はてなキーワード: 與那覇潤とは
昨日書いた記事は何と一名ブクマしてコメントまでしてくれた。これまで無反応だったことを思えば快挙である。
「粘着質でメタな批判」というまさに先の記事にピッタリの秀逸なコメントをしていただいて、ありがたい限りである(皮肉抜き)。
さて、昨日書いた與那覇潤は二人いる!?というブログの早速答え合わせが出たようだ。
センモンカを駆逐せよですか。まあこれはいつものホンモノのたわごとなので、中身は全くない。うすら寒い(笑)だの「うおおおお!」だの、滑り倒していることにさえ気づかないド滑り芸も板についてきたようだ。
歴史学をゴミを貶す與那覇だが、当然のことながらこれらの姿勢は虚勢である。
すでに與那覇の虚妄は一連のダイヤリーで白日の下にさらしてきたので問わない。気になる人ははてなで検索してほしい。ほとんど書いてるの私なので(笑)。與那覇よ、もっと注目されるような議論しようよ…。
問題は、與那覇が朝日の記事で安心や共感を掲げながら、他方でこの記事では全くそういったことを出さないところである。やっぱり與那覇は余所行きと内向きを意識的に使い分けているのだろう。そして、内向きのセンモンカ批判は全く通用しないことくらい與那覇は理解しているので、そういう面は隠しているのだ。
これが與那覇が二人いるという答え合わせでなくてなんだというのか。
ちなみに與那覇は自らを予言者かのごとくふるまって「テキチューテキチュー!」とはしゃいでいるが、その種明かしを自らしているのでご紹介!
https://note.com/yonahajun/n/n7bf7e827a192
はい、「個人を標的にしない!」「構造を論じる!」ですね。これ、要するに物事を全部あいまいにして何か起きたら全部「おれのいったとおり!!」というインチキ占い商法です。
こんなことを大真面目に種明かししてはしゃいでいるのだから世話はない。
でも、最近の與那覇は個人攻撃ばっかりしてないか?と思われるかもしれないが、関係ない。なぜなら「個人の言動や行動を問題視=その背景に学問やセンモンカの問題がある=全体の問題」に全部つなぎ合わせて批判できるからである。その背景や違いなんてどうでもいい。ただ自分が批判できて気持ちよくなれたらそれでいいのだ。これこそ、ホンモノ流詭弁術である!
『中国化する日本』というインチキ文明論で一旗揚げてからというもの、與那覇は専らこの「構造を論じる」という名の藁人形論法に終始してきた。この個別の問題を全体の問題に結び付けて牽強付会とこじつけで全体を論じる姿勢こそ「ホンモノ」流である。
バカなんじゃないかと思ったそこのあなた。大正解である。あとは自分がそうだと思った事実やSNSの言動をテキトーにつなぎ合わせればそれっぽい論の完成である。
この人、ずっとこうやっていい加減に生きてきたんだろうね…。誰も注意する人がいなかったのか、呆れて皆去っていったのか。
さて、ここからは私の予言がいきなりテキチューしたのでそれを紹介して終わりにしたい。
私は與那覇がセンモンカを駆逐せよとか裁判せよ等と言っているが、全く本気ではないと昨日論じた。
ttps://anond.hatelabo.jp/20260106195506
もう答え合わせの時間だ(早いよ!)。與那覇のこの記事。センモンカを駆逐!!!と叫んでいるが具体的な話は一切ない!繰り返すが一切ない!與那覇は番組出演をはしゃいでいるが、彼が批判するセンモンカとやらはネット番組にも各種メディアにも今でも大手を振って出演している。與那覇と勝負してもメディア露出度ではかなわないだろう。え、なんかすごくメディア露出を喜んでるけど愚弄している人たちに業績でもメディア露出でも知名度でも負けて…それでどうやってここから大逆転するんですか?ぜひともホンモノの逆転術を聞かせてください!
なぜ與那覇は具体的な自分の達成目標を掲げないのか。いや、掲げられないのか。
だってできないんだもん!!
身もふたもないことを言えばそういうことになる。與那覇は無力で、彼のバカげた議論が主流になることなどありえないし、あまり表に出すぎると過去の悪行やオープンレター、呉座敗訴、『中国化する日本』のインチキ等々が白日の下にさらされる。だから、いわば石の下に隠れるようにしつつ、こうして限られた世界で気持ちよくなりたいだけなのだ。
威勢のいいことを言って(例えば戦前で言うと本土決戦!くらい?)、裏ではそんなつもりはなくて新聞やメディアでは当たり障りことしか言わない。
結局処世術と自分が気持ちよくなりたい欲求がカオスに混ざり合った結果、「與那覇という人は二人いる」ことになったのだった。
>>(円の信用はどうなるの?)
1兆円を熊本TSMCに投資して、10年で1兆円以上が戻る見込みなら、信用を毀損するどころか、成長力と外貨獲得力を底上げする話でしょう。
「円の信用」を持ち出すなら、まずは 投資の期待収益を数字で語れ。借金という単語だけで思考停止してるように見える。
本当にこの程度のレベルで話しているのだろうか?
引用終わり
はい、「この程度のレベルで話してい」ます。で、この意見にもどうせ反論しないでしょ。だって自分が気持ちよくなりたいだけなんだもん!ホンモノはそれが許されるんだもん!!
今日も今日とて「この飯くそまずいしなんだこの味付け!センスねぇんだよ!」とクレーム入れておいた。與那覇は顔を真っ赤にしてこの文面を見ているか「またかよ…」とうんざりして無視するか、最初から見ないと決めているかのどれかだろうが、バカな議論を愚弄し続けることもまた、一つの言論なので、間違っても與那覇は「キャンセル」などしないように!
最後に。早速與那覇さん!私の予言を的中させてくれてありがとう!もし、反論したいなら全部の記事を読んで『中国化する日本』の批判になんで黙ってたのかからよろしくお願いいたします!!
