はてなキーワード: ストーブとは
俺は普通の会社員で、平日は隔日ペースで彼女が家に来て、週末は丸々一緒に過ごす半同棲みたいな生活をしている。
基本的に快適で、飯も上手いし、話も合うし、文句はほとんどない。
ただ一つ、どうしても理解できないことがある。
冬の暖房だ。
俺は寒がりだ。12月にもなれば部屋で長袖長ズボンにフリースを着込んで、それでも足元が冷えてくるタイプ。
でも彼女は頑なに暖房をつけない。エアコンが一切ダメ。実家ではガスストーブを使ってたようで、唯一平気な暖房器具がガスストーブらしいが、うちの賃貸では禁止だ。
「寒くない?」って聞いても、「全然平気」とか「むしろちょうどいい」とか言う。
しかも俺が電気代を払ってる。他の生活費は折半してるけど光熱費は俺。だから「ケチってるわけじゃない」ってのは自分でもわかってる。金の問題じゃない。
彼女はアスペルガーで、感覚過敏の部分が結構強い。特に乾燥が極度に苦手で、エアコンをつけると喉がイガイガする、肌がカサカサする、目が痛くなるって言う。
加湿器をフル稼働させてもダメらしい。エアコンの風自体が嫌いなんだと。
一緒にいる時が一番困る。
俺がこっそりリモコンで暖房入れようとすると、すぐに気づいて嫌そうな顔をする。
「またつけた…」みたいな感じで、明らかに不機嫌になる。
俺が寒くて震えてても、「毛布かぶれば?」とか「ホットカーペットあるよ?」とか言ってくる。
確かにそれでしのげるレベルではあるけどさ。やっぱり部屋全体が暖かい方が快適じゃん…。
この前なんて、俺が風邪ひきそうなくらい寒くて、「ちょっとだけ暖房つけてくれない?」って本気で頼んだら、
まあ、彼女がつらいのは本当だし、仕方ないか…ってなってるけど、正直キツイ。
ショートケーキにいちごが乗るようになったのは、実は意外と最近のことです。
### なぜ冬にいちごが乗るようになったのか?(当初は本当に無理だった)
実はその通りで、昔は無理でした。
が主流でした(いわゆる「昔のクリスマスケーキ」のイメージ)。
#### 転機:逼迫栽培(はくひさいばい)の普及
- 1960年代から、ビニールハウス+石炭ストーブ(後に重油)を使った「冬いちご」の促成栽培が急速に広がりました。
- 特に静岡県(久能山の石垣いちご)、愛知県、佐賀県などで成功。
- 1965年頃から12月~1月に出荷される「冬いちご」が市場に出始め、徐々に量が増えました。
#### 決定的になった出来事
→ 当時としては画期的な「12月から収穫できる品種」で、促成栽培に非常に適していました。これが冬いちごの大増産を可能にしました。
- 冬に唯一「赤くて可愛い国産生果物」だったいちごは、クリスマスの装飾に最適でした。
- 白い生クリーム+真っ赤ないちご=視覚的に最強のコントラストで、子供にも大人にも受ける。
- 不二家・コージーコーナー・シェ・シブヤなどがこぞって「いちごのショートケーキ」をクリスマスの主力商品に押し始めたのもこの頃です。
### 結論
- 1960年代中盤~1970年代にかけて、促成栽培技術と冬採り品種の開発により、初めて「12月に十分ないちごが手に入る」ようになった
- → これがきっかけで、いちごショートケーキがクリスマスケーキの王者に君臨した
つまり、**「春のいちごを冬に」というのは昔は本当に不可能だったけど、1960年代の農業技術革命で可能になり、1970年代に一気に定番化した**、というのが正しい歴史です。
ヨーロッパとアメリカでは、日本のような「いちご=ショートケーキの定番トッピング」という文化はほとんどありません。
むしろ「いちごのショートケーキ」は存在するものの、クリスマスとはほぼ無関係で、季節も日本とはまったく違います。
→ でも日本のような「スポンジ+生クリーム+いちご」ではなく、
→ **ビスケット(スコーンに近い生地)を半分に割り、生クリームといちごを挟んだもの**
→ 夏の定番デザートで、独立記念日(7/4)やピクニックでよく出る
- クリスマスにはほぼ登場しない
→ 冬のデザートは
・ペカンパイ
が主流で、いちごは季節外れで高価すぎるため使われません。
