はてなキーワード: 電動車椅子とは
https://anond.hatelabo.jp/20210412195129
普通に稼いでるとなんの支援も受けられない。配偶者、子供が2人いる。
簡単にいえば「椎間板ヘルニアをもっと凶悪にした感じ」の病気だ。もうかれこれ20年以上治療・経過観察している。若い頃に脊椎形成術を2度受けているが、これ以上やっても背骨がつながっていくだけで再発必至。
15年前に発病。通常ならステロイドで憎悪をコントロールできる病気と言われているが、それでもコントロールできないものを「難治性」と呼んでいる。喘息発作も多く、3ヶ月に1回くらい入院する。コロナ、インフルとかになっても即肺炎になって入院する。何度もバイオ製剤を試しているが、どれも費用が高額な割に効果が薄い。先日、最近までつかっていたバイオ製剤の使用を止めた。年末は色々と入用だからお金がなくなる。
お薬代や治療費がかなり高額になりがちな喘息だけど、指定難病でもないし医療費助成制度は一切ない。一昔前は喘息だと公害助成金というものがあって、治療費が100%助成されていたらしいけど、今はもうなくなっている。川崎病で有名な川崎市だけがまだ残っていると聞いたことがあって、川崎に引っ越すことを検討したことすらあったが…多分今更引っ越しても助成されないでしょう…
脊柱管狭窄症の腰椎形成術を受けるともしかしたらまた歩けるようになるかもしれないのだけど、重度の喘息のため全身麻酔が使えない。使うと発作のリスクがかなり高いらしい。それにより障害が固定されて認定された。しかし、このまま症状が進んで(たとえば排泄障害が出たり)しまうと死を覚悟して手術しなければならなくなる。おそらく、その日も近い。
最近は発作頻度がかなり上がってしまったり、COVID-19のこともあり、かかりつけ医から離れてくらしていると処置が間に合わなくなるリスクがあるため、かなり家賃は高いけど都心に住んでいる。というか、以前はタクシーで45分くらい離れたところに住んでいた。喘息発作になると近所の大きめの病院をハシゴするのだが、お薬手帳をみると
こんなに薬を盛られて(喘息の治療として可能な薬がすべて処方されている)いるからウチではなにも処置ができない(からかかりつけ医に行け
となる。COVID-19が流行する前まではまだなんとかなっていた?が、一度、なったときはたらい回しにされた後に結局、かかりつけ医に搬送されてなんとか生き残れたが、深刻な呼吸器へのダメージが今でも残るくらいに大変な目にあった。お陰で肺の一部が壊死してしまった。肺活量がかなり落ちた。
そういった経緯もありかかりつけ医の近くに住んでいる。今では発作になったら病院に直接電話して救急(発作が起こるのはいつも夜中)から診てもらう。応急処理で帰宅できると判断されると無慈悲なぐらいに返される。当たり前だけど…そんなときに深夜料金のタクシー代もむかしはかなりかさんでいた。かかっていた金額を割ってみると今の家賃と良い勝負だったりもする…でも、やっぱり家賃が高い…
屋外での移動には電動車椅子を使っている。しかし、屋内では使えない。屋内用の車椅子も介護保険でレンタルはできるが、介護保険適応前にメルカリで買った中古の自走式のものを利用している。普通の住宅なのでバリアだらけでとにかく不便だ。先にあるリンクの方は単身者なので障害者用賃貸住宅を利用しているのだろうが、家族がいるとそういった施設がない。ワンチャン、ファミリー向けの公団とかに当選すれば、更に運良くバリアフリー住宅にあたれば良いが、普通に家族を養うくらいに稼ぎがあると所得制限で応募資格すらない。だから配偶者とは離婚して、子どもたちが独立するまで我慢して、然るべき施設に入るとかしないといけない。でも、働いて稼いで子どもたちをなんとかしなければならないのでそうもいかない。
都内の移動といってもこうなるとほとんど家から出ることは通院くらいしかなくなるのだけど、外出は電動車椅子を使うけど、都内はほとんど予約なしで電車に乗れる。駅員さんにスロープを出してもらって、降りる駅でまたスロープを出してもらう。大江戸線だけは特別。ホームと車両との距離や段差が少いので自力で乗車できる。ところが遠方に行くとなると難易度があがる。地方の駅というか自分の実家のある駅はちょっと前まで有人で切符をチョキチョキ切ってたくせに最近は無人になってしまっているらしく、前もっていわないとスロープをかけてくれる駅員がいない。そういえば以前、連絡なしで旅行した車椅子の人が炎上してましたよね。そういうことです。
遠方への移動となると電動車椅子ではバッテリー切れのリスクがあるため、できれば自走式の車椅子で移動したい。でも、車椅子ってめちゃくちゃ高い。特に外出で使えるいわゆる「アクティブ車椅子」といわれるもの。自分の身体に合わせて作ってもらうというのもあいまってとにかく高い。だから各自治体で装具購入助成制度とうものが存在するのだけど、介護保険で電動車椅子をレンタルできていると「レンタルしてください」の一点張りでまったく支援してくれない。もちろん、自走式の車椅子もレンタルできるのだけど、ほとんどが室内用のもので外出に適したものではない。自治体からしたら「車椅子は車椅子」くらいの感覚なのだろう。
身体障害者手帳を取得するとタクシー券をもらえる。でも、電動車椅子は折り畳めないため乗ることができない。厳密には折り畳めるタイプのものもあるけど、それらは介護保険レンタル対象ではない。運良く電動車椅子で目当ての駅まで行けたとしても、そこから電動車椅子を目的地まで持っていく手段がない。そういう車を持っている人が知り合いにいたりすれば良いのだが…おそらく、方法としては介護タクシーを事前に予約しておくとかになるのだろうが、だいたい介護タクシーって街に1台しかないとかだから奪い合いになる。身体障害者になって2年になるけど、いまだにタクシー券を使えた試しがない。都内で使おうにも、車椅子なしで自宅マンション前まで帰ってこれたとしても、マンションの自室まで歩いていけないから、匍匐前進で自室まで戻るしかない。喘息でステロイドを長期利用していて、骨粗鬆症もあるので骨折のリスクもあるのでできるだけこの方法は取りたくない…
