学的にはかなり厳しい。正しさはコスト構造を変えないからだ。

そして国際市場では、さらに話がややこしくなる。

日本で700円が普通でも、別の国では高い。 英語圏では払えても、別の言語圏では厳しい。 なら国ごとに価格を変えればいいじゃないか、という話になるが、デジタル財は国境と相性が悪い。安い地域価格が高い地域に流れ込むのを完全には防ぎにくい。VPN時代に、地域価格理論上は正しくても、実務上は簡単に穴があく。

しか翻訳にはコストがかかる。 ライセンス交渉にも時間がかかる。 市場規模が小さい言語圏では、そもそも商売として成立しないこともある。

その結果として起きるのは、非常に単純なことだ。 ある国では合法的に安く速く読める。 別の国では高いか、遅いかそもそも存在しない。 その空白を埋めるのが海賊版である

ここで「海賊版利用者泥棒だ」とだけ叫んでも、たぶん何も起きない。 なぜなら、その人はたいてい、検索一発で読めるゼロ円の選択肢と、見つけるのも面倒で高くて遅い正規版を比べて行動しているからだ。 不快だろうが、それが現実だ。

3.日本海外で噛み合わないのは、法だけではなく感覚が違うから

この問題さらにややこしくしているのは、単に値段や供給速度の違いだけではない。 著作権のものに対する感覚が、かなり違う。

日本では、作品比較的強く「作者のもの」だと感じられている。 これは単に収益権の話ではない。人格の延長として受け止められやすい。だから無断転載や無断翻訳に対して、単なる売上の損失以上の怒りが生まれる。

海外、とくに英米圏には、もちろん著作権保護はあるが、それと並行して「公表された作品議論や変形的利用の素材にもなる」という感覚日本より強い。フェアユース的な発想がその象徴だ。

ここでよくあるのが、「海外自由で、日本は古い」という雑な整理であるインターネットはこういう二元論が大好きだ。たぶん脳のカロリー消費を抑えられるからだろう。 だが現実はもう少し不快に複雑だ。

日本には日本なりの整合性がある。 作品同一性や作者の意思を重く見るのは、単なる後進性ではなく、一つの権利思想である英米には英米なりの整合性がある。 作品公共的な議論に開かれるべきだというのも、一つの思想である

問題は、両方が自分の前提を「普通」と思っていることだ。 そして普通同士がぶつかるとき、人は驚くほど簡単相手野蛮人だと思う。

このズレがもっと露骨に出るのが二次創作だと思う。

日本では、多くの二次創作は法的にはかなり危ういのに、実務上はかなり広く黙認されてきた。 これは綺麗な制度ではない。かなりいびつだ。 だが、そのいびつさの上でコミュニティが回ってきたのも事実である。 つまり日本では、明文化された一般ルールより、「権利者が最後統制権を持ったまま、周辺をお目こぼしする」という形で秩序ができている。

英米的な感覚からすると、これはかなり不透明に見えるだろう。 ルールがあるのかないのか、はっきりしろと思うはずだ。 そして「二次創作はよくて海賊版はなぜダメなんだ」という問いも出てくる。

だが日本側の感覚では、そこは全然同じではない。 前者は、少なくとも創造的な付け足しやコミュニティ内部の礼儀の中にある。 後者は、単なる無断コピー流通だ。 この差は、日本側には大きく見えるし、海外側にはしばしば曖昧に見える。

まり、ここでも両者は同じ単語を使いながら、別のゲームをしている。

4.古い建物の保存観に少し似ている

ここで話を少しずらす。

日本では、古い建物を壊して新しく建てることへの心理的抵抗比較的低い。 街は更新される。建物は入れ替わる。古いものをそのまま残すことより、機能的に更新することのほうに価値が置かれやすい。

一方、欧米では歴史的建造物物理的な形態のものに重い価値が置かれることが多い。 もちろん全部ではないが、「オリジナルを残すこと」自体道徳的含意を持つ。

これはそのまま著作権の話ではない。 建物マンガを同じにするのは乱暴だ。 だが、文化的な資産を誰のものとして、どう扱うかという深層の感覚には少し通底するものがある。

日本では、作品最後まで作者や権利者の意思に強く帰属するという感覚がある。 絶版にしたいなら絶版にする。再公開しないならしない。 乱暴に言えば「それは持ち主の権利だ」という発想だ。

