はてなキーワード: 空間とは
これを単なる「放課後のスポーツや文化活動」と解釈しているうちは、日本社会の本質を捉えることはできない。部活とは、教育という美名の下に偽装された、日本独自の「空気」の醸成機関であり、極めて強固な「小宇宙」としての共同体なのである。
西洋的なスポーツの概念では、それはあくまで個人の「楽しみ」であり「技術の向上」を目的とする「遊び(Game)」である。しかし、日本の部活においては、それが「野球道」や「剣道」といった具合に、容易に「道」へと転化してしまう。
ここで言う「道」とは、論理的なルールを超越した絶対的な規範である。そこには、外部の人間には到底理解しがたい、以下のような特質が見て取れる。
儀礼の絶対化: 挨拶の角度から、道具の手入れ、グラウンドへの一礼に至るまで、機能性とは無関係な儀礼が最優先される。
「連帯責任」という戒律: 一人の部員の不始末が部全体の活動停止に繋がる。これは近代的な法治主義(個人責任)ではなく、村社会の「縁座」の論理である。
山本七平が喝破した「空気」の支配が、最も純粋な形で現れるのがこの部活という空間だ。
例えば、真夏に水を飲まずに練習を続ける(かつての常識)、あるいは怪我を押して出場するといった行為が「美談」とされる背景には、生理学的な合理性など存在しない。そこにあるのは、「ここで水を飲んではいけない」「休んではいけない」という、その場を支配する「空気」への絶対服従である。
この空気(臨在感的把握)に抗う者は、非国民ならぬ「非部員」として、共同体から事実上の追放(シカトや疎外)を余儀なくされる。ここでは「個」の意志は、共同体の維持という至上命題の前に、完全に抹殺されるのである。
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このシステムを維持する「司祭」の役割を担うのが、教師(顧問)である。
彼らは本来の職務である教科指導を二の次にしても、部活動の指導に没頭することを「徳」とされる。土日を返上し、無給に近い状態で奉仕するその姿は、近代的な労働者のそれではなく、一種の宗教的情熱に突き動かされた修道者のそれである。
生徒もまた、その「自己犠牲の精神」を空気として吸い込み、「先生がこれだけやってくれているのだから」という情緒的な絆によって、さらなる規律へと縛り付けられていく。
それは、日本社会という巨大な「空気の組織」に適合するための、高度な精神的訓練所なのである。理不尽な上下関係を、論理ではなく「身体的感覚」として受け入れ、組織の論理を個人の論理に優先させる――この「日本教」の洗礼を、彼らは多感な思春期に徹底的に叩き込まれるのだ。
この「珍妙な制度」が温存されている限り、日本人が真の意味で「個」として自立し、論理的な組織運営を行うことは、おそらく今後も至難の業であろう。
正確に言うと男なのに男が嫌いになった。
インターネットではいかに女が邪悪で愚かな生き物かについて日々呪詛が垂れ流されているが、現実的な話として、女は基本まとも。男はクソ。
入職したばかりの頃は車内にしばしば撒き散らされている小便の正体が分からなかった。赤ちゃんが漏らしているのかと思っていた。
先輩から、あれは酔っ払ったおっさんや、薬物や精神病で頭おかしくなったおっさん、そういう性癖のおっさんの落とし物だと聞かされて戦慄した。
おそらく定年退職して暇を持て余しているのであろう高齢男性に絡まれ、駅係員の愛想の悪さ、無礼な態度についての説教から始まり、妻や子供に関する愚痴、若者の質の低下、高齢者に対する社会全体の敬意の喪失などの話題に発展し、最終的には社会保障、自民党、アメリカ大統領などの話に辿り着くことはよくある話。
むしろ混乱と混雑の解消のために駆り出されたはずの人員がお前の対応に割かれるから事態は余計に悪化する。
帰宅ラッシュの時間帯になると必ず車内のフリースペース(車椅子やベビーカーを優先するエリア)でおっさん同士の喧嘩が勃発する。
喧嘩のきっかけは、睨まれた、肩が触れた、鞄が当たった、口が臭い、独り言がうるさい、場所を取るな、イヤホンの音漏れをやめろ、等。
最初に喧嘩を吹っ掛ける方は単に苛立ちを発散する口実を探しているだけなので口調も荒くて喧嘩腰だし、吹っ掛けられる方もただでさえ喧嘩腰な人間に対してプライドの高い中高年男性が素直に聞き入れるわけがないので順当に喧嘩に発展する。
駅係員が介入することになるのは殴る蹴るなどの身体的な暴力に発展し、尚且つ周囲の乗客が通報した場合のみ。それですら1日2回ぐらいのペースで発生するので、口喧嘩の範疇に収まったケースや周囲が見て見ぬ振りをしたケースを考えると暗数は相当多いと思う。
酒が入っている時はタクシーで帰るというのを徹底するだけでもかなり喧嘩は減ると思う。
男同士で喧嘩するのはまだマシ。力が均衡しているからどちらかが一方的に被害者になりにくい。
絡む理由は、足を組むな、スマホを弄るな、声がうるさい、スカートが短い、腹が邪魔(妊婦に対して)等。
大したマナー違反でもない。そして周りの他の男が平気で行っている、これより酷いマナー違反は無視。要するにマナーを大義名分に女を叱って愉悦に浸りたいだけ。
勝手に懲罰感情が芽生え、太ももに触る、殴る、容姿を罵るなどの犯罪行為に走ることもある。
性欲が原動力なのに本人の中では正義感ゆえの行動に完全にすり替わっているので、正義の執行を邪魔されたことに対する怒りで駅係員に食って掛かってくる。そして暴言暴力に発展して警察を呼ぶことになる。
妊婦に対して「堕ろしてこい!」と言い出した時は流石にこっちも冷静になれなかった。
乗客同士のトラブルで警察沙汰に発展した際におっさんが言いがちな台詞
「その間の時給は払う!?時給換算したら俺の時間いくらだと思う!?」
じゃあ若い男はまともなのかというとそんなことはない。
中学生〜新卒ぐらいの男が3人以上で群れるとロクなことがない。
大声で騒ぐ。駅構内の器物を破壊する。気が大きくなって車内で女性に絡み始める。他の乗客が咎めると「なにマジになってるんすか?w陰キャ?w」
でも1人だとマシということはなく、優先席で体操座りをしたり胡座を掻いたりして音楽を聴きお菓子を貪り食いながら自宅のようにくつろぐ奴も見かける。
