はてなキーワード: 分不相応とは
初めにこのことを書かなければならないと思った。
なぜなら本書において三宅香帆は信じられない前提を置いている。
若者は、自分が面白いと思う物や好きと感じることが自分では分からないという前提だ。
だから初めに書く。
私は自分の好きなものや、自分の嫌いなものを確かに自分で判断することが出来る。
その上でこの本は面白くないと感じるし、筆者のことは嫌いだ。
私は23歳の男だ。地元の友人は結婚ないし婚約をしている中で、そろそろ若者としての賞味期限切れを感じつつあるが、若者という立場で文章を書く。
本書で述べられる考察とは何か。
それは既に存在している正解を探す行為であり、そこから与えられる「報われた」という感情が報酬となって流行を見せているという主張が展開された。
変な家、あなたの番です等で正解のある内容を考えることでほっとして安心できる。これが若者の思考であり令和でウケる要素があると書かれた。
そこには正解を当てたという「意味」があり、これがあるからこそ物語を楽しむ時間が無意味であることの恐怖を和らげることが出来る。
だからこそ答えがある場所に、成果が得られそうな場所に集まる。
そうして物語を楽しむという行為が報われるという行為に奪われていくという話だ。
この流れを聞いてどういった印象を受けるだろうか。
何が良いのかも判断が付かず、それらしいものに絡めとられていく様子が私には浮かんだ。
私はこの主張に否を突き付けたい。
確かに若者が好みそうなコンテンツ、作品が計算して作られることはあるだろう。
だがそこに乗っかるのはあくまで自分たちが楽しいから、自分たちが良いと感じるからのはずだ。
ネガティブな感情に追いやられ、そればかりしか楽しめなくなる集団が多数派かのような内容を押し付ける行為は認められない。
一読した部分では分からないことや読み取り難い部分があり、作品に再度触れながら仮説を立てたり根拠を探したりした。
が、それでいい。何故か?
答えを探し求める過程で作品世界への理解が深まり、これまでの自分では気が付かなかった領域が見えたからだ。
そうして感じ取った部分を基に、またもう一度その作品が好きになる。
時間をかけて丁寧に読み、初めに探していた部分とは違った側面がいくつも見えてくる。
この物語は、もしかしたらこういうことを描きたかったんじゃないか。
改めて考察を終えた後作品を振り返ると、それまでとは全く違う姿が見える時がある。
そんな瞬間が楽しくて、考察をする。
人が考察をするのってそういう部分を求めてるからなんじゃないのか?
コンテンツが語らなかった部分を積極的に読み取ろうとすることで、自分の中で新しい物が芽生える。
受動的な視聴とは違う。
自ら生み出す創作とも違う。
それでも自分の行動が挟まる(ように見える)余地があって、自分の手で何かが変わった体感が得られる。
この能動性に考察との共通項があるからこそ、二つが同時発生的に消費者の中で存在感を放つようになったのではないか。
そこには、コンテンツが溢れるようになった時代も関係しているのかもしれない。
ただそこにあるものを消費する営みに疲れ、一歩積極的な行動に価値を感じるようになった。
そんな背景がもしかしたらあるのかもしれない。
ここまで書いたことと、本書で主張されたことは、どちらが正しいのかは分からない。
著者に課せられたハードルはそんな低い物ではないはずだ。
根拠のない持論を重ねること。
何かの作品に対して向けるなら好きにすればいいが、現実に人間に向けるなら話は別だ。
「若者」達に向かって、生き方や接し方を説く。より上の世代に向けて「若者」との接し方を示す。
分析する力も、説得する力もまるで足りてない。
自身のツイートで若者を救いたいと言っていたが、別にあなたは必要とされてない。
彼女がこの本でやっているのは、勝手に問題意識を植え付けることだけ。
ネガティブな像を作り、最終的に自分の提示する方向性に誘導する。
高級感のある情報商材屋だ。イラストをアイコンにしたビジネスブルーバッジがよくやっている。
もっと根本的にだ。仮に考察の目的が正解当てゲームに主眼を置いた物だったとしよう。
ドラマの正解当てばかりに躍起になってるやつ、見たことあるか?
もっと言えば、そもそも考察でそんなに正解に辿り着いているか??
