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2025-12-05

anond:20251205180938

バニーさんええやん

お土産頼むで!

2025-12-03

工場信のないやつはバカ

増田工場見学が好きなんだが、会社の人を誘ったら休みまで工場行きたくないと断られた。

とはいえ工場ってめっちゃ立地よくないね工場見学無料だとしても交通費めっちゃかかるし、人気のところは予約も大変だし。平日しかやってなかったりもするし。

年一くらいで行きたい。ちょっと勉強になる。

特に食品系の工場見学お土産もうれしい。


学生とかは見学部分しか見てないかメーカー工場勤務はライン作業と思っている人もいるかもしれんが、工場にも場所は色々あるんだよ、院卒とかも設計でいたりするよ。

まあメーカーに入ると作業着の毎日になるということがある。

工場信がないやつはバカ

2025-11-29

こんな夢を見た。

2025年12月のある真夜中、モスクワ崩壊した。何が起こったか世界は知りえなかった。12時間後、北京政府地球から侵略者に備えると宣言し、シベリアに軍を派遣した。しかしその軍は跡形もなく崩壊してしまった。その12時間後、北京崩壊した。

まだ世界は何が起こったか理解できなかった。その中で朝鮮の太っちょは側近を連れシベリアに向かった。彼はロシア中国に何があったか少し知っていた。太っちょがシベリアにつき、何者かに接して24時間後、朝鮮軍は全長20kmを超える三機の漆黒モノリスの助力を得て南進した。南進開始より48時間経たず、南の国家崩壊し、太っちょは朝鮮半島の統一宣言し、アメリカのトラ大統領中国周辺の各国首脳を、ピョンヤンに招くと伝えた。

崩壊したモスクワでは、朝鮮半島とは別の深紅モノリスより現れた仮面人物により新生ロシア政府の成立が宣言された。ウクライナに即時の現状維持での停戦を求めたが、ウクライナはそれを拒否した。そして、言ったはずだ!同志になれと!!なぜそれが判らなかったのだぁ!!!とのメッセージとともにキエフもまた崩壊した。キエフ崩壊してから24時間モスクワからリヴィウに、今度は蒼鉛のモノリスが向かった。時を同じくして、何かを知っていたローマ教皇バチカンに集めた枢機卿を引き連れてウクライナに向かった。モノリスリヴィウにつき、中からでてきた初老男性がプッチン以下をウクライナに引き渡した。ローマ教皇一行はモノリスから人物の前に跪き、神よとあがめたが、その人物は、神とは違うのだよ!神とは!と答えた。NATO各国も初老男性接触しようとしたが、すぐさま蒼鉛のモノリスとともに消え去り、詳細を得ることはできなかった。

数日後、トラ大統領中国周辺国家の首脳は日本に集まり事前協議をした後、横田基地より米軍機に乗りピョンヤンに降り立った。朝鮮の太っちょが議長となり、各国首脳とモノリスから現れた人たちの会談が開かれた。主を失った中国は、当面周辺各国が進出し、難民流出を押しとどめ、分割統治が行われることが決まった。日本は現地人の対日感情が悪いということで、何ももらえなかった。朝鮮軍の南進によって捕虜となっていた在韓米軍モノリス人物好意で、モノリスによって丸ごと横田基地に運ばれることに決まった。トラ大統領一行もモノリスに同乗し、その技術力に目を見張った。

横田基地に帰還したトラ大統領一行により、詳細の発表が行われた。失われた十部族が帰ってきたのだと。十部族地球帰還に際し、無人シベリアを帰還地としてロシア交渉していた。おりしもウクライナ戦争で不利になったプッチンが、台湾進攻を企てていたプーとともに、十部族の持つの技術を奪取しようとしたが、返り討ちにあったのだと。

その横で日本女性首脳は踊っていた。

敵か味方かわからない十部族について世界各国は動揺した。それを静めるため、太っちょとトラ大統領の計らいで、後日十部族の長たちが国連演説することとなった。

数週間後、白銀モノリスで、十部族の各長が国連に到着した。降り立ったのはすべて女性であった。そして、その長達によって驚くべき歴史事実公表された。

ユダヤ一神教の神とは、宇宙航行種族であったこと。航行種族地球発見以来、詳細な人類史の記録があること。知性の萌芽を見つけた宇宙航行種族は、宇宙の法を教えようとしたが、ユダヤ民族以外は受け入れなかったこと。十二部族他民族に滅ぼされかけたので、従った十部族だけ緊急に航行種族ルナベース保護されたこと。ローマ帝国成立後、航行種族は介入を止め、観察に徹したこと

イエスは十部族と関連があった人物であったが、規則を破り、他民族にも宇宙の法を広めようとしたこと。6壺のワインと、5000人分のパンUBERで注文したが、代価を払わなかったこと。そのため罰として、地上で処刑されるとき見放し、のちに復活させて収監したこと大陸の東の孤島に収監する前にローマから逃げるパウロに会わせたことが、偶然カトリック教会の礎になったこと。現地妻との間にできた子供誕生祝いのコップを贈っているが、それは聖杯ではなく収監先の津軽焼のお土産であること。

この時イエスの拘束された写真が表示されたが、聖骸布とは似ても似つかぬ、丸顔に無精ひげのおっさんであった。

そして、マホメットとは十二部族とも航行種族とも何の関係もないことが語られた。

世界パニックに陥った。ローマ法王はまだ沈黙を続けている。イスラム圏では、それでもイスラム教を信じるもの棄教するものとの争いになった。

まだ公表は続く、七十人訳聖書誤訳について、旧約聖書舞台現代イスラエルではなく、紅海東岸イエメンサウジのある場所であること。

十戒を下した場所特定され、出エジプト記ルートも従前言われたエジプトからではなく、アラビア半島内での逃避行であったことが明示された。

(そりゃ国家成立後70余年掘り返してみてもユダヤ遺跡なんか見つかるわけないわ、各国の聖書考古学者は嘆き、その人生を後悔した。)

イスラエルにいるユダヤ人とは血統的に十二部族とは関係がないこと、それ以上にパレスチナ人の方が残された二部族血統が近いこと。

ローマ帝国の滅亡により、帰還が1000年遅れたこと。そしてローマ帝国の滅亡の轍を再び踏もうとしたため帰還予告を送ったこと。

ファティマの預言とは、十部族の帰還の予告であった、百年待っていて下さい、きっと逢いに来ますから。その時までに文明崩壊をさせないようにという警告も含めていたことであった。なぜファティマが選ばれたか?それはたまたま部族の地上関係者の居住地の近くだったに過ぎない。