国・地域 クリスマスの定番ケーキ・デザート いちごは使う? ---------------- --------------------------------------------------- --------------- イギリス クリスマスプディング、ミンスパイ ほぼ使わない フランス ブッシュ・ド・ノエル(チョコレートのロールケーキ) 稀に使うが主流ではない ドイツ シュトーレン 使わない イタリア パネットーネ、パンドーロ 使わない スウェーデン サフラン入りブッレ、ライスプディング 使わない スペイン トゥロン、ロスク・デ・レイエス(1/6) 使わない → ヨーロッパでも「冬に生いちご」は昔は非常に高価で稀少だったため、クリスマスケーキに使う習慣はほぼありませんでした。
- スペインやチリなど南半球からの逆輸入いちごが冬にも安く入るようになった
- その結果、一部の高級パティスリーでは「フレジエ(いちごのケーキ)」や「いちごのタルト」をクリスマスに出す店も増えてきた
- 特にフランスでは「Fraisier(フレジエ)」が春~初夏の定番だったのが、最近は冬にも見かけるようになってきています
でもまだ「クリスマス=いちごケーキ」とは程遠く、伝統的なブッシュ・ド・ノエルが圧倒的シェアです。
### 結論:日本がいちごショートケーキをクリスマスに定着させたのは世界的に見ても超特殊!
- アメリカ → いちごショートケーキは夏のデザート
- ヨーロッパ → 冬にいちごを使う習慣はほぼ皆無(最近少し増えた程度)
- 日本だけが「冬に無理やりいちごを生産して、クリスマスケーキに赤いのを乗せる」という独自路線を爆走した
つまり「白と赤のコントラストの美学+子供にウケる+国産果物で高級感」みたいな日本独自の価値観と、1960年代の農業技術革命が奇跡的に重なった結果が、今の「クリスマス=いちごショートケーキ」なんですね。
真ん中の弟と真冬の夜、灯油のファンヒーターの奥で揺らめく青い炎を一緒に眺めていて、彼が手を突っ込むことを止めなかったこと
熱いと気づいた弟が手を引っ込める際に私が彼の腕を持って反射的に捻ってしまったこと
文字通り火がついたように泣く弟に気づいた父と母が大慌てでストーブから手を引っ張り出し爛れた皮膚を見て、母が泣きながら病院に行かなきゃと言ったこと
パジャマの上にとりあえず上着を被せられ私を担いだ父が大急ぎで4階から階段を駆け下り車に走ったこと
ひどく泣く弟と涙声の母としかめっつらの父を横目に窓から夜の街を眺めてうっすら綺麗だと、なんと滅多にない外出だと思ったこと
後日、父がそのストーブを蹴り飛ばし、これが悪いんだとボコボコにして廃品回収に出したこと
幸い、処置も良かったようで来年で真ん中の弟は30歳になるがどこにも傷は残っていない、綺麗な手をした彼は笑ってそんなことあったんだと母の昔話に相槌を打つ
母に覚えてるよね?怖かったでしょと言われて、私は、覚えてるよ怖かったねと笑う
彼はその右手で今年公認会計士の試験に受かった、おめでとう本当におめでとう、私はずっと思い出す、ファンヒーターの青い炎、当時2歳の彼と5歳の私、夜中に猛スピードで病院へ向かう父の険しい横顔と母の頬をはらはらと流れる涙、車窓に流れてゆくクリスマス前のイルミネーション
おめでとうゆうすけ、その右手で姉ちゃんのこと殴ってよとか死んでも言わないけど、本当におめでとう、姉ちゃん仕事抜け出して官報走って買いに行ったよ、嬉しいよ本当に嬉しいよ、健やかに幸あれよ
彼女はベトナムの田舎に生まれた。父親は学校の先生で、母親は縫製の内職をしながら介護をしていた。2人姉妹で妹は障害があった。外国に行って沢山お金を稼いでベトナムに家を建てるのが夢だった。
義務教育を受けたあと専門教育を受けて看護師になり、都市部の病院に就職した。ベトナムの看護師は初級から上級までレベルがあり、大学を出ていない彼女は下のレベルで安月給だった。
病院では外科で働いた。身の回りの世話は家族がするため、彼女は毎日処置や点滴や酸素管理などの医療行為に追われた。