本書の嫌いな部分はこういう所だ。
自分の言いたいことのために、もっと当たり前のことをいくつも無視している。
娯楽に触れる上で最も嫌われるのは「つまらない」ことのはずだ。
報われるだとか、最適化だとか、くだらないことをごちゃごちゃ語るんじゃなくて、シンプルに面白くないことはしたくない。誰だって楽しいことが好きなはずだ。
失敗したくないだとか、何を言っているんだ。
寂しいならお友達が周りに沢山いるだろ。
他人をわざわざ付き合わせるな。
この本は一時が万事そんな調子だ。
根拠になっていない根拠に著者の妄想が乗っかり、あなたはそう思うのかもしれませんね以上に見どころがない話が続く。
さっき書いた考察という行為に対する私の主張も、別に特段の根拠がある訳ではない。
少なくとも私と私の周りにいる人間は物語を愛するために考察をする。
だったら本を書く前に、そんなことをしなくてよいと直接声をかけるべきではないか。
声をかけた結果の対話でもあれば、この本はもっとマシな内容になっただろう。
やけに人気そうな割に話すことが薄いなと思ったし、Kindle Unlimitedで読んだ『好きを言語化する技術』は途中で投げた。
読みづらい上にnoteで書けよみたいな話ばかりで。
正直批判する側に相当アレなやつが多いし、いちゃもんばかりつけられているように見えた(例えば飯田一史のやり方は気に喰わない)。
実際彼女の著書を最後まで読み切った訳ではないから、一冊しっかり読み切ろうと手に取ってみればこのザマだ。
全く言語化について考えたことがない人間には役立つ部分もあるからだ。
そういう悩みを抱えた人間。
これは対象が明確だ。
そういった人々にとって助けになる可能性はある。
noteやYoutubeで探せばもっと分かりやすく深い内容の物があると思うが、それでも本の価値は0ではない。
誰のことを書いている。
様々な作品に、自分の主張を通すために無理やりな解釈を加え続ける。
これでいいと本当に思ったのだろうか。
内容を磨きあげるためにベストを尽くしたのだろうか。
これでいいと思ったのなら、読者を舐めている。
彼女を擁護する者の中に、彼女と同様に「若者」を舐めている者がいないか。
最近三宅香帆の文章を添削するというnoteが話題になった(https://note.com/kyunkyun_p_d/n/n9cc45ed3d74b)。
私の立場を示すなら、必要な指摘と的外れな指摘が混在していると思っている。
確かに三宅香帆の文章は読みづらいと思うが、それはターゲット層の違いもある。
1-の章立てで指摘されてた表現群はちゃんと狙いがあるし、修正前の方が素晴らしい内容だと感じた。
一方で2-、3-の章での指摘な重要な物もある。
彼女の文章は、読み手がおかしな部分を見逃したり、言いたいことを察したりする必要がある部分がそれなりにある。
例えばこれだ。
https://x.com/tsurezure_lab/status/1989617763934244949?s=20
このツイートに載っている表は『考察する若者たち』の冒頭で出てくる。
この表を持って
『そう、ドラマや映画の「ただの感想」よりも「考察」のほうが、いまや人気なのです。』(Kindle 3ページ目から引用)と主張する。
いやそれは違和感ない??
ショートと通常の合計では考察動画の方が多いかもしれないが、じゃあ考察の方が人気なんですねとスッと飲み込むのはやや難しくないか。
別に大したことじゃないかもしれないが、パッと見で違和感ある主張を並べる理由もない。
一つ二つならまだしも全ての章で強引な主張に溢れている。
これ、本当に本を読まない人間向きの本か?
結構な人数が無意識に、本を読まない人間は論理的思考力に欠ける馬鹿だと考えてないか?
本を読まなくとも、論理展開のおかしさに気付ける人は少なくない。
そんな中で適当な内容ばかり書いてある本を目にすれば、むしろ価値がない物として認識される。
雑に作られた形の壊れた文章を、三宅さんはそういうライターだからで済ませるのは、三宅香帆を一番馬鹿にしてるだろ。
アティチュードばかり頭にあって、目の前の良し悪しについて考えることを放棄してないか?(これは彼女の属性だけで飛びついて批判してそうな側にも言える話ではあるが)
何年も書いてる人間がちゃんと考えれば、もっといい内容を書けるに違いない。
彼女周りの人間及びファンダムは、三宅香帆を過度に低く見積っているように見える。
人を舐めるな。
過去に発売された本達は、彼女の名前が残り続けるにふさわしい内容だったのか?
全くそうは思わない。
三宅香帆本人もだが、彼女を過剰に持ち上げようとする人々の方がより嫌悪感がある。
チェックする人間は何を考えているのか?