日本神話とギリシャ神話インド神話はそれぞれ実際に起こったことを神格化したに過ぎず、アトランティス現在ドニャーナ国立公園にある。

そして、所定の場所を掘ればそれなりの遺跡が出るとのことだった。

バベルの塔は、塔ができたことにより、いろいろな言語を話す人たちが集まってきたが、落雷で壊れ、その時の混乱が大げさに伝わったものだった。

ノア洪水はかつて地中海は干上がっていたが、そこに黒海より水が流れ込んだ時の出来事であったとか。

(まぁ、昔だから距離とか偉業とかは口伝で正確ではなく、記録が定まったときには大げさになってるだろうと、各国の歴史学者は妙に納得した。)

ムー大陸ノストラダムス予言に至っては、チャーチワード詐欺でありまた、詩集他人勝手拡大解釈したものバラされた。

カルト宗教陰謀論信者たちは、それでもこれらを信じた。)

航行種族より十部族にも公開されてない史実があるらしい、それは総会後の雑談でもたらされた。

インダスシュメール?あれはねぇ、ちょっとした失敗らしいの、前だから詳しくは教えてもらえなかったの。

でね、ピラミッド航行種族転送装置を、現地人が真似て作ったもの。真似だから動かないし、時代を経るごとに大きくなっちゃたらしいの。

巨石遺跡や隙間のない石垣は、現地人がやってくれたら法を学んでくれると言われたからやったらしいけど、結局学んでくれず、放置されちゃった名残りだって、等々。

部族はすでに月の裏側ラグランジュポイントシオン公国を築いており、地上ではシベリア基地を持っていたので、約束の地放棄する方針であった。

そしてルナベースには航行種族の系外へのワープ施設が設置されているとのことだった。(ちなみにこの施設、一回動かすのに13バクトゥンかかるらしい。)

その発表後、ローマ法王は真実の隠匿を認め、カトリック教会解散宣言し、マラキの予言通り、最後法皇となった。カトリックより分派した宗教は、カトリック以上にそれぞれの存在意義を失った。

中東は大混乱に陥った。まず、イスラエルはその存在意義を失った。イスラエルを離れるもの、一個人として残るものと様々であった。

パレスチナ人は、今更ユダヤ教に改宗してどうする?と血統と信教の板挟みに陥った。

サウジイエメン国内にある聖書遺跡約束の地の扱いに苦慮する羽目になった。

イランでは原理主義たちが棄教者たちを虐殺するに至った。

欧米では宗教意義を失った移民と現地民との間の軋轢が高じ、無政府状態に陥った地域もあった。

各国の陰謀論者たちは歓喜したが、思い至らなかったこと、関係者ではなかったことを悔やんでいた。

台湾は将来の中華統一を目指して、関係各国と粛々と交渉を始めている。

太っちょは、十部族の一番弟子統一英雄大朝鮮帝国初代皇帝自称し、認めたくないものだな自分の有能さを、とにっこにこである

日本では、少し?物価高になったが、相も変わらず、日常が続いている。

かくして天国の門は開かれた。七つの大罪を背負うものは地上に留め置かれ、七つの徳を成したもの昇天する権利を得た。

なお、日本女性首脳はまだ踊っている、あぁ時間(とき)が見えると。

おしまい。』

2025-11-28

気持ちはなんとなく分かるけど辛い話題

https://note.com/iyaiyaiiya/n/n7440ea79e0fb

自分も、ADHDかつ軽度のASDの子供がいて、ADHD当人で、配偶者ASDだか、少しだけ気持ちが分かるような、いろいろと辛いような、どちらの感情もあったので走り書き。

つい数年前までは、平凡で普通な平均の人間で、面白みのないありふれた当たり前の生き方人生だと思ってた。

奥さんの弟は少し破天荒タイプで、いつも義理の母が苦労していた。ちょっとしたマイルドヤンキーくらいに捉えていたけど、すったもんだであるとき検査をうけてASDと診断された。知的障害はないが、自閉症としては重度だった。

それでも近いようで対岸の火事気持ちだったから、義母も大変だから何かとサポートしようくらいの気持ちだった。

10年くらい前に鬱で休職して以来、ずっと普通に働いて生活してたつもりだけど、少しだけ精神不安定だった。それが数年前に仕事ドタバタで鬱ぽい状態から悪化して、会社をしばらく休職することに。

休んでる間はほぼ夏休み気分で溜まってた有給を消費しながらのんびりと過ごしてた。奥さん全面的サポートがあったからすごく助かった。

そんな時に、奥さんから精神科で軽度のASDADHDの診断を受けたと報告された。どうも僕のことを相談しにいって、問題自分の自認や特性に原因があるぽいよ、という医師の診断と検査結果だったみたい。

そ」から色々と話し合ったりして、もともとADHD特性に当てはまる自認があったから、鬱の通院のついでに相談して自分検査してもらった。潜在的な自認はあむたけど、冗談半分の気持ちだったから、たぶん精神科に通院している状態でなければ、検査する気や発想にはならなかったかも。

診断結果は生まれもっての注意欠陥と多動の発達障害でしょう、とのこと。

いまなら自覚もあるけど、自分性格普段の行動からも、多動症典型という感じはする。

蛇足だけど、老後生活をゆっくり過ごしている両親には伝えてない。でも自分以上に父親もっと多動だと思う。

それとほぼ並行して、息子が大学に通えずに精神科に通院し始めた。カウンセラーにもアドバイスをもらいながら検査もして、ASDADHDの診断だった。

不登校気味で友達関係や人付き合いに悩んではいたけど、自分よりもしっかりもので、事件トラブルもあったけど、真っ当に成長していると感じていたから、自分のことよりもびっくりした。けれど、まあ、両親の遺伝を考えれば当然なのかなという納得感もある。

あと精神科に通ったり発達障害について多少の知見があったのは、少しだけ子供サポートに役立ったような気がする。

自分自身が発達障害で何か困難があるかと問われてもあまり思いつかない。締切の直前まで先延ばしにする悪癖は間違いなくある。締切の直前とトラブル時にだけアドレナリンが出て能力1.5倍で働ける。世間では無能な類だと思うが、プログラマとして興味のある分野を勉強研究して、気に入ったOSSには足を突っ込んだり、担当外のプロジェクトトラブル問題茶々を入れたり、意外とそれなりにやれてきたような。

家を出る時は家族の誰かの忘れ物で何度も行ったり来たり、それでいて肝心の物は結局忘れたり。封筒でもらった現金お土産と一緒にしてたら空だと勘違いして捨てたり。漫画小説は昔から同じ巻が何冊か被ってたり。

言い間違いや勘違いや物忘れが多すぎて、友達にまとめられる程度にはトンチンカンだし。

いまだに自分家族の病名が覚えられなくて、いつもADSLだし。

他人から見たら診察するまでもなく自明なやつらなのかも。

書き出してみると、確かに優秀な人からすれば我慢が出来ないほどの可哀想特性なのかもしれんけど。自分たちは動物園水族館映画も大好きだから障害者割引を呑気に喜んだり平和にやっている。

何が言いたいのかもう全然分かんないけど、自分人生幸せだと自信をもって言えるのは奥さん結婚して楽しく心地の良い生活ができているから。少し気難しい奥さんと仲良く楽しくやれるのは自分特性が少しは役立っているのかも、とか。人名も店名も曲名歌詞もいっつもうろ覚え支離滅裂な会話でものんびりぼんやり付き合ってくれる奥さんのパーソナルはとても相性がいい、とか。

息子の将来は心配なとこあるけど、いまだに一緒に野遊びに付き合ってくれる心優しくも楽しい良いやつだから、何とかなるのかなと楽観視はしてる。

しっちゃかめっちゃかだけど、現代社会を生きるのには不便な特性かもしれんけど、悲観するよりは楽観したほうが楽しいんじゃないのかな、という余計なお世話が思い浮かんだ。

2025-11-23

子どものやった事なのに弁償しろってひどくない?