他方で海外には、「公表された文化公共財的な性格をある程度帯びる」という感覚日本より強く存在する。 だから絶版作品アクセス可能にするのは文化保存だ」という理屈が出てくる。

この理屈は、気持ちはわかる。 実際、消えた作品や読めない作品があること自体を損失だと感じるのは自然だ。 だが、その理屈がそのまま海賊版免罪符になるかというと、そこはかなり怪しい。 文化保存は美しい言葉だが、翻訳配信アーカイブもタダではない。そして、そのコストを誰が負担するのかという最も不愉快問題になると、急にみんなロマン主義者になる。

まりここでも、対立善悪ではなく優先順位の違いだ。 統制を優先するのか。 アクセスを優先するのか。 作者の意思を重く見るのか。 文化の開放性を重く見るのか。

どちらかが完全に正しい、という話にしたがる人は多い。 たぶんそのほうが気持ちがいいからだ。 しかし残念ながら、社会はだいたい、気持ちさより面倒くささの上にできている。

5.結局これは、市場がまだ世界に追いついていない話だ

ここまでの話をものすごく乱暴にまとめると、こうなる。

海賊版蔓延は、モラル崩壊ではない。 デジタル財のコスト構造、国際市場の分断、価格差別の難しさ、翻訳ライセンスの遅さが合成された結果である

まりこれは、市場の失敗の話だ。

ここで「市場の失敗」と言うと、すぐ誰かの悪意の話だと思う人がいる。 いつものことだ。 だが市場の失敗というのは、必ずしも誰かが怠慢だったという意味ではない。 むしろ、全員がそれなりに合理的に動いた結果としても起こる。

日本権利者は、国内収益を守りつつ海外展開のリスク管理しようとする。 当たり前だ。 海外ユーザーは、手に入らない、遅い、高い、読めないという状況で、もっとも低コスト選択肢流れる。 これも当たり前だ。 海賊版サイトは、トラフィックが集まり広告収入が入るなら供給を続ける。 それも当たり前だ。

まり、全員がだいたい自分立場合理的に振る舞った結果、全体としてはひどい均衡ができる。 これが市場の失敗でなくて何なのか。

日本側が見落としがちなのは、「海賊版は悪い」と百万回言っても、便利さと価格で負けている限り、人の行動は変わらないということだ。 海外側が見落としがちなのは、「供給が不十分だから仕方ない」というのは説明にはなっても、正当化にはならないということだ。 権利者の投資回収が完全に崩れれば、長期的には供給のもの痩せる。当たり前の話である魔法のように作品が生えてくると思っているなら、それは経済学ではなく信仰だ。

ではどうするのか。 答えはあまりロマンチックではない。

もっと安くする。 もっと速くする。 もっと見つけやすくする。 もっと地域ごとの現実に合わせる。 そして違法供給資金源を断つ。

要するに、説教より設計である断罪より供給である。 徳の話より、インセンティブの話である

たぶんこれしかない。 なぜなら、人間インターネットで急に聖人にはならないからだ。

6.最後

インターネット国境を消した、とよく言われる。 実際には、消したのは国境のものではなく、国境が見えなくなるまでの時間だけだった。

法制度の差は残った。 所得の差は残った。 言語の差は残った。 権利処理の遅さも残った。 その上に、誰でも一瞬でコピーできる技術けが乗った。

だったら海賊版が広がるのは、むしろ当然である不道徳から広がったのではない。 広がるように世界ができていたから広がったのだ。

そして海賊版論争がいつまでたっても噛み合わないのも、同じ理由である。 人々は、自分道徳感情の話をしているつもりでいる。 だが実際には、価格表が未完成世界で起きている摩擦を、善悪物語翻訳しているだけなのだ

こういうと冷たいと言われるかもしれない。 しかし冷たいのは現実のほうである現実はしばしば、魂の堕落より、流通設計の不備で説明できてしまう。

人は悲劇道徳劇にしたがる。 だが今回の話はたぶん違う。 これは堕落物語ではない。 文明の衝突ですら、半分しか正しくない。

もっと地味で、もっと厄介で、そしてたぶんもっと本質的な話だ。

これは、世界市場がまだ作品にふさわしい値札を貼れていない、というだけの話なのである

2026-04-13

トランプ自己聖人(なんならキリスト)としてアイコン化するのって、福音派的にオッケーなのか?