売り出したいものがあるなら、付け入る隙を減らすように粗は取り除いておくべきだ。
クオリティの低い物が注目を集めれば批判が集まるのは当たり前だ。
彼女に連なる様々な動きが、本を売り出すために仕掛けるプロジェクトだとするなら、シンプルに全ての能力の限界が近いとしか思えない。
本を出版する人間達は、もっと面白くて、真摯な発信が出来るはずだ。
どうしても自然に差し込む方法が思いつかなかったので、趣旨とは外れる部分を書く。
何故か後半は自分語りになってしまったので本当に読まなくていい。
野村克也、日本歴代二位の通算本塁打数を誇る名打者、かつ名捕手として野球の戦術戦略に様々な形を導入した人物でもある。
彼の特徴はと問われて何を答えるかは人それぞれだが、野球の実績以外にも目を見張る点がある。
正しい数字かは不明だが150冊以上の本が出版され、30冊以上が文庫化されているらしい。
通算150本塁打以上を記録した選手は歴代で180人しかいないし、シーズン30本以上打った選手は今年のプロ野球では2人しかいない。
文筆家としても名選手だったと言えるだろう。
強いて言うなら、楽天の監督を辞めた後の時期の本は面白いかもしれない。
大体のルーキーはストレートに魅力があってプロに入ってくるのに田中将大はスライダーにこそ価値があった。
そんな投手は稲尾和久以来だった、みたいな話はめっちゃ面白い。
逆に言えばそれ以外はあまり見どころがない。
ほとんどの本で話が使いまわされていて、見たことがあるからだ。
そんなに人間新しい話が書ける訳がない。
しかも現場から離れていった彼の野球理論は、今読めば正直古かったり間違っていたりすることも多い。
当時でも検証不能であったが故にまかり通っていたが、今から見ればそれはおかしいと言いたくなる話が沢山ある。
それでも本は売れた。それは詳しい内容以上に彼の人間性に惹かれ、言葉を読みたい。
私もその一人だ。内容の是非とは違う所に読む価値を感じていた。
翻って、三宅香帆はどうだ。
連載をこなし出版をこなし、メディア出演も大量も盛りだくさん。
今回の本を読んでとてもそうは思えなかった。
それでも彼女の本は売れる。それは三宅香帆という名前そのものにファンがいるからだ。
とても既視感を覚える。
ノムさんの本に、今はそんなことないなんて言い続けても野暮だろう。
しかしこの2人には大きな違いがある。
それは年齢だ。
現場で戦う人間は自分たちで新しいことを探すし、話しを聞いたとしても大真面目に捉え続けることは少なかったのではないか。
彼女は違う。今まさにど真ん中で社会に変化を与えようとする側だ。
だからこそ、本の内容が稚拙なのが気に入らない。これでいいとは言いたくない。
本から完全に離れた自分の主張を書くなら、寄り添うのはもういいと社会に対して思っている。
それは社会に余裕がある時の振る舞いだ。
今はそんなものは無い。
むしろ人は1人では生きていけない。
だけどいつか人は支えて、人を引っ張り上げる側に行かないといけない。
今の生活はクソだ。
だから今の社会はゴミだなんて話で終わらせようとするのはもっとクソだ。
でもいつまでも弱いままでいることは出来ない。
腹を括って、自分は強くなって自分は勝ちに行くんだと言い切らないといけない。
三宅香帆の本は優しい。
弱いことを肯定する成分が強い内容だ。
そういう部分が共感を呼んでいることも有ると思う。
でもそれはもう遅いと思う。嫌々ながらも諦めて頑張らないといけない。
ノムさんは、プロ野球選手になってから文字通り血の滲む努力を繰り返して成功したという。
それが答えだろう。
ノムさんも三宅香帆も、精神面でもメッセージが強く受け取られている。
金を残すのは三流、仕事を残すのは二流、人を残すのが一流。
考察する若者たちも、読者の感想は最終章への言及がとても多い。
2人とも人を感化しているし、読者は受け取ったメッセージを抱えて行動しようとしている。
百合好きにウケても売れはしないという発言は残念ながら、これはかなり正しい。
であればどうすれば百合作品が売れるのか、作り手側・売り手側の視点から考えた。
ただ少なくとも百合自体を否定したいわけではなく、私としては百合の商業的価値を信じたいと思っている。
まず百合作品を世に出すという行為が、商業行為であるという認識を持たないといけない。
少なくとも商業作品である以上、「百合だから仕方ない」という言い訳が許されるフェーズはもう終わっている。
まず漫画や小説出版、アニメ化は全て商業的行為であり、資本主義的行為であると言える。
雑に言うと、出版も他の私企業と同じ、資本主義的な投資回収モデルで動いている。
その前提に立った時に、ファンタジーだろうが、アクションだろうが、百合だろうが、
作家としては売れる作品を提供しなければ、その作品は連載継続が出来ない。
では、消費者が支払った対価以上の価値があると思える作品を提供し続ければ売れるのかというと、決してそんなことはない。
仮にパイを取り切り、それでもなおROIが0を下回るような場合、その市場単体には投資価値がない。