お土産屋さんで、子どもが売り物のお菓子モグモグ食べていた。

その場に居合わせ店員さんが注意し、私のところへ連れてきたので、軽く注意した。

そしたら店員がキレてきて、弁償しろかいいだすの。

子どもがやったことなのに、弁償しないといけないんですか?」って言ったんだけど、弁償しろ一点張り

子育てには厳しい時代だよ

2025-11-20

義実家への帰省をなくしてサイコーになった

今年の春ごろお金関係義実家にいろいろ迷惑をかけられ、絶縁ではないもの距離を置いている。

(夫からは当時離婚選択されても仕方ないと思ってるし、今後一生私たち家族義実家の縁を切ってもいいとまで言われていた)

ただ、私たちの子供にとって大事なおじいちゃんとおばあちゃんなのは確かなので、私はいかないけど子供と夫二人で行ってきなーとふたりだけで遊びに行かせたり一泊させたりするようになった。

そうしてしばらく経ったら夫も当時の事なんて忘れてしまったのか、縁を切ろうとまで言っていたはずなのに「正月どうする?ってお母さんが言ってたよ~」とか何の気もなしに言い出したので「行かないよ。行くわけないし、あなた子供だけで行きなね」と宣言した。

夫も食い下がることはなく、了承してくれた。

正直死ぬほど快適。行かなくていいってなった時点で年末年明けが楽しみすぎる。

から義実家に対して嫌いじゃないしいいひとだとは思っていたけど、なんかうまく言えないけどここが変だな~という点が多く、戸惑うことが多かったので。

夫は正直義実家性質を色濃く継いでいて、その場しのぎでその時々で言動を変えてはそんなこと言ったっけ…と(本人にそのつもりはなくとも)責任逃れすることが多かった。

今回もなんで増田は怒ってるんだろう?とか思ってるかもしれない。最終的に私だけがいつまでもぐちぐち怒っていて面倒だとか記憶改ざんされかねないので、こうして折りに触れて義実家でされたことは忘れてないし、まだ傷ついているよ、あなたも困ってたことだからね、と釘を刺しているけど、正直響いてはいなさそうだ。

縁を切るレベルことをされておいて、孫を二度と会わせない選択もできたはずなのに会わせてあげる私って優しいじゃんとすら思ってるんだけどな(これは口には出さないけど)

特に今のところ全く問題はないけど、しいて言うならこれっていつまでこの距離でいれるのかな?とは思っている。いつかは許さなきゃいけないのかな?