オッケーだからやってるのかもしれないが、素朴に疑問

2026-04-07

IT業界暴力的

新卒にもなってこのスペックー?w」とか当たり前に揚げ足を取る面接

新卒天才+聖人君子+有名人+完璧超人とかを期待する先輩や上司管理職

全平社員役員レベル能力を期待する世界

一見理性的に見えるのかもしれないけど本質選民しかないよ、殺人

2026-04-04

dorawii@新刊発売(予定)

親戚は私がその親戚に向かって過去にぶっ殺すなどと暴言を吐いたことを持ち出してくるが、正直言って不愉快だろう。

非を認めながらも完全に客観視できる聖人ならば特に不快とかは感じないだろうが、普通自分が悪いと思ってることならそれはそれで責められていることを認識せざるをえず、気持ちのいいものではない。

介護しない程度の認知症になってそういうの忘れてくれたらと思ってしま

dorawiiより


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2026-04-01

理解ある彼くんと彼女ちゃんの「叩かれ方」の差

1. 批判の矛先がどこに向かうか(ダブルスタンダード存在

どちらのケースでも「女性側が叩かれる」という不均衡な構造があります

このように、男性ダメ場合は「選んだ女性」が、女性ダメ場合は「当事者女性」が批判の的になるという、非対称な構造存在します。

2. 「選別」と「自己責任」の論理

なぜ女性側ばかりが叩かれるのかについて、「男女の選択肢の差」という仮説が存在します。

3. 「彼くん」に対する独自批判:長期売買春

一方で、最近では「理解ある彼くん」本人に対しても、非常に辛辣批判が見られるようになっています

4. 承認欲求と「恥」の文化

叩かれ方の差には、情報の出方も関係しています

2026-03-31

小保方→人が死んでるから笑えない

佐村河内→見るから胡散臭いから笑える

ショーンK聖人から笑える

久保→本人が必死すぎるから笑えない

2026-03-29

anond:20260327144923

第47章:濁った青い鳥の羽音

研究室の深夜、A子は青白く光るスマートフォンの画面をスクロールし続けていた。指先が微かに震える。


きっかけは、E子が泣きながら見せてきた、ある匿名アカウントポストだった。


研究室人間関係で悩む暇があるなら、一行でも多くコードを書け。成果も出さずに被害者面をするのは、甘え以外の何物でもない。自己責任だ。嫌ならさっさと卒業しろ


その文体、独特の句読点、そして専門用語の使い回し……。A子の脳裏に、いつも首元にヘッドホンを引っ掛け、だらしなく笑う三矢准教授の姿が浮かんだ。


調べていくうちに、同様の論調を展開する複数アカウントが見つかった。あるアカウントは「教育的配慮」を装い、またあるアカウントは「冷徹合理主義者」を演じている。しかし、その根底にあるのは共通した執念――被害を訴える女子学生たちの口を封じ、「研究への集中」という名の沈黙強要する攻撃性だった。

第48章:増幅されるエコーチェンジ

さらにA子の吐き気を催させたのは、その匿名アカウントの毒を、実名に近いアカウントで熱心にリポストし、拡散している人物たちの存在だった。


「やっぱり三矢先生の言う通りだよな。研究室ってのは戦場なんだから感情論を持ち込む奴は、最初から向いてないんだよ」


そう呟いているのは、D男だった。彼は石田教授からも三矢からも「期待の若手」として可愛がられている。D男は三矢の匿名アカウントを「正論を吐く謎のインフルエンサー」として崇拝し、その言葉さらに研ぎ澄ませて、E子やG子といった弱っている学生たちへ投げつけていた。


SNSという閉鎖された空間で、三矢が種をまき、D男たちがそれに水をやる。


被害者たちは、物理的な研究室でも、デジタル世界でも、逃げ場のない「自己責任論」の檻に閉じ込められていった。

第49章:神の視座から嘲笑

A子の脳裏に、数日前の石田教授言葉が蘇る。

『三矢准教授は、抽象的な概念咀嚼する点では……少し、独自の「限界」があるのかもしれない』


あの時、石田が浮かべた薄ら寒い微笑みの意味が、ようやく氷解した。


石田は知っているのだ。三矢が夜な夜な匿名アカウントを操り、必死学生たちを叩いていることを。そして、それを「頭が足りない男の、石田に好都合な、浅はかな工作」として、高みの見物で楽しんでいるのだ。