與那覇潤「歴史を忘れ去り、言葉を「凶器」として使う時代をどう生きるか:うつを体験した元・34歴史学者の「遺言(聞き手/現代ビジネス編集部(2018.6.16、ttps://gendai.ismedia.jp/artic」」)les/-/56069、最終確認日、2018.1.8)は、実証史学に対して、ただし――これも職場を辞めたおかげで本当のことが言えるけど、「教育者」としては、「実証史学者ってどうなんだ」という気持ちをずっと持っていたのは事実なので、それが伝わったのかなとは思います。/たとえば実証をやっている先生が、学生に古文で書かれた昔の史料を見せたり、場合によってはお寺なんかに連れていって、本当に生の原文書に触れさせる。もちろん大学院に進んで研究者を目指すような子にとっては、貴重な第一歩でしょう。でも、それ以外の大多数の学生は、そこでなにをしているんですか? という話です。/ストーリーのない、単なる「キャラの集合体」としてしか歴史が享受されない現在では、それは単なる「究極の萌えアイテム」に触れさせていることにしかならない。/そこが見えていない人たちが、「どうして世間では、『日本すごい本』のようなエセ歴史書ばかり売れるんだ、けしからん」といくら言おうと、世の中は変わりません。「公文書の管理!保存!」とだけ叫んでいても、次はもっと巧妙化した「バレない森友問題」が起きるだけで、なにもよいことは起こらないのと同じです。と述べている。歴史家を廃業したからこそ言える本音とのことである。 失礼かもしれないけれども、数年教壇に立って「教育者」だという感覚は、私のように30年以上教壇に立ってきた者からすると「片腹痛い」という感じである。さらにいえば、数年の経験で「ずっと持ってきた」と言われても、ため息しか出ない「事実」といわれても、何か勘違いではないか、と思える。とても元「歴史学者」。の発言とは思えない。厳しい言い方になるが、自分の感じたことを「事実」と即断するのは余りにも短絡的、感情論的である。與那覇氏は実証史学者には世の中を変える力はないと断言する。しかし評者は「実証史学」こそ世の中を変えていく力があると考えている「巧妙化した「バレない森友問題」が起き」たとしても、その虚飾を打ち破れるのは実証史学しかないではないか。與那覇氏には挑み掛かることすらできないのではないだろうか。このような「実証的歴史学」に対する批判を元「歴史学者」と自任する方が公言しているところに歴史学・歴史教育の置かれた困難な状況がある。(以上、向野「百田尚樹著『日本国紀』騒動茫観記」p.23)
「自分の感じたことを『事実』と即断するのは余りにも短絡的、感情的である」というのはまさにその通りである。わずかな出来事を大げさに取り上げて全体を論じる與那覇に、これほどふさわしい批判はない。他にも片腹痛い、勘違い、元「歴史学者」と自任、等々かなり手厳しい批判である。にもかかわらず、與那覇は何の反論も加えていない。これはもう向野の批判に與那覇は反論できない、「ニセモノ」化して無視するしかなかったという事実に他ならない何よりの証拠ではないか。もし、與那覇がこれを見てそんなことはないと思うなら当然、向野の批判に毅然として応答できるだけでなく、今日まで沈黙してきた理由を全部納得ゆくまで説明できるはずである。
他者をTwitterでたかだかブロックすることすら議論から逃げている、引きこもると批判しておきながら、自分は批判に対して逃げ続ける。これこそ與那覇潤という人の本質に他ならない。これが不服ならこれらの批判に対して正面から反論すればいい。あわせてなぜ今日まで批判を「なかったこと」にしてきたかも、「ホンモノ笑」なら当然納得いく説明ができるはずだ。「取り合う価値がない」と言うなら、與那覇に批判されてきた人たち全員が與那覇にそう返せばいいだけのことだ。そう、與那覇はもう詰んでいるのだ。それを気づかずに延々と意味不明な戯言を書き連ねている。與那覇には恥や節度というものがまるでないようだ。
ttps://researchmap.jp/kouno-masahiro
これからも匿名のブログだが與那覇の「味付け」と「店」に対してクレームを入れ続けたい。そうすることもまた一つの使命だろう。與那覇のバカげた議論をバカにし続けることが大事だと與那覇キラーyunishioは述べていたが、その役割をわずかでも担えればと思っている。
断言しよう。今後も與那覇がこのブログに言及することは未来永劫ない。それこそが與那覇が「ホンモノ」(爆笑)である所以である。
ttps://note.com/yonahajun/n/nc1e0ecbf599f
つけてみてあれだが文章ましてや表題に(笑)だのなんだのと書くのは死ぬほどセンスがないと思っている。
ダサいし古いし文章でそういうことを補足すること自体ナンセンスだ。そして「こんなことを書けるオレカッコイイ!!」という見てるだけで嫌になるナルシシズムが滲み出ている。
ここまでネット社会が普及した今日、こんなくそダサい文章など見かけることは稀だろう。
言ってしまえば滑り散らかしているネタを延々と披露する痛い芸人みたいなものだ。
ところがこういうくそダサいセンスをなぜかイケてると勘違いして使用しているイタいおっさん(46歳)がいる。そう、我らがホンモノ!與那覇潤である!
これは今日も今日とてこのホンモノをいじり倒して遊んでみる試みである。
・・・どうでもいいことだがこのはてな匿名ダイヤリーで與那覇のことを書いているのは私だけなのに、全然反応がない。與那覇がもし話題沸騰な人ならもっと取り上げられて然るべきなのだが・・・。このダイヤリーが注目されないのもひとえに「ホンモノ」が社会での影響力を持っていないせいである。
與那覇よ、お願いだからもっとまともな文章を書いて早く浮上してきてくれ(苦笑 「ホンモノ」リスペクト!)
それか10万部を超えるベストセラーでも書いてくれればいいのだが・・・。もっとも、対談で分量を水増しするようなセコい書き方をしているホンモノにどこまでやれるか・・・。
與那覇は「味付け」に自信があるようだが、当たり前なことで同じような味付けのまずい飯しか出さない店なんか閑古鳥が鳴いて当然だ。最近、玉田敦子がせいだいに與那覇に対してやらかしたせいでその記事は例外的にバズったようである(よかったね笑)
まあこれは玉田が下手を打っただけの話でどうでもいい。勝手にすればという感じである。(あまりに議論のレベルが低すぎるのでURLを貼ることすらだるいので詳細は「ホンモノ」のnoteを参照されたし)
ここで問題にしたいのはホンモノの影響力が他のインフルエンサーと比較しても全然伸びていない点である。
ttps://note.com/yonahajun/n/n61a4919560c9
今のままだとnoteでは與那覇が目の敵にしている「令和人文主義」の代表格三宅香帆には到底及ばないし、以前與那覇が愚弄した谷川嘉浩には著作数の差で全く勝てそうにない。
ttps://note.com/nyake
ttps://researchmap.jp/y-tanigawa
それにしてもこの二人の影響力と仕事の多さはすさまじい。常人ではないと思い知らされる。それに比べて・・・noteという限られた言論空間SNSで駄文しか書けないホンモノも少しは見習ったらどうか(笑)
悔しかったらベストセラーになるような本でも書いてみれば(苦笑)
今の路線を突き進めばせいぜい「劣化白饅頭」くらいが関の山だろう(爆笑)
白饅頭はnoteで「成功」した一人としてみて間違いなかろう。その主張の是非はここでは置くとする。
ttps://note.com/terrakei07
改めて三宅と白饅頭と比べてみるとnoteを「主戦場」にしているはずの「ホンモノ」のダメダメっぷりがすまじい(笑)これがかつて一世を風靡したはずのヒョーロンカの姿ですか(苦笑)
こう書くと「ホンモノ」は「SNSのバズりだけで右往左往するな!」と噴き上がりそうである。
しかし、どうやらnoteが伸び悩んでいるのは與那覇も気にしているようで・・・こないだの玉田敦子の一件がばずったのを大はしゃぎしていた(詳細は與那覇note)。やっぱりSNSの反応気にしてるじゃねーか(爆笑)
まあせいぜいオープンレター騒動の敗北で溜まっている残党が噴き上がった結果、久々に得られた自己肯定感でうまい飯でも食えばいいんじゃないんですかね(適当)
そういや呉座は日本歴史学協会との裁判で敗訴したそうだが、與那覇からは特に何の声明もないし、先に挙げた與那覇の2025年を総括する記事でも注目すべきトピックなのに何の反応もない
ttps://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20251111/1762873018
ttps://agora-web.jp/archives/2053751.html
かつて與那覇は歴史学協会の声明を批判し、これに同調した歴史学者を「言い逃げ屋」として批判した。しかし、司法判断が決した今、何らかの声明を出さないと自らが「言い逃げ屋」それ自体だったということになっている(苦笑)
これが2021~22年ごろなら「司法はキャンセルカルチャーに加担したあああ!!ホンモノたるオレサマが反論を立ち上げるぜ!!!」とぶちぎれそうなんだけど、どうしたの?もう飽きたの(笑)
それか裁判で勝訴を続けている歴史学協会の弁護士の神原元にビビってるのかな(笑)
かつてあれだけコミットした呉座の一件において注目すべき裁判を「スルー」した。これこそ「歴史否定主義」なんじゃないですかね(苦笑)こうなってくると呉座を利用していただけという見解がますます「的中」してしまうんだが、もう與那覇からすればそんなことはどうでもいいのだろう。
こういう肝心なところで逃げちゃうから「ホンモノ」はダメなんだよねえ…。だからこうして舐められるしバカにされる。徹頭徹尾こんな有様でよく人のこと言えるな(呆)恥も外聞もない「ホンモノ」は流石っすね(苦笑)
まあ威勢のよさとは裏腹に過去にボコされた相手にはトラウマがあるみたいで「あのとき息の根を絶つべきだったと思うね。🙂」とまで愚弄されてもダンマリだから、根は臆病なのかもしれない。
ttps://bsky.app/profile/yunishio.bsky.social/post/3lhvappgeo22r
なんども繰り返すが都合の悪い事実は全部書かずに無視して無かったことにするのが「ホンモノ流」なので、今後も與那覇がやらかした時に取り上げ続けて徹底的にいじり倒していきたい。
ttps://kscykscy.exblog.jp/18241381/
ttps://watashinim.exblog.jp/18496216/
與那覇といえばこの上記の批判とそれを無視した與那覇に対するさらなる批判を忘れてはいけない。この件は今の「ホンモノ」を騙る與那覇にとって最も不都合な歴史の一つなので毎回のように擦り続けたい。
都合の悪い指摘を無視する、間違っても訂正しない、事実を認めようとしないこういった「ホンモノ與那覇」が批判する専門家たちの最たる例こそが「歴史学者與那覇潤」であった。ちなみに「歴史学者與那覇潤」の不都合な事実はまだある。今後機会があれば示していきたい。これらを見れば與那覇が言う「ホンモノ」などというものといかに自身がかけ離れているかわかるだろう。何度でも言うが歴史云々言うなら十数年前の自分の著作の間違いと、なぜその間違いを今日まで放置してきたのか、今後どうすべきか、なぜ自分のことを棚に上げて人を批判できたのか、全部納得ゆく説明ができるはずだ。何せアナタ、「ホンモノ」なんでしょ(苦笑)(え!?できないの!?)