でも許す許さないとかじゃなくて、メールのやり取りはしてるし子供が遊びに行く際はお土産を持たせたりしていて、ただ私が行かないってだけ。

これでこのまま行きたいな~冠婚葬祭以外会わない、文面でのやり取りのみの関係

向こうも嫁がいなくて血のつながった人間けがいる空間の方が気楽じゃね?と思ってるんだけど

2025-11-18

スーツ買い換えたし

ご両親に渡すお土産も買ったし

実家に向かう新幹線チケットも取ったし

ホテルも確保したし

もう今月は外食できないな

2025-11-17

資生堂パーラーのラ・ガナシュ

頂き物で齢40にして初めて食べたのだが、うますぎてビビった。

最近いただいたお菓子の中で断トツ

今度から海外出張に持っていくお土産はこれにする。決めた。

そしてたまには自分でも買って食べたい。

2025-11-16

[][]到津の森公園福岡県 北九州市

読みは「いとうづ」

ちょっとした遊園地動物園アスレチック複合施設

入場料600円

映画とかその他ふつう遊園地入園料とかと比べると動物園って激安だよなあと改めて思う

ただ北九州は車がほぼ必須なのが面倒

バスもあるけど電車より不便

博多とか天神とかだと歩きとバス地下鉄で気軽に移動できるけど、それができない

ともあれ到着

小学生が2校遠足にきててこりゃうるさそうだわと思ったけどそこまでではなかった

猿の前で猿の泣き声の真似してるのはうるさかったけど

マップ←の北ゲートから入る

園内マップ見ながら書くから読むときも一緒にミロ

https://www.itozu-zoo.jp/map/

入ってすぐ右手にあるのはロバ

1頭が木陰でぼーっとしてる

説明を読むとすげーおじいちゃんロバだった

そんでそばではロバに乗る体験コーナーがあったけど子供しかのれないとのことだった

ロバがかっぽかっぽ歩いて柵に近寄ってきて、その子の親が写真をとる

弟だか妹だかがベビーカーにのってて、ロバが顔を近づけたら怖いのかぐずりだした

写真で止まったままで飽き始めたのかロバは地面の草を食べ始めた

フリーダム

そのまま少し進んで右手にヤギコーナー

平地にヤギがいる感じじゃなくて、三匹のヤギのガラガラ丼の方のヤギ

展示もガラガラ丼と同じような岩場と丸太の橋が用意してあってそこをまさにガラガラ丼にでてくるみたいな八木がわたっててすげー感動した

地味にハイライトだよここ

振り返って猿山

あかちゃん猿を連れた母親と、父親と思われる猿が3頭でふらふら歩いてる

あかちゃん母親のおなかにくっついてるけどたまに落ちる

でも落ちても母親はすぐに気づかない

父親があかちゃんさわろうとすると母親はおこる

エサタイムはいわゆる猿山でホッホホッホウキーってうるさくなる

次シセンレッサーパンダ

いないなーみえないなーって思ったらいた

笹もあったしなんかパンダ分を補給できた感じになった

これもさっきのガラガラ丼みたいな感じでエリア移動用の通路が人が歩く上にあってそこでとどまって人間をみおろしてたりもしてた

さすがに立ったりはしなかったけど

プレーリードッグ

エサタイムで新しい木の枝がきたらみんながうわああああって感じで食べまくってた

すげー太って手くいいじ貼ってるやつがい

あとで帰り際にきたら食い終わってほとんどもうエサがなくなってみんなぼーっとしてた

そのうち2頭がすげーうごいてた

1頭がさきにうごいたらもう1頭がそれついていって2頭ともたちあがって2頭目が1頭目に無理やりちゅーしてるみたいな感じになった

頭目はいやがらないけど虚無みたいな表情してた

頭目恍惚としてたけど

頭目がなんども逃げて2頭目ちょっかいというか毛づくろいというかラブコールするのをなんども 繰り返してた

ウサギ

年取ったウサギがいた

エサもぐもぐしてると思ったらエサ箱にはいってるのをむちゃくちゃに散らかしてた

吸取れすたまってたんかな

オウムの展示も近くにあったけど

白くてでかいたまにつべショート動画でも見るやつ

こっちを少しだけちらっと見たけど奥の方でじっとしてた

キツネザル

ちょうどお昼だったか太陽のあたるところで日向ぼっこしてた

リクガメ

地面におかれたみじんぎりキャベツを食べてた

そのあと小屋がゴソゴソ音するなと思ったら一番でかいボスっぽいのが出てきてそれもエサたべたりエリアを歩いて散歩したりしてた

キャベツの芯もおいてあったけど全然かみきれずあきらめてた

ここでルート分岐

右側にいくことにする まずは

里のいきもの

室内

ここではじめてカヤネズミ見た!

1匹しかおらんかったけど・・・

カヤネズミのちゅるりという絵本、全人類が読んだことあるとおもうけどあれね

ほんとちっちゃいのよねえ・・・

これ絵本にでてきてたあかちゃんもっと小さいんだろうなという感じ

目はつぶらでかわいかった

あとは爬虫類とかがちょっといた

イモリはほんと水の中にいるんやなあとか

バードケージ鳥インフル対策で入れず外から見るだけだった・・

でも黒トキ?とフラミンゴオシドリは見えた

トキフラミンゴと同じように片足で立ってた

へー片足で立つのフラミンゴだけって印象だったけどトキもそうなんやと思って新発見だった

ひそかな木陰にホンドフクロウ

昼間ってこともあってかなり薄暗い中でじっとしてた

こっちをチラ見したりはしてたから寝てはいなかったみたいだけどお尻向けてた

ホンドタヌキ

みんな陰に隠れてるのか1頭も見つけられず

ここは動物園全体にいえるけど、檻がでかくてかつ木とか自然物のオブジェがすげー多いから、動物が隠れて探しにくいんよね

動物にとってはそっちのほうが断然いいとは思うけども

ムササビの森

ここもクソほど檻がでかいのとオブジェおすぎ全然見つけられず

ムササビ用のどんぐり貯金箱コーナーみたいなのがあって、園内でひろったどんぐりをここに入れてね!みたいなのがあった

ただの貯金箱じゃなくて、駄菓子屋にあるようなゲーム形式になってた

どんぐりを上から入れて左右からそれをはじきながら下まで落としていくゲームみたいな

そのあと下に戻る

姿見の池は水がぬかれていて何もいなかった

檻もなかったし本当にただの池ってだけって感じ

また左側に戻る

アムールトラ

奥の方で横になって寝てて顔も見えなかった

そりゃ顔見える方向だったらトラとしては落ち着かないからそうなるとは思うけどつまんなかったな

オウギバト

おおきめの鳩の頭にクジャク羽根みたいな冠羽がついてる感じ

セイロンゾウ

モナカの外側の皮をおやつとしてあげられるみたいなやつでそれで写真とってる人がたくさんいた

おばさんがゾウといっしょに写真とってもらおうとしてて、

何度も撮影者の方にいってアングル確認するせいでお預け状態みたいになってて笑ってしまった

そのあと小さい子供は鼻をさわろうとして手をのばすけどさわれなくてさわりたいと文句をいっていた

ゾウは2とういるけど、ケンカするから1頭ずつ半日交代で出てるってことだった

ただやっぱ見た目でかいのはインパクトあるねえ

動物園きてる!って感じがするわ

コンゴインコ

15分前くらいはすげーうるさかったけどしずかになってた

派手なインコ

フクロテナガザ

52歳のやつとかいてやばかった

すげー見た目からおじいちゃんって感じした

人間を観察してる感じもした

ワライカワセミ

かにとまってたから声は聴けなかった

縄張り争いとかで鳴くから縄張りくそもない動物園で鳴き声きくのはほぼ無理だよなと

マンドリル

やっぱ顔のインパクトあるよなあ・・・

あと地味に驚いたのが群れの数が世界一らしい

数百頭

ニホンザルも群れあるし多い方だと思ってたけど、世界的にはもっとかい群れがあるんだねえ

マンドリンって楽器あるけどマンドリルからきてるのかなあ・・・

クモザル

ドリトル先生クモザル島ってでてきたよなあ・・・

こんなマニアックなのをチョイスするってロフティングやっぱやべえわと思った

ずっとドリトル先生で見た文字イメージしかなかったけど初めて実物見たわ

ライオン

オスメス1頭ずついた

最初はメスがこっち見てくれててオスはお尻向けて寝そべってた

メスもすぐ寝そべって寝始めた

でもライオンって思ったより体でけえなって思った

オスよりメスの方が体格よかった

マサイキリン

模様が星型とかでふつうのやつとはちょっと違うらしい

まだ3歳ってことで小さめのキリンだった

シマウマ

フンがくさかったのとフンによってきたハエが来園者のまわりまで飛ぶくらいだったかちょっとひどいエリアだった

ただシマウマのケツや後ろ足あたりがまるまるとしていて、こりゃ肉食からみたらうまそうにみえるわと思った

ミーアキャット

端っこにいたやつが立ってた

アライグマ

箱慣れ中ということでなんか訓練中らしい

檻の中に体重計がだしっぱだったのがちょっと気になった

ホオジロカンムリヅル

人がくるとエサと思うのか一番檻の前まできて左右にうろついてた

これでほぼ動物全部

お土産コーナー

この動物園特有ってよりかは普通動物園おみやげうりばって感じで独自ぬいぐるみとかはなかった

キリンぬいぐるみもマサイキリンじゃない模様のやつだったし

動物園にいるのはムササビなのに、ぬいぐるみおいてるのはももんがだったり

お土産で儲ける気をちょっと出した方がいいと思った

あと動物園自体廃園危機だったけどいろいろ寄付とかサポーターとかあって存続してるんだって

いろいろスポンサー名前をいろんな場所でみた

あとただの併設遊園地と違うポイントとして、サイクルモノレールがあるんだけど、これに動物園ガイドの人がいっしょにのって上から動物たちの解説をしてくれるってやつだった

