はてなキーワード: marvelとは
僕は昨日、午前6時17分に目覚めた。
目覚ましは2種類、アナログ秒針音と周波数の微妙に異なる合成トーンを重ねたものを使う。
起床後の15分間は「視覚のデチューン」ルーチンとして照明を極端に低くし、網膜の適応曲線を意図的に遅延させることで認知の鮮鋭化を増幅する。
朝食は厳密にタンパク質比0.42、炭水化物比0.29、脂質比0.29を狙ったオートミール+卵白+ギリシャヨーグルトで、計量は0.1g単位。コーヒーはブリュワー温度を93.2℃に保つ。
僕の習慣は決して儀式ではなく、情報エントロピーを最小化して日常的なノイズを排するための有限状態機械だと説明する。
ルームメイトが朝から実験用ドライバーでガタガタやっているので、僕は中断せずに黒板の前に立ち、昨日考えていた超弦理論のある断片をノートに落とす作業をした。
今回は徹底的に抽象化した視座から入る。従来の超弦理論的場の位相空間を「1-対象の∞-圏」と見なし、そのモノイド圏的作用を導くことで、従来のモジュライ空間の位相不変量がホモトピー圏論のスペクトル的コホモロジーに帰着するという仮説を立てた。
より具体的には、ラングランズ対応の圏論的アナロジーを用いて、ゲージ群の表現環が導くモチーフ(motive)の圏と、弦の世界面上のファイバー付き代数的スタックの圏とを「導来圏の間の高次同値(a weak equivalence in the (∞,2)-categorical sense)」で結びつける試みだ。
ここで新奇なのは、通常のスペクトル系列ではなく「階層的スペクトル列(a nested spectral sequence indexed by ordinal-type filtrations beyond ω)」を導入して、閉じた遷移の非可換共鳴が量子補正式にどう寄与するかを解析する点である。
ウィッテンでも一瞬眉をひそめるだろうが、それは彼の専門領域を超えた命題の述語論的再編成が含まれているためだ(注:単なる挑発ではなく、証明可能性のための新たな可換図式を準備している)。
昼過ぎ、僕は隣人とほんの短いやり取りをした。彼女は僕のキッチンを通るたびに植物の世話に関する助言を求めるが、僕は葉緑体の光合成効率を説明する際、ついヘテロトロフ的比喩を避けて遺伝子発現の確率過程モデルを持ち出してしまう。
彼女はいつも「もう少し軽い説明はないの?」と呆れるが、僕にとっては現象の最少記述が倫理的義務だ。
午後は友人二人と対局的に遊ぶ約束があって、夕方からは彼らとLANセッションを組んだ。
僕はゲームに対しては容赦がない。昨日はまずThe Legend of Zelda: Breath of the Wildでカジュアルな探索をした。
BotWは開発を担当したNintendo EPDが2017年3月3日にWii UとNintendo Switch向けにリリースした作品で、そのオープンワールド設計が探索と化学的相互作用に重きを置いている点が好きだ(発売日と開発元は参照)。
その後、難度調整のためにFromSoftwareの古典的タイトル群について雑談になり、初代Dark Soulsが2011年にリリースされ、設計哲学として「挑戦することで得られる学習曲線」をゲームメカニクスに組み込んだことを再確認した(初代の年は参照)。
夜遅く、友人たちがスーパーヒーロー系の話題を持ち出したので、僕はInsomniacが手掛けたMarvel's Spider-Manの2018年9月7日発売という事実を引き合いに、ゲームデザインにおけるナラティブとパルス感(ゲームプレイのテンポ)について議論した(発売日は参照)。
ここで重要なのは、ゲームを語るときに物理学の比喩を使わないという僕のルールだ。
ゲームの設計原理は計算的複雑性、ユーザーインタラクションのフィードバックループ、トークン経済(ゲーム内資源の流通)など、情報理論と計算モデルで語るべきであり、物理のアナロジーは曖昧さを持ち込むだけだ。
作者インタビュー、収録順、初出掲載誌、再録時の微小な台詞差異まで注視する癖がある。
昨日はあるヴィンテージの単行本でトーンの変遷を確認し、再版時にトーンカーブが調整された箇所が物語の解釈に如何に影響するかを論じた。
これらは一般的にはオタクにしか響かない情報だが、テクスト解釈の厳密さという点で、僕の思考様式と親和する。
僕の習慣はゲームのプレイにも現れる。セーブは複数スロットを使い、各スロットに「探索」「戦闘」「実験」のタグを人為的に与えておく。