それだったら、その分のリソースを他ジャンルに回したほうが合理的だ。
特に熱狂的な「百合だから」という理由だけで購入してくれる層はほぼ取り切り、
今後は微増傾向になるのではないかと思う。
yuriという単語自体が英単語としての意味を持つようになったという事実がある。
10年、20年前と比較して、ROIとしては一応プラスに転じるようになっただろう。
ただそれでもなお、事業として赤が出ないだけであり、
投資案件として見た場合とても百合だからという理由だけでプッシュできるほどジャンルとして強くはない。
パイの規模を維持したまま一人当たりの平均使用金額を一時的に上昇させることは可能だ。
外圧により継続的に分不相応な可処分所得を作成することが不可能である。
従って、この策は結果的に市場の縮小という結果を招くと言える。
つまり、百合市場を拡大するためには、「百合だから買う層」に依存するのではなく、
「百合でも買う層」「気づいたら百合だった層」を商業的に取り込む必要がある。
では、どうすれば「百合でも買う層」「気づいたら百合だった層」を取り込めるのか。
そのためには一旦百合を捨てよう。
わかる、百合作品を売るのに百合を捨てろとはどういうことだと。
文句を言いたくなるのは非常にわかるが、少し待ってほしい。あとで拾うから。
それでもって百合という要素がないと破綻するような作品を書けばいいわけだ。
同時に一部幼なじみによる恋愛的側面や、黒の組織との対決という純少年漫画的要素も持っている。
引きこもりの陰キャが一人で遊園地に行ったところ黒の組織に遭遇し、身体が縮んでしまったとしよう。
そんな彼が強く元の姿に戻ることを望むだろうか?
蘭がいるからコナンは工藤新一に戻る必要があり、戻る必要があるから黒の組織と対決する。
そして読者はそこに期待をし、読み始め、結果として推理パートも楽しんで読むのである。
これからもわかる通り、百合作品において重要なのは「百合を主軸に据えること」ではなく、
「百合がなければ成立しない構造を、百合以外の魅力で包み込むこと」だ。
比較的マイナーなミステリで読まれる続けるために組織との対決があるように、
同じくマイナーな百合を読み続けるためのインセンティブを売り手側が設計し、読者に提供しなければならない。
ではここで、どのような設計であれば売れるのかという問題が発生している。
というか出版社は物語を売るということに特化した企業なのだから、知っていたらすでに自社の利益のために使っている。
ただここまで話してきてそんなもの知りませんじゃ、ここまで読んでくれた方は納得しないだろう。
ここからは、百合作品を設計するうえでの具体的なリスク要因について触れる。
少なくとも純粋な恋愛を前面に出すのはリスクが大きいということだ。
果たして恋愛を出さない百合は百合なのかという指摘があるのは理解している。
「わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)」はどうなるのか?という反論もあるだろう。
まず一つずつ処理をしていこう。
「恋愛を出さない百合は百合なのか」:これに関しては百合の定義が厳密すぎないか?
個人的には恋愛に限らず広義の女性同士の関係を百合として定義してしまっていいのではないかと思う。
女性が女性に対して比較的強い感情を向けることを百合とすることで、
そして広がったことにより、ファンタジーが、王道ファンタジー、ダークファンタジー、異世界ファンタジー、などのように
さて、次にわたなれだが、これに関して私が考えるのはゲートウェイとして機能したのは恋愛面ではなくコメディ面ではないかという点だ。
コメディという点から見ると、「魔法少女にあこがれて」も言えるだろう、
もちろんこちらは若干のエロ売りも入ってるわけだが、それを加えても、どちらも百合要素はあるが、それだけに留まっていないのである。
結局のところ百合作品を売るために必要なのは、百合を強調することではない。
百合でなければ成立しない感情構造を、百合以外の魅力で読者の前に差し出す設計なのだ。
これさ
https://dot.asahi.com/articles/-/269221
こういう話よくあるけどさ
「普通という名の幻想」に対して「君は普通だよ?」っていうの、解決になってないと思うんだよね
たとえば「結婚するのが普通」だと思っている人が「普通になれない」と嘆いていたとして
「結婚できるのは特別なことで普通じゃない」という事実を突きつけたとして、その人の「結婚したい」は消えないと思うんだよね
本当はモノがほしいのに「お金がほしい」っていうような感じ
その人のいうところの普通=理想像・期待像であって、理想と現実(期待と結果)の差に悩んでるわけだ
じゃあその理想はどこから来たのか?と言えば、テレビやインターネットや、周囲の人、漫画やら雑誌やらだろう
もう遅いかもしれないが、本当なら理想像何か知らないほうがよかったし、周りの人の達成度は低い方がいい
まあそれができなくなっているのが今の世の中なんだけど(キラキラSNSを見て鬱になる現象)