これはなかなかよさげだった

うーんバードケーじ入りたかったなー

大人だけだとだいたい3時間くらいかなー

芝生広場弁当くったり自由時間ちょっとあったら1日の遠足にはちょうどいいね

プレイランドワニワニパニックって笑ってしまったわ

動物園動物虐待のゲーム(笑)って思って

やぱ改めて考えても一番インパクトあったのはガラガラ丼のヤギコーナーだなあ

動物園で一番よかったのがやぎ (笑)って思われるかもだけど

旭川動物園朝日山動物園?も1回くらいいってみたいなー

なんか動物園ってせまく感じちゃう

大人になったせいか・・・

でも福岡市動物園はうちっぱなしのコンクリの檻のイメージの印象がつよかったから、

それに比べるとここの動物たちは少しはマシな環境だなと思った

今の福岡市動物園もどっかで行きたいな

2025-11-14

今日休み

妻子を送り出して10から車の点検

実は9月に車をぶつけて、来年1月に修理予定の状態

1月まで修理できない原因は代車がないから。

車の保険に代車特約があればすぐに修理できるはずだった。

次の保険更新は代車特約つけてくれという。

点検待ちの間に担当が来る。

契約確認すると代車特約あったらしい。

文句言ってもしょうがないので、代車を申し込む。

一旦店を出る。

最近見てるノブロックTVカップラーメンコラボしてたのが頭から離れない。

スーパーで物色するけどお目当ての商品はない。

カップラーメンはめったに食べないからじっくり選ぶ。

スーパーカップとんこつ167円。安くてびっくりする。

家に帰って食べる。普通にうまい

小学生の子どもを自転車で迎えに行く。娘の持病で迎えに行くことになっていて、もう2か月くらい送り迎えしてる。

平日も2~3時間早退してて、もう余生を過ごしてる感覚

午後3時再びディーラー

これから一ヵ月くらい付き合う代車はマツダ2。

360°モニターはあるけど、さすがにシートヒーターが無いのが残念。

家に帰ると親が来てて子供お土産パンを貪ってる。

実家の近くにパン屋がオープンしたらしい。

午後6時晩飯さんまを塩焼きにする。あとは総菜の豚カツと昨日作った味噌汁

娘がまだ食べたくないとごねる

いつも親が来ると勝手ににえさを与えられてちょっと困る。

2025-11-13

anond:20251113203951

ギリ健がちゃんとできるわけないんだからお土産くらい素直に受け取ってくれたらいいのにな

電話がかかってくるってことは照れてるだけだぞ

でも社会に出て健常者並みに頑張ろうとか思わないほうがいい

なんで恥ずかしく思ったのかわからなかった

今日久しぶりに父と電話した。

色々あって迷惑をかけたか電話がきた。

土産なんていいかちゃんしろ」と言われた時、恥ずかしい気持ちになった。

子供の頃から成長してない。どーすんの。」叱られるたび、10年ずっと似たようなことを言われ、私の言葉に信用などないと否定されるのがもう耐えられない歳になり、また黙っていた。

もともと自分甘ったれたギリ健で、何度も同じミスを繰り返して親を疲弊させていたし、こちらも普段会話が少ない分親とのコミュニケーションが上手く取れず叱られないかとびくびくしていて仲が良くなかった。

親元を離れて就職のために頑張ってきた一年物理的な距離で心がとても楽だった。そのうえ内定も貰えたから、なにも変わってないのに自分は成長したのではないか、と錯誤してた。嫌な人にも良い人にもたくさん会って、まともな親であったことと育ててくれたことに感謝しはじめていた。勝手に心を寄せていた。

電話の何日か前、東京面接に行った際のお土産を渡していた。

できない、なにも成長してないと言われることより、お土産のことを言われたときにスッと心が冷えた感じがした。勝手距離が近づいたと勘違いして浮かれていた恥ずかしさか、お菓子程度で喜ばそうとしていると、自分の浅はかさを冷たい目で見られていたからか、理由はここに色々書きだしてからなんとなくわかった。

一人前に人間らしくしているのが、人間らしくしようと思っているのが、それがすでに恥ずかしいことで、自分猿真似を笑われてる猿のようなものだった。

まともになりたい。

目に入れても痛くない子供に今からなれないだろうか。ひとに言っても恥ずかしくない子供に。

anond:20251112155010

尾張民(not名古屋

味噌カツ味噌カツ屋がいっぱいあるというより、豚カツ屋に味噌ダレが置いてあるという印象。おいしい。

ひつまぶし←食べたことない。うな丼お茶漬けにしておいしいんだろうか?

手羽先←ごくたまに食べる、おいしい

骨にむしゃぶりついて食べる

味噌煮込みうどん←食べる、これからはまさにシーズン

美味いのでおすすめ

台湾ラーメン←数回食べた。

こないだ食べた味仙矢場店の台湾ラーメンは辛すぎて完食を諦めた。

ういろうとらや(有名な高級羊羹屋とは別。かわいい虎がトレードマーク)のういろうはおいしい。

青柳は甘いだけなので一回食べれば十分。

えびせんべい←人にお土産に持ってくこと多い

自分ではほぼ食べたことがない。

しるこサンド←おいしい。かなりポピュラーお菓子であちこちスーパーに置いてある。

味噌←赤出汁好き。なお売り場が赤味噌ばかりということはなく、黄土色〜明るい茶色を中心に揃えていることが多い。

献立いろいろみそ←食べたことない。つけてみそかけてみそも食べたことない。CMは知ってる。

おまけ

赤福名古屋駅で売られているが「伊勢名物」と書いてある。

赤福本店がある伊勢神宮に参拝する人も多い。

からこの辺りでは赤福伊勢のものとは知られていると思う。

天むす味噌カツ名古屋のものだと思っていた増田だが、赤福名古屋名物勘違いしたことは一度もない。

anond:20251112155010

スギモトの棒ヒレカツを買うと、みそだれが付いてくるぐらい。カツを揚げたら、かけるのは味噌ぐらい定番だと思う。

手羽先居酒屋定番メニューなので、外食多めの人なら食べてるはず。

台湾ラーメン味仙に行くかどうかだなあ。

ういろうは、一口ういろうスーパーにも売ってるぐらいだから、食べた経験はあるはず。

お茶請けの羊羹の代わりにういろうが出たりする。

しるこサンドは、食べる人は食べるぐらい。

えびせんは食べないな。坂角ゆかりお土産専用。

名古屋赤味噌食べれば、ほぼ豆味噌

献立いろいろ味噌はイチビキ派かナカモ派(つけてみそかけてみそ)かで分かれるだけだな。

なお、つけてみそかけてみそは豆味噌ベース味噌だれ。

2025-11-12

愛知県名物グルメを実際に愛知県民が食べてるかというと

味噌カツ←食べたことない

ひつまぶし←祝い事(試験に受かったとか)でかろうじて食べるチャンスあり

そもそもいから食べる機会ないが、食べないことはない

手羽先←ごくたまに食べる、おいしい

骨にむしゃぶりついて食べる

味噌煮込みうどん←食べる、これからはまさにシーズン

美味いのでおすすめ

台湾ラーメン名古屋名物台湾ラーメン、これは食べる

友達ともよく食べに行く、鉄板

ういろう←食べた記憶がない、どんな味するの

えびせんべい←人にお土産に持ってくこと多い

庶民スーパーで売ってる割れえびせんを食べる

しるこサンド←言うほど食べない

味噌←なにそれ?