ちなみに、先に挙げた要求は與那覇が他者に要求し続けていることであって、自身が自ら実践せよと言っているだけで何ら不当なことはない。それができないということは、結局與那覇は紛い物でしかないということではないか。自らの姿勢と歴史がそれを物語っている。先の『朝日新聞』の記事には代表作が『中国化する日本』であったことからも、未だにかつてのネームバリューで飯を食っているのは明らかなワケだから。過去の栄光を否定することすらできない、間違いを放置する與那覇にどうして他者を説教する資格があるのか。ましてや「裁判」などと片腹痛いとはことのことである。
ここに今回からは「呉座裁判の決着に沈黙した」という、また一つ、「ホンモノ」をいじり倒せる事実が蓄積されたということで、喋れば喋るほどボロが出る「ホンモノ」にこれからも注目したい。
あと、ここまで()でいろいろと「ホンモノ」リスペクトで書いてきたが、もう飽きたし自分で書いてて共感性羞恥心に加えて当事者としても恥ずかしいしダサくて仕方ないのでやめておく。
よくこんな文章恥ずかしげもなく書けるね。
で、本題はここからである。「與那覇潤は二人いる!?」というのが本題でここから突っ込んでいきたい。
ttps://bsky.app/profile/seika-aoshima.bsky.social/post/3mbmatco3n223
目に留まったこちらの投稿。何やら與那覇が『朝日新聞』で掲載した記事らしい。
この「うわぁ…って感じではある」というのは何ともリアルだが、その通りである。普通のそこら辺の人が與那覇の記事を見たらドン引き一択だろう。
ttps://www.asahi.com/articles/ASTDS24D6TDSUPQJ008M.html
で、なんでこの人が與那覇二人いるのかと言ったのか。早い話がnoteと朝日の記事がかけ離れているからだ。
全文はプレゼントされた記事でざっとしか読めてない。内容は引用しない。なぜなら有料なので、ここは著者とメディアに敬意を払うべきであるし(皮肉抜き)、何よりルールに則る必要がある。有料記事をそのまま転用するのは著作権的にアウトである。そこで、ここではSNS上で観測できるコメントのなかからいくつか気になったものを抜粋したい。
ttps://x.com/miyukinatsu/status/2007273385085284649?s=20
與那覇潤「歴史を取り戻すことは簡単ではありません。それなら何を新たな基盤にして『人は意外に共感しあえる生き物だ』という深い安心感を、支えてゆくのか。孤独なままその日ごとの話題に『いいね』を押しあい、浅薄に共感をむさぼる相互不信の社会を、今年で終わりにする時です」
なんかいいこと書いてそうだけど、noteでは「ニセモノ」を人民裁判で罰せよ!とわめいている。
それに共感して「うおおおおホンモノ與那覇様すっげー!人民裁判待ったなし!」という人も真面目に出てきている。
ttps://x.com/paravola/status/2005889274340929911?s=20
こんな分断を嬉々として喜ぶ人を煽るような状況で、與那覇や彼の支持者とどうやって「共感」して「安心感」ある社会を作れというのか。不信と憎悪をまき散らかし、相手を罵倒してばかりの與那覇がよくも「共感」などということを言えたものだ。これが彼に傷つけられたり、踏みにじられてきたりした者たちの本音だろう。私からすれば自分の所業を棚に上げてきれいごとばかり言う與那覇の言葉に説得力などないというのが正直なところである。朝日の記者は「ホンモノ」をちゃんと見たのだろうか。この記事を見てもし良いことを言っていると思う人がいるのなら、與那覇のnoteを見てみればいい。どこに「共感」「安心感」があるというのか、説明して欲しいところである。
「浅薄に共感をむさぼる相互不信の社会」に一役買っているのは與那覇自身ではないだろうか。
何せ間違いを犯して認めない奴ら(人選は與那覇)を裁判で裁けなどと言っているのである。正気の沙汰ではない。これが「相互不信」を招く愚行でなくてなんだというのか。そんな無茶苦茶な「人民裁判」こそ「相互不信」の温床になりかねない。次に裁かれるのは誰だとお互いに過去の発言や言説を探りあって次々と告発しあうのだ。まるで與那覇がスターリンになったかのように、與那覇に密告しあう社会がお望みなのだろうか。こうしてお互いに不信感を強める密告社会の出来上がりだ。少なくとも與那覇が旗を振る「共感しあえる」「安心感」のある社会など、全く安心できないし共感できそうにもないのは私だけではないはずだ。こう書くと「きさまあああホンモノをスターリンになぞらえるとは!?侮辱かああああ!?」とぶちぎれそうだが、そうたとえられたくないなら裁判だなんだと物騒なことを言うべきではないだろう。まあ「息の根」を絶てばよかったなどという人の発言をスルー出来るほど寛容なら何の問題もないはずだ。
果たして激烈な他者への批判を繰り返す與那覇と、共感と安心感を説く與那覇。どちらがホンモノなのだろうか。どちらかが嘘をついているのだろうか。
正解はない。奇妙なことに激烈な批判によって相手を引きずりおろして叩き潰したい與那覇と、それでも共感できる社会を目指したい與那覇は同居している。
不思議なことだ。だが、これこそが今の揺れ動く與那覇を物語っているように思う。彼自身、本当は「ニセモノ」を裁く裁判なんてやりたくないしやる気もないんじゃないか。一見して強い言葉を使ってみても、そこに具体性も中身も何にもない。あれだけ執着した呉座裁判の結果に無視を決め込んだのが全てだろう。その場その場で相手を貶す言説をまき散らし、自分が気持ちよくなれば後はどうでもいい。で、新聞ではお行儀のいい共生論を謡ってみて自己顕示欲を満たす。で、飽きれば「忘れる」。無だ。今の與那覇をたとえるならそれしかない。
ちなみに、與那覇は専門家大失墜!Vやねんホンモノ!などと盛大に謡っているが、別に専門家が失墜した形跡はほとんどないし、そもそも與那覇の見ている世界はX(Twitter)の狭い世界だけの話であって、世間全体で見ればそもそも與那覇を知っている人さえ少ないのが現状だろう。
コロナについてもいまだに議論が続いていて、日本でも多くの死者数を数えている。
ttps://www.kasai-yokoyama.com/media/news/960/
ワクチンの害等についても今後議論しなければならないが、コロナを軽視することに警鐘を鳴らす本も出ている。與那覇はネットの「つまみ食い」の知識で知ったかぶりするのではなく、こうした議論を真正面から受け止めて反論を考えてもらいたいものだ。
ttps://akebishobo.com/products/covid19?_pos=1&_sid=8ab0f2dfa&_ss=r
このような様々な議論から逃げてネットの記事や自分に都合のいい事実しか捉えないところは『中国化する日本』から何も変わっていない。
與那覇の記事に出てくるのは無名のツイッタラーばかりだ。そんな狭い世界で社会がどう、学問がどう、歴史がどう、コロナがどうの等言ったところで誰が見て納得するのか。専門家批判は間違っていないが、それの対抗言説として取り上げるのが怪しげな陰謀論者や無名のおかしなツイッタラーでは話にならない。おふざけもいい加減にしろというところだ。そんな井の中の蛙になり下がった状況で一体全体どうやって社会をひっくり返すような専門家批判、裁判などやろうというのか。そんな求心力は與那覇には全くないことは明らかであって、與那覇がしゃしゃり出たところで他の批判者に叩き潰されるのが関の山だ。先の不都合な事実を指摘されれば與那覇は一発で吹き飛ぶ。「お前にそんなこと言われたくないし言われる筋合いもないし言う資格もねぇよ!」これでお終いである。「大審問官」になどなれるはずもない。なんせ「息の根」を止めようという人にさえまともに怒りをぶつけられない臆病で繊細な與那覇だ。そんな彼に世間を向こうに回して大立ち回りをすることなど、出来ようはずがない。