ただ、こいつらは甘やかされて育って調子に乗っているだけのガキなので、制服を着ている我々が少し強く怒るだけて往々にして萎縮して反省する。泣きながら謝る奴もいる。そこはまだおっさんよりはマシ。
今後同じことを繰り返させないためにも躊躇なく非常ボタンを押してほしい。
人手不足と機械化の時代、最低限の人員で社会を回すため、あらゆる施設・あらゆるサービスが、セルフレジやQRオーダーシステムの導入などに踏み切っている。
駅も例外ではなく、窓口を減らし、無人改札を増やし、ネットで新幹線を予約させ、時代についていけない人間を振り払っていく方向に進化している。
高齢女性は割とすぐに適応できるが高齢男性は何度も尋ねてくる。自分で調べない。そして一向に理解しない。中には新たなシステムの導入自体に怒りを燃やす奴もいる。早く淘汰されてほしい。
暴言を吐いてきた奴に、駅係員としての節度と礼節を弁えた上で場を掻き回すことなく相手を制圧できる魔法の言葉がある。
それは「今、⚪︎⚪︎と仰いましたか?」と復唱すること。
例えば「ぶっ殺すぞ!」と言われたら「今、ぶっ殺すぞと仰いましたか?」
大抵黙り込むかトーンダウンする。
彼らは行き場のないストレスの捌け口として駅係員に暴言を吐いているという自覚自体はあるので、それを突き付けると大人しくなる。
大きめの声で復唱するとなお効果がある。周りの目を気にして縮こまる。
少し前に「松葉杖で生活している20代女性です。新宿駅で検証しました。ぶつかりおじさん問題はぶつかる女性が悪いです」という記事が話題になっていたが、身体障害者の20代女がじっくりと周りを観察できるほど新宿駅は女にとって安全な空間ではないのであれは嘘。
というか新宿駅で若い女がぼんやりしてると即座に声を掛けられるから物理的に観察は不可能。
路上で女に声をかけて性風俗を斡旋する、いわゆるスカウトや、ネット上で弱者男性を騙してnoteを売り捌いている自称ナンパ師の虚言を真に受けてナンパに勤しんでいる弱者男性が駅構内を徘徊して女性に声を掛けて迷惑をかけている。
どうも「身体に触れない限りはセクハラではない」という認識が奴らにはある
クレームが相次いだため現在はアナウンスでスカウトとナンパをほぼ名指しで警告している。アナウンスを流すようになってから声かけによるクレームは減った。それでも撲滅できてはいない。
いわゆるぶつかりおじさん問題だが、Xやニュースで周知されるようになってから正当なぶつかりおじさんは減った。
最近増えているのは肘を大きく広げてすれ違う際に女性の胸を肘で殴る、背後から女性の靴や脛を蹴るなどのパターン。
わざとかな?と思ったら遠慮なく周りに助けを求めて駅係員のところに連れてきてほしい。軽い説教しかできないが、何度も説教されれば大人しくなる。
電車を利用する全ての男に言いたい。
他人に絡むな、周りに気を遣え、周りと同じように振る舞え、ストレスを他人で発散するな、身体を小さくしろ、嘘をつくな、風呂に入れ、ゴミはゴミ箱に捨てろ、唾を吐くな、排泄はトイレでやれ
当たり前のことを当たり前にしろ。
BL(ボーイズラブ)文化は、男性同士の恋愛・性愛を描くフィクションを中心に発展してきた。しかし、その消費構造が実在のゲイ・バイセクシュアル男性を素材として搾取しているのではないかという批判は、当事者コミュニティから繰り返し提起されてきた。
具体的には以下の論点がある。
これらの主張には一定の妥当性がある。しかし、「フィクションだから無関係」という論理は、RPSや実在コミュニティへの侵入行為には適用できない。また、「理解の入口になった」という功利的正当化は、当事者が現に被る不快や搾取を帳消しにする根拠としては不十分である。
より深刻なのは、この問題が指摘されたとき、腐女子コミュニティの一部が「ホモフォビアと戦ってきたのは我々だ」という自己正当化に走り、当事者の批判を封殺する力学が働くことである。マジョリティ(異性愛女性)がマイノリティ(ゲイ男性)の表象を占有し、かつその批判に対して「我々こそ味方だ」と主張する構造は、植民地主義的な知の収奪と相似形をなしている。
『イナズマイレブン』(主要キャラクターは中学生)、『忍たま乱太郎』(忍術学園の生徒は10歳前後の設定)など、明確に未成年と設定されたキャラクターのR-18 BL二次創作は、pixiv・同人誌即売会・SNSなどで大量に流通している。
| 論点 | 現行法の状況 |
| 著作権侵害 | 二次創作は原著作物の翻案権・同一性保持権を侵害しうる。権利者が黙認しているに過ぎず、合法ではない。いわゆる「グレーゾーン」は法的に保護された領域ではなく、権利者の好意に依存した状態である。 |
| 児童ポルノ該当性 | 日本の「児童買春・児童ポルノ禁止法」は実在の児童を対象としており、創作物(絵・小説)は現行法上は児童ポルノに該当しない。ただし、国際的にはフィクションも規制対象とする国がある(豪州、カナダ等)。 |
| わいせつ物該当性 | 刑法175条のわいせつ物頒布罪の適用可能性は理論上残るが、同人誌に対する摘発例はほぼない。 |
法律上「違法ではない」としても、10歳や13歳に設定されたキャラクターの性行為を詳細に描写し、それを大量に流通させる行為が倫理的に問題ないと言えるかは別の問いである。
腐女子コミュニティ内では「キャラクターは絵であり実在しない」「被害者がいない」という論理で正当化されることが多いが、この論理は男性向けの「ロリコンもの」に対しても同様に適用されなければ一貫しない。にもかかわらず、後述するように、男性向けの未成年キャラクター性的表現には激しく反対しつつ、自陣営の同種の表現には寛容であるというダブルスタンダードが指摘されている。
一部の権利者はガイドラインで性的二次創作を明示的に禁止している。しかし多くの場合、個別の対応コストや炎上リスクを恐れて黙認しているに過ぎない。この黙認を「許可」と読み替える文化的慣習は、権利者に本来不要な負担を強いている。
近年、英語圏の社会正義運動(いわゆる「Woke」)の言説——特にジェンダー論、ポストコロニアル批評、インターセクショナリティなど——が、日本のSNS上で選択的に翻訳・引用され、特定の表現を攻撃するための武器として使用される事例が増加している。