献立いろいろみそ←つけてみそかけてみその方がよく使うかも

参考ソース:地球の歩き方日本愛知県グルメページより

2025-11-09

ばあちゃんがくれた“ドラゴンバスター”。――あの頃の任天堂は、まだ人間だった

小1の頃、ばあちゃん旅行お土産で「ドラクエ2」を頼んだ。

でも買ってきたのは、黄金に輝くソフトドラゴンバスター」。

当時60歳のばあちゃんに、そんな違いがわかるはずもない。

なのに俺は怒って、「ばあちゃんなんか嫌いだ!」なんて言ってしまった。

その日は一言も話さなかった。

でも次の日、しょうがくその「ドラゴンバスター」を遊んでみたら――めっちゃ面白かった。

ピコピコと鳴る効果音、単純だけどワクワクする冒険

そして、後ろで黙って見ていたばあちゃん笑顔

あの頃の“ゲーム”には、温度があった。

間違いだらけで、不完全で、でもちゃんと人の気持ちが宿っていた。

それに比べて、今の任天堂はどうだ。

「遊びの会社」だったはずが、気づけば「課金帝国」。

ゲームの中身より“いくら落とすか”の方が大事になってる。

夢よりもデータ。感動よりもアクティブユーザー数。

いつから任天堂”って、こんなに冷たくなったんだ?

ファンが望んでるのは、DLC延命じゃない。

リメイクの皮をかぶった“売り直し”でもない。

子どもに戻れる瞬間」なんだよ。

でも今の任天堂は、子どもの夢までサブスクに変えてしまった。

ばあちゃんが間違えて買ってきた「ドラゴンバスター」には、

マーケティングも、DLCもなかった。

そこにあったのは、「孫を笑顔にしたい」っていう不器用な優しさだけ。

それが、何よりも強い“魔法”だった。

今の任天堂は、その魔法を完全に忘れてる。

効率化されたゲーム開発、KPI管理される“感動”。

昔の「間違いから生まれる名作」なんて、もうありえない。

今の任天堂は、“間違えないように”ばかりしてるから

もう“奇跡”を起こせなくなってるんだ。

ばあちゃん、あの時の俺は本当にバカだったよ。

でも、任天堂の方がもっとバカだ。

あれだけ人の心を動かす“遊び”を作ってきたのに、

いまや数字しか見てない。

はいまでも、ファミコンの「ドラゴンバスター」を棚に飾ってる。

あの金色カセットを見るたびに思う。

ゲームは、課金じゃなくて“思い出”で動くものだった。

任天堂

お前が失ったのは技術でも、グラフィックでもない。

――“人の心”だよ。

2025-11-08

他の国の紙幣

日本国旗カンボジア紙幣には書いてある。

ほかの国にもこういうのあるのかな。

カンボジアのはなんかね、他国差し置いてて強火カプ厨ぽくてよかった。お土産にその国と旅行者の国の仲良しマグネットとかあるじゃん、それみたいな。

カプとしてみるなら日本は左でした。

2025-11-07

ナウル再生物語

https://x.com/taito_smile/status/1986519451857265006

資源がなくなり観光国として生きていくなら少し改善必要かな…

エックスナウル共和国政府観光局が動いているようなので、いい方向に向かうと思う)

初めてアンコールワットに行った時も(20年以上前?)ひどかったw

釣りはちょろまかすし、遺跡周辺にはお土産売りの子供たちがずっとまとわりつき(これ結構しんどかった)

中流ホテルでも蛇口を捻るとほんのり茶色い水……(これはたまたまか?)

有名な世界遺産があるからってあぐらかいてんじゃないの? という感じだったけど

去年行ったらシェムリアップ遺跡周辺は改善されていて、お手洗いとかもびっくりするくらい綺麗になっていて驚いた

遺跡パスもびっくりするくらい高くなってたけどw)

一度フラットポルポト原理主義)になってるという、国として遠回りしてる点は

ナウルも似たような経験していると思っている(資源がつきるまでは働かなくても食べていけた国)

これからナウルに期待

あと、中華料理が多いのは、やはり中国資本が入ってきているのかな…?と勘ぐり

しかナウル台湾国交断絶しているので…

カンボジア空港中国資本だし、ビーチリゾートだったシアヌークビル

漢字看板が羅列する、ちょっと治安のわるそうな一角に成り下がってしまった…

品川区ほどの面積の小さな島国後ろ盾なく立ち回るのは難しいので

どこかの大国の息がかかるのは仕方のないことだが、いい方向に向かってほしい

2025-11-02

幻のみたらし団子

実家には時々やくざおっちゃんがやって来た。

おっちゃんは父に会いにいつも突然やって来るのだった。父は一般人だが、おっちゃんとひょんなことで知り合い、以来おっちゃんは父を「先輩」と呼んで慕っていた。おっちゃんは大酒飲みの父にとってタメで飲める数少ない友人で、いつも夕食時にやってきては、既に飲み始めている父と一緒にガンガン飲むのだった。

おっちゃんはその世界では大物らしかった。子分のような男を連れてきていたが、母が激しく嫌がって以来、目立たないようにいつも一人でふらっとやってきた(子分は途中で帰らせていたのだろう)。必ずみたらし団子を持ってきて、「〇〇ちゃんお土産や」とまだ子供だった私に渡すのだった。私はこの団子が大好きで、いつもどこで買えるのか尋ねたが、おっちゃんは決して教えてくれなかった。

父はおっちゃんにうやうやしく酒を注がれても偉そうにすることはなかった。おっちゃんとの関係を何かに利用するということもなかった。ふたりはたわいもない話をしながら、いつも気持ちよく大酒を飲んでいた。ただひたすら楽しい飲み友達だった。

成人して自分も酒を飲むようになってから、不機嫌な母に変わって私がおっちゃんにお燗をすることもあった。ある時、いつものようにみたらし団子を渡すおっちゃんの顔を見て驚いた。白目が濁っているのである

おっちゃん、具合悪うない?」と私が尋ねると、父が横から「辛気くさいこと言うてんと、早う酒持って来てぇや」と言った。私は甘いホットミルクを作っておっちゃんの前にデン、と置き、「おっちゃん、黄疸出てるやん。病院行ってるんか。私はもう、お酒は出せへん。」と宣言した。「かなんなあ、〇〇ちゃんは」と大男のおっちゃんは言い、「甘ぁ」とホットミルクをちびちび飲んだ。

それから私は何度かおっちゃんにホットミルクを出した。そのうちおっちゃんは来なくなった。肝臓癌で死んだと聞いた。父はそれ以来、一人で晩酌するようになった。

何年か経って公園でくつろいでいると、年輩の女性が近づいてきた。おっちゃんの伴侶だった。女性は私に突然「ありがとうな」と言った。私がきょとんとしていると、「いつもいつも家で心配して待っててんけど、〇〇さんとこ行く言うときだけ安心してた。ホットミルクしか出されへん、言うてたさかい」と言った。