運良くフルリモートでお仕事をさせてもらっているが、喘息の発作頻度がCOVID-19後に確実にあがっていて、あまり勤怠も良くない。解雇されても文句は言えない。今の会社を解雇されたら、おそらくもう普通に働くことはできないだろう。というか既に普通に働けていない。会社の好意でおいてもらっているだけだ。
国の支援というものは本当に困っている人たちに対してあるべきもので、私なんて者はまだ働けているのでそのレベルに達していないということなんだろう。しかし、既に生活は苦しい。同じくらい稼いで豊かに暮らすことはできるとは思うが、医療費や居住費がとにかく病気のせいで高い。なんとか副業等で所得を増やすかなりしなければならないとはおもいつつ、身体が動かないのでそう簡単に副業というわけにもいかない。障害年金も検討したが、初診日の関係で(未納期間があり)受給条件を満たしていない。未納期間はあったけど、かれこれ20年以上厚生年金も収めているのに、なんだかなぁという気もするが…そもそも、未納だった期間も病気療養中だったので、まぁ、身体の弱い自分を悔やんで呪うくらいしか今はできない。
とにかくリビングコストが高いので所得を上げるか、無理やりリビングコストを下げる(その代わり死ぬリスクが上がる)か、方法は2つに1つしかないのだろう…単純に所得をあげればいいのか?という問題もある。もちろん、税金はあがるし、社会保険の医療費区分もあがるので限度額もあがる可能性がある。しょっちゅう入院している自分的には致命的だ…
なので「どうしたらいいのかわからない」という状況だ。まだしばらく悩むんだろう…
生活保護を申請するしかないけど、先進医療は受けられなそう。でも、そうなると所得制限にはひっかからなくなるから公団とかに住めるかもしれない。だけど、一度生活保護に落ちるとなかなか戻れないと聞く。今はとにかく日々そうならないようにかろうじて繋ぎ止めているという感じだ…
いざとなったら生活保護を申請すればいいさと書いてはいるものの、前述の装具購入助成とかでもそうだけど、支援してもらえるものだと思いこんでいると絶対に痛い目を見る。
と言われているけど、過去に生活保護申請したことがあって、結局、申請する条件を満たしていなくて(配偶者が働いているのに家に金を入れなかったから)断念したことがあった。だから国には頼れないし、国は国民を守ろうとも思っていないくらいの感覚でいなければならない。某ひろゆき氏が
と発言していたけど、それは単身者に限るという条件つきだと思ったほうがいい。中途半端に働けて稼ぎがあると本当にただの地獄だ。
スーーーーッてスピード出して通路を突っ切って来るんだけどマジ迷惑
前から向かってくる時はこっちも気付いて避けられるけどジジイはなぜか周りが避けて当然って顔してて不愉快だし、後方から来られたら見えるわけないのに大して広くもない通路で真横を通り抜けられると危ないんだよね
遭遇する度にヒヤッとさせられる
電動車椅子(シニアカー?)の最高速度は6km/hくらいで大人の早歩き程度らしいし、自分だって車椅子の人がいたら道を譲るとか何か困ってたら親切にしようとかそれくらいの善性は持ってるつもりだけど
でも狭い道で他人にぶつかりそうになろうとお構い無しでツカツカ真っ直ぐ早歩きしてくる人がいたら頭おかしい人にしか見えないじゃん
あの電動車椅子ジジイのやってることってそういうおかしな人そのものだと思うし、ジジイを見かけたらなるべく離れるようにしてる
フラフラと白線をはみ出して車道に出てくる歩行者がたまにいて、酔っ払ってんのかコイツは? と思ってよく見ると、大抵スマホに夢中になって周りを一切見てないやつだな。
公共の場にいるのに周りを一切観てないやつは、歩行者だろうと電動車椅子だろうと平等に許さない。
だが電動車椅子ユーザーで不思議なのが、彼らはスマホを使ってないのに周りが見えていない(見ようとすらしていない)ことだ。
ひたすら進行方向だけを見ている。そして人を轢く。何故だ。
街中で電動車椅子ユーザーを見てて思うのは、彼らは自分たちが二輪車に乗ってるという意識が皆無なのではないかということ。
自分の進みたい方向しか見てない。進行方向をじっと見て周りを一切気にしない。
そこが狭い通路だろうと、歩行者とすれ違うときだろうと完全にマイワールドに入り込んでいて配慮しようという気がゼロに見える。
周りが避けてくれて当たり前だと思うな。
お前が悲しいならお前が障碍者でもどこの席でもくつろげる映画館を作ればいいだろ?
なんでそれを社会のあまねくすべてに押し付けようとしてくんの?
俺と水道代
https://goldhead.hatenablog.com/entry/20090528/p3
ここで水道代が定額なのをいいことに常識外れの水の使い方をしてる隣人にお気持ち出してますよね?
俺は食べ放題を定額サービスと見てるがそれをいいことにリソースをむさぼる連中を本気で軽蔑している
たとえば通信サービスだ。光にしろ携帯通信にしろアホみたいにトラフィックを使う一部のユーザーのせいで全体が迷惑するというのは往々にしてある
俺が住んでいたマンションもかつてファイル共有ソフトを濫用するユーザーがいたせいで滅茶苦茶遅くなった時期があった
これに限らずルール内だから何をしても良いと言い放つ輩とは共生できないと思ってる
節約のためと言い放って公園の水道水をすべての市民が使用しだして果たして維持できるだろうか?