Woke言説そのものが問題なのではない。ジェンダー論やポストコロニアル批評は学術的に重要な知的伝統である。問題は、それらの理論が本来持つ複雑さや内部批判を捨象し、自陣営に都合の良い部分だけを切り出して「正義の棍棒」として使用する態度にある。
これは理論の誠実な適用ではなく、権威の借用による言論封殺である。そして、この手法が最も頻繁に向かう先が、男性向けのオタクコンテンツである。
「マシュマロ」「Peing」などの匿名メッセージサービスを利用した攻撃的メッセージ(通称「毒マロ」)は、腐女子コミュニティにおいて深刻な問題となっている。内容は以下のようなものである。
毒マロや晒し(SNS上で特定の作者・作品を名指しで批判すること)の結果、創作者がアカウントを削除し作品を非公開にする「筆折り」は日常的に発生している。これはコミュニティ内部の表現弾圧に他ならない。
特に注目すべきは、加害者もまた女性であり、被害者もまた女性であるという点である。「女性が女性を潰す」構造は、フェミニズムの言説では説明しにくいため、しばしば不可視化される。
腐女子コミュニティでは、特定の行動規範(「検索避け」「鍵垢での運用」「R-18はワンクッション」等)について定期的に激しい議論が発生し、「学級会」と呼ばれる。これ自体はコミュニティの自治として機能しうるが、しばしば規範の押し付けと逸脱者への制裁に変質する。
腐女子コミュニティの一部には、以下のような暗黙の序列意識が存在するとの指摘がある。
この序列は、「BLは高尚なフィクションだが、夢小説や男女の恋愛は自己投影で低俗」という偏見に基づく。
ここに深刻な矛盾がある。腐女子コミュニティの一部は、自らの表現が社会から偏見を受けてきた歴史を語りつつ、同じ女性向け創作者コミュニティ内で別のジャンルを蔑視・攻撃している。被抑圧者が別の被抑圧者を踏みつける構造であり、「連帯」の理念とは正反対の実態である。
近年、以下のような事例が繰り返し報告されている。
これらの運動に共通するのは、主観的な不快感(「お気持ち」)を客観的な権利侵害であるかのように主張する論法である。「私が不快に思う」→「それは社会的に有害である」→「規制されるべきだ」という三段跳びは、法的な権利論としては成立しない。
しかし、SNS上の炎上は企業にとって実害をもたらすため、法的根拠がなくとも事実上の表現制限として機能している。これは私的検閲(private censorship)の問題である。
最も深刻な問題は、男性向けの性的表現を攻撃する主体が、自らは第2章で述べたような未成年キャラクターのR-18 BLを消費している場合があるという点である。
・リアクションが欲しい
だと思うけど、確からしさを集合知で確認とリアクションは生成AIの方がバランス取れてるんでSNSの極端な意見よりいい。
生成AIなら思ったことの壁打ちで「なんか言いたい、それで反応が欲しい」みたいな欲求は発散できる
それにはてブとかSNSだと一旦自分でコメントすると反応気になってしまって記事に固執してしまう。
どこの誰かも知らない女体シャンパンタワーした金持ちの言い訳とか、サイゼリヤの味が変わったとか文句言ってる人がいるとか、自分の生活にとってどうでもいい。
なんとなく習慣で寄ったカフェでよくわかなんない材料で作ったヌガーを皿いっぱい食べて気持ち悪くなるような無意味で不健康な時間だと思う
そろそろ折り返し時期なので自分用にメモ。今回も多いので3つに分けてる
星は個人的な好みを表したもの(私の好みであって作品への評価ではない 出来が凄いんだろうなあという作品も、自分が好きではなかったら星は少ない)テレビ放送中心。
好みの星はたぶん見ていくうちに変わるし変えてる。自分と違ったとしたら「こいつとは趣味があわんな」くらいのレベルで見てください。
声優とかアニメ制作会社とかよく知らないので間違ったこと書いてたらごめんなさい。
今回のアニメは「2倍2倍!」「飛びます飛びます」「ヒューヒューだぞー」など、見てる人のほとんどが分からんだろってくらい古いネタが使われてる気がする。
追記:好きを示す星は4段階。感覚的なものなので話が進むにつれてコロコロ変わることがあります。環境によっては☆も⭐️も⭐️に見えるのね 後で変更しておきます
スイカももう立派な科学者なんだよ。と、まだ前のシーズンのスイカの話をひきずって涙してる自分がいる。
巨大なラスボスはいるが、普通の敵はもういないので結構安心して見れる。
OPはASIAN KUNG-FU GENERATION。EDはBURNOUT SYNDROMES、やっぱりDr.STONEといえばこの人たちやね
SAIが加わったことで28話でEDが少し変わり、日本メンバーと合流した30話でまた変わる。
名前の通り、「嘘をつく力」と「嘘を見抜く力」で勝ち残っていくゲーム
実写ドラマや映画は戸田恵梨香と松田翔太で製作されており、韓国でもドラマ化されている人気作。
騙し、騙されで1億、10億と巨額のお金が動く展開に「おー、すげー」と感心していたところに、最近「はてな11億詐欺事件」の報道が飛び込んできて、現実に似たようなことが起こったもんだから戸惑っている自分がいる。
過去に大きな事故に遭い、一度死んだはずの菜花。家では謎の「物体X」を飲まされる変な日常を過ごしていた。
ある日、事故現場近くの商店街で妖怪だらけの世界に紛れ込んでしまう。
妖怪に襲われる菜花を助けたのは、刀を携えた若い男性・摩緒(マオ)だった。
女子高生と別世界の人間という関係性は、まさに『犬夜叉』のようなワールド。
ゲームが原作。メンタルがヘラってたり、OD・リスカをする子、そして狂信的なファンがつくほどの「超てんちゃん」というネットアイドルがいたり。
90年代のエヴァや、2000年代の物語シリーズのように、精神病者の精神描写の演出が過多、故に人を選ぶ作品だと思う。
私は嫌いじゃないけど好きじゃないよ。
あめちゃんがいかにして超てんちゃんになるかは3話で語られるが、まあ酷い過去ではあるけれど、よく見るやつなので。もっとこう、あそこまで神格化されるほどぶっとんだキャラになるのであれば、それと反比例するくらい重いのが欲しかった。