もし仮に彼がそんな裁判を開くなら、過去の業績や寄せられてきた数々の批判、そして與那覇がいかにそれを無視し続けたか(先の指摘、何度でも繰り返したい)が白日の下に晒されるだろう。そうなったら、與那覇はどう弁明するつもりなのか。まさか自分だけが無傷で済むと思っているのか。
結局のところ與那覇の致命的弱点は針小棒大に物事を捉えること(例えばネットの炎上事件でもって歴史学はダメ、大学はダメだというとか、コロナについては西浦の八割削減に意味がなかったという点や陰謀論者の医者たちの言説でもってコロナは大したことないと言い募るなど)、都合のいい事実だけを議論に反映させるチェリーピッキングを繰り返して議論を組み立てることにある。『中国化する日本』で犯したのと同じ過ちをずっと繰り返している。これも「訂正」「反省」を怠った結果なのである。
先日のブログで示した向野正弘もこうした独りよがりな與那覇の痛烈な批判者だ。もし、裁判が開廷すれば「ホンモノ」の欺瞞は余すことなく暴かれるだろう(続)
https://note.com/yonahajun/n/n9f8fac28b86e
久しぶりに與那覇を見たけど「令和人文主義」がキャンセルカルチャーだったんだよ!と言っていた。
さすがはホンモノ與那覇さんだぜ!すげー!
んなわけあるかい笑
はい、今回も来ました與那覇の妄想コーナーです。とうとうここまで来ました。
一つ聞きたいんですけど令和人文主義という言葉を発した谷川さんって誰をキャンセルしたんですか?
もうこの人にかかれば気に入らない奴らを全部ぶち込むのがキャンセルカルチャーなのだろう。
キャンセルカルチャーとは、だれかを恣意的に失職させたり、退場させることをいうのだが、與那覇の妄想と連想ゲームにかかれば令和人文主義もキャンセルカルチャーらしい。
バカも休み休み言えと言いたい。こんな妄想だらけの連想ゲームに付き合う者など誰もいないだろう。
ちなみに、與那覇の連想ゲームにかかれば與那覇が懇意にしている上野千鶴子も宇野常寛もキャンセルカルチャー一派ということになる。
すでに周知の通りかの草津町の冤罪事件には上野にも責任の一端がある。
宇野は何を隠そう與那覇が愚弄する谷川と一緒に仕事をしている。
https://x.com/i/status/1998497915803947190
與那覇に言わせれば谷川なんていうケシカランやつと一緒に仕事してる宇野もキャンセルカルチャーの同業者だろう。それくらい與那覇の議論は杜撰なものである。
このように究極のキャンセルカルチャー事件の当事者である上野を與那覇が崇めるのは不可解であるし、谷川と懇意にしている宇野と絶縁しないのも不可解だ。
つまり、與那覇にとってはもはやキャンセルカルチャーすらも自分の地位を示す道具に過ぎず、その中に思想も考えもまるでないのである。
誰かと誰かが仲良くしたり、絶賛したらその一派として罵倒する。こんな妄想に付き合っているほど普通の人はヒマじゃない。
與那覇は谷川を「実際にSNSが始まった平成期に比べても、「令和人文主義」の担い手は異論への耐性が低いらしい。違う感性の人は "いない" ことを、内心で前提にしていれば、批判への免疫ができず、ブロックして引きこもることにもなる」と愚弄している。ここからは與那覇がフェアな言論人であると誤認しそうになるが、すでに何度も繰り返したとおり批判に対して全く応答しなかったのは他でもない與那覇自身である。
https://kscykscy.exblog.jp/18241381/
https://watashinim.exblog.jp/18496216/
すでに繰り返してきたことだが與那覇に他人の批判に対する態度を論難する資格は全くない。
ちなみに、與那覇の支離滅裂ぶりについては向野正弘が痛烈に批判しているので、こちらをご覧いただきたい。
https://researchmap.jp/kouno-masahiro/misc
「与那覇氏(原文ママ)の到達した境地は、私がかつて危惧した「非実証的歴史学」の段階を離れて、反実証的は神秘主義的な段階にあるように思われるのである」(「インターネット論壇における「非実証的歴史学」「反実証的歴史学」の行方」p.36)とまで言われて一切反論しない與那覇は妄想に引きこもっていると言われても文句は言えまい。
当然、與那覇はこの向野の批判を無視している。谷川ももし與那覇に反論するなら「與那覇さんのやり方をリスペクトしているだけです」と返せば仕舞である。與那覇は返す言葉もないだろう。
もし與那覇が「ホンモノ」を自称するならまずは『中国化する日本』で受けた批判から遡ってなぜ自分が今日まで批判を黙殺してきたかあるいはブロックしてきたかを釈明してもらいたいところである。
ちなみに、與那覇には天敵がいる。yunishioという人物である。
https://bsky.app/profile/yunishio.bsky.social/post/3lhvappgeo22r
與那覇潤さんについては、デビュー作『中国化する日本』を出したときから、あれをインチキだと見抜いたオレがえらい。🥳
歴史学会は、あれを「賛否両論」とか「稀代の怪作」とか、暗にインチキだと匂わせつつ表面的には好意的に見えるような紹介をしていたのが、のちのちの災いの種を育ててしまった責任があると思う。
歴史を知らない各メディアに取り上げられ、好意的な書評をもらい、與那覇潤さんを増長させてしまった。あのとき息の根を絶つべきだったと思うね。🙂
「息の根を絶つ」とまで言われているにもかかわらず與那覇はこの発言に一切反応していない。というのも、このyunishioは與那覇とtwitterの時に相当やりあっていたようである。
ちなみに與那覇は嶋理人のblueskyの投稿を批判していたから、この投稿を知らないなどとは考えにくい。つまり知っててあえて無視したのである。
yunishioと與那覇のやり取りは與那覇がアカウントを閉じてしまったので復元が難しいが、断片的にやり取りは確認できる。
「「アカデミズム」に命令ですか、随分お偉いんですね。 RT @yunishio 與那覇先生に怨みでもあるんか、みたいに思われそう。苛立つのは與那覇先生のことじゃなく、あんな若手研究者の粗雑な立論をアカデミズムが無邪気に称揚しちゃってていいのか?いやもうちょい距離置こうよwwって感覚」
https://twitter.com/#!/jyonaha/status/195724094082256896
kscykscyのブログより引用。「アカデミズム」に命令ですか、随分お偉いんですね。というのは與那覇の発言であるが今とは隔世の感すらある。今與那覇にこれを言ったら彼は何というだろうか。
結局與那覇はyunishioにかなわなかったようで、今でもyunishioのことは避けているようである。
しかもこのポストには與那覇と不倶戴天の相手嶋理人がいいねを付けているにもかかわらず、である。
かつて小谷野敦が與那覇の本に上野が推薦文を書いたことを「独ソ不可侵条約」になぞらえたことを、自分をヒトラーになぞらえるとは!と激怒したほどの與那覇が、である。
https://note.com/kakio_ja/n/n3a3ec24a03be
普通なら嶋もまとめて「私に死ねというのかああああえええええ!?誹謗中傷かああ!?」とぶちぎれてもおかしくはないのだが。