法改正であれこれ言ってるが政府はちゃんと説明しようぜ。現状国内でまともに説明している企業居ないんだから。(シェアリング企業すら議員にだけ説明)
ちなみに種類多すぎるから今回のルールに適応する個人で買えるので説明するな。シェアリングで置いてある奴は高級車のイメージで居てくれ。あれは20km以上出るのをリミッターかけてるようなもんなので。
となっている。
時速20kmは分速330mだ。ディズニーランドでエントランスからシンデレラ城前まで1分で行けるイメージだ。
時速6kmは分速100mだ。ディズニーランドでエントランスからワールドバザールの真ん中まで1分で行けるイメージだ。
これらが早いか遅いかは個人で異なるが時速6kmはシニアカーや電動車椅子の最高速度でもあるから決して早くはない。というか常人には遅すぎるくらいだ。
電動キックボードにはスロットルやアクセルでの直度調整は無い。20kmまで加速、停まる、速度切り替えるの3つだけだ。
多くのメーカーで速度切り替えで6kmにする機能は搭載されている。今回の歩道の速度もその辺が絡んでいるだろう。
なのでユーザーが歩道走る為に速度落とすのは非常に簡単だ。ただ律儀に落とす奴はたぶん居ないと思うので警察はボーナスタイムだろう。
意識高い系が褒めちぎってるけどぶっちゃけ悪い。セグウェイの方がマシ。価格くらいしかメリット無い。
安定もしない。小回り効かない。段差弱い。整備しにくい。正直個人所有するのは罰ゲーム。田舎で見回りに使うとかでちょうど良いけど軽トラ乗るよね?
カタログスペックは嘘ですw 7割で見ておくと良いよ。移動先で置物になったら地獄。電気自動車みたいに充電できればいいけど。個人所有だとこれも問題
無免OKのレベルは期待するだけ無駄。そもそもお前らあれがぐんぐん昇ると思ってるのか?メーカーの動画?あんな短い坂お前らの近所にあるの?
東京だとお台場とか丸の内くらいがちょうど良い。たぶん銀座は馬鹿が歩行者天国に突っ込んでニュースになるね。
デブが乗ると壊れます。重い物積むと壊れます。バッテリーはアシスト以上に消耗します。モーターとかもメーカーによっては寿命早いです。充電は比較的カタログ通り。
黙ってシェアリングの乗っとけ。あれは3輪だしデメリット部分も個人で負わなくて済むのでマシ。個人なら自転車か原付にしよう。
身体的に問題があって使う分には良いけど五体満足ならおススメしない。というか五体満足でこれ乗る奴新しい物好きで順法精神の無い承認欲求オバケだから黙ってても事故って死ぬかニュースになるだけ。順法精神無いのは製造メーカーもだけど。
もしかしたらロビー活動うるさい業界に良い顔しつつ一定数の問題起きたらそれ見たことかと規制しようとした自転車&バイク業界の陰謀かもしれないけど、一般市民はとりあえず歩道も7月から気を付けてくれ。自転車以上にサイレントキラーだよ。一時期の電気自動車レベル。
エレベーターから降りたら、ちょっと見えにくい位置で車椅子の方がエレベーター待ちをしていた。
私が降りた後で乗り込むので、どうしたってワンテンポ遅れるのだけど、そのワンテンポの間にエレベーターの中のおばちゃんが「閉」ボタンを押してしまった。
閉まるドアを押さえながら「まだ、車椅子の方が乗られるので」とかエレベーターの中のおばちゃんに声をかけたら、
おばちゃんは「あら、そうなの。ごめんなさい」みたいな感じで車椅子の方がエレベーターに乗り込むのを待ってくれて、
エレベーターは無事、おばちゃんと車椅子の方を乗せて出発してったんだけど、
果たしてわたしはわざわざ「車椅子の方が」と言うべきだったんだろうか。
電動車椅子で、最新式のエレベーターだったから別に介助も要らなかったし、
車椅子には言及しないで「まだ乗る人がいるので」でもよかったんじゃないか?