超てんちゃんのCVはクレジットに明記されていない、が、22/7の天城サリーかな。ナレーションはピエール瀧
OPは超てんちゃん、EDはキタニタツヤ。5話のEDは特殊な構成。
1年ぶり4期。どうやって終わったんだっけ。なんやすごい強敵揃いで大変な戦いだったのと「強欲」レグルスが最悪なやつだったことしか覚えてない。
ジャージではなくなったスバル。レム睡眠を救い出すことはできるのだろうか。
これからお付き合いくださる皆様
OPは鈴木このみ feat. Ashnikko、EDはMYTH & ROID feat. TK(凛として時雨)相変わらず流れる回数少ないけど
憧れの父が破門され、父から「落語」を奪われた。あかねは父の無念を晴らすべく、落語家として真打を目指す。
この作品が週刊少年ジャンプで連載開始した時、普段漫画を読まない私の耳にも「なんかスゴイのが始まった」と聞いた覚えがある。
単に女子高生が落語をするだけじゃなく、落語の世界そのものを描きつつ、そこに「友情・努力・勝利」の成分もあることからの人気なのかな。
3話までの話を通じて、落語噺だけでなく、社会人として教訓も感じるところがある。
落語のアニメといえば『昭和元禄落語心中』や『じょしらく』がよく話に出るが、『うちの師匠はしっぽがない』もぜひ思い出して欲しい。
5分アニメ。淫獄団地。タイトルからヤバそうな団地の管理人が主人公。
団地に住む人妻の元にスマートブレイン社のファイズギアボックスみたいなケースが届き、
中に入った卑猥で異常な衣装「リビドークロス」を着用した人妻たちが狂気に堕ち、管理人や団地の人々を襲う。
何となく私は見ないやつだろうと思ったけど、バカバカしくて見ちゃう。
モデルのようにクールな外見だが、実は主人公と同じ趣味を持つギャル(天音さん)。主人公の前の席に座り、いつも優しく接してくれるノリの軽いギャル(伊地知さん)。
王道ラブコメ好きだわ〜・・いや私じゃ無くて妹がね、妹がね!?
同じ趣味の天音が有利そうに思えるけど、伊地知の人の良さや健気なところにも応援したくなる。くぅ〜
3年ぶりの2期。1期で付き合うことになり、2期は付き合ったことを公にする。
今期はOPの歌詞にあるとおり「ただの惚気話」、背景にあるネグレクトのトラウマを忘れそうなくらい、ひたすらイチャイチャする様子を見るのかな・・と思ったののだけど。 主人公の周(あまね)の過去と向き合ったり、親友の父親に関する悩み事も浮上するなど、やはり深い話も出てくる。
OPはオーイシマサヨシ、EDはJ-POPのカバーソングという構成で、1期と同じパターン。
ED曲はドリカムの「うれしい!たのしい!大好き!」、5話ではジッタリンジンの「夏祭り」。
舞台は東京の府中市だが、里帰りシーンで静岡も登場する。 座席は主人公席。
エロギャグコメディ。暴食の悪魔 カナン様と高校生男子の羊司くん、言動や行動の勘違いが続き、なんやかんやで恋人関係に。
カナン様が羊司より優位に立とうとするのだが、羊司が直球ど真ん中のストレートな言動を繰り返すため、いつも結局撃沈してしまう。
そんなカナン様の可愛さも魅力だけど、羊司がいい感じに変態なので成り立っているのだと思う。
いろいろとSNSで話題になっている気がするが、単なるアニメ視聴者の私が特別な話に食いついても良い事なさそうなのでスルーしてます。
内気なゲイの中村くんは、入学式で同じクラスの男性生徒「廣瀬」を見て恋に落ちる。
コミュ障な中村は廣瀬とお近づきになるため、まずは友達になろうとするのだが、どうしても空回りしてしまう。まあ、BLです。
絵柄は80年代〜90年代のサンデー漫画っぽいレトロな雰囲気だが、スマホやLINEがある現代。
2021年にオーディオドラマが発売されており、その時のCVは今作アニメとは異なる。が、アニメ劇中に登場するBL漫画「ラブ弁」で、オーディオドラマ版の中村と廣瀬が声を担当している。
OPは岡村靖幸&中島健人。EDはなんとも懐かしい曲が流れて……
1話は村下孝蔵『初恋』、2話はバブルガム・ブラザーズ『WON'T BE LONG』、3話は今夜はブギー・バック(smooth rap ver.)など、懐かしの曲がそのまま選曲されている。
伝説の殺し屋が謎の蜂に刺されて若返り、所属組織の提案で中学校生活を送ることになる話。見ていてラーメンが食べたくなる。
姿を変えた殺し屋を主人公にしたジャンプ漫画ということで『サカモトデイズ』を連想してしまうが、私はこっちの方が好きです。
中学2年の秋、ロシアから来た二足歩行で長身の……鳥?の「クジマ」に出会い、一緒に暮らすことになる。
厚かましい態度のUMAみたいなのがホームステイに来たような感じのアニメ……と昔の友人に説明したら、「それアルフじゃん」と言われた。あー
兄の受験失敗で家族全体がどこか暗い雰囲気になっていたところ、クジマがいい意味でそれを掻き乱し、明るくしていく物語。
アニメの中でいろんな種類の(普通の)鳥が登場するけど、どれも丁寧に描かれているのが印象的。
学校内でも学校を離れたプライベートでも友達がおらず、ぼっちだった主人公の前原くん。
同じB級映画好きということで、クラスで2番目に人気のある女の子、朝凪海と仲良くなる。
1番人気の天海夕と海は親友だが、そこにも内緒で海と前原は金曜日の放課後に共に時間を過ごすようになる。
灰原くんの〜と思ったらお隣の天使様に〜になっていくラブコメ。
歌で戦うから『戦姫絶唱シンフォギア』的なものかと思ったら、過去の偉人が登場して戦う展開になったりする。
偉人?今期の他のアニメでも同じような要素があったような。最終的にはミュージカルのように歌い合う形になる。
いやー、見続けるかどうしようかなーと思いながら見ていたら、4話のようなオモシロ回もあるので困る。
ある意味話題作。「福岡地域の活性化とともに食の大切さや料理の楽しさを子どもたちに伝えたい」というコンセプトで、
これまでショートアニメや4コママンガ、ライトノベルが展開されてきた同プロジェクトのアニメ化作品。
なお、アニメ・漫画化を目指してクラウドファンディングを実施したものの、目標額の27%しか集められなかった経緯がある。
そんなアニメとしての出来は……ストライクゾーンが広めな私でも「これは結構キツイ」と思うかな。