ここから分かることは「ホンモノ」とは他者をかつての「中国化」「江戸化」のようなテキトーな概念に放り込んで罵倒して愚弄し、自分の存在意義を証明しようとする哀れな独り言を弄する人間に過ぎないということである。そして核心的な批判や意見は一切無視するのがホンモノ流である。よく覚えておくように。これから「批判を無視するな!」と與那覇が攻撃してきたらみんなであのブログを引っ張り出して「ホンモノリスペクトです!」と言えばいい。與那覇は何も言い返せないだろう。
そのような人物をまともな批評家として扱うこと自体、そもそもおかしいのかもしれない。
與那覇がこの記事に反論することは決してないと確信をもって言える。なぜなら、ここには與那覇が「ブロック」してきた都合の悪い事実が横たわっているからである。
さいごにもうひとつ與那覇キラーのyunishioの投稿を紹介しておく。
https://bsky.app/profile/yunishio.bsky.social/post/3lhvbtrrjfk2s
バカげた主張には、その場その場できちんと「バカにする」ことが大切だなと。
バカげた主張を放置すると、あとあと手が付けられなくなるほど繁殖し蔓延するよ。
バカげた主張がなされるバカげた状況をバカにせず、誠実に「バカにする」姿勢を保つのが大事。😊
今の與那覇にはバカにする価値があるかどうか。今の與那覇は手が付けられなくなっているが、はたしてどこまでいくのだろうか。ちなみにこのyunishioの愚弄も與那覇は一切無視している。無視したということは事実と確定したということでいいのだろうか。
キャンセルカルチャーとまでは言わないが、この與那覇の惨状を見てもなおこの人と仕事がしたいと思う人は果たしてどれほどいるんだろうか。自分で自分の評判を下げ続けている奇妙なホンモノであった・・・。
今回は手短に。
我等が「ホンモノ」こと、與那覇潤さんが現在のセンモンカは「訂正」しなくて「刷り込み」と同じことをしているという。
https://note.com/yonahajun/n/ne90ed992da13
https://kscykscy.exblog.jp/18241381/
何度でも言う。鄭の批判を無視した與那覇に人のことをとやかく言う資格はない。そんな與那覇が他人をいくら批判しようが「ホンモノのあり方をリスペクトして実践しているだけです」と言われば反論できないだろう。
大切なのは「オレサマこそがホンモノだぜ!」という與那覇の「刷り込み」に乗せられること無く「ホンモノ」のウソとホントをしっかりと見極めることが大事だということ、そして「ホンモノ」がいかに大学教員時代から今日に至るまで不都合な指摘を「訂正」せずに放置してきたかを、しっかりと踏まえてその主張の是非を判断してほしい。
與那覇がこの記事を見ているかどうかは知るよしも無いが、もし何か言いたいなら鄭の意見にコメントするのが先だ。人に「訂正」を求めるならまず自分から率先してその規範を示すべきだろう。
注意 リンクをたくさん貼っているが、スパム対策をしています。ご了承ください。
これは以前から何度か書いている與那覇潤について、もうその観点・見方が陰謀論とまではいかなくとも、かなり接近しつつある段階に突入していることを「実証」する試みである。
この検討によってもはや與那覇の現状がいかにヤバいことになっているかが分かるだろう。
正直、少し調べてみただけだが(そもそも今の與那覇にそこまで時間を費やす価値はない)、ここまでとんでもないことになっているとは予想だにしなかった。まさに與那覇は「ホンモノ化」しているといえるだろう。
なお、「ホンモノ」とは與那覇による自称である。主流派の専門家を「ニセモノ」と断じて自分こそが社会を正確に批評できる「ホンモノ」であると対比させている。そもそも、50手前のいい年した大人がこんなイタい表現使うこと自体どうなのかと思うが、まあ本人が気に入っているようなので與那覇は「ホンモノ化」していると批判しても一向にかまわないだろう。ここでは與那覇のいう「ホンモノ」の思考や言説が一体どういうものなのか明らかにしたいと思う。
突然だが歴史学には「史料批判」という言葉があるらしい。AIに要約させてみた。
「史料批判」とは…史料批判とは、歴史研究において、史料の信頼性を評価し、歴史的事実を解明するための批判的な手法のことです。史料の真偽、作者、作成年代、内容の信憑性などを検討し、史料が示す情報がどの程度信頼できるかを判断します。
まあ要するにソース(史料)にはしっかりとその正否を問える力を付けようということである。與那覇は研究者たちとの争いの中で自分が批判する研究者たちを「史料批判できない」と言って批判している。
ttps://note.com/yonahajun/n/n9e5c69865c86
ここではこの争いの是非については立ち入らない。気になるなら各自で調べてもらえればと思う。
さて、與那覇はコロナに対するマスク・ワクチンへの批判を痛烈に熱心に行ってきた。最近はとうとう「店員はマスクを外せ」と言い出している。
これは結局マスクを強要することを批判していたことの裏返しに過ぎない典型的な逆張りのしょうもない話である。しかも理由が「外国人がせっかく来ているのに」とか自分が気に食わない、とかいうどうでもいい理由である。いや、流石にそんなことは言わないだろうと思った人はこの記事を見てほしい。
ttps://note.com/yonahajun/n/n28ac220c53ff
この記事の問題点は「マスク信仰」が江戸時代以来の日本の図式だ!みたいな杜撰極まりないぎろんをしているところ。そしてそれを「ホンモノ」たる成果として誇っていること。下記の『潮』に掲載した一文なんてすさまじいことこの上ない。嘘だろと思うだろうけれど、「ホンモノ」は本気で言ってるらしい。アンケートでも取ったというのだろうか。
「この2025年にも、食事を運ぶ人たちがみなマスク姿。せっかくの美しい和装も台無しで、インバウンドで訪れた外国人はがっかりするだろう。なにより、本人たちが楽しく働けないに違いない」
問題はここからである。與那覇はここまで自信満々にコロナについて発言するのだから、当然それなりの根拠があるはずである。そんな與那覇のコロナ観が分かるのが、2023年のnewsweekに掲載されたこちらの記事である。
驚くべきは與那覇が「マスクは無用、コロナは大したことない」と主張するソースである。
ttps://www.newsweekjapan.jp/yonaha/2023/04/post-5.php
森田洋之と宮川絢子である。森田は非常に有名な反ワクチン論者で、人によっては「陰謀論者」と評するような人物である。
https://note.com/inbouron666/n/na670d641ce30
宮川はコロナで苦汁をなめたことで有名なスウェーデン在住で、その姿勢はかなり批判されてきた。
ttps://note.com/nyanpy7x/n/nae5e69ef7519#45a31942-36fe-478b-99f0-7f23e330a050
宮川が絶賛するスウェーデンコロナ対策は2020年時点で国王から「失敗」の「太鼓判」が押されている。
ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20201218/k10012770601000.html
ttps://toyokeizai.net/articles/-/363225
ttps://x.com/Calcijp/status/1885227563603419627