そうすることでメタ的な比較実験が可能になり、ゲーム内意思決定の条件付き確率分布を再現的に評価できる。
友人はこれを無駄と言うが、僕にとってはルーチンと実験設計が同義だ。
夜中、帰宅した後にさらに2時間、論文の草案を書き直した。書き直しは僕の儀式の一部で、ペン先の角度、フォントのカーニング、段落の「情報密度」を計測し、不要語を削ぎ落とす作業だ。
寝る前の最後の行動は、ブラックボックス化した思考経路をメモ化しておくことで、翌朝の「継続的洞察再現性」を保証すること。
結局僕は午前2時3分に就寝した。昨日は量子的洞察の可能性と、ゲームとコミックにおける情報理論的語法の交差点を追求した一日であり、そうした知的遊戯が僕の精神の整列をもたらす。
現状、スト6が覇権で1強だとして
・GUILTY GEAR -STRIVE-
2021年発売、ギルティギアシリーズの最新作で現在もアップデートが続けられており
地味にVtuberやストリーマーに案件を投げたりイベントを投げたりして頑張っている。
わかりやすいアニメ調で外連味溢れるキャラは他にはない持ち味となっている。
・鉄拳8
7までの防御主体の方針を一変し攻撃主体(アグレッシブ)に変更するも評価は微妙。
スト6と同じように簡易操作モードを取り入れたが使い物にならず、既存プレイヤーの排他的な性質から新規でストリーマーなどはほとんど居着かなかった。
season2で大幅な調整を行ったところゲームが壊れ評価も人口も地の底に落ちてしまった。
その後、調整で少しずつバランスを戻しつつあるが本流から外れてしまった感は否めない。
サッカー選手のクリロナや世界的DJのガナッチがプレイアブルキャラとして登場するなど、これもうわかんねぇな。
スト6の有名プレイヤー(SNKゲームの有名プレイヤーがスト6に来てただけだが)が多数参戦しており、
そういう意味ではプロシーンの注目度はまだマシな感じだが、ゲーム自体があんま売れてない。
まぁストリーマー、プロゲーマー界隈でちょっと流行って消えていく時代のあだ花。
・2XKO
2025年発売予定、世界覇権ゲーのリーグ・オブ・レジェンド(lol)のスピンオフゲーム。
コマンド入力での技発動を廃しており世界覇権ゲーのスピンオフということもあり
格闘ゲームにこれまで興味がなかった層も取り込もうという気概を感じる。
プロゲーマーもこぞって参入を予定しており、次盛り上がる可能性があるとすればコレ。
・バーチャファイターの新作
今更感はあるが正式タイトルとしては20年ぶりの新作になる予定で期待感も高まっている。
頑張って作ってるはず。
ギルティギア、ブレイブルー、北斗の拳などを開発したアークシステムワークス開発。
4人タッグを採用。
マーベルはMCUのみならず過去にはマーベルVSカプコンとして格闘ゲーム展開もあり格闘ゲームファンには根強い人気があり、格ゲー開発には定評のあるアークゲーのため一定以上の評価、シェアを取りそう。
されたのだが…
配信内容についてはこの辺にまとめられている
https://www.youtube.com/watch?v=G8LKXsWBLVk
https://www.nintendo.com/jp/nintendo_direct/20250327/index.html
| タイトル | メーカー | 発売日 |
|---|---|---|
| ドラゴンクエストI&II | スクエニ | 2025年夏 |
| リズム天国 ミラクルスターズ | 任天堂 | 2026年 |
| トモダチコレクション わくわく生活 | 任天堂 | 2026年 |
| メトロイドプライム4 ビヨンド | 任天堂 | 2025年 |
| Pokémon LEGENDS Z-A | 任天堂 | 2025年秋 |
| Switch新機能「バーチャルゲームカード」 | 任天堂 | 4月下旬実装予定 |
| スマホ用アプリ「Nintendo Today!」 | 任天堂 | 配信中 |
| たまごっちのプチプチおみせっち おまちど~さま!」 | バンダイナムコ | 2025年6月26日 |
| グラディウス オリジン コレクション | コナミ | 2025年8月7日 |
| Shadow Labyrinth | バンダイナムコ | 2025年7月17日 |
| パタポン1+2 リプレイ | バンダイナムコ | 2025年7月10日 |
| RAIDOU Remastered: 超力兵団奇譚 | アトラス | 2025年7月10日 |