『エレベーターの中のおばちゃん』の対義語が『エレベーターの外の車椅子の方』なのは差別なんだろうか。
でもなあ。
「まだ、おばあちゃんが乗るので」や「ベビーカー乗るので」とか「ちっちゃい子いるので」だったら
エレベーターの発車を待ってもらうためのただの申し送り事項で、伝達が必要な特記事項に過ぎず、
エレベーターに乗るのを待ってたあのお姉さんが、嫌な思いしてなかったらいいんだけど。
うちの男どもはみんなキャンプバカで、私が小さい頃から、兄ちゃんもお父さんもおじいちゃんも、しょっちゅう仲間たちとキャンプ場に数日籠もっては、別人かってくらい日焼けして帰ってきていた。
お父さんの取引先?が持ってる山奥の豪華な別荘地に泊まる年とかもあって、
あとで写真とか動画を見せてもらうと、めっちゃ綺麗なコテージ。テントもピカピカしてて、楽しそうな雰囲気ではあるのだけど、
「じゃあメグも来るか?」と言われると、酒飲んで騒いだり、踊ったり、時には号泣するようなノリにはついていけないかな…と思ってしまう。
今は部屋で絵を描いてる方が楽しいし、私だって子供なりに友達付き合いとかあるし。
コロナになってすぐ、おじいちゃんがゲーセンで感染して入院してからも、残った二人はキャンプ活動を続けていた。
お母さんは心配そうにしてたんだけど、5月のある日、仕事から帰ってきたお父さんが嬉しそうに「今年はうちの庭でやることになった」と宣言したのを聞いて、とうとうキレる。
「うちの庭って、この庭でしょ?」
お母さんにつられて窓から薄暗くなった庭を見てみる。
広く見積もっても車2台も入らないと思う。私は聞く。
「何人来るの?」
「でも、キャンプファイヤー実際に見たら…感動するよ?」
という訳のわからない弁解に、工場勤めから帰ってきた兄ちゃんが「それは確かにそうだ」と同意しだしてバカが一人増えるけど、看護師として働くお母さんは理路整然と撥ね付ける。
「誰かがウイルス持ってたらどうするの?検査は簡単にできないし、ワクチンも間に合ってない状態で、集団感染しないようにキャンプする方法を提示できる?できないよね?もし感染したらおじいちゃんの面倒を見れなくなるし、私も仕事できなくなるよ?」
「キャンプの間、窓を締め切ってれば安全なんだよ!そのためにリーダーが完璧なマニュアルを」
「ちょっと待った」
「なんだよ」
「……『リーダー』って誰よ」
その後の両親とバカ兄の喧嘩とも呼べないようなやり取りによると、お父さんは数年前から「キャンパーズ」なるグループの一員になっていたらしい。
取引先やら飲み友達やらのキャンプ好きが集まって、毎年誰かの家や別荘とかでキャンプを開く、15人程度のサークルで(このあたりで兄ちゃんが「やべえ!」と叫んで会話が中断)、遂に今年のキャンプ地をうちが勝ち取った、それはとても名誉なことだし、今更覆せないと、お父さんは主張している。
「いや違うけど」
「取引先でもないんだよね?」
「だからさっきから言ってるだろ、行きつけのバーのオーナーで」
「じゃあ断れるでしょ!」
「だから!ウチの理事も通ってる店で、理事の友達なの!このキャンプがうまくいったら、確実に出世できるんだって!メグの進学とか……あるだろ?」
いきなり私の名前を出されてお母さんが黙り込み、グダグダだった空気に気まずさが加わる。
「…私はいいよ、大学行けなくても…このままでも」と私は言うけど、私の本音を知っているお母さんは何も言わない。
「感染とか金は心配しなくていいから…絶対家には迷惑かけない。お前はいつも通りにしていい。きっといいキャンプになるよ。な?」
お母さんを抱きしめながら言うお父さんに、兄ちゃんが泣きながら頷いている。
私は誰とも目を合わせられない。
◆
近所で感染者数が少しずつ増える中、1ヶ月後に控えた庭キャンプの準備は着々と進んでいる。
後で兄ちゃんから聞いたら、お父さんはキャンパーズに「うちの庭は狭いけど、キャンプには最適で、家族も大歓迎と言っている。そして何より病床の父に希望を与えたい」と、だいぶ話を盛ってプレゼンしていたらしい。
てか兄ちゃんもいつの間にかキャンパーズのメンバーになっていた。
キャンプで得られるサバイバルの知恵とか、協力することの素晴らしさとかを、食卓で私やお母さんに毎回説明してくるようになったけど、キャンプそのものを否定しているわけではないことに、兄ちゃんは気づかない。
テントなどの資材がメンバー持ち込みじゃなくて全部うち負担だったことが発覚して、両親の喧嘩は激化する。
庭キャンプまで残り7日。
夜中、部屋で新しいペンタブを試していたら怒鳴り声がして、リビングに行くと、お母さんがテンティピの高級テントをケースから出して、裁ちバサミで切ろうとしていた。
「やめろ!」とお父さんが止めに入るけど、かんたんに撥ね飛ばされる。お母さんも長年の病院勤務で腕っぷしは強いのだ。
「これ、リーダーのために買ったんでしょ」静かな声でお母さんが言う。「キャンプが終わったらリーダーにプレゼントするって、ケンから聞いたけど」
「あいつ」
「いくらしたの?」
「………」
「領収書見せてよ。あるんでしょ?」
右手のハサミが反射でギラリと光る。
「…わかった。キャンパーズの事務所に置いてあるから、明日持ってくる」
「……………」
「わかってくれよ…このキャンプで、きっと我が家はいい方向に進むんだ。メグの未来のために、な」
「…私をダシにしないで」
気づいたら口が勝手に動いていた。
「お父さんがキャンプしたいだけでしょ…?そんな高そうなテントとか、ピカピカのウッドデッキとか、バーベキューセットかいっぱい買ってきて、それも全部私のため?私の夢とホントに釣り合い取れるの?」
「………」
「知ってる?クラスの皆、うちのことでヒソヒソ言い合ってんだよ?友達も遊びに誘ってくれなくなったし、フェイスブックで『殺人キャンプ一家』とか書かれて、すぐ先生が言って消してくれたけど…夏休みじゃなかったら、私…」
絶対泣きたくないと思ってたのに、出てきた涙は止まらなかった。
「もう夢とか言わないよ…キャンプなんてやだよ…」
お母さんが私の肩を抱いてくれるけど、お父さんは「絶対大丈夫だから。お父さん疲れたから」とか言いながら2階に行ってしまって、私は追いかけられない。