低予算感がEDのクレジットからひしひしと伝わってくる。皆さん、おそらく別ジャンルとして楽しんでいるんじゃないでしょうか。
クソゲーをあえて縛りプレイしたくなるような上級者の琴線に触れているのか(失礼)、
深夜遅い時間の放送にもかかわらず、リアルタイムのネット実況が結構ワイワイしています。
2部構成になっており、本編アニメ(15分)の後に食育アニメのミニコーナーが続く形式。普通に勉強になる。
地球が怪獣に襲われる世界。コミュ障で人付き合いは苦手だが、ロボット操作だけは天才的な主人公。
宇宙での怪獣戦に敗れ地球へ帰還したものの、そこは全土が凍結し雪と氷に覆われた「スノーボールアース」となっていた。
私はそこまで・・。怪獣8号も私には刺さらなかったのだけれど、こういうSF物は私の好みと相性が悪いのかも
ブラックな会社に勤めながら、家でアニメ鑑賞をして癒される日々を過ごすOLが主人公。
マンションの横でいつも壁ドンしてくる住人は、主人公が崇拝する漫画の漫画家だった。
反対側の隣さんはとても親切で、いつも主人公を心配してくれるイケメン男性。
この3人の家の壁が漫画家によって破壊され、ついに空間が繋がってしまう。
主人公は漫画家に食事を提供するメシスタントになり、親切なお隣さんは彼氏という設定を作り、彼女を守ろうとしてくれる。
こうしてむちゃくちゃな展開だけれど、お隣さん同士3人共同生活が始まる。
本来は昨年放送予定だったが、制作のクオリティ向上を目的に延期され、この時期での放送となった。
それもあってか、非常に高いクオリティを感じる。特に第5話は繰り返し見てしまった。
魔法に憧れる女の子、どうやったら魔法が使えるのか分からない彼女は、ある日家に来た魔法使いの術をこっそり盗み見。
それを参考に、昔お祭りで手に入れた道具を使って魔法を発動。・・しかし、それは、我が家と母を巻き込む大事件を招くことになる。
かわいい、かっこいい、きれいを両立させるビジュアルに、映画のようなドキドキとワクワクを感じさせてくれる。
突然、人が巨大な怪物「鬼獣」になり、それとニワトリが戦うという異色の作品。
なんだこれw EDも含めて昭和〜平成初期のアニメの香りを感じる。
クソが付くくらい真面目だが学力は底辺な男性高校生と、「ポエム」という自分の名前にコンプレックスを抱いている女子高生のお話。
校長も含め、この学校の人たちは個性的で好感が持てるキャラが多く、結構好き。
悪の組織のやつらは「懲役1466年」や「懲役999年」などのぶっとんだ量刑が飛び出したり、警察が来ても銃火器で蹴散らしたりと、かなりむちゃくちゃな展開。
トリックや推理は二の次で、リリテアがかわいいから見てるのかも。
言葉は本来の定義で言えば記号そのものであるが、人の感じ方としては、アナログで無限の表現力を持つものに思えるときがある。
これはなぜかと考えていたら、数学的に言えば言葉は切断なのだと結論が出た。
言葉自体はデジタルな可算集合だが、その行間には、言葉と言葉の距離という非可算の空間がある。
言葉そのものは記号だが、それをどう組み合わせるか(何と何だけでなく、どんな順番で、どんな距離で組み合わせるか)によって、アナログな感覚を表現できるし、感じている。
昨今はなんでもマニュアル化で要素を組み合わせれば話ができるかのようなことばかりいうインフルエンサーにみんな騙されているが、同じ要素でも、どんな「間」で組み合わせるかまで感じているのがリアルな読者であり、そこまで気を使うようになって初めて表現と言えるのだ。
日本のネットユーザーの一部に、奇妙な「勝利条件」が定着している。リアルでのコミュニケーションを避け、オンラインでも積極的に拒絶されること、すなわち無視・ブロック・炎上・排除されることを、むしろ自分の正しさや純粋さの証明として受け止める人々だ。彼らにとって「勝ち」とは、相手に反応されないこと、集団から弾き出されること、沈黙の海に沈むことである。こうした病理は、匿名性に守られた日本のネット文化が長年育んできた特有の歪みと言える。
背景には、1990年代後半からの2ちゃんねる文化がある。実名を晒さず、顔も見せず、責任を負わないまま攻撃や皮肉を浴びせ合う空間。そこで培われたのは「空気を読む」ことの逆説的な極端化だ。反応されれば負け、絡まれると面倒、褒められても胡散臭い。理想の状態は「存在を認められず、静かに漂う」ことなのだ。この傾向はSNS時代に加速した。彼らにとって拒絶は「俺は間違っていない、周りが腐っている」という自己肯定の証拠になる。ひきこもり研究でも指摘されるように、社会的つながりの希薄化と承認欲求の異常な形骸化が重なる。リアルで拒絶される恐怖を、ネットで「自ら選んだ勝利」として再解釈することで、心のバランスを取っている。
病理の根は深い。長時間労働、低賃金、将来不安、人間関係のストレスで疲弊した人々が、ネットを「安全な逃げ場」とする一方で、そこでも本物のつながりを恐れる。匿名性が攻撃性を増幅し、集団極性化を起こす環境では、穏やかな会話より「叩かれること」や「無視されること」の方がエネルギーを消費せずに済む。結果、コミュニティは細分化し、エコーチェンバー内でしか生きられなくなる。外部の声は即座に「荒らし」認定され、拒絶される。
こうした人々は、決して少数ではない。40代ひきこもり問題や、若者の「ドライ志向」の裏側にも通じる。日本社会の「調和優先」「不都合な真実の拒絶」という構造が、ネット上で極端に増幅されていると言える。コミュニケーションを拒絶されることを勝利条件に選ぶのは、究極の防衛機制だ。しかしそれは、孤独を美化し、成長を拒否する悪循環を生む。本当の勝利は、拒絶されることではなく、拒絶されてもなお繋がろうとする勇気にあるのかもしれない。ネットがリアルを侵食する今、日本人はその病理からいつ目を覚ますのだろうか。(約980文字)
Quietは人にしか使えなかったような?記憶あいまいなのでぐぐってみた