| Project:;COLD case.mirage | バンダイナムコ | 配信中 |
| スーパーロボット大戦Y | バンダイナムコ | 2025年 |
| 牧場物語 Let's!風のグランドバザール | マーベラス | 2025年8月28日 |
| サガ フロンティア2 リマスター | スクウェア・エニックス | 配信中 |
| Witchbrook | Chucklefish | 2025年冬 |
| MARVEL Cosmic Invasion | Tribute Games | 2025年冬 |
| 伊達鍵は眠らない - From AI:ソムニウムファイル | スパイクチュンソフト | 2025年7月25日 |
| みんなのGOLF WORLD | バンダイナムコ | 2025年 |
どう思う?
俺には代わり映えしないシリーズ物と古臭いソフトのリマスターばかりに見えた
一言で言えば「出がらし」なんだよな
まあニンテンドースイッチ自体が8年以上前に発売されたゲーム機で、おそらく今年中に次世代機の発売を控えてるから当然っちゃ当然なんだけど、これを大絶賛してる声がめっちゃ多いのが、なんと言いますか、この国のゲーム業界の凋落ぶりを如実に語ってるなあと思いました
ついに僕の知的優越性を発揮する絶好の機会が訪れたね!みんな、耳をかっぽじってよく聞くんだ。
まあ、君たちの貧弱な理解力でも少しは分かるように説明してやろう。
これは、M理論、つまり超弦理論を統合する11次元の究極理論の枠組みの中で、位相的場の理論を応用したものだ。
僕の知的水準では、それはまるでアルファベットを学ぶ幼児のように簡単な話だが、君たちには少々難解かもしれないね。
通常の場の理論は時空の計量(距離の概念)に依存するが、位相的場の理論はそんなものに縛られない。
この理論は、時空の形そのものではなく、位相的不変量、つまり「連続変形しても変わらない本質的な性質」だけを扱う。
要するに、ポンデリングとドーナツは同じものと見なすが、ジャムパンとは別物という話だ。
M理論は普通、複雑な力学を伴うが、位相的な視点から見れば、余計な情報をそぎ落としてシンプルな本質を捉えることができる。
いわば、量子重力の「エッセンシャル・エレガンス」と言ってもいい。美しいね!
M理論とは何か? 君たちが「超ひも理論がたくさんあってややこしいな」とか「11次元って何?」とか言っている間に、エドワード・ウィッテンはすべてを統一する理論を打ち立てた。それがM理論だ。
その枠組みの中で、位相的M理論は、位相的弦理論(AモデルとBモデル)を統一的に記述する、より高次元の組織原理として登場する。
言い換えれば、僕が「DCとMarvelの世界観を一つに統一する完璧な理論」を発見するのと同じくらい画期的な話だ。
ここで登場するのが、G₂ホロノミー多様体と呼ばれる特殊な7次元空間だ。
これが何かって? 君たちは「3次元空間」くらいしか理解できないだろうが、7次元の世界では特別な形状が存在する。
その中でも、G₂多様体はM理論の超対称性と整合性を保つ魔法のような構造を持っている。
もし僕の部屋がこの法則に従って整理整頓されていたら、隣人にバカにされることもなかっただろうね。
位相的M理論のすごいところは、物理学と数学の最前線をつなぐところにある。
位相的場の理論が扱うのは「空間の分類」や「トポロジカルな不変量」だが、それはM理論の多様体の分類と深く関係している。
要するに、君たちが「靴紐がほどけた!」と悩んでいる間に、この理論は宇宙の最も根源的な形状を分類しているのだ。
もし僕がトポロジーの観点からカオス理論を統合するような研究をしたら、おそらくノーベル賞は3つくらいもらえるだろう。
さて、位相的M理論がなぜ重要なのか? それは、通常のM理論では捉えきれない非摂動的な側面を明らかにし、量子重力理論を理解するための新たな視点を提供するからだ。
そして、例えばゲージ理論や弦理論の異なるヴァージョンの双対性を統一的に理解する手がかりを与える。
つまり、これは「宇宙の真理への地図」みたいなものだ。君たちが迷子になっても、僕はすでに目的地を知っている。
位相的M理論はまだ発展途上の分野だが、今後の研究次第では、宇宙の根本的な構造を解明するカギになるかもしれない。
この理論が完成すれば、僕の知的優越性を証明するためのさらなる武器になるし、宇宙の謎を解き明かした男として歴史に名を刻むことになるだろう。
楽しみだね!