翌日、お父さんが会社に行ったまま帰ってこなくなる。
その夜キャンパーズからの連絡で、お父さんが胃炎を理由にキャンパーズを脱退したことを知る。
「もしかしたら癌かもしれない。続けられないのが無念でならないが、息子のケンが立派に後を継いでくれる」と言ってたらしいけど、癌は多分嘘だ。会社にはどっかから律儀に通っているらしく、後日フェイスブックで、ステーキを美味そうに完食してるのを撮られていた。
責任を押し付けられた兄は、父を恨むこともなく、よりキャンプ一筋になる。
当然家からお金は出せないので、付き合ってる彼女に借金を無心して、即座に振られる。かわいかったのに。
◆
残り5日。
兄は「感動キャンプのライブ配信」を掲げてSNSでクラウドファンディングを呼びかけるけど、このご時世でのキャンプなんて世間の理解を得られるわけもなく、その日のうちにバッシングをドバドバ浴びる。
でも、一部の好事家が結構な額を出してくれたらしく、リーダーからTwitterで褒められた兄ちゃんは泣いて喜ぶ。
残り4日。
「キャンパーズ」が金持ちの道楽趣味で、中流階級から搾取しているみたいな大げさな記事もあって、反対意見が飛び交う中、「環境に優しい取り組み」「SDGsにも沿っている」「悪と断じるわけにはいかない」みたいな支持コメントもあって、兄ちゃんがまた泣く。
残り3日。
「キャンパーズって、金持ちもそうでない人も、男も女も、どんな人種でも、誰でも参加できるキャンプを目指してるんだ」
最近女性メンバーが増えたキャンパーズが、ネットで脚光を浴びたのをきっかけに、世間に顔向けできる団体になろうとしてるらしい。
「だったら庭キャンプを中止してよ」と言いたいけど、兄のまっすぐな瞳を見上げて私は黙ってしまう。
兄ちゃんはすぐ泣くし鬼バカだけど、長年見てきてたから純粋なキャンプ愛はわかる。
何があっても一つのことに打ち込む姿はかっこいいと思うし、だから私も叶わぬ夢に追いすがっている。
「メンバーにメグのこと言ったら『大歓迎する』って」
「…窓から見てるだけじゃだめ?」
「うん…全然いいんだけど、キャンプファイヤーって実際に皆で囲んだ方が感動が大きいからさ…返事は当日でも良いよ」
そう言って兄ちゃんは買い出しに出かけていった。
残り2日。
リーダーがやってくる。
アウトドア派とは思えない、ゆったりとした体格で高そうなスーツに身を包んだリーダーは、玄関で私たちに深々と頭を下げる。
「この度は、ここをキャンプ地としてくれて、ありがとうございます」
兄ちゃんが例のテントを抱えて持ってくると、リーダーの隣りにいた使用人みたいな人が受け取って、なぜかベンツのトランクに載せる。
それを確認したリーダーがうちの中を眺めながら「僕はどの部屋だい?」と聞いてきて、お母さんと私は「は?」と声を揃える。
あのバカ親父は、リーダーだけテントじゃなくて、部屋に寝泊まりすることを約束していたらしい。
お母さんは出ていった父の部屋を掃除して、ついでに父がキャンプの度に持ち帰ってきた古い雑誌コレクションをすべて処分する。
キャンプ前日。
おじいちゃんが死んだ。
「葬儀はキャンプ後に執り行って欲しい」というリーダーの頼みを、兄ちゃんは断れなかった。
お父さんに連絡すると「安全面を考えて明日のキャンプファイヤーには参加しません」という謎メールが返ってきて、私はすぐ削除する。お母さんは手続きや仕事で疲れて寝込んでいる。
◆
キャンプ当日。
朝から兄ちゃんは資材チェックや芝刈りを一心不乱にやっている。
隣近所の住民たちは、コロナ感染を恐れ隣町に行っていて、いつも以上に静かだ。
夕方、我が家の庭に、リーダーを含む8人の男女が集まってくる。メンバー20人の半数以上が参加を辞退したらしいけど、それでもウチの庭には多すぎるような。
兄ちゃんに負けないくらい瞳がキラキラしているメンバー達は、準備していた資材をものすごい速さで組み立てていき、1時間もしないうちに庭がキャンプ場になる。
空間を無駄なく活用して、コンパクトなテントや炊事場、キャンプファイヤーが整然と並べられていくのを、窓越しに眺めながら思わず「凄い」とつぶやく。
この日から連休を取ったお母さんは、時々メンバーの人にお水をあげたり、手伝ったりしている。せっかくの休みなのに、お母さんは本当に偉い。
そんな様子が兄ちゃんのスマホ越しにインスタライブで配信されていて、1万人くらいが見ている。
やがて日が暮れて、キャンプファイヤーが始まった。
メンバーはそれぞれ、おしゃれな服に着替えて火を囲む。マスクもカラフルだ。
兄ちゃんは既に泣いている。勝負服のジャージはダサいけど、揺らめく炎に照らされてなんとなく様になってる。
昔はお父さんと一緒にキャンプしていたお母さんも、この時だけは幸せそうに火を眺めている。
私も参加しなきゃと思うけど、恥ずかしくて窓を開けることができない。
「皆さん、第20回キャンパーズ定例キャンプへようこそ。この場所に集ってくれたすべてのキャンパーに感謝を伝えます…」
それからしばらくの間、コロナとか社会情勢とかキャンプ用品に関する話が続くけど、死んだおじいちゃんの名前は一回も出てこない。
「…そして今夜、新たなキャンパーが私達の仲間に加わってくれます。メグ!」
ウトウトしてたところで名前を呼ばれて、驚いて目を開けると、火を囲む皆がこちらを見ているのに気づく。体がビクってなったの見られてたかもしれない。
「あなたは希望の象徴です。あなたの参加は、きっと世界中に勇気を与えることになります。どうぞ、共にこの火を囲みましょう」
かなり大げさな歓迎ぶりは鼻につくし、恥ずかしいけど、お母さんを見たら優しく頷いてくれるから、窓を開けようと思った時、リーダーが「さあメグ、立ち上がって」と言った後「ヴフッ」と笑うのを見て、私は一気に冷める。
他のメンバーさんや兄ちゃんには悪いけど、こいつと同じ空気は吸いたくない。
「どうしたんだメグ?…っ今から、君のエホッ、キャンブがっハ、始ばるんだよゼヒ」
リーダーの声が、いつのまにか強烈な咳に変わっていて、振り返るとリーダーの顔が真っ赤に歪んでいる。
ていうか、溶けてる?