彼女は最初、台湾か香港で看護師として働こうと思い中国語を勉強していた。次第に看護師ではなく海外で働ければ何でも良いと思うようになった。
ある人から「台湾の工場で働く仕事を紹介するよ」と言われた。彼女の父親はブローカーに払ったベトナムドンは日本円換算で約60万。そのお金を払えば台湾で働けると思った。
そしてベトナムの「送り出し機関」に登録した。その送り出し機関は台湾、韓国、日本に多くの技能実習生を送り出していた。
送り出し機関のスタッフは「コロナの影響で台湾は仕事がない」「日本なら仕事がある。最初は工場での仕事だが、日本は高齢化だから日本語が上達したら将来的に看護師としても働ける。そうすると月給8000万ベトナムドン(日本円で50万)は稼げる」と勧めた。
彼女は日本語を勉強したことがなく不安だったが、これは人生最大のチャンスだと思った。
まずは最低7ヶ月間送り出し機関で研修を受けなければならない。請求書には教材費、研修費、渡航費、健康診断費、ビザ登録手数料などで総額にすると日本円換算で40万近くだった。すでにブローカーにも多額のお金を払っている。
彼女の父親は親戚や知人からから借金をして送り出し機関にお金を払った。送り出し機関は寮制で、食費や寮費は別途必要だった。ここで日本語、工業縫製、日本での生活ルール(交通マナーやごみの出し方など)を朝から晩まで勉強した。
結局彼女は日本に入国するまでに日本円換算で2億ベトナムドン(日本円で約130万)ほど支払っている。彼女の父親の年収が4800万ベトナムドンであることを考えるとかなり高額だった。それでも先進国の日本で働けばすぐに返せると思っていた。
いよいよ日本に入国し、管理団体で研修を受けたあと、田舎の工場で縫製の仕事を始めた。朝8時には仕事場に行き、寮に帰るのは夜19時。遅い時は20時過ぎた。
寮はベトナムの送り出し機関の寮より狭い2人部屋。廊下や共有施設は監視カメラ。個室は鍵があるが、仕事中に寮の管理人が勝手に部屋の中をチェックする。
布団、食器、調理器具、スリッパ、自転車、布団、ドライヤー等はすべて寮の備品を使わなければならない。個室の壁には画鋲やテープを貼ってはいけない。
「エアコンの効きが悪いので、電気ストーブを私費で買って部屋に置いても良いか」と相談しても火事を理由に却下された。
手取りは寮費を差し引いて7万〜8万。ここから食費を払い、必要な生活用品を買えばわずかしか残らない。父親は日本に送るために借金をしていたので、苦しかったが3カ月に10万ずつベトナムに送金した。
休日は月6〜7日。風邪で休んだら給与は減額された。健康保険証と在留カードは会社が預かっていた。外国人は在留カードの携帯義務があるため、寮の近くのコンビニとスーパー以外に出かける時はどこに行くか伝えなければならない。在留カードを受け取りに、帰ってきたらまた会社に渡す。病院に行くときも毎回健康保険証を受け取る。厳しく行動が管理されていた。
技能実習制は原則として実習先を変えることができない。管理団体に相談しても助けになってくれない。実習をやめてベトナムに帰国したら父親の借金を返すあてがなくなる。
彼女はfacebookで同じように日本で暮らすベトナム人グループと繋がり、愚痴を言い合う時間だけが癒しだった。技能実習先を離れたらもっと稼げる仕事があると紹介された。それはルール違反なので断った。失踪した仲間もいた。
彼女は「日本で看護師として働く」ルートが事実上不可能なことを知り、特定技能に切り替えて介護士として働けないか支援団体に相談したが、受け入れ企業は高いお金を送り出し機関等に払っているため難しいとのことだった。
そんな中で親切に接してくれる日本人男性がいた。彼女より11歳年上の社員の男性だった。優しく日本語や仕事を教えてくれて、休憩中にはお菓子をくれた。休日はドライブデートで外食。仕事の相談もお金の悩みも全て聞いてくれた。結婚して一緒に暮らそうと言ってくれた。オンラインでベトナムの両親に挨拶してくれた。彼女は忙しい合間を縫って結婚に必要な書類を申請していた。