残された方法として「実はその理想像は理想じゃなかった」という酸っぱい葡萄理論があるんだけど
これをやりすぎると今度は中国の寝そべり族のように、すべてを察して諦めてしまう人が増えるので難しい
成功者たちの不幸や「そんな良いもんじゃないよ」と現実を知らせるのは、溜飲は下がるが夢も失うので諸刃の剣だと思う
トランスの大元の理論をつくった人類学者のゲイル・ルービンGayle S. Rubinの「性を考える セクシュアリティの政治に関するラディカルな理論のための覚書」(1984)を読めばすぐわかる。
1950年代の共産主義者や同性愛者のように、小児性愛者は汚名を着せられているため、彼らのエロティックな指向性はおろか、市民的自由の擁護者を見つけることも難しい。その結果、警察は彼らを食い物にしてきた。地方警察、FBI、そして監視役の郵便局検査官が加わり、小児性愛者たちのコミュニティを一掃することだけを目的とした巨大な組織を作り上げた。20年かそこらで煙がある程度晴れれば、こうした男たちが野蛮で分不相応な魔女狩りの犠牲者であったことを示すのは、ずっと容易になるだろう。多くの人々がこの迫害に協力したことを恥ずかしく思うだろうが、獄中で一生を過ごした男たちのために良いことをするには遅すぎるだろう。
原文はこちら。
https://bpb-us-e2.wpmucdn.com/sites.middlebury.edu/dist/2/3378/files/2015/01/Rubin-Thinking-Sex.pdf
ペドフィリアを擁護しまくって、同性愛と同等の位置に置いている。
私は親子ほど歳が離れた上司から食事に誘われるのとても嬉しいよ。
ただでさえお忙しい上司が、セクハラにならないようにと小娘に下手に出つつ
「いかがでしょうか。」なんて声かけてくれて自分に時間を割いてくれることが素直に嬉しいよ。
私には分不相応な素敵なお店に連れて行ってくれて、
仕事への臨み方や価値観や人生経験なんかの話を聞かせくれて、拙い私の話も聞いてくれて。
楽しくお喋りしてお食事して終わり。きちんと帰してくれる。そんなに嫌なことかな。
あわよくば的な下心がもしあったとしても微塵も感じさせず、盛り上がりすぎて帰りが遅くなった時は
向こうから「遅くまで引き留めて申し訳なかった。」って言葉と共に*万円の車代も渡してくれる。
お金の問題ではなく本当に私と食事をするのが楽しいと思ってくれてるんだなって伝わるとこちらも嬉しいよ。
だからご馳走になってしまった上にまた含蓄深い話を聞かせてもらったな~って感謝の念すら覚えて帰途に就くよ。
もちろん自分にコンパニオン的な役割がある程度求められてるのは察してるけど、
それを差し引いても楽しい時間を過ごさせてもらってありがとうございます、また誘ってくれたら嬉しいなって思ってるよ。
どんな環境かや関係性かがこの断る断らない談議に切り離せない要素ではあると思うから
単に私がポジティブなだけだったり異様に人に恵まれているだけの話だけかもしれない。上記の流れは声をかけてくれる上司みんながそうしてくれる。
でも信念を持って仕事に向き合い、何歳になっても思考と好奇心を忘れない人との会話はどんな話題でも面白いよ。
元増田は断れないのだよね、せっかく同席するのなら相手に存分に語らせつつ自分のフィールドにも引き込むような会話の応酬を楽しんで、
この時間を少しでも自分の糧にしてやろうっていう気概を持てたら必要以上に"おっさん"に対する敵愾心も薄まるんじゃないかな。
元増田を批判するつもりは全くない。人間関係パズルで外れを引いてしまったのを気の毒に思う。
現時点をアウトプットする。
顔がまあ、土砂崩れしている。左右の目の高さがはっきり違うので必要なのは詐欺メイクではなく大規模な外科手術か転生。あと眼球が小さいのはなんだ?目って交換出来るのか?コンタクトのBC8.4ってなんだよ。
顔に石を投げられたことはないが、それはたぶん日本の治安のおかげ。体型は胸が完全に無い。ジム行っててやや筋肉めの足だが太っては無いからダイエットからの大逆転もない。
ブスだ。手の施しようがない。
高校生、大学生くらいの時に「きちんと収入を得て職場が良好な環境であれば趣味でも楽しんでひとりで楽しく生きていける」そう思った自分に言いたい。
違う。人間の軸はそこではない。
少なくとも私は。
たしかにきちんと生活してきちんと仕事もしている。人事評価も平均より上だ。資産形成だってし始めてる。生きては行ける。せいぜい老後の心配だが、そのためのお金をせっせと貯めてる。安定した専門性のある職につき、年収は男性の50代前半平均は超えていてこれからも微増していく。
でもブスだ。
仕事もきちんとこなす、コミュニケーションも普通、雑談だってする。仕事仲間には「当たりの同僚、部下、先輩」と思っていただいてる。本当に有難い限りだ。これ以上望むのがおかしいのかもしれない。分不相応なんだ。でも辛い。
恋愛市場においてはカウントされない。呼ばれてもいない。好きになってなっても、今後の関係を気遣ってくれる良い人たちを対処に困らせるだけだ。