「窓をッ、バハ、開げでぅレん」
そのまま崩れるように倒れ、シュウシュウ音を出しながら溶けていくリーダーを見たメンバーから悲鳴が上がる。
「ゲホッ、何だこデべ、デュぼホッ…」
見ると、他のメンバーも咳き込みながら、倒れはじめて、お母さんが駆け寄る。だめ、お母さんも感染する。
「お母さん!」
「開けちゃだめ!!!」と叫ぶお母さんも、苦しそうだ。
庭を見渡したけど、兄ちゃんはどこにもいなくて、勝負服のジャージが脱ぎ捨てられたみたいに芝生に落ちている。
◆
2年前の冬、北欧で見つかった新型コロナウイルス「ALS-CoV」は、宿主の肺胞を溶解させてしまう、致死性ウイルスだった。
感染力は高いものの、寒冷地でのみしか発症例が無かったため、アメリカ南部では感染対策が結構緩かった。
体が頑丈だったおじいちゃんも新型を甘く見ていて、ニューオリンズ郊外のゲーセンで若い兄ちゃんとマスクをせず口論になった時にウイルスをもらって、肺が溶けて亡くなった。
そして、ルイジアナ州の一軒家で突然変異した「ALS-CoVζ+(ゼータプラス)」は、感染後即座に発症するだけでなく、内臓はおろか筋肉や骨組織まで溶かしてしまう最低最悪のウイルスだったらしい。
「らしい」というのは、私が入院中に看護師から盗み聞きしたり、SNSから拾ったりした眉唾情報だからだ。どうやらネットニュースやTVでは報道を差し止められてるっぽい。
でも私はこの目で見た。
きっと買い出しで熱い中毎日駆けずり回ってた超人的な兄ちゃんの体でウイルスが変異したんだと私は勝手に決めつける。
我が家周辺が封鎖されて数ヶ月後、ゼータプラス株の全身溶解現象は消え、ショッキングなライブ動画は「悪質な合成だった」という結論で、みんなすぐ追いかけるのに飽きていった。
残されたキャンパーズも解散、おじいちゃんの葬儀は私の知らない所で執り行われ、お母さんと兄ちゃんのお墓はどこにもないままだ。
私は、CDCの検査と手厚い補償を受けながら、病室で絵を描いている。
1ヶ月前、人懐こいマフィアみたいなおじさんがやってきて「ここに閉じ込めているお詫びがしたい」と、最新型のモジュールを持ってきた。
確かにそれも私の夢だったけど、私以上にその「足」を必要としてる人はいるはずだし、別に立ち上がらなくても、私は私だ。見世物じゃない。笑うヤツは溶けてしまえばいい。
◆
そういえば、50年くらい前、同じようなウイルス流行の真っ只中で、大々的なスポーツイベントを行って世界中から人を集めた国があったらしい。
それまでなんとか感染者数を押さえていたのに、そのイベントの影響で感染者数が爆上がりして病院がパンクしたとか。
きっと、その時も家族をなくして悲しんだ人がたくさんいたに違いない。
キャンプ当日の朝、兄ちゃんお母さんと3人で撮った写真は、ずっと枕元に置いてある。
◆
伊是名夏子氏のブログ・Twitterから話題になったJR東日本の車椅子乗車拒否問題。結局なんだかんだ言って有耶無耶になって終わった感があるので今更ながら考えたことを投稿。
事の顛末は以下の通り
改正バリアフリー法が施行された2021年4月1日。伊是名は来宮神社観光のため、宿泊施設や飲食店は予約した上で、友人・介助者・子供ら5名で電動車椅子で出発。JRは事前連絡せずに小田原駅で来宮駅下車をJRの係員に伝えた。しかし来宮駅は無人駅で階段しかないため、係員はバリアフリー化されている熱海駅下車を推奨した。伊是名は車椅子で乗車可能なタクシーは1ヶ月前からの予約が必須と主張し、バリアフリー法にのっとり対応するよう求めたが、利用者数3000人以下の来宮駅は同法対象ではないと説明を受ける。伊是名は次に障害者差別解消法を根拠に合理的配慮を求め、駅員3・4名を集めて電動車椅子を運ぶよう要求。急に人員を確保できないとするJR側と交渉中に、伊是名は新聞社数社に取材を要請。駅係員と1時間ほど交渉の末、熱海駅に向かった。小田原駅から連絡を受けていた熱海駅では特別の計らいで、駅長を含む係員4名が一行を急遽出迎え、来宮駅まで同行。階段降下時には、100キログラム超の電動車椅子を4名で手持ち運搬した。熱海駅長の教示で、復路は伊是名が事前連絡をおこない同様の措置がとられた。
〜引用ここまで〜
伊是名氏は宿泊施設・飲食店を予約している。なのになぜ移動手段についての事前連絡ができなかったのか。
伊是名氏の主張するとおり障害者にも自由に移動する権利は認められるべきである。ただ、バリアフリー対応のタクシーという代替の手段もあるわけで、伊是名氏は利用の1ヶ月以上前から予約が必要であるためこれを利用できないと自身から主張している。結局のところ、自身の不手際からくる旅行の行程の綻びをJR側に押し付けているだけにすぎない。問題提起のためにあえて準備をせずJRを利用しようとしたのであれば尚更たちが悪い。
交通事業者に駅バリアフリー化を求めるという気持ちもわかるがJR側が説明したように来宮駅はバリアフリー法の対象外である。JRは法に従って業務を行っているため責任の所在はここにはない。バリアフリーについて訴えかけるなら立法機関に対して行うべきだろう。
伊是名氏が主張した合理的配慮について。そもそも合理的配慮とは何か、内閣府作成のガイドブックより引用する。
〜以下引用〜