この人も亡くなった。いま思えば、あのみたらし団子がどこで買えるのか聞ける最後のチャンスだった。

2025-10-28

宮城 外国人お土産と言っているふうなので不適

名古屋 オナ小屋と同じ読みなので不適

長崎 オナが先と同じ読みなので不適

2025-10-26

遅い夏休み

明日10連休が終わる。

連休中に禁煙始めて眠剤も止めようと思ってたのに結局出来なかった。

ほとんど家でネトフリ見ててどこにも行ってないか職場用のお土産もないや。

10日も休んで手ぶらで出勤するのも何だから、明日伊勢丹お菓子でも買おうかな。

ハロウィンだし安くて可愛いお菓子があるといいな。

2025-10-24

旅行日常温度差激しすぎてグッピーが死んだ

友達鳥取旅行に誘われた。

砂丘スノボやろ」

それが誘い文句だった。砂丘には雪ないかスノボなんてできないでしょ、なんていちいち言ったりせず、黙ってYahooを開いてGoogle検索をかけた。『砂丘スノボ』は、正確にはサンドボードというらしい。鳥取砂丘の砂は粒子が細かく雪のように滑れる、らしい。

「私スキー場で滑れなくてボード担いでお尻で滑って降りたことあるぐらい苦手だけど、それでもいい?」

別にいいよ。わたし勝手滑るし」

レスだった。私に運動神経存在していないことを知っていても誘ってくれる心が広い友人に感謝しながら、私も「じゃあ行く」と即レスした。

それから4日後、私たち鳥取に向かう電車に乗っていた。スーパーはくとという名前のそれはなんの配慮電車真正面の景色モニターで見えるようになっていた。短いトンネルに入っては抜けて、暗い画面が白く眩くなっては暗くなる。そんな画面を見ながら、友人はわたしワープしてるみたいだ、と言った。私はローソンで買った昆布おにぎりを食べながら乗り物酔いしそうになっていた。

鳥取駅はなんだかこじんまりしていた。清潔で、スタバコンビニお土産屋もあって、けれど人は少なかった。曇り空の下にはシャッターが閉まった店が沢山あって、何故だか占いのお店が幅を利かせていた。とりあえずお昼を食べようと鳥取名物を調べたら、カレーと、海鮮と、ラッキョウと、砂丘関連の名物(プリンやら砂で蒸した卵やら)、あと梨だった。じゃあカレーでいいか、とカレーの有名な店を調べて向かった。メインの計画以外はその場で決めよう、何事にも縁ってものがあるからさ。というのが彼女の考えだった。だから、2泊3日の旅の内2日目のサンドボード以外は全くの無計画だったのだ。

カレーのお店は鳥取名物を謳っているから、という理由だけで決めたが、建物も新しくリーズナブルで美味しかった。彼女ブラックカレー、私はスープカレーを頼んだ。美味しかった。

店員さんにどうしてカレー鳥取名物なんですかって言ったら、鳥取カレー消費量が全国一位なんです、という答えが返ってきた。答えになってないような気がした。沢山食べたら自分たちの物にできるんですか。チェンソーマンみたいですね。そう思ったけど言わなかった。彼女チェンソーマンを知らない人だから

カレー食べた後は彼女希望で、海沿いを歩いて白兎神社に行った。縁結びが出来るんだって。でも因幡白兎元ネタらしくて、あれサメを騙して海を渡ろうとした兎がサメを怒らせて全身の毛をむしられた話だよね、どっから恋結びのご利益出てきたんだろうね?そう言ったら彼女はまぁねー、でも兎かわいいよ、と兎モチーフ石像ニコニコ眺めていた。答えになっていなかったけれど、彼女そもそも神なんか信じていないのかもしれない。それとも彼女はもう結婚しているから、ご利益があってもなくてもどっちでもいいのかもしれない。私は、転職成功と、ついでにいい感じの恋人ができますようにとお願いした。嘘ついて騙して、結局身ぐるみ剥がされた間抜けで最悪な兎じゃなくて、ウサギを助けた優しい神様の方に祈った。私の次の職場は完全未経験の、クラスに一人はいるなんでもできる陽キャだけ集めたような、そんな職場です。目一杯見栄を張って、使命感のある溌剌とした人間のフリをして面接に受かりました。本当の私はクラスに一人はいる、真面目でも不良でもない、何を考えているかからない女です。なんとか、どうにか、上手くやっていきたいです。ついでに誰か、今好きな人とは別の他の誰かを好きになれるようにしてください。優しい神様、どうか助けてください。

2日目は本命サンドボードだった。鳥取砂丘まではバスに揺られて一時間ほどだった。昨日の天気が嘘に思えるほどの晴天で、私は雨女からあなたが晴れ女なんだね、あなたって運がいいもんね、と言ったら、わたしはいいけど、天気なんて人一人の運でどうにかできるものじゃないでしょ、と穏やかに笑いながら言った。やっぱり彼女は、ほんとうは神様とか信じていないんだろうな、と思った。

サンドボード参加者私たち以外いなかった。早い時間参加者は少ないんです、だそうだ。荷物を持って砂丘へ足を踏み入れると、泥の上でもないのに深く足が沈んで歩きにくかった。私は足にどうやって力を入れていいかからなかったのだけれど、友達はスタスタ歩いていく。彼女は運もいいけれど運動神経も抜群にいいのだ。私はそれを追いかけるのに必死だった。その後どんどん丘陵地になっていき、荷物を抱えながら砂を蹴って丘を登った。ジグザグに歩きながら、息を切らしながら、ようやくてっぺんに辿り着き、インストラクター説明を聞いた。ボードに足を固定して、滑る。そしてボードを抱えて登る。要約するとこれだけだった。また登る、と聞いた時、小さく最悪、と行ってしまったのだけど、彼女はそれを耳聡く聞きつけて、顔を顰めながらそういうこと言わないで、と私を軽く叱った。ごめん、と謝ったら、うん、と言って、まるで数秒前の記憶ごと消し去ったかのように表情を元通りにした。大人の嗜みとして不機嫌を表に出さないようにしている訳じゃない。彼女は昔から、心が広いのだ。

サンドボード滑るのは楽しかった。とにかくバランスを取ることに必死になっているうちに丘の下に辿り着いていたが、それでもすぐに丘の上から砂を滑る快感が追いついて、楽しい、となる。体力が続く限り登って滑ってくださって結構ですよ、とインストラクターに言われたけど、滑る時より丘を登るのに体力を削られ、結局もう一度滑って体力が尽きてしまった。友達は体力が無地蔵なので滑っては登るを繰り返し、3回目からは丘をジグザグに登らず直線距離で駆け上ってきた。しんどくないの、疲れないの、と聞いたら、