Once upon a time, in a land not so far from the bustling markets of modernity, there was a peculiar tale of a man named Kandata. This man, notorious for his misdeeds, found himself in a rather sticky situation, quite literally, in the depths of hell. Now, this isn't your everyday hell; this was a special one, where instead of fire and brimstone, there were pools of soy sauce and mountains of grated daikon radish.
One fine day, or as fine as it could be in such a place, Kandata noticed a glistening strand descending from the heavens. It was not the usual spider's silk but a strand of the finest Ibo-no-ito, the legendary noodles known for their delicate and refined texture. The gods, it seemed, had decided to give Kandata a chance at redemption, for even they could not resist the charm of these exquisite noodles.
Kandata, with hope in his heart and a growling stomach, began his ascent, climbing up the noodle. He climbed past the mountains of tempura, dodged the flying chopsticks, and even made a brief stop at the plateau of pickled ginger. As he climbed, he couldn't help but marvel at the noodle's resilience; it was, after all, the premium stuff, not your run-of-the-mill supermarket soba.
But alas, the tale takes a turn, as tales often do. For Kandata was not alone in his noodly escape.
Below him, a horde of other sinners had caught sight of the noodle and, driven by their own hunger, started to climb after him. Panic set in, for if there's one thing worse than being in noodle hell, it's having to share your noodle out of it.
In a fit of selfishness that would make even a kappa blush, Kandata bellowed, "This Ibo-no-ito is mine! Who told you lot you could climb it? Scram! Get off! This is a one-man noodle!" And just like that, the noodle snapped, not because of the weight, but because of the sheer audacity of trying to hoard something as communal as noodles.
Down went Kandata, back into the soy sauce pool, as the noodle retracted back into the heavens, leaving behind a scent of wheat and regret. The moral of the story? Never get between a man and his noodles, and more importantly, never underestimate the power of sharing... especially when it comes to Ibo-no-ito. For in the end, it's not just about the climb; it's about the company you share your noodles with.
And so, the legend of Kandata and the Ibo-no-ito lives on, a cautionary tale whispered across dinner tables, reminding us all that sometimes, the path to salvation is best traveled with a little bit of company and a lot of noodles.