祖母が認知症が進んでいる。まだ、孫の私の顔は覚えていてくれる。だからその間は整形は考えてない。
挙句の果てに付き合えるなら誰でもいいとは思ってない。分不相応な相手を好きになる。(大概の相手が分不相応になるのでそもそも詰んでいる)
このままでは地下アイドルとかにドハマリして破産する中年男性と同じルートに乗ってしまわないか怖い。ハマってる間はさぞ浮かれてて楽しいだろうと思う。
思った以上に将来、君は恋愛に価値を置いてしまいやすい。これは恋愛経験がなくて美化してるのも大いにあると思う。さっさと処女だけ捨てといたらマシだったかもしれない。いずれにせよ、職場の人達がまともすぎてほとんど結婚してる空気にあてられてしまう。これは計算外だった。
あと、ブスのくせにアイデンティティやら自己肯定感を異性から愛してもらえることに置いてしまってるのが間違いなんだ。すっぱい葡萄なんて百も承知で「恋愛なんて興味ない」って言い続けろ。言い続けて墓場まで持っていけ、頼むから。
それから、夢をあきらめないでくれ。本当に進みたい道に進んでたら、きっとそれだけで生きていけた。そこは自信がある。文系のそこそこの安定なんてかなぐり捨てて、やりたかった理系の研究の道に進め。
そりゃ旧帝の大学院生ですら就職難とか理系研究職が低所得に甘んじてるとかそういう新聞記事を読んでしまったせいで怖かった。ましてやあの時なんて女性研究者の展望なんて分からなかっただろうけど。でも、やれるだけやった方が良かったよ。それがないからこんな、異性から愛されることを軸にしてしまった。心の底から後悔してる。
お目汚しして失礼しました。
おそらく生涯独身が確定する中、
金融資産2億弱。
こんだけあれば好きな選択ができると思っていたが、そうじゃなかった。
交通の便もよくぜひここがいいと申し込むも、モデルルームの担当者からは軽くあしらわれ帰らされた。
まず立地。
閑静な住宅街の他、地元では名門の小中高大一貫の女子校がある。
ただただ静かな高級住宅街に憧れていただけなのに。
つぎに間取り。
独りでしょ?なんで3LDKもいるの?と。
3室のうち1部屋は寝室にして、1部屋はビジネス本図書室、もう1部屋は娯楽書図書室にしようと考えていたのに。
金融資産はしょせん含み益。
銀行口座には300万円ほどの預貯金しかなく、おまけに50歳近い自分には
分不相応でしょ?という。
独り者の一生はそう長くない。
利益確定させて金をつくることもできるのに、夫婦で長いローンを組める方が社会的には信用があるらしい。
なんだよ、
俺は気に入ったところに自由に住むこともできないのか。
詰んでたんだな。
店が悪いしかないと思うね
たとえば童貞喪失のためにバイトしてすっげ金かけることにして高級風俗探したとする
元アイドル予約する ほかの客とかすげー金持ちなんだろなと思う
分不相応な場所だ けどせっかくの日なんだからと金かける性欲もあるけど思い出にもなるだろなって
行ってくるぜと勇ましく友達にも自慢しておく
その日を前にして、その元アイドルを含む店がいきなりフェミニズム運動に参加することになる 金もちょっと出てるらしい広告塔
前から思ってました もう少し業界をうんぬん女の主体性をうんぬん 安全な風俗を公共にうんぬん
マジかよって思うんじゃないの マジかよって思うわ
それをアンフェって言うのは違うんじゃねえか
予約とった時に分かってたんじゃねえのかって
まったく話が違うだろって
金かけてんのにはそういう保証もあるんじゃねえのって
ウエディングも同じじゃねえの
でもこれってさ、都会に産まれてたら達成出来ていなかったんだよなあ。(別に結婚や子供が一番な幸せだ!と言うつもりはないからな)
都会生まれ育ちだったら、おそらく増田は独身でラーメン二郎を楽しみにアニメ鑑賞するだけのおっさんだったと思うんよ。
おそらく人生の選択肢として「結婚」すら現れなかったと思うの。
田舎というか地方だから分不相応の幸せを享受出来ていると思ってる。
優秀な人、全てにおいてではなくなんでもいいから一つにおいて優秀な人は都会だと物凄く輝けると思う。
でも増田みたいに全部が普通or平均未満の人間は都会だと何にも出来ない気がする。
田舎は才能を埋もれされるが、都会は普通以下らにとても厳しいと思う
都会への解像度が低いだろうが、この考え間違ってるのかなあ。
https://x.com/chounamoul/status/1936983548420108397
ペドフィリアの欲望というのは小児を対象とする以上、必然的に性加害への欲望だからね。
性加害への欲望を(包摂を装って)LGBTと同列に並べようとするこういう言説がマイノリティ当事者をどれだけ貶めるか、分かって言ってるなら度し難く悪質だし、分からないなら度し難く愚かだと思う。
https://x.com/akishmz/status/779860576805593088
とのたまうんだよね。
それどころか、トランスやクィアがペドフィリアを含んでいることは、クィア理論の支柱となった文献をみれば明白なんだよね。