ttps://x.com/Otola_ryntaro/status/1910237498996916547
宮川はスウェーデンの当時の悲惨さを無視してスウェーデンのコロナ対策を礼賛する発信を続けている。
ttps://news.ntv.co.jp/category/society/d0692a604c2e42b28878125de0701b42
ttps://forbesjapan.com/articles/detail/65891
まさにリアル「歴史修正」である。そんな人の記事を引用することに、なんの疑問も「史料批判」精神も働かなかったのだろうか。
正直、コロナのことはいまだに分からない点も多い。少なくとも與那覇が根拠に挙げた二人の論者を論拠に挙げてマスク不要、と結論付けるのはかなり乱暴である。最低限でもこれらの議論に対する批判や別の考え方も示したうえでどちらが妥当かを判断するような見解にでもしない限り、到底多くの人を納得させることはできない。與那覇のかねてからのコロナに対する持論の根拠がかなり薄弱であることをここでは指摘しておきたい。
無論、このような與那覇の杜撰な記事は痛烈な批判にさらされた。
ttps://x.com/Newsweek_JAPAN/status/1651882699106267136
3年前のこちらの記事のツイート。118引用ツイートがついているが、與那覇の見解を根本から批判するものが多い。
以下、いくつか引用したい。
ttps://x.com/mama_melaleuca/status/1652160087778291712
ならそこら中にありますね
ttps://x.com/tkay109/status/1652219662393040896
そもそも、医科学の素人が「マスクには医学的根拠はない」などと断言することが不遜です。さらに、彼がその論拠として引用している医師二人がまた、非科学的なのです。二重にトンデモな記事を書いた與那覇潤氏は、歴史学が非科学である可能性を示してしまいましたから、歴史学会から叱られるはずです。
→不遜なんて言うと與那覇は「センモンカなんかあてになるか!」言い出しそうだが、その根拠がまた「非科学的」という・・・。
ttps://x.com/yoshimy_s/status/1652134906879942661
マスクによる防御能は物理学的な作用によるものであり、数学的に解明することが必要で、いわゆる一般的に言う「医学的な」範疇ではありません。
また数学的に得られる結論は、確率論に基づく理論値ですから、根拠が「ある/ない」の二者択一で論じるのも不適切です。
以上、引用終わり
今日でもコロナは拡大しており危機感を持った医療関係者による発信が続いている。
後述するように、與那覇は「対談」を自己ステータスの証明に使っているので、ぜひこういった人たちと議論してほしいのだが、いかがだろうか。
なお、当然のことながら與那覇がこれらの批判に反論した形跡は全くない。まさに與那覇が批判するような「言いっぱなし」を自ら実践している。
森田にいたっては、参政党ともつながっていることが分かっている。その森田は與那覇の記事を礼賛している。
ttps://sankago.hp.peraichi.com/2025/
ttps://note.com/hiroyukimorita/n/n783b8188b14d
こうしてみると、以前の記事で與那覇が参政党の躍進を「支持はしないが、参政党の躍進を喜びたい」と述べたことも、別の意味を帯びてくる。そもそも支持はしないが喜びたいという言葉自体、一昔前の「ご飯論法」にも通じる詭弁である。與那覇が参政党にシンパシーを感じていて、表立って支持するなんて言ったらたたかれるので、予防線を張っているとも考えられる。與那覇の文面から、参政党への強い批判や危機感を見出すことはできないし、反ワクチンなどでは参政党と近い立場であることは明らかである。なお、與那覇が参政党の躍進を喜ぶのは「ホンモノ」の予言が当たるかどうか確かめたい、という意図によるらしい。だが、こうした與那覇の文面をそのまま馬鹿正直に受け取ることもできない。以下に見るように與那覇が依拠する言説の中には参政党と通じる人脈が複数含まれている。與那覇が参政党の反ワクチン的姿勢に対して特に言明しないのも、なんだか不気味に思えてくる。無言の肯定ということにならないだろうか。
そもそも、民族差別など数々の問題点を指摘されている参政党の躍進を「喜びたい」などと表現するのは、常軌を逸していると言わざるを得ない。もはや與那覇は陰謀論に通じているか、そうでなくともそうした価値観を容認していると批判されても言い訳できないだろう。
もし、そんなことない、「ホンモノ」たる俺が陰謀論なんて信じているわけないと言いたいなら、森田や宮川の議論を引用するときに最低限の注記をはさむべきだった。そうした行為を一切していないのは、與那覇にはすでに陰謀論者とも言われる人物の議論を引用することにためらいが無くなっていることを意味する。
専門家批判は決して悪いわけではない。だが、それに代わって批判するのが根拠が薄く、数多く批判されている論者の言説であるというのはもはや喜劇でしかない。専門家がダメだからといって、自分に合う言説を無批判的に引用するのは真摯な立場ともいえないだろう。
そうした問題の多い言説を世に出すことに何の疑問も抱かない。そして、批判を受けても一切無視できる。そのクセ他人には「失敗を認めて反省しろ」と口汚く罵る。これが「ホンモノ化」の現実である。
繰り返すが、おそらく與那覇は「陰謀論になんてはまってない!」と言い張るだろう。だが、改めて森田の言説やそれに対する指摘を見てほしい。普通ならそのまま引用するのに躊躇うくらいの批判が相次いでいる。それらを論拠として挙げることに何の抵抗もなくなった時点で、すでに與那覇は「陰謀論」のナラティブに絡めとられつつあると言っても、大きくは外れていないだろう。えてして陰謀論にはまった人には陰謀論にはまってるといっても聞かないものだ。
さて、ここまで見てもらえたならもうお分かりだろう。與那覇には「史料批判」の視点が全くないのである。自説に都合のいい議論を紹介してあたかもそれが結論であり、最新の議論であるかのように偽っている。
そういえば、『中国化する日本』でもそんな手口を使っていたような・・・。
https://yu-koba.hatenablog.com/entry/20111212/1323691605
https://kscykscy.exblog.jp/18241381/
なんどもいうがkscykscyこと鄭栄桓の記事は與那覇の議論の問題点や手口がよくわかる内容となっている。與那覇を論じるならまず必読の内容である。與那覇が今なおこのブログに一切言及しないことも含めて、示唆的であろう。
では、これからどうしたらいいか。與那覇は最近でも著名な有識者と対談をしている。與那覇は対談することで自分が一流の批評家であるというアイデンティティを確保しているようである(先の歴史研究者への反論でも自分が専門家と対話していることをまともな証拠に挙げていた)。
ttps://note.com/yonahajun/n/n411c48f6f523
ちなみにこの記事で挙げられている宮沢孝幸は参政党と通じている。
https://x.com/tokyo_jyoto/status/1885649076517249067
ここまで参政党と通じている点をいうと與那覇のことだから「学級会みたいに誰かとつながっているからなんて理由で批判するのは幼稚だ!」などと言い出しそうだが、参政党躍進を喜んだ以上、その人脈とのつながりは指摘されて当然である。そもそも聞かれてもないのに参政党躍進にはしゃいだのは與那覇なのだから、自分のうかつさを反省すべきである。