合理的配慮は、障害のある人から、社会の中にあるバリアを取り除くために何らかの対応を必要としているとの意志が伝えられたときに、負担が重すぎない範囲で対応すること(事業者においては、対応に努めること)が求められるものです。重すぎる負担があるときでも、障害のある人に、なぜ負担が重すぎるのか理由を説明し、別のやり方を提案することも含め、話し合い、理解を得るように努めることが大切です。
〜引用ここまで〜
合理的配慮というものは、義務ではないが、可能な限り対応しようという努力目標ということである。
今回の対応について、社民党が出した声明文に対しJ-CASTニュースの取材でJR東日本横浜支社は次のようにコメントしている
〜以下引用〜
当社では、お客さまのご要望を承りつつ、代替手段であるタクシーの手配や、可能な範囲での駅係員の手配による来宮駅での介助対応を行っており、『合理的配慮の提供』を行ったものと考えております。
〜引用ここまで〜
事業者側がどれだけ合理的配慮を行ったと主張しても、受け取る側が合理的配慮と感じていなければそれは合理的配慮ではないという考え方もできる。
この点は両者の言い分が理解できることであり今回の問題で一番難しいポイントだと思う。
今回熱海駅から係員4人が駆けつけて、100kgを超える電動車いすを運んだことは、合理的配慮の枠を超えた特別な計らいであったとされる。合理的配慮の枠を超えるということは、つまり負担がかなり重かったということである。
このような特別な計らいを目撃した身体障害者が同じ対応を主張し、これを認められなかった際に「伊是名氏は対応してもらえるのに私は対応してもらえないのは差別ではないか」という考えを持つことは容易に想像できる。かなり重い負担をかけて対応した上に、一度対応した手前これが当たり前になってしまうというのは事業者にとってはかなりしんどい。特別な計らいを当たり前にしようとする運動は、かえって他の身体障害者に対する合理的配慮の幅を狭めてしまう可能性がある。
そもそも、バリアフリー化を求めるのは良いが財源はどこにあるのか。国からの補助もあるだろうが、交通事業者の出費も馬鹿にならない。
交通事業者の出費は主に運賃収入によって賄われる。バリアフリー設備は健常者(高齢者等を除く)にとっては必要のない設備である。必要のない設備を設置するために、運賃が上がるというのは健常者差別ではないだろうか。
基本的に身体障害者は、介助者1人を含めて運賃が半額となるケースが多い。受益者負担の原則に則るならば、ある程度運賃を上げてこれをバリアフリー化の財源とすればよいのではないかと考える。
○主張ばかりでは賛同は得られない
他の障害者から伊是名氏に対して否定的な意見が多く寄せられたという記事を見たが、主張ばかりする存在、丁重に扱わないと何を言われるかわからない存在になってしまうと受けられる合理的配慮の幅も更に狭まってしまう。
伊是名氏の言動には一方的な主張と問題提起を混同している節が見られ、この考えを改めない限りは社会から総スカンを喰らい続けることになるだろう。
色々考えていて、やっぱりこの件は
という案件だと思うのです。
若干今更感はありますが、思うところを書きました。
例えばスーパーの出入り口から段差をなくすとか、日々の生活に密着した施策はどんどん推進していった方がいいと思います。
ただ、「一応お客さんの出入りもできるようになっている」程度の裏口にまでそれを要求するのは正当なのか?とは思ってしまうわけです。
翻って今回の件ですが、SNSやメディア等で色々議論はあるものの、個人的に腑に落ちないのは「なぜ熱海駅ではだめだったのか」ということです。
駅員に「熱海駅まででもいいですか?」と聞かれて断ったということは分かっていますが、その前段階、旅行の計画を立てている時に、伊是名さんは「熱海駅ではなく来宮駅を選んだ」はずなのです。
旅行を計画する時、特に目的地がある場合は、普通そこのホームページを見たり周辺の観光案内を調べたりしますよね。
伊是名さんも当然調べたと思います。
調べるのはとても簡単で、来宮神社のホームページにもありますし、来宮神社を紹介する観光系サイトや個人ブログを見てもいいと思います。
そしてそのほとんどに来宮駅と熱海駅からのアクセスが書いてあるので、調べていて熱海駅からのルートに触れなかったとは考えられないのです。
つまり伊是名さんは「熱海駅ではなく来宮駅を選んだ」ということです。
もし熱海駅からのルートを知らなかったのであれば、来宮神社だから来宮駅だと思ったということなんでしょうか。
それは幕張メッセに行くのに調べないで幕張駅を使うような愚行なので、初めて行く場所でそんなことはしないと思います。
(初めだったのかは分かりませんが、そうでなかったら余計問題なのでおいておきます。)
来宮神社まで、来宮駅からは400m、熱海駅からは1.6kmです。
ではなぜ、伊是名さんは熱海駅ではなく来宮駅を選んだのでしょうか。
単純に近いから。
ただ、伊是名さんにとっては単純な距離よりも重要な要素がありますよね。
熱海駅は市の名前が付いているくらいですから利用客も多く、バリアフリー設備も充実しています。
駅の利用は問題ないでしょうし、車椅子でも利用可能なバス・タクシーの手配もしやすいはずです。
一方で来宮駅は、少なくとも伊是名さんにとっては「調べても分からなかった」レベルです。
そして、熱海駅から来宮神社に行くことを考えたら、熱海駅からの交通手段を調べますよね?