ある日、彼の部屋で性交渉を求められた。彼女としては婚前交渉はしたくないし、妊娠したら実習継続不可で帰国させられると言われていた。(実際は産休育休の権利があるが行使できない圧力がある)
すると彼は日本では婚前交渉しないと結婚できないと言ってきた。彼女にとっては唯一頼れる職場の上司であり、拒否することは恐怖だったが、夜中に部屋を飛び出して泣きながら寮まで帰った。
「襲われそうになった」と相談したが「婚約者で家に行ったのだから当然」というように諭されて絶望した。
あとで分かったことだが正社員もいうのは嘘で契約社員だった。離婚歴もあり、借金もあった。
彼女は裏切られたショックを抱えながらも何とか2年働いたが限界だった。寮から失踪した。在留期間はまだ残っている。しかし他の仕事をするのは違法になる。彼女は入管に出頭し帰国した。
https://anond.hatelabo.jp/20231118174822
前回集まった情報が最高すぎたのでまたおすすめ教えて欲しい。今度は岩手、2泊でうち1泊は盛岡を拠点にして旅行する予定
地理、歴史、サブカル的なの好き。魚介グルメやデートスポット的なのにはあまり興味ないのは変わらず。ローカルチェーン店や地元ソウルフードみたいな生活が想像できるのは好き。また少しディープなところをおすすめしてくれると嬉しい
——
嗜好紹介とお礼兼ねて青森の感想思い出したままに走り書きする。2年分2回行ったので盛りだくさんになった。充実したのはみんなの情報のおかげなので大感謝…!行けなかった所もルートや時間の都合上なので機会作って行きたい。
連日、教員のなり手不足のニュースとともにウズラの卵を詰まらせて死亡したり運動会の練習中にフラッグが睾丸に刺さって手術したりとかの学校での事故のニュースも見かける。
学校ってなんとなく、外にあまり情報が出てこないというか、何かあってもなるべく情報を出さない傾向がある組織だと思ってたけれど。
ここ数年、小学校でたまに勤務するようになって、中を知れば知るほど悪い方での驚きに満ちている。
例えば、子どもっていつごろから家庭でしつけとか最低限の教育をしなくなってきたんだろうな。
昔からそうだったのかな。でも昔は先生の力が強かったから、何かあっても𠮟れたということなのかな。自分の時代は廊下に立たされるとかあったな。
今はまず、小学校に入ってくる時点でトイレが一人でできない児童が年々増えているように感じる。でもそれってさすがに家で教えることでは?って思う。
ひらがなの読み書きや数字の数え方といった初歩の授業の内容でも身についてない児童も増えてる。
授業中じっとしてられなくて教室を出て行ったりとか、あるいはぼーっと消しゴムをいじってるとか、そういう感じでずっといる。そういう児童はだいたい家ではスマホかゲーム漬けが多い。
やっていいことと悪いことを家で教えてないんだろうというケースも多い。
ごく簡単なところでは石を投げたりとか、物を上から落としたりとか、ライターで何か燃やしたりとか。
もちろん学校は見つけ次第注意するし親にも言うけど、最低限やっていいことと悪いことは家で教えることじゃないの?って思う。
先生はクラスに一人しかいないから、そういう手がかかる児童が一人いるとその子に対応している間、他の子はほったらかしになる。
朝起きれない親の子は朝起きない。電話してもつながらない。提出しなきゃいけないものももちろん出さない。そういう親の子をほっておけたらいいんだけど、先生もできる限りのことをしなきゃいけないけど、先生はクラスに一人(以下略
校長が冬に職員室が寒いって電気ストーブを10台買って全部つけようとしたらブレーカーが落ちたって、それギャグでやってんの?って思ったことがあった。
こないだ理科の実験で生徒が火傷っていうニュースあったけど、まずそれ読んで電気ストーブ校長が頭に浮かんだね。
ちなみにその校長、QRコードをコピー機の自動紙送りで読み取ると情報がもれるってQRコードつきのやつは手でコピーしろって言ってたな・・・聞いた時意味わからなかったけど、今書いても意味わからないわ・・・
昨今の親は言うまでもなく、スマホを持たせるのにルールを決めずに持たせる親が多く、そんなことしたら動画漬けゲーム漬けSNS漬けになるに決まってるって思わないんだろうな。