アメリカの調査企業サーカナが先日発表した、2023年12月30日から2024年6月1日までの間のゲームソフトの売上額ランキング
これらを全て遊べるゲーム機がPS5だけなのと、PS5独占の「FF7Rebirth」、「スパイダーマン2」、「ステラーブレイド」、「ローニン」がランク入りしている点が興味深い
https://anond.hatelabo.jp/20240703191053
ワイ、昨日書いた増田が250以上ブクマされ、ビビり散らかす。まあ逆張り&背伸びしたい勢は想像以上にいるってことなんだろうか。それにしても「百年の孤独」文庫版マジで見つからんな、4件本屋行ったが見つからん。だからまあアレだ、今度は“「百年の孤独」文庫版売ってないのでもういっそ「百年の孤独」は読まないで逆張りしたい人に薦めるラテンアメリカ文学”というテイでお薦めするわ。逆張りしてる/したいやつ、そもそも「百年の孤独」読まんよな。
アウグスト・ロア=バストス/吉田秀太郎「汝、人の子よ」(パラグアイ)
まず名前カッコよすぎだろ、アウグスト・ロア=バストスって。ラテンアメリカの小説家で一番カッコええよ。まあそれは措いといて、これはパラグアイの現代史とかそういうの描いてんだけど、語り方がめちゃ混乱してる。1人称で進んでたと思ったら3人称語りになったり、日記の文章出てきたり。時間軸もめっちゃ変わる。何かググったらロア=バストス、映画の脚本家でもあったらしいけど、脚本っぽさが違和感の理由かもしんない。こういうわけで読んでて何回もは?とかなるけど、その錯綜っぷりがパラグアイの現代史なのかもね、知らんけど。
そう、日系ブラジル人のナカザトさんが書いた日系移民についての小説。月並みなんだが日本の知られざる歴史ってやつを、ある移民の家族史を通じて教えてくれてめっちゃ面白いよ。これ読んでたら、戦前とかにブラジルだけじゃなくパラグアイとかペルーとか、あと他の地域の国とかに行って生きたり死んだりしてた日系移民めっちゃ多かったんだろうなとかしみじみしてしまったわ。水声社から出てる現代ブラジル文学コレクションで一番好きやね、これが。
ある時起きたら見知らぬ部屋にいて、ドアを開けたらまた別の部屋が広がっていて、その部屋のドアを開けたらまた別の部屋が広がっていて……こういう悪夢みたいな状況を描いた作品がこれなんだけども、こっからまた別の意味で変なことが起こっていって、変なことのバーゲンセールが開催されながらも文章は結構淡々としてて、この素っ頓狂さをどこまでも真顔で書いてる作者の顔面が自然と浮かんでくる。訳者によるとウルグアイは“奇人の国”らしい。これ読むと、まあ納得や。
ソル・ケー・モオ/吉田栄人「穢れなき太陽」(マヤ/メキシコ)
これはラテンアメリカの先住民の1つ、マヤ人の小説家が書いた小説集。マヤ語とスペイン語の2か国語で、先住民社会とか女性差別とかそういうのを描いてる。マヤ人の社会やら文化やらについて当事者が書いた本は少ないし、そういう意味でもかなりオススメ。ていうか俺は、ラテンアメリカ文学の入門としてこの人の作品も出てる「新しいマヤの文学」がマジでうってつけだと思ってる。フェミニズムやら、ファンタジーやら、魔術的リアリズムやら色々てんこもりで、薄めでしかも字もデカいから読みやすい。図書館とかじゃスペイン語文学の棚じゃなくて、海外文学の最後のその他の文学の枠に置いてある時多いから注意な。
ラテンアメリカ文学好きは“三大独裁者小説”って聞いたことあるかもな。カルペンティエールの「方法異説」とロア=バストスの「至高の我」とガルシア=マルケスの「族長の秋」ね。この本はそこに並んでもいいようなブラジルの小説だけど、またクソ分厚いわ、出した出版社がそこまで有名じゃないわで。日本じゃ全然知名度がない。てか翻訳過程がオモロイ。訳者、実は三菱UFJ銀行の元理事で、若い頃にこの本読んで感銘を受けて、50年越しに翻訳したらしい。すげえ執念だ。まあこれは俺の文章より、ラテンアメリカ協会の書評読んだ方がええ。https://latin-america.jp/archives/55186
ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルス/中井博康「抒情詩集」(メキシコ)
前にスペイン語勉強してた時、メキシコの人に「スペイン語話者にモテたいなら、この詩人を読んでスペイン語での口説き方を学べ」って言われてこの人を教えられた。で、図書館行ってとりあえず見つけたこの日本語版の詩集読んでみたんだが……いや全然そういうのじゃなくね!?一体全体何を以てこれ読んで口説き方を学べと言ったんか、それともジョークで言ったんか、マジ分からんが、詩を諳んじられればメキシコひいてはスペイン語圏でモテるってことかね?日本じゃ現代短歌読めればモテる、みたいな。
マヌエル・プイグ/木村栄一「このページを読む者に永遠の呪いあれ」(アルゼンチン)
ブコメでマヌエル・プイグの話が出てたが、プイグったらこれやろ。「このページを読む者に永遠の呪いあれ」やろ、これくらい印象に残る本のタイトルないやろ。この本の表紙の写真と、何か一言だけつけてXで呟けば一発でバズるやろ。というか多分、もうバズってるやつはいるやろ。内容に関しては、忘れた。前の「ポーランドのボクサー」パターンのやつや。今回はタイトルだけ異常に際立って覚えてるやつ。だって「このページを読む者に永遠の呪いあれ」やん、忘れられんやろ、これは。
サルバドール・プラセンシア/藤井光「紙の民」(メキシコ/アメリカ)
これ、ラテンアメリカ文学として紹介されてるの見たことなくて不思議だわ。英語で書かれてるけども、著者がメキシコ出身で主人公たちもメキシコから移住してきた家族だし、土星戦争みたいに常軌を逸した出来事の数々が起こってる感じ、ラテンアメリカ文学求めてる人に面白がられそう。だがこれが曲者なのが、内容や文章も実験的なら、文字のレイアウトでまで実験しまくりなことで、本引っくり返したりしないと読めない部分すらある。だから本のフリをした現代美術を楽しむノリで読むというか、体験すべきというか。
エリザベス・アセヴェド/田中亜希子「詩人になりたいわたしX」(ドミニカ共和国/アメリカ)
これも英語作品だけども、作者がドミニカ共和国出身で主人公も同じ境遇の少女や。で題名通りに主人公が詩人になろうと色々と頑張るんやが、それが詩の形式でめちゃ改行しまくって書かれてるんだよ。これ読んだ時、マジでビックリしたわ。そんな風に小説書いちゃっていいの?みたいな。内容と合ってるのはもちろん、ドミニカ共和国の伝統音楽も出てきて、そういうリズムも感じられんだよな。もち読みやすいし、こん中じゃ一番気軽に薦められるやつ。みんな、児童文学も読めよ。それが周りの読書好きに対する逆張りや。
フェルナンド・デル・パソ/寺尾隆吉「帝国の動向」(メキシコ)
すまんが、1冊まだ読み切ってない本を薦めるわ。ラテンアメリカ文学のクソデカ本の頂点はロベルト・ボラーニョの「2666」だけど、それには全然劣りながらもページ数880でしかも字がめっちゃ小さい。メキシコ第二帝政時代の皇帝マクシミリアンとその妃シャルロッテのクソデカ悲劇を描いたクソデカ歴史小説で、マジで何度も読むの挫折してる。「百年の孤独」関連じゃ“読むの挫折した”って悲鳴をXで何度も見てきたが、俺にとってのそういう本だ。俺の代わりに読み切ってくれ、ホンマに。
あと友田とんの「『百年の孤独』を代わりに読む」もちろん知ってるで。でもいきなり早川で再販されて、何かサンダンス映画祭でやりそうな面白いインディー映画作ってた監督が、いきなりMarvel作品の監督に抜擢された感じで、嬉しいけど寂しい感じやな。その後にMarvel映画作んなくてもずっとハリウッドで大作作り続ける監督とかザラだし、今後はずっとそういう感じで新作も大手から出し続けんのかね?