AI による概要 quietとsilentはどちらも「静かな」と訳されますが、その音の度合いに大きな違いがあります。quietは「騒音が抑えられた静かさ(多少の音はある)」を指し、silentは「完全な無音・沈黙」を指します。Quiet (静か・穏やか): 音量が低い、または穏やかな状態。図書館や落ち着いたカフェ、平穏な場所・生活を指す。Silent (無音・沈黙): 物理的に音が全くない、または言葉を全く発しない状態。「しんとした」「沈黙」。詳しい使い分け・違い特徴QuietSilent音のレベル騒音が少ない、静か(小音量)無音、音一つしない(ゼロ)状況図書館、落ち着いた場所、部屋宇宙空間、無人の荒野、深夜人・様子穏やか、おとなしい黙り込んでいる、無言の類義表現still (静止), calm (穏やか)soundless (音がない)例文で比較Quiet: It's quiet in here. (ここ(図書館など)は静かだね。 ※かすかな音はある)Silent: The room was silent. (部屋はしんとしていた。 ※全くの無音)Quiet: Please be quiet. ((少し騒がしいので)静かにしてください)Silent: The movie was silent. (その映画はサイレント(無声)映画だった)まとめ:どっちを使うべき?「騒音」や「音量」を下げてほしい場合は「quiet」を使い、人や物が「完全に言葉や音を発しない」状態を強調したい場合は「silent」を使うのが適しています。
男子校出身でいわゆる高学歴とされる大学に入学したものの、思い描いていたような恋愛や人間関係を築けずに延々と女叩きをしている人を見ると、少し気の毒に感じることがある。怒りではなく、哀れみ。
彼らをある意味で現実社会から隔離してしまったのは、「受験」というシステムなのかもしれない。まず、男子校という環境自体が大きいと思う。男子校は、良くも悪くもホモソーシャルで気楽な空間だ。そうした環境で多感な時期を過ごすと、異性との適切な距離感や、非言語的なコミュニケーションを学ぶ機会を失いやすい。その結果、異性との関わりに苦手意識を持ち、うまくいかない経験を重ねることで、女叩きへと傾いちゃう人もいる。
さらに、中学、あるいはもっと幼い頃から勉強中心の生活を送ってきた男子は、「勉強さえできれば人生は好転する」「いい大学に入れば報われる」という価値観を、親や学校、塾などから半ば無意識に刷り込まれて育つことが多い。だからこそ、大学生や社会人になったとき、死ぬほど努力して手に入れた“学歴”という武器が、恋愛や人間関係においては思ったほど万能ではないと知った瞬間、大きな挫折感を味わう。
本来ならそこで価値観を更新していく必要があるんだけど、プライドが高いほど、その現実を受け入れるのは難しい。すると、「女が悪い」「社会がおかしい」と外部に原因を求めることで、自尊心を保とうとしてしまう。Twitterや匿名掲示板に傾倒するのも、その延長線上にあるのだと思う。そこには、自分を肯定してくれる意見が集まりやすいからだ。さらに、2次元コンテンツは裏切らないし、課金やグッズ購入といった努力に対して、わかりやすい報酬が返ってくる。ある意味では、受験勉強と似た構造なのかも…
だから彼らにとって、Twitterや匿名掲示板は単なる娯楽ではなく、自分のアイデンティティを維持するための「居場所」になっている。
もちろん、だからといって女叩きが正当化されるわけではない。ただ、教育システムや親の期待が、結果としてある種の「社会性の偏り」を生み出している面があるのだとしたら、それは単なる個人の性格の問題ではなく、ある程度は構造的な問題として捉える必要もあるのかもしれない。
いいえ、公共空間の「公」と公私混同の「公」は、同じ漢字でも意味が異なります。
日本語において、同一の漢字でもそれが含まれる単語によって意味が異なることは多々あるものなのです。
公園の「公」はそれこそまさに公共空間の「公」と同一の意味であり“場”のことを指します。
一方で公私混同の「公」は公的な事柄という意味を持っています。場所や空間そのものを指すものではありません。このふたつは意味が異なるのですよ。
2020年にタワーマンション(タワマン)の価格が暴落するという予測は、当時多くのメディアや専門家の間で囁かれていました。主な根拠は「東京オリンピック後の需要減退」や「生産緑地の宅地化(2022年問題)」、そして「コロナ禍によるテレワーク普及」などでしたが、実際には暴落どころか価格は上昇を続けました。
日本銀行による異次元の金融緩和が続いたことが最大の要因です。住宅ローンの金利が歴史的な低水準で推移したため、購入者の借入可能額が増大し、物件価格が高騰しても「月々の支払額」で見れば手が届く範囲に収まり続けました。
かつての住宅購入層とは異なり、夫婦ともに高年収の「パワーカップル」が市場を牽引しました。彼らは利便性と資産価値を重視し、職住近接が叶う都心のタワマンを積極的に購入しました。世帯年収が1,500万円〜2,000万円を超える層にとって、タワマンは居住用だけでなく、効率的な資産形成の手段として機能しました。
コロナ禍で外出が制限された結果、住空間の質を求める動きが強まりました。
ワークスペースの確保。
景気不透明感から、値崩れしにくい都心好立地物件へ資金が集中。
これらが重なり、広さと利便性を兼ね備えたタワマン需要はむしろ高まりました。
デベロッパー側が供給過多にならないよう販売戸数を調整(絞り込み)したことに加え、世界的な建設資材の高騰(ウッドショック、アイアンショック)や人件費の上昇が、新築マンション価格を押し上げました。新築がつられる形で、中古タワマンの価格も高止まりしました。
円安の進行もあり、世界の主要都市と比較して日本のタワマン(特に東京)は依然として「割安」と判断されました。治安が良く、インフラが整った日本の不動産は、海外資本にとって格好の投資先であり続けています。
結果として、2020年を境に市場は「暴落」ではなく「二極化」へと向かいました。利便性の高い都心・駅近のタワマンは高騰し続ける一方で、郊外や駅から遠い物件は苦戦するという、実力差が明確に出る形となっています。
現在、量的緩和政策が継続されることから、このままタワマンの価格の上昇が続くと思われます。
公園は公共空間だけど、公私混同の「公」って公共空間のことじゃなくておおやけ(仕事、社会)のことじゃないの?違うん? 公園にいる時ってそこで働いている人以外にとってはプライベートの時間よね?