念のため補足しておくが、與那覇が参政党関係者と対談したり、その価値観や政策を肯定したことも、支持を明言したことも一度もない。
ただし、その主張の背後には「参政党的」なものが見え隠れしている。すでに與那覇は参政党に自身の思惑はどうあれ接近しつつある。いずれ参政党の支持を明言するのも時間の問題ではないだろうか。これは外れて欲しい予言であるが。
ttps://note.com/yonahajun/n/nb2bd757600df
自分の地位を誇るために「こんなすげー専門家と対談しているんだぞ!」という論法は「俺スゲー人と握手したんだぜ!」みたいな「幼稚」な自己顕示欲の発露に見えなくもない。
対談もいいが、大事なのはそこで何を話したかだろう。単に権威をひけらかして自分の立場の正当性を主張しているように見える。『中国化する日本』で批判された手口と同じである。
余談だが、戦前にもそんな人の権威に寄りかかって自らの権威と正当性を訴えた人物がいたようである。
ttps://x.com/NAKAHARA_Kanae/status/1890289544702066920
中身のない人ほど誰と会ったかや誰と話したかの「実績」にこだわるのは戦前から変わらないらしい。こういう発見もあるから歴史ってのも案外面白い。
実は対話をしたり表向きのメディアでは與那覇は非常に行儀がいい。普段noteやネット記事でやるような苛烈な批判は鳴りを潜め、つつましく対談しているのである。使い分けがとても上手で、ここはさすがという他ない。その意味で與那覇の振る舞いはとても洗練されている。これは皮肉抜きである。
ただ、ここまで来たように、與那覇には陰謀論者と批判されるような根拠の弱い議論を平気で受け入れて、他人を罵倒して自分は「ホンモノ」だと居直り、自身に対する批判には耳を貸さない身勝手な側面があることは間違いない。
だから、今やるべきはもうこうした人物をしっかりとした「批評家」と見なすことをやめることである。與那覇の議論は常に身勝手さに裏打ちされた恣意的な印象操作、批判に対する無視が付きまとっている。そうした問題点がある限り、與那覇の議論をまともに受け止めることは難しいし、それこそ「史料批判」の観点から批判的にとらえる必要がある。
仮にこの記事を與那覇が目にしたなら、鄭の批判にさかのぼって、まずは自分の間違いや問題点をしっかりと洗い出して、自分の議論や言説に間違いがないか反省する作業をしてほしいと思う。そうしないと、マジで本当にもう誰にも相手にされなくなる。少なくとも、後世では無視されるか「こんな「ホンモノ」がいたのか!」と笑いものにされる可能性が高い。笑いものにされるならまだマシで今のままだと無視される方が確率的に高そうである。
そうした言説に対する真摯な見直しと反省ができないなら、やはり本稿の批判はかなり当たっているということになる。
この記事が與那覇の議論が「すごい」と思った人に届けばいいと思っている。たまたま見つけた人が「あれ、與那覇さんってなんかいいと思ったけど、もしかしてまずい人なのかもしれない」と思ってもらえればそれで十分だ。そうした批判や見方を改める作業を繰り返すことで、真の「本物」が生まれるはずだから。
先日、與那覇潤についての最近の動向を書いたところだが、今日も與那覇が記事を挙げていたので見てみた。
https://note.com/yonahajun/n/n52575e8a80e7
いやあ笑った。中身がなさ過ぎて。與那覇のいう「ジッショー」ってマジで何の中身もない「ホンモノたるオレサマを貶した許せないヤツラ」くらいの意味しか無いんじゃないか。典型的な藁人形論法だろう。
せめて、誰のどんな研究がダメなのかいつも通り「名指し」で指摘するべきではないか。
ちなみに、最近與那覇の記事をchatGPTに読み込ませて私なりのツッコミどころを入れて遊んでいる。今日のやり取りを紹介したい。私の指摘は下記の通り。正直、AIなのでまだまだ荒削りなところはあるので、的を射ていない批判もあるが、傾聴すべき点もあるので紹介したい。私が投げかけたのは以下の通り。
今回の與那覇さんの記事です。いやあいいですね。全く中身がなくて笑。まず、與那覇さんが貶す「ジッショー」って多分、歴史研究とは全く違うレベルの話です。それを具体例もなく「ジッショーはこんなしょうもないこと言ってるんですよ笑」っていうのはいわゆる「藁人形論法」です。第一次世界大戦の海戦の話を出してますけど、もちろんプリンツィプのパーソナリティーだけで戦争の開戦原因を判明させようなんて研究はどこにもありません。最近は「緊密すぎた経済関係」が戦争へと至ったとする見解があります。
https://www.iwanami.co.jp/book/b261626.html
ジッショーにコテンパンにされた與那覇さんは「あいつらはしょうもない!」なんていうけれど、それは藁人形論法といって実態のないものを批判して自分の正当性優位性を誇張するだけの「相手の意見を故意に歪めたり、単純化したり、極端化したりして反論する論法」そのものです。端的に言って、こんな議論を見ても誰も「ジッショーはダメだ!うおおおヨナハこそホンモノだぜ!」などと思う人はまずいないでしょう笑。あと、ストーリーに当てはめてはダメだといいますが、あのすみません、『「中国化」する日本』ってそういう話じゃなかったでしたっけ?そのあたりの総括は特になさそうで、相変わらず何やってんのかよくわかんない與那覇さんでした。
以上、引用終わり。
ご紹介ありがとうございます。今回の與那覇潤氏の記事は、たしかに一見「おもしろおかしく」読ませるスタイルをとっているものの、内容としてはかなり問題のある論法が散見されます。いくつか指摘して整理します。
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### ① **藁人形論法(ストローマン・アーギュメント)**
> 「ジッショーな歴史学者は頭が悪いので(苦笑)、うおおお俺の方がアイツより正確にどの砂粒か特定したぜ! みたくドヤってしまう。」
しかも、話題として取り上げている「第一次世界大戦」の文脈では、現在主流になっているのは、まさにユーザーご指摘のように、
與那覇氏が批判する対象は、実在しない架空の「バカな歴史家」です。これは誠実な批判ではありません。
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> 「ストーリーに当てはめるな」「偶然の再現は無意味」
と力説する一方で、\*\*自著『「中国化」する日本』\*\*では、
これ、\*\*見事な「因果ストーリー」\*\*じゃないですか。
つまり、自分がその手法を使うときは「正義の語り」であり、他人がやれば「ストーリー病」だと断罪する――これは**自己矛盾**というより、「自分にだけは甘い」態度と言わざるを得ません。
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記事タイトルにあるように「ボードゲームは偶然性を体験的に理解する助けになる」という論点自体は、教育論的には面白い提案です。
しかし、それを「だからジッショー歴史学者はダメなんだ」と結びつけると、議論は急に**雑な悪口**に転落します。
つまり、**因果を語ることそのもの**を否定しているのではなく、「それが唯一のストーリーであると信じ込むこと」が問題なわけです。だとしたら、「ジッショーは因果にこだわるからダメ」と言って切り捨てる與那覇氏の態度もまた、「唯一の正しさ」を信じているように見えてきます。