ワーナーのが一番好き。ロゴ自体がかっこいいので印象的。ハリーポッターのも印象的だけど、マトリックスのやつが一番かっこいい。
コロンビアの女神はイジり映えする。MARVELのアレが続かないとちょっと違和感すらある。
ユニバーサルのはこれから映画だぁって感じがする。BGMがなんとなくBTTFっぽい。
東映のハイパースペースみたいな背景から無音でボォ……と浮かび上がってくんのも嫌いじゃない。ゴジラの鳴き声が聞こえてきそう。
でもパラマウントはなんかつまんない。
配給会社は印象的だけど、制作会社?は種類多いからあんまり覚えてない。
なんか三日月に乗ってるやつが釣り糸垂らしてるやつは割と覚えてる。
木に雷が落ちて葉っぱが生えるやつはかっこいい。
あと最近ジェットコースターが落っこちるやつもよく見る。アリババだっけ。中国かどっかのスタジオ。
エンドロールは長すぎるので嫌い。ポスクレがあった可能性にモヤモヤするのが嫌だから一応待機してるけど。エンディングの短さは大真面目に邦画の良い所の一つだと思う。
オンラインCo-op専用のライブサービス型ルーターシューター。一人でやるゲームではない。一人でやったが。
スパイダーマンのマップとシナリオを10倍くらいに薄めて、あちこちで湧く雑魚敵を延々と倒していくだけのゲームにした感じ。
動きはもっさりしているが、壁を駆け上がったりなどの自由度や、シューターとしてのアクション性は高い。
四人チームで操作キャラを切り替えることができるが、一人でプレイしているときでも他の三人がオートで動くのはとても良かった。
「せっかくチームなのに単独行動になってしまう」というゴッサムナイツに感じていた不満を解消してくれた点だけは称賛したい。
でも次はジャスティスリーグのほうを操作するゲームを作ってくれ。シングルプレイでな。
オンラインCo-op専用のライブサービス型海戦ゲーム。一人でやるゲームではない。一人でやったが。
海のグラフィックは綺麗だし、自分の船を自由に駆る楽しさは確かにあるが、とにかく内容が薄い。
「ライブサービス」を名乗ってはいるが、その実態は完成形をうすーく切って、小出しにしているだけである。
海戦メインと割り切っているのかゲームプレイの幅が狭く、探検要素や交易要素を期待するとがっかりする。
フィールドが狭い。ほとんどの街に入れない。現時点では船種や装備が少なくてカスタマイズも物足りない。
これから買うとしたら全てのアップデートが完了するまで待ったほうがいいのではないか。
シングルプレイ用に作り込めばどれだけ面白くなったか…と残念に思う。
スースクとあわせて「オンライン専用」「ライブサービス型」というのがどれほど足枷になるかを痛感した。
なぜ「Marvel's Spider-Man 2」は失敗したのか
移動の自由度は低く、オープンワールドとしては前世代的なつくり。
それ以外は平均点で、全体として卒なくまとまっており、飽きずにラストまで辿り着けた。
またぞろディストピアSFか、とは思ってしまったし、気持ち悪いアートワークもあまり好みではないが。
ウルトラハンドの面白さをゼルダというフォーマットでは活かしきれないというか、
初見で「ウルトラハンドすげえ!いろいろ出来るじゃん!」と期待したほどいろいろ出来なかったというか、
このシステムならぶっちゃけ完全にクラフトゲームにしたほうが面白くね?と思ってしまったな。
要素が増えたせいで操作がかなり煩雑になっているし、それが「自由度」よりは「縛り」に感じた。
まあブレワイ・ティアキンって結局はオープンワールドに大量にミニゲームを散りばめているだけで、
それが任天堂クオリティで完成度が高すぎるから成り立ってるにすぎないんだよな。
『指輪物語』の世界観をベースにアサクリと無双を足して2で割ったようなゲーム。
システム的にはハクスラなのでスースクと似ているが、遥かに出来が良くて爽快感がある。
高速で走りまわり、城壁を駆け上がり、物陰に隠れ、さまざまな攻撃手段で敵を圧倒する。
ステルスで一匹ずつ倒すこともできるし、オークの大群を相手に大立ち回りもできる。
似たような敵をひたすら倒し続ける作業ゲーになりがちなところで、敵に個性を持たせるシステムも面白い。
ただ、ストーリーに興味が湧かないせいか途中で止まってしまった。続きをやりたい気持ちはある。
2の前座としてやってみたが、シリーズの一作目として足りないところはあるものの、順当に面白かった。
Ubisoftはやはりオープンワールドの作り方を知っている(スカボンから目を逸らしながら)。
身体能力の高いナヴィを操って(不気味な極彩色の)大自然を駆けまわり、さらに翼竜に乗って自由に空を舞えるのが魅力。
戦闘はかなりクセがあり、敵が強すぎて正面から撃ち合うとまず負けるので、敵の多い基地では高難度ステルスを強いられる(それはそれで面白いが)。