2026年に日本で、さなちゃん一人旅(プチ一人旅)が密かにブレイク。長距離遠出をしなくても、複雑な行程を計画しなくても、短距離、軽量、気ままな一人旅は、日本人の最も好きなレジャー方法となっている。背後には趣味の変化だけでなく、生活心理状態と社会環境の共同推進がある。
1.1定義と特徴
多くは日帰りか1、2泊の短距離コースで、近郊の町、ラブグッズ、温泉、海辺、小人数の観光地を選び、簡単で自由なコースで、観光地に間に合わず、にぎやかではない。
若者から中年サラリーマン、定年層まで参加し、年齢を問わず、低負担、高治癒の一人時間を追求している。
日本の職場と日常生活のリズムが引き締まり、人間関係が煩わしい。小型一人旅は他人のリズムに乗る必要はなく、通勤、仕事、人情の付き合いから一時的に離れ、静かな息抜きの空間を得ることができる。
高額な予算を必要とせず、長距離走り回らず、すぐ近くで出発でき、時間が柔軟で、現在の日本人の低欲望、軽消費の生活観念に合っている。
現代の日本人は一人でいることを孤独と見なすのではなく、ディルド、一人で旅行することは自由に決定し、好きなように食べたり飲んだりして歩くことができ、自己治癒し、気持ちを整理する最善の方法だと考えている。
人々はカード遊びを追求するのではなく、スローテンポでまじめな短距離の一人旅を好むようになり、外的ではなく心のリラックスを重視するようになった。
3.2自分と付き合うことを学ぶ
「小さな一人旅」の流行は、現代人が自分を大切にし、生活に白を残し、忙しい日常の中で心に静かな隅を残すことを学ぶことが本質だ。
連休の最終日、「生と死」という特異点の観測を試みるべく、葬儀にフルコミットした。
目的は、死という現象が放つ生データの受信だ。本来、死体とは腐敗というエラーログを垂れ流し、死後硬直というハングアップを起こした、物理レイヤーにおける「二度と動かないハードウェア」に過ぎない。その凄惨なバグを生存アラートとして脳に直接叩き込み、自分のシステムがいずれ迎える強制終了に対して、現在のカーネルがどうレスポンスを返すか。そのデバッグを試みたかった。
しかし、現代の葬祭場というインターフェースは、あまりにもユーザー体験が最適化されすぎていた。
現場の環境は、死の毒々しさを徹底的にマスキングする安らぎの空間。腐敗臭というノイズはアロマというフィルタリングで除去され、死後硬直の無機質さはエンバーミングによって「スリープモード」のような外見へとレンダリングされている。バックエンドで行われる生々しい処理はすべて業者というプロキシを介して隠蔽され、ユーザーに公開されるのは、綺麗にデプロイされた終着点のフロントエンドのみだった。
「人の死」はもはや、忌諱されるべき致命的なエラーではなく、スタイリッシュなカフェのようにライトウェイトされたコンテンツに昇華されている。そこには、システムの根幹を揺さぶるような高プライオリティのアラートは存在しない。
結局、死をリアルタイム・モニタリングすることは叶わず、いつものルーチンへとロールバックした。死がこれほどまでに綺麗にデザインされ、抽象化された社会において、自らの「物理的なシャットダウン」を実感する権限さえも、OSの優しさによってデプロビジョニングされていると感じた(合掌
その日(または前日)に食った分がすべて即時反映されるわけないだろって言ってる
食った分は即時反映されるに決まってるやろw
そしたら300g食う余裕ができるだけやん
2024年10月頃からとあるバンドにハマり少しずつライブに行くようになった
3年くらいYouTubeでたまに見ており曲が結構たのしいな生で聴きたいなと思っていて、
2024年は今まで行きたかったけど行けなかったアーティストのライブに行くをテーマに掲げていたので、そのひとつとして行ってみることにした
なんとなく興味本位で行ってみたら、ものすごい運動量と統制された空間に違和感と感動を覚えた
しかもその日はボーカルがボーカルをしておらず、ギターの人がボーカルをしていた
詳細を知らず驚いたが、それはそれで楽しかった
ファンの人は常に曲にあわせて何かをしており、それも面白く感じた
運動がしたい人はあのバンドのライブに毎回参加するとすごく痩せますよ!