以下はクィア系文化人類学者のゲイル・ルービンGayle S. Rubinの「性を考える セクシュアリティの政治に関するラディカルな理論のための覚書」(1984)、クィア・スタディーズにおける超重要文献からの抜粋だ。ちなみにルービンはトランスの教祖ジュディス・バトラーの師である。
1950年代の共産主義者や同性愛者のように、小児性愛者は汚名を着せられているため、彼らのエロティックな指向性はおろか、市民的自由の擁護者を見つけることも難しい。その結果、警察は彼らを食い物にしてきた。地方警察、FBI、そして監視役の郵便局検査官が加わり、小児性愛者たちのコミュニティを一掃することだけを目的とした巨大な組織を作り上げた。20年かそこらで煙がある程度晴れれば、こうした男たちが野蛮で分不相応な魔女狩りの犠牲者であったことを示すのは、ずっと容易になるだろう。多くの人々がこの迫害に協力したことを恥ずかしく思うだろうが、獄中で一生を過ごした男たちのために良いことをするには遅すぎるだろう。
原文はこちら。
https://bpb-us-e2.wpmucdn.com/sites.middlebury.edu/dist/2/3378/files/2015/01/Rubin-Thinking-Sex.pdf
自分の脳みそで物事を考えられない人未満の猿に人権のみならず選挙権まで与えたのってマジでクソ左翼最大のやらかしだろ
文字もまともに読めない頭も悪い仕事もできない社会のゴミに政治に関われる権利なんて与えてもまともに使えるわけねーべ
実際今じゃそんな権利だけ持った知恵遅れ共が優秀な人間が作り出したスマホやインターネットやSNSを我が物顔かつ最悪の形で利用し
そこで流れてる馬鹿みたいなデマを心の底から信じ混んでガイジに投票して社会全体に迷惑かけてる始末
マジでクソ左翼ってのは害獣に餌やって被害増やすクソ動物愛護馬鹿と同類
人類は皆平等とかお花畑な事をほざいてバカウヨになるようなキチガイには分不相応な人間様の権利を何でもかんでも与えてんじゃねぇよ
そのせいでバカウヨ共が勘違いしてもっと俺達を優遇しろ尊重しろとつけあがってるだろうが
あんな真面目に努力もしなけりゃまともな成果も出せない生み出せるのはクソ程度の人材の廃棄物はさっさと社会から退場させるのが一番って
FF7はインターナショナル版が出た時点で既に無印とはかなり別物になっていて個人的には受け付けないんだけど
ガンダムも初代のTVシリーズと劇場版とでかなり違っている事を最近知る
実際に見てみると、うん、確かにこれは別物だ
結局は劇場版こそが正史という設定らしいけれど、TVシリーズの方が遥かに好みなので残念ではある
というか正確には、自分が好きなのはTVシリーズの初期というか途中までの流れかな
ジャブロー辺りまでは良かったんだけど宇宙に上がってからが微妙
まるでそっちがメインヒロインで作品の象徴かのようにゴリ押しされる現象に嫌な既視感がありすぎる
ジークアクスは監督が乃木坂にんほってどうのと言われているけど、正直初代の時点で大概だったとしか…
セフィロスもシャアもマザコン呼ばわりされてネタキャラ扱いされているけれど
普通に見てたら父親(的な存在)への想いの方が大きいしそっちを掘り下げた方が絶対面白いだろと思うのも同じ
劇場版ではそのララァを作品を象徴するヒロインみたいに祭り上げていたけれど、分不相応としか思えず
逆襲のシャアでもそういう扱いだったけど
当初に予定されていたであろうメインヒロインを蔑ろにして、サブヒロインゴリ押し…トラウマが抉られる
作品のテーマである(と思われる)貧富の差や階級問題、環境保護といったものにまるで関心の無さそうなぽっと出の女を作品全体の象徴みたいにお出しされる
で、ガンダムの方も宇宙世紀IFのジークアクスというのが出て来た時にはかなり嬉しかった
IFとは言え、今後こそ本来予定されていたと思われる王道なルートに行ってくれないかなーと結構期待したけれど
そう思っている間に乃木坂疑惑が持ち上がりそれどころではなくなる
もう無理そうだね…
FF7の方もリメイク三部作の最終作にあんまり期待が置けないし
結局駄目なものはやり直したところで駄目なのか
昨日駅で女性にAED使う機会があったんだけど、申し訳ないがリスク高すぎて駅員さんに頼んだよ。
隣で友人らしき人(ずっと名前呼んで泣いてる)が見てたし無理だよ。何言われるかわからんし怖すぎる。
倒れてる頭支えて、カバンを枕にしただけでも相当勇気振り絞った。
https://megalodon.jp/2025-0417-0951-55/https://x.com:443/grapecrepe_do/status/1911239661269487632
自分は命を助ける行動をしたんだぞって主張するも、女さんにAEDは使わなかったと証言。後に嘘つき扱いされて証拠だと言い張るポストを連投。
ほらあ!あるじゃん!!!!おい!嘘つき呼ばわりしたやつらよぉ!!!!!!!!!!!!!!????