あとはUIデザインが酷くて、メニューまわりは何だか古くさくてダサいし、説明文などもわかりづらい。
サブクエで「〇〇を××しろ」と言われても、どこに行って何をすればいいかわからない、という事態が頻発する。
良い部分と悪い部分がはっきりした尖ったゲームではあった。
こういうのでいいんだよという順当な面白さ。
どちらかというと変則的な前作ヴァルハラのほうが個人的には好みだったが、今作ミラージュのスタンダードな作りも悪くない。
どの入口からでも、どういう順路でも、どんな手段を使ってもいいので目標を達成する、という自由度が、
アサクリの、ひいてはオープンワールドの魅力であって、今作はその面白さをシンプルに実現できている。
もちろん、実際のところは「複数の順路を用意してプレイヤーに選ばせている」だけだったりするので、まだまだ改善の余地はあるのだが。
前作のショボい悪役が今回の主人公なのでぜんぜん魅力を感じないのが最大の短所。
このDLCのために本編から新しくやりなおしたが、いま一度言おう、神ゲーである。
DLCのメインシナリオ部分はややリニア感が強かったものの、全体としては非常に満足できる。
ひとつひとつのサブクエストが短編小説のように気が利いていて決してミニゲーム的ではなく、
まず最初に、全世界のゲーム開発者の皆さんに声を大にして訴えたいのは、「オープンワールドとパズルの相性は最悪だ」ということである。
オープンワールドの面白さは「どこにでも自由に行けること」だが、パズルは基本的に「制作者の企図する唯一の正解を見つけるもの」である。
つまりそれを組み合わせると「どこにでも自由に行っていいけどパズルを解くにはこのルートに沿って進まないとダメですよ」ということになる。
二つの要素が完全に干渉しあっていることがわかるだろう。そこに「オープンワールドでパズルをやる意味」は無い。
Marvel's Spider-Man 2(以下MSM2)が犯したミスというのはまさにこれだった。
このシリーズは、オープンワールドアクションの模範作として1作目・2作目が大絶賛されたものの、その時点でシステム的にはほぼ完成されていた。
よってマンネリを防ぐにはとにかく大量の要素を注ぎ込むしかないということで、その広大なフィールドの密度を上げるためにパズルをばら撒いたのだ。
ゲーム制作でよく使われる言葉に「掛け算の面白さ」というのがあるが、MSM2で行われたのは「大量に足し算する」ことだったわけだ。
さらに、ストーリー上の演出を派手にしようとして単調なQTEも増えている。
シナリオに力を入れた反動で「ただ指示されたルートをなぞるだけ」「指定されたポイントを調べるだけ」のクエストも増えた。
確かに1作目・2作目にもそういった要素はあったが、あくまで補助的なものとして抑制はされていたように思う。
MSM2ではその歯止めが効かなくなっている。
とにかくボリュームを増やそうとして足し算をしまくった結果、良くない要素も増えまくってしまった感がある。
MSM2では「ウェブウィング」というウイングスーツ的な新能力が用意されている。
ビル風に乗って加速したり、上昇気流に乗って高度を稼いだりできるのだが、その気流が特定のポイントにしか設置されていないのもよくなかった。
MSM2がたとえば「特定の壁だけしか登れない」「特定の建物でしかスイングできない」だったらどれだけつまらないゲームに成り下がるだろうか。
「特定の場所でしか気流に乗れない」というのはそれと同じだ。まったくオープンワールド的ではない。
唯一、新要素で最高だったのは、「ウェブライン」という宙空に自由に糸を張ることができる能力である。
これにより、頭上からステルス・キルを狙うときに、プレイヤーの思い通りに自由なポジションを取れるようになった。
まさにそれこそがオープンワールドの面白さ、自由度の高さによる面白さである。
総じて、MSM2は「マンネリの打破のために考えなしに要素を詰め込んだ作品」だと言える。
『Marvel’s Spider-Man 2』の発売を9日後に控え、そのあとも年内には『Call of Duty: Modern Warfare 3』や『Alan Wake 2』、2024年初頭には『鉄拳8』『龍が如く8』『FINAL FANTASY VII REBIRTH』といった期待のタイトルが続々と発売予定です。『ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON』や『Fate/Samurai Remnant』『EA Sports FC 24』などの今年発売された素晴らしいタイトルの数々とともに、PS5をホリデーシーズンにお楽しみいただければ幸いです。
https://blog.ja.playstation.com/2023/10/11/20231011-ps5/?emcid=or-ha-475102