石田にとって、三矢のこの暴挙は極めて都合がいい。


三矢が「嫌われ役」を引き受け、ネット上で泥臭い隠蔽工作に走れば走るほど、石田本人の手は汚れず、聖人君子としての地位は揺るがない。石田は三矢の短慮さを「バカだ」と蔑みながら、そのバカさが生む「沈黙圧力」を最大限に利用している。

第50章:氷の空の下の共食い

(……なんて醜い構造なの)


A子は画面を消し、暗闇の中で深く息を吐いた。

三矢は、自分研究室を守る「守護者」であると信じ、歪んだ使命感でスマホを叩いている。D男は、それが強者論理だと信じて、喜々として同調している。


そしてそのすべてを、石田教授は「物の本で読んだ」極地の風景を眺めるように、冷徹に観察し、序列管理している。


三矢の「頭の足りなさ」は、石田という巨大な蜘蛛にとっては、網を強化するための安価接着剤に過ぎなかった。


廊下の向こう、まだ明かりのついている准教授から、カタカタキーボードを叩く乾いた音が聞こえてくる。それは、誰かの人生を「自己責任」という言葉で塗り潰そうとする、終わりのない埋葬の音だった。


A子は、暗闇の中で決意した。


この「バカたちの狂騒」を飼い慣らしている石田の微笑みを、いつか必ず、凍りつかせてやると。

2026-03-25

ネットで繋がって細々と交流していた友人が癌で亡くなった

悲しい気持ちと何も変わらない日常とがある

でもこれあの人だったら分かってくれるはず、とか

これはあの人もきっと好きだろう

好きですか?好きですよ!

ああやっぱり!うんうんいいですよね!みたいなことの行き先は無くなってしまった

家族でもないし、友人というには共通の思い出が何もない関係ではあった便宜上友人と言ってはいるけど

同性だけれど恋人になっていたりしたらもっと距離は近くなったのかなと思ったりする

お互い少し遠慮しながら、でもお互いリアルな友人には言えないところまで深い話をたくさんした気もする

私は友人のことをすごく大事に思っていたけれど友人にはもっと仲良くしている人が他にいっぱい居たのかなとも思う

友人は前向きで汚い言葉攻撃的な言葉を一切使わない人だった

真逆である私にも優しかった

なんで話してくれてたんだろう私なんかと

友人きっと誰から見ても聖人

清らかすぎる印象がある

私との距離を縮めるために無理矢理捻り出したっぽい職場愚痴すら、なんだか愛があって人の対するやさしい眼差しが隠せていないところがあった

自分の近くにいる人を日々大切にしていて、感謝もし、それを言葉にもし、行動も正しさを最期まで失わなかった

この世から自分の魂が消えることは世界規模での損失である

と、友人自身が笑いながら言っていた

私も一緒に笑いたかったけど、癌のことを聞いてからずっと本当に思っていたことなので、そうそう!ほんとそれ!と相槌だけ打って、通話を切ったあと泣いた

何度もその言葉を思い出して本当にその通りだと泣いてしま

少なくとも私にとっては私が生き続けていることよりも、ずっと、世界にとって必要なのは友人の方だとそう思っている

なので、そんな人間がこの世から消えたので私も死ぬのが怖くなくなった

芸能人の死の後追いをする人はこういう思考だったんだろうなとはっきり理解した

私にはまだ私を必要としている人がいるし、責任があるので今すぐに死んだりはしないけれど

それでも大切な人を失って、人がこの世を生きるというのはこんなにも儚いものなのだと知り

じゃあ私の日常って一体なんなんだろうな…と思ったり思わなかったり

今はまだ少しだけ状況が分かっているようで分かってないけど、でも多分あと数ヶ月したら

友人の死は私にさらに大きな悲しみを、わりとリアルな質感を伴ってくると思うので冷静なうちに自分への言葉を残しておく

生き続けることに意味はないし死ぬことにも特に意味はないけど

生きる日々に意味はある

毎日毎日死んだように生きるのやめとけ

生きてる自分を大切にしろ

まわりも大事にしようね

ありがとう、友人

あなたに触れてあなたから学んだことが私を支えてくれている

あなたがこの世から消えていないと感じる

私の中に残ってる

ので、私は生きようと思う

ありがとう

ありがとう

2026-03-24

anond:20260324191823

つーことは

女性に今生まれてる人は前世までにかなりの悪行を重ねていたということか

男性に生まれている人は前世聖人

そういう世界観OKですね?