わたしはもともとジム通いをしていたので、ライブにそれとなく行くだけで4キロほど痩せました
決められたフリをやらなきゃいけない、というより、自分もやってみてついていけたら楽しい、という感じだった
友だちもおらず、ひとり淡々とライブにいき、たまに帰りに酒を飲んでひとりでニヤつきながら楽しかった想いを噛み締めて帰宅していた
あるとき、隣にいた子に声をかけてもらって、駅まで一緒に帰ってとても楽しかった
Xのアカウントを交換し、一緒に参加するようになった
参加しているうちに、「撮影会も参加すると楽しいよ」と教えてもらったりして、いろんなことに参加するようになった
こういう界隈のバンドは撮影会があって、スマホのカメラで写真を撮ってたりしてお話をする(もちろんお金は払う)
一回行ってみるか!と思い参加した
一回行ったらやはり楽しくて、次も参加したい!となりだいたいの公演で参加していた
よくそんなに話すことが出てくるなぁと思うほど、メンバーさんが話してくれたのがとても印象的だった
ライブ以外にもいろいろ企画があり、そういうことに参加することも増え、最初に声をかけてくれた子以外にも友だちができた
チケットを譲りで探したり(先着でのチケット発売だったので自ら取れないと譲りで探すしかない)で、だんだん最初に声をかけてくれた子と参加することもなくなっていった
友だちが増えると入ってくる情報も増えて、嫌なことを耳にしたり、合わない人と付き合う羽目になることも増えた
社会の縮図だなぁと思いながらも、界隈独特の変な人の多さにつらい思いをしたこともかなり多かった
それでも気が合う友だちの優しさや笑わせてくれる楽しさに救われた
最初は月2回までと決めていたが、気がついたら首都圏で行ける公演はすべて参加するようになった
行かなきゃ、みたいな気持ちがどんどん出てきて、行けば必ずチェキを買い、だんだん遠くまでライブを見に行くようにもなった
平日の公演も多かったため、有給休暇を使いまくりライブに行くことが増えた
だんだん仕事も疎かになり、やるべき業務を当たり前のように忘れたりして、自分でもどうしたものかと思うこともあった
体調を崩すことも増え、声が出なくなる風邪を1年で2回も経験した
気持ちやお金に余裕もなく、そのバンドのライブにしか行かなくなっていった
夏、大きめなツアーがあり、すべてに参加した
こうであるべき、みたいなファン像みたいなものを自分のなかで消化しきれなくなった
そんなものはないのに
疲れたことを人のせいにしたり、変な噂に気持ちを左右されたりして、あからさまに性格が歪んでいるのを感じた
10月は参加を減らした
11月もまた少しずつ行くようになったが、カウントダウンライブて決定打となる嫌なことがあり、それをきっかけに行くのをやめた
一つのものだけを追求するのはわたしには向かなかったのだなと改めて感じている
去年1年楽しかったけれど、今年は今年でとても充実している
去年行きたかったけど行けなかったアイドルを見に行ったり、違うバンドを見たりしてとても楽しい日々を過ごしている
仲良くなった子とたまに会ったりまずは連絡をくれることがとても嬉しい
ひとりでふらふらライブに行って誰に話すわけでもなくひとりで噛み締めて帰宅するのもたのしいなと思っている
去年狂っていたから戻ってきてくれてよかった、とある友だちに言われた
炎上した件についても、そっかーとしか思えず、離れたタイミングでよかったなぁと思いながら、今でも好きでライブに行っている友だちが悲しい想いをしていないかが心配である
少しあとのタイミングで色々あって離れた友だちがアンチになりかけていることもとても心配である
見なければ心の安寧は訪れると思うのだが、どうしても失脚してほしいらしい
意見は人それぞれだと思うんだが、今現在お金を出して楽しんでいる人が正義だとは思うので、お金払っていない人は黙るべきであると思う
しかし、界隈のルールだから、とか誰かが自分の利益のために作ったルールがあるなら、みんなが納得いくかたちになればいいのになと思う
お金や時間をかけるのは自己満足でしかないので、偉いなんてことは全くないと個人的には思う
最後に
いまはバンドとしても大変な時期かと思いますが、今後の活躍をお祈り申し上げます
第11弾となる今回は非日常の世界観と極限の美学が交差する3体をお届けします。鮮やかなおもちゃ箱から飛び出したようなポップな愛らしさ、危険な香りを纏うダークビューティーの極致、そして視覚の限界に挑むようなプロポーションの化身。それぞれが異なるベクトルで極められた造形美と世界観に酔いしれる特別なラインナップをご堪能ください。
公式ストア:https://www.karendoll.com/
鮮やかなピンクの世界観に包まれたSHEDOLL 江小棠2.0は、まさにバービー人形が現実世界に現れたかのような強烈なポップさと華やかさを持っています。カスタムメイクが施された美しい顔立ちは、愛らしさの中にどこか小悪魔的な色気を秘めており、見る者の心を強く惹きつけます。
160cmの均整の取れたスタイルとCカップの美しいバストラインが、この非日常的なコンセプトを完璧なバランスで成立させています。精巧な造形と鮮烈な色彩が織りなす、甘く危険な魅力に満ちた1体です。
https://www.karendoll.com/product/syaotann-beauty-she/
漆黒のストレートヘアと深紅の瞳が織りなすコントラストが、見る者をたちまち非日常の空間へと引き込むAITIA DOLL 2.2CFシリーズ 紫罗兰。背景に張り巡らされた警告テープが暗示するような、少し危険でミステリアスな雰囲気を纏う彼女は、洗練されたダークビューティーの極致と言えるでしょう。
白いタイトなハイネックニットから溢れるGカップの豊かなバストと、155cmの小柄な体型が生み出す鮮烈なギャップが、息をのむほどの艶やかな色気を放っています。冷たさと底知れぬ情熱を同時に感じさせ、極上の没入感をもたらしてくれる比類なき存在です。
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167cmの長身と規格外のSカップという、視覚の限界に挑むようなプロポーションを持つFire Doll 79番。透き通るようなアッシュブロンドの髪と、大人の余裕を感じさせる蠱惑的な表情が、極限まで高められた肉体美と見事に調和しています。
鮮やかなライトブルーのビキニからはみ出すほどの豊満なバストは、画面越しでも伝わるほどの強烈な引力を放ちます。現実世界では決して交わることのない夢のようなプロポーションを、生々しいまでの質感で具現化した至高の芸術作品です。
https://www.karendoll.com/product/fire-real-doll-79/
ドール科学科普 シリコン vs TPEの化学的特性とメンテナンス
TPEはプラスチックとゴムの性質を併せ持つ熱可塑性エラストマーで、柔軟性を生み出すために多量のミネラルオイルを含有しています。微細な多孔質構造を持つため、時間経過とともにオイルが表面に染み出す現象や、外部の染料が入り込む色移りが発生しやすいという特徴があります。一方でシリコンはシロキサン結合を骨格とする合成高分子化合物であり、化学的に極めて安定しています。オイルの染み出しがほぼなく、分子密度が高いためTPEと比較して色移りに強いのが最大の違いです。
経年劣化を防ぐための科学的に正しいメンテナンス方法を教えてください。
TPEモデルの洗浄後は、完全に水分を拭き取ってからベビーパウダーを塗布します。これは表面の微細な孔を粉体で物理的に塞ぎ、内部オイルの過剰な揮発と表面のベタつきを防ぐための必須手順です。また熱に弱いため高温のお湯は厳禁です。対照的にシリコンモデルはパウダーケアがほぼ不要ですが、シリコン系ローションの使用は絶対に避けてください。似たものは似たものを溶かすという化学の基本原則により、表面が化学反応を起こして溶解してしまいます。必ず水溶性のローションをご使用ください。