そうすれば今回のトラブルは起こらなかったんです。
(万一熱海駅が大きな駅だと知らなかったとしても、来宮駅を調べて熱海駅を調べないのは理屈に合いません。)
そのため、今回の件は「避けられたトラブル」と言うよりも、「ドラブルの起こりそうな方を選んだ」という印象が拭えないわけです。
ところで、来宮駅と来宮神社は徒歩5分程度と言われていますが、実は難所があります。
来宮駅の駅舎は線路の南側にあり、来宮神社は北側にあるんですね。
そのため最短ルートを通るには来宮暗渠という短いトンネルを通るのですが、そこの歩道が細く、ガードレールもあるため車椅子では通れないのではないかというほど狭いのです。
伊是名さんはブログで特に触れていませんでしたが、果たして歩道を通れたのでしょうか、それとも車に待ってもらって車道を通ったのでしょうか…。
最短ルートを通らない場合は、1.5kmほどアップダウンが激しく歩道が狭い道を歩くことになります。
時速2kmで45分かかるわけですから、結構な負担になるはずです。
伊是名さんは旅行先の条件として「移動距離が少ない」をあげていましたが、これは少ない範囲なのでしょうか。
来宮駅-来宮神社間のルートは知っていれば迷う道理がないのですが、トンネルにある小さい看板を見逃して通り過ぎてしまうと熱海駅に行ってしまいます(途中でおかしいと気付くかもしれませんが)。
一方、熱海駅からだとバス・タクシーで神社の目の前まで連れて行ってくれます。
数百円でも節約したいとか、迷うのも旅の醍醐味だという人であればともかく、そうでなければ健常者でも熱海駅から行った方が間違いがありません。
健常者であればスマホで地図を見ながら行けばいい、というのもあるんですが、車椅子利用者は「道はあるけど通れない」という事態に出くわした経験が少なからずあると思うんですよね。
電車なら駅員に相談すればいいですが、旅先の道路でそうなった場合のリスクは考慮するものではないのかなと思います。
「障がい者が気にせず外出できるのが理想だ」というのはその通りですが、現実のリスクを無視するのは違うと思うのです。
また真偽不明ですが、伊是名さんは来宮駅で降りた後、西にある熱海梅園に行ってから来宮神社に行ったと説明している人を見ました。
こちらの説であれば来宮暗渠を通っていないのは理解できるんですが、するとなおのこと、熱海駅から行かなかったのが不思議なんですよね。
対して熱海駅からバス・タクシーを使うと、熱海梅園の目の前まで連れて行ってくれます。
車椅子での移動を減らしたいのであればバス・タクシーを使うのが合理的です。
そもそも、最短ルートで直接来宮神社に行かないのであれば最寄り駅というメリットがなくなるため、来宮駅で降りる必要がないんですよね。
紛糾しているのは、結局これだと思います。
伊是名さんの言いたいことは「バリアフリーをもっと浸透させてほしい」で、それ自体は正当だと思います。
ただ、どう考えてもやり方はまずかった。
旅の計画段階で「合理的」な判断をしていれば起こらなかった問題なんですから、そこをフックにしてしまうと主張そのものが疑問視されてしまいます。
だから、今起こっている事は「誰が言おうが正しいことは正しいのだ」と「言ってることは正しいがお前が言うな」の戦いなんですよね。
熱海市の市議会では駅のエレベーター設置の議論が何年も続いており、その結果4つある無人駅のうち2つにエレベーターが設置されたそうですが、今回の論争、本当に必要でしたか?
要するに、熱海駅からバスを使えば来宮神社前ないし熱海梅園前まで行けるという「スロープ」があり、それは見えていたんです。
しかしバリアフリーの対応状況が分からない来宮駅という「階段」を伊是名さんは望んだ。
それがバリアフリー推進のためにあえてやったことなら、私は「言ってることは正しいがお前が言うな」と言います。
もし素で準備不足の旅行だったのなら、社会常識を身に付けて下さいと言います。
社会課題を世に問う目的であれは問題行動も有りだという考え方の先にあるのは、アメリカのBLM運動で起こった商店打ちこわしと略奪ですよ。
この話もいくつかの段階があると思う。
① 電動車椅子ユーザーが、どの駅でも自由に乗り降りしたいと思うのは妥当か?
③ 妥当でない②の作業を、法律に「合理的配慮」があることを根拠として行わせることは妥当か?
→これは実際に体を張る労働者の立場とそうした経験のない立場とで意見が分かれそうなところ。
個人的には、今回の状況であれば、法的な義務はないけど本来あってほしい設備がないからって、その代償として危険な作業をさせることが「合理的配慮」だとは思わないが…
中には、「経営者が設備を設けていないのが原因だから、危険な作業を行わされた人が経営者の責任を問うべき、行わせた人は悪くない」という意見もあるが、それはテロリズムではないか?
④ ③の顛末を「成果」として、それも模倣を期待して手法等を細かに公表することは妥当か?
→そういうことを行うこともあるだろうし、まあまあ妥当なのかな…
⑤ ④は、『共感』を得られるか?
細やかに経緯や手法を公表する以上、その目的は共感を得て世論の支持を受けることだろうが、共感するかどうかを決めるのは記事に触れた人それぞれであり、教条を掲げて左右できることではない。
昔だったら知らず、2021年の社会においては、どうやら今回のようなやり方は共感より反発が大きかった。
今や、「カスハラ」なんて言葉が生まれるようなモンスタークレーマーの存在や、公務員批判の結果として行政機構が疲弊し災害対応も学校教育もままならなくなったことが社会に知られるようになった。
国力も衰退し、災害のたびに廃線が増えるの見て、鉄道も維持が難しくなっていると知られている。
「全力で敵を批判してれば後は自然になんとかなる」と都合良くはいかないらしい、社会の構成員としてそれでは不味いらしい、という認識が広まったのではないかと思う。今回の場合に直接当てはまるかは別として、社会にそうした流れがあるとしたら、共感を得るには流れを踏まえる必要があるだろう。
⑥ ③について反発があったとして、批判するのは避けるべきなのか
→政治家が政治活動として、明確な意志をもって、電動車椅子ユーザーを代表して③を行った以上、その結果得られる共感も反発も、その政治家が引き受けざるを得ないと考えるのが妥当ではないか。もちろん脅迫的なのは即警察案件だ。