「疲れるけど、その方が近いからさ」

って言って、そのまま4回目を滑り始めた。インストラクターが、すげーっすよあの子歴代一位の体力ですよ、いくつぐらいですか?と、私に聞いてきたので、すごいですよね、すごいんですよ、とだけ相槌を打った。遠くの丘からパラシュートが飛んで行くのが見えた。パラシュートは風に乗って飛んでいき、私の友達を通り越して遠くに着地したのが見えた。こっちの方がワープみたいだな、と思った。友達パラシュートの人の姿が、豆粒まではいかないけどずっと遠くに見えた。なんでかスピッツロビンソンを思い出した。いいな。私もそっちにワープしたい。私とそこ代わってよ。お願い。

その後砂丘前のお土産屋に行った。私は転職予定で現職を有休消化中の一人暮らしだったので、自分用のお土産砂漠プリンを一つと、近々会う予定の友達用に梨ジュースを買った。私の買い物はそれでおしまいだったけれど、彼女実家に、職場に、とじっくりとお土産吟味して、結局バス時間ギリギリまで迷っていた。一番時間をかけて選んだのは彼女旦那さんのお土産だった。何あげても喜んでくれるけど、やっぱり一番喜んでくれるものをあげたかたから、3つぐらい買ったんだってお土産あげた時の旦那さん、本当に可愛くて好きなんだって彼女は心が広いから、きっと家事分担やら稼ぎやら、結婚生活で起こり得る何かしらに少しも不満を抱いたりしないだろうな。長く続くんだろうな。きっと死ぬまで。

3日目も当然予定を立ててなかったんだけど、2日目のメイン目的を達成したからもう帰っても別にいいよね、みたいな雰囲気があった。でももう少し引き伸ばしたくて、牛骨ラーメン食べに行こって言った。鳥取牛肉イメージなかったけど有名らしかたから。それで、Google マップ適当検索して評価高いところに行った。チャーシュー多くてスープ上品な甘さがあって美味しかった。食べ終わった後、友達わたしラーメンきじゃないんだけどこれは美味しかったな、と言った。びっくりして、なんで言わなかったの、って言ったけど、いやでも美味しかたからよかったよー、としか言わなかった。ねぇ答えになってないんだけど。長い付き合いなのにそんなことすら全然知らなかったよ、心が広いの知ってるけど、でも、ちゃんと言ってくれたらいいのにさ。

ラーメンを食べた後、私たちスーパーはくとに乗った。はくとのモニターには相変わらずトンネルと田園風景が交互に映っていた。友達は今度はワープみたいだとは言わなかったけれど、そういえばこの電車って白兎から文字ってるんだね〜、と言った。そうだね、と言って寝たふりをした。また、最悪、と言いそうになった。しばらくして目を覚ましたら、前を走行している電車で急病人が出たとかで何処かの駅で停車していた。

恋山形駅だって。寝てるうちに観光地着いてた」

やっぱわたし運いい。と言って、彼女は窓から写真を撮っていた。私は寝たふりをしながら、このまま電車止まっててくれたらいいのにな、と思った。

伊香保 寺田寅彦

 二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間失望させるだけの結果に終つた譯である

 此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。

 途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車アルミニウムペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである

 或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。

 進行中の汽車から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である

 澁川驛前にはバス電車伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。

 道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。

 前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。

 カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。

 宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。

 こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。

 此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバ地方遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別防火設備必要であらうと思はれる。

 一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋お土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。

 階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。

 崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である自然可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。

 此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。

 湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふもの特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである

 此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かにつの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐ自然界には平等存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍現象からである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍現象である

 宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである

 今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間相撲になれば明白に前者の敗である後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。

 やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。

 蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐ家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。

 夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカー停車場のある谷底下りて行つた。此の谷底停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。

 七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなもの味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京下町若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。

 溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。

 大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄紅葉てゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。

 茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアコスモスが光り輝くやうに見えた。

 宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときから約束暫時帳場の横へ移轉することになつた。

 部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。

 一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの分子」になつてしまふのである

 室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。

バス切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐ光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。

 團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。

 翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。

 とある宿屋の前の崖にコンクリート道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。

 晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。

 歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。

 上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である

 雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。

 温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。

 他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋蓄音機を持ち込み、宿屋東京音頭を踊る Permalink | 記事への反応(0) | 18:19

2025-10-17

感激してきた

観劇してきた。

自分が思ったことを匿名で記録したい。バカ真面目にこんなこと書いて〜とかバカにされるのが怖いか

                       

2.5次元観劇で、「この世には名も知らぬ私のために、喜ばせようとして一生懸命な人たちがいる」ことを実感した

人間というカテゴリで言えばアニメ声優さんキャラクターに命を吹き込んでるが

舞台キャストは、目の前で生きてる人間が(人間じゃない場合もあれど)生きてる人間を演じてて、別の人間人生を歩んでて

生命力を浴びた

あ、生きてると思わされた。あくまキャラクターにすぎないはずなのに

舞台丸ごと輝かしく眩しかった

客に満足して帰ってもらおうと、舞台を完成させ毎回100%の出来を見せようとしてくれる人たち

キャストのみならず裏方の人物販の人誘導の人

あの箱には何人入るのか知らないけど、私という1人喜ばせるのにこんなに人が必要なんだ

                        

ずっと自分には志があって、誰かにとっての圧倒的光属性になりたいっていう

人と出会い別れ時には絶縁されが二十数年生きてきてまあ何度かあるが。悲しかった時自信ない時目標がない時、救われた存在が私にはある

私もそちら側になって誰かに返したい。

かに救われた私が誰かの光になりたいと思うのは自然なことだと思う

                        

それで今日観劇

2.5次元って難しくて既に存在しているキャラ自分解釈して落とし込まねばならない。

でも私は感じたんですキャラクターが目の前で生きているって。そう感じさせるのに自分の殻を破るとか破らなくても外側をそのキャラクターで固めるとか。いろいろ方法はあると思うけど。

私はできないって。

私がどっかいっちゃいそう。

飲み込まれちゃいそう。

逆に、「私が」見られているって思ってしまってキャラクター世界に入れなさそう。キャラクターのみならず、その脚本世界に。

                        

誰かの光になる方法なんていくらでもあるけど私は自分がもらった方法で返したいのだ

たとえばお土産をもらってすごく良くしてもらったことがあった後、別の人に自分から同じことしてあげたい。みたいな

二十代半ば過ぎて夢見物語言ってるとは思う

圧倒的光になりたい

眩しさで導きたい!

                        

とりあえずこの間、観てきた舞台に関わるワークショップは行ってきたよ。考えること多過ぎて、次元が一個上かと思った。

次元が違うと思うほど遠い世界に片足の親指突っ込んだ。あの瞬間がいつか分岐点になる日が来ますように。

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