こっちが幻覚でもみたんか、明晰夢かとかまで思い始めてたんやぞ全くぅ!!!
https://megalodon.jp/2025-0417-0952-55/https://x.com:443/grapecrepe_do/status/1912042155407024290
AED近くにあったけど駅員さんくるまで気付かないふりしとったわ…服脱がしてつけてたけどそのあいだ「あいつがそういう目で見てた」て言われるの嫌で超離れたし。
あの事件見た後だともう助けられんね…すまんな駅員さん
https://megalodon.jp/2025-0417-1241-47/https://x.com:443/grapecrepe_do/status/1911240082566336947
・9日の事案は“駅構内付近”で12日の事案が“駅付近”なのは、なにか表記にルールでもあるんですかね🤔
・救護されていたのは男性だったという目撃者も出てきたので出動履歴だけでは証拠にならないっぽいな〜🙄
・きゃさんは「駅で」と仰っていらっしゃいましたが、きゃさんのスクショの情報を見ると、駅の外と中は区別されるんですね。
・この人が証拠として出した千葉市消防情報って蘇我駅じゃなくて蘇我駅「付近」で千葉市中央区今井2丁目50番Googleマップで調べたらわかるけど駅じゃなくない?このサイトを元に創作したけど住所ちゃんと見ずに嘘話作ってしまったのか?
・昨日までは身バレ気にしてたのに、今日になってとったように蘇我駅とか言い始めたの、タイミング的にこれを見たからとしか
・蘇我駅のホームでの出来事でAEDは近くにあったとの事ですが、蘇我駅のAEDは改札から1番線に下るところにあるとの事なのでちょっと変ですね。
後に@grapecrepe_doは以前からミソジニー発言を繰り返していた事も発覚。また、過去ポストから「親を殺そうとする人間が人助けをするか?」という邪推をするものも登場。それがこちら
老害は放置せざるを得んよ…何かやったらすぐ発狂して、止めようとしたら自分が悪くなるんや。止めて警察呼ばれた時はほんっとに殺してやろうかと思った。
お前俺の金盗んで着物買ったの忘れてねえからな?テレビの苦労した人と自分を重ねんな。分不相応にも程がある。身を弁えろ。
結局、明らかにネットに転がってる消防の出動情報からしか拾えるレベルのポストしか出てこず、
やっと嘘じゃないと大半の人に示せた、これでダメならもうそれはそいつは何やっても認めない異常者なだけやと思ったんよ…
ふと見たら「あった事実を元にして話した妄想と自白した」て言われて、もうどうしろと……
世の中には自分の主観以外で事実を受け入れられない奴らがいることを思い知った
https://megalodon.jp/2025-0417-1004-42/https://x.com:443/grapecrepe_do/status/1912129021980393793
とだけポストして逃亡。
身バレなんか怖くないと言ってたくせに「血の付いたバッグ見せれば?」というポストに対して「同僚に申し訳ない」という謎理論で乗り切ってしまう。
はてなにいる人はみんなは高級取りでふーんって話だろうけど
中卒で高校程度の学もない自分のような出来損ないが平均年収を上回る額をもらえるなんて奇跡みたいだなって
40歳を超えて家族もなくて友達もいないなんて完全な負け組なんだけど、みんなが高校に行く3年間を引きこもりとして過ごした身としては
なんかがんばったなと思った。
もう40歳を超えて、親も死んじゃってやりたいこともなくて死にたいなと思う毎日だけど
なんか自分がんばったなって。
上司に勘違いしてもらって実力もないのにちょっとした役割をもらったりして
インポスター現象じゃないけど分不相応なお給金もらってるのはわかるけど、どうしようもないバカなのにプログラマとして20年よく頑張ったよね。