2026-03-21

anond:20260321120108

「全財産の半分以上を寄付します」なんて、意識が高すぎて酸素が薄くなりそうな宣言バフェットゲイツがぶち上げたのが2010年。あれから十数年経って、ふと「で、結局どうなったの?」と斜め上から眺めてみると、なんというか、非常にもんやりとした苦笑いが止まらなくなる。

結論から言えば、The Giving Pledgeギビング・プレッジ)は、世界一豪華な「言ったもん勝ち」の同好会にすぎない。

​まず、この誓約には一切の法的拘束力がない。ここがミソだ。「半分寄付します」とサインしたところで、誰かが進捗を監査するわけでもなければ、達成できなかったときに違約金が発生するわけでもない。ただの「紳士協定なのだしかも、その寄付定義ガバガバである自分名前を冠したファミリー財団資金を移すだけでも、帳簿上は「寄付完了」として扱われる。つまり、右のポケットから左のポケットに金を移しただけで、世間からは「なんて慈悲深い聖人なんだ」と喝采を浴びることができる。このシステムを考えた奴は、正直、金融天才というよりは広報天才だろう。

さら皮肉なのは、彼らが「寄付する」と宣言した後の資産推移だ。バフェットゲイツも、宣言時より現在資産の方が圧倒的に増えている。皮肉な話だが、彼らがどれだけ気前よく「善行」に励んでも、資本主義という名の自動増殖マシンがそれを上回るスピードで富を吐き出し続けているのだ。結局、彼らは「半分出す」と言いながら、実際には「増えすぎた余剰分をちょっと削って、節税と名声を同時にゲットしている」だけにしか見えない。

そもそもバフェットのような「賢い投資家」が、なぜこんな実効性の薄い仕組みに執着するのか。それは、これが究極の「免罪符」だからだろう。格差社会象徴としてギロチン台にかけられる前に、「私たち死ぬときには手放しまから」というポーズを見せておく。それだけで、現在の独占的な富の蓄積に対する批判魔法のようにかわすことができる。

実効性がない、と切り捨てるのは簡単だ。しかし、彼らが本当に「きちんとしていない」のは、寄付金額ではなく、その「仕組みの不透明さ」に対してだろう。慈善活動という名のパワーゲームに、私たちはただ「すごいですね」と拍手することを強要されている。

​結局のところ、The Giving Pledgeは、超富裕層自分たちの良心をなだめるための、世界で最も高価なセルフメンタルケアに過ぎないのではないか

今日もまた、シアトルオマハの豪華な書斎で、「あー、今日も良いことした」と呟きながら、彼らは減ることのない資産残高を眺めているに違いない。なんとも、乾いた笑いしか出てこない話である


以上は

Rakuten

Copilot

ChatGPT

Gemini

無料モデルの出力文

プロンプト思いつくのも含めて五分足らずでこれだけ出されると

増田AIで溢れるのも納得

もっと的確な指示を出せば、もっと釣れる文章いくらでも作れるのだろう

2026-03-18

anond:20260318135403

こういう、妄想現実区別もつかないで突拍子も無い仮説を事実だと思い込んでネットで恥ずかしすぎる長文書いてしまえる人こそかなりそちらの気配がするのでこれプリントアウトして病院行きな。

仮に病気でなかったとしても、親が買った家で親の契約回線で親が与えた端末でインターネットみてSNSの隅っこで男女対立論争に参加することだけが生きがいの人生では認知が歪みきって病気の人と大して変わらない状態になってしまうからまずはコンビニアルバイトから始めて”男にも女にも”聖人もいれば凡人もいれば殺人鬼もいるという「現実」を知る必要があると思うよ。

いつまでも日本経済足枷でいないで、まともになろう。

2026-03-11

anond:20260309222928

まともな人は損得計算ができるので発信しないか、しても無難な内容。

まともな人でビジネス目的もなく精力的にXで発信しているのは聖人クラスだけだ。

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