寝不足でこらえ性がなく、退屈な授業中に落ち着きがなく、言葉の読み書きも簡単な計算もできない子どもの簡単な作り方だ。
これに関しては国が早く未成年者へのスマホ所持の指針決めるべきだと思う。オーストラリアみたいに。
あと熱があっても学校に子どもを来させる。インフルエンザの季節でも来させる。注意喚起しても来させる親も多い。
余裕がないのもわかるけど、それで結局児童を家に帰さなきゃいけなくなって一日に何件もそういうことがあるとなんだかなって思う。
軽度認知症の75歳の父。赤信号なのに発進したり、ETCというものの存在を突然忘れたり…という感じなので、運転辞めてくれと家族でずっとお願いしていた。もちろん父は色々理由をつけて乗り続けていた。老いてますます運転が上手くなったと言っていた。免許の認知機能検査は、何ヶ月も予習をしたおかげか合格してしまっていた。
先日、前触れもなく「車売りに行くんだろ?」と父が言いだしたのでビックリ。買い取り業者に持ち込み、その日のうちに売却できた。業者のお兄さんが、家族3人で車と一緒に記念写真を撮ってくれた。
他の業者でも見積もりしてもらう?と父に聞いたが、ここで良いと答えた。ホッとした。これで安心だと母と2人で大喜びした。免許返納までは持っていけなかったが、まぁヨシとしよう。
翌日から、父が暴れ出した。
あの業者の男に騙されたんだ!口が上手いやつ!印鑑を無理やり押させられた!あの店のウィンドウに石を投げてくる!などと叫ぶ。
突然シンクに包丁を叩きつけて刃を潰したり、ストーブを蹴り飛ばしたり、本を投げて壁を凹ませたり。血圧計も壊した。テレビに食器を投げつけ画面が割れた。出費が…(´;ω;`)
近所の人に、「車辞められたんですね〜まだお元気なのに〜勿体ないわ〜」みたいな事を言われて帰ってくると、また暴れる。例の記念写真には、太いマジックでバカヤローー!!と書き込んであった。
スーパーやジム、ゴルフや旅行に行く手段が無くなった!と怒っているが、我が家は交通の便が良い地域に住んでいる。最寄の駅に行くバスは3分に1本来る。つーか徒歩10分でいける。電車も多い。
人を轢き殺す前に車を手放してくれたことは間違っていないと思う。が、毎日父が怒鳴って暴れるのを見聞きすると、もっときちんと父の意志を確認し納得してもらってから車を手放してもらえばよかったと後悔もある。
ビバの助
@sirome18
現在、男性SMSの利用が出来ない状況です。昨夜、ストーブに尿を掛けた人が居たみたいでSMSから強烈な悪臭が出たため清掃後にオープンする予定です。ストーブ、石、床下、全ての清掃後オープン予定となる為、オープンまでお時間が掛かります。
本日朝から清掃消毒2回、石洗いを何度か行いましたが、悪臭が取れないのでヒーター自体を分解して洗浄とエレメント交換、石廃棄を行います。なので明日もSMSのご利用は出来ません。ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。
朝からストーブのオーバーホールを今の時間まで掛かりました。遅くなり申し訳ありません。室内温度上がり、もう一度テスト後にオープンするか判断致します。
ギリギリで生きてるのでこれ乗れなかったらもう間に合わない。
遅刻しようかとも思ったけど遅刻の申請より有給の申請の方が楽だからサボることにした。
近所の洋服屋でも行こうと思ったけど当然まだ空いてないからその辺の喫茶店に入った。
タバコも吸える。壁はヤニで黄ばんでいる。
モーニング分くらいの客単価になるようにコーヒーをいっぱい飲んでる。
今四杯目。モーニングより高くついた。
でも粗利的にはどうなんだろう。
店的には結局モーニング頼んでもらった方が儲かるのか?
それともコーヒー4杯とか神客なのか?
しかしそれにしても客が俺しかいない。1時間半ほどいるが、マジで俺しかいない。ずっと俺しかいない。
どうやって儲けてるんだろう。
古い店だ。賃貸ではなさそうだ。
この店が気に入った。
しかしそろそろお暇せねば。
そのへんの店が開く時間だ。