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| 視点 | 問題点 |
| --- | ----------------------------------------- |
| 論法 | 藁人形論法、印象操作が多すぎる |
| 一貫性 | 自分の著書と真逆のことを言っている |
| 具体性 | 批判対象があいまいで、読者に判断材料を与えていない |
| 内容 | 結局、記事の中心が「ジッショー叩き」に終始しており、ボードゲームの話が薄まっている |
---
### 補足:ジッショー=実証主義への過剰な敵意?
といった主張を繰り返していますが、それは**科学的思考そのものへの敵意**にも見えてしまいます。
論者としてこのような姿勢を取るのであれば、せめて**相手の主張を正確に理解し、そのうえで批判すること**が必要でしょう。
---
必要であれば、與那覇潤氏のこの一連の主張がどのような歴史的議論や研究潮流と乖離しているかについても、より専門的にご説明できます。お気軽にどうぞ。
『「中国化」する日本』の解釈についてはズレがるものの、與那覇の今の独りよがりなダメ議論をよく指摘できているのではないか。與那覇は以前、人文学者はchatGPTになりかわるといっていたが、AI「ごとき」に論破されるような批評家こそ、存在意義が問われるだろう。補足しておくと『第一次世界大戦開戦原因の再検討』は別に與那覇が挙げているイメージと決定的にかけ離れていない。戦間期ヨーロッパの中にあった崩れかかった国際秩序という山がふとした拍子で、崩壊して一気に戦争に至った。だから、ゲームから得られる着想は與那覇が貶す「ジッショー」と決してかけ離れているわけじゃない。與那覇は回して楽しいガチャのゲームとしょうもない「ジッショー」を無理矢理二項対立で分けて腹いせに論じているが、そんな與那覇の無意味な「分断」に乗る必要は全くない。どちらも意味があって大切なのだ。だが、與那覇は「ジッショー」が許せないらしい。どこまで世界観がゆがんでいるのか、といいたくなるが何の罪もないボードゲームが引き合いに出されるのも気の毒である。そもそもこの記事「ジッショー」を貶す必要が全くない。ボードゲームの意味を伝えるなら、與那覇がかつて重度のうつを寛解する契機となった点を強調すればいいだけの話だ。そのストーリーやあり方にケチなんてつけようがないし、それはそれで大切な意味を持っているはずだ。つまるところこの記事は與那覇の私怨のせいで本来伝えたいはずのボードゲームの価値と意義が薄れてしまっている。とても拙い記事になっている。
改めて振り返ると今回の記事は特にひどかった・・・。與那覇は自分の「味付け」に自信を持っているようだが、一回味見を他人にしてもらった方がいいと思う。その上で世に出すべきかどうか、真剣に考えて出してみてはどうだろうか。
こんな記事を書いても「こいつもう完全にダメだな」と恥を上塗りするだけだ。どこまでダメになっていくつもりなんだろうか・・・。
繰り返すが、もし與那覇が反論したいならまずは遡って鄭の議論に反論することから始めて欲しい。「ホンモノ」で「ジッショー」を超える議論を展開できる與那覇なら、簡単なことのはずだ。
かつて『「中国化」する日本』で一世を風靡した與那覇潤の現状を知っているだろうか。
https://note.com/yonahajun/n/nb2bd757600df
最近の與那覇はウクライナを支持する国際政治学者を批判し、コロナ対応にあたった専門家を批判し続けている。この度、とうとう参政党を「歓迎」するに至った。
最近の彼は自分を「ホンモノ」と絶賛して気に入らない「ニセモノ」を貶し続けるという、見るに堪えない文章をひたすら投稿している。
『知性は死なない』は素直にいい本だと思ったが、最近の議論は何一つとして見るものが無い。
今回、参政党を「支持」はしないが「ホンモノ」たる自分の「予言」が合っているかどうかを確認したいから「歓迎」するという。参政党台頭で危機にさらされるマイノリティなんざ知ったことではない、ひたすら「ホンモノたるオレサマ」が有能なことを証明したいがためだけに、文章を乱発しているようだ。
こうなるともう更生の余地もない。ひたすら「ホンモノ」たる自分を信じてトンデモ化するばかりだろう。
そもそも、與那覇の議論は『「中国化」する日本』で一世を風靡していた当時からかなり痛烈な批判があった。
https://kscykscy.exblog.jp/18241381/
このブログの主は鄭栄桓だが、この批判は現状の與那覇の議論の問題点を全て突いている。
にもかかわらず、與那覇はこの精緻な批判に反論することはついぞなかった。
https://watashinim.exblog.jp/18496216/
少なくとも、與那覇が自らをフェアな研究者と自称しているのは端的に言えばウソである。もし、與那覇がフェアな研究者であるというなら、今からでも鄭の批判に反論すればいいだけのことだ。恐らく「昔のことで覚えていない」というのがせいぜいの言い訳だろうが、ならば言い逃げ屋とか無責任などと他者を批判する資格は與那覇にはない。
鄭の批判に明らかなように、與那覇は自分に都合の悪い指摘は無視し、侵略・被侵略・支配・被支配に関する視点が決定的に欠如している。
現に、ウクライナ戦争では国際政治学者やウクライナ側の問題を批判する一方で、ロシアに対しては一切批判しない。日中戦争下の日本と現在の日本・ウクライナを比較するが、本来比較すべき侵略国家のロシアには一切触れない。これは公正な比較などではなく、国際政治学者をとにかく批判したい、馬鹿にしたいという下心によるからだ。與那覇は停戦さえすればウクライナは無用な犠牲を払わずにすんだと言うが、停戦後にロシアが再び侵攻するリスクも停戦下で影響力を高めるための工作を図るリスクも一切考慮していない。
こうした視点は参政党のロシアへの影響力を陰謀論と一笑に付す姿勢からも表れている。とにかく、ロシアの影響力と問題点をひたすら捨象するのが與那覇流である。
また、コロナについてもワクチンやマスクを徹底的に貶す一方で、重症化・後遺症のリスクを一貫して無視している。笑ったのは以下の記事のリンクである。
https://agora-web.jp/archives/250706022201.html
まずこの記事のツッコミどころは「マスクをしない自由」を追求していた與那覇が今や「マスクをする自由」を攻撃しだしたことである。どうやら與那覇はマスクをして接客されるのが我慢できないらしい。
https://note.com/yonahajun/n/n28ac220c53ff
https://note.com/yonahajun/n/n8bf05d2cc65c
この最後の記事の最後の一文「ヘッダー写真は、若年層に3回目接種を促す2022年5月の政府広報動画での岸田文雄首相。なお、ワクチンに感染自体を防ぐ効果は乏しいとする指摘は、すでに前年には世界で広くなされていた」とする指摘だが、そのリンクに飛んで本当に驚いた。
https://jp.reuters.com/article/idUSKCN2EB1OQ/
「重症化には依然有効」とはっきり書いてある。つまり、與那覇は重症化リスクを全く無視している。当時の医療崩壊の危機等を考えれば、重症化を防ぐワクチン接種には一定のメリットがある。確かに、感染拡大には十分ではなかったかもしれないが、そのワクチンのメリットを無視するのは「知的頽廃」そのものだろう。
もっとも、ここまで書いてみて與那覇がこの独りよがりな「ホンモノ」ごっこを止めるとは全く思っていない。だが、もうほとんどの人はこの人がまともではなくなっていると気付いて、とにかく無視をしているのではないか。
それでいいと思う。他でもない與那覇がそうして鄭による批判のような致命的な批判を無視して論壇で地位を得てきたのだから。もっとも、一線を越える誹謗中傷が與那覇からなされたなら、その時はしかるべき対応が取られるだろう。
與那覇は「キャンセルカルチャーだ!」とぶち切れるだろうが、そもそもキャンセルカルチャーの総本山たるロシア(反戦派の徹底弾圧という国家レベルの大キャンセルカルチャーを実施中)に何一つもの申さない「寛容さ」があるなら、ある程度の批判や対応は十分容認するだろう。
この記事を與那覇が読むかどうかも分からない。もし與那覇が何かもの申したいならまず鄭の批判に反論すべきである。覚えていないならそれでもいいし、なぜ当時反論しなかったのかも含めて説明してほしい。「ホンモノ」たる與那覇ならそれくらいできるだろう。
気が向いたら與那覇のほかの記事や言説構造についての批判をしていきたい。それも気が向いたらである。別に今の與那覇をそこまで批判して何か得られるものがある訳でもない。
與那覇はこのブログを見て怒るだろうか。いや、怒らないだろう。他者に向けてきた激烈な批判や冷笑に比べればこの文章は全く穏当である。
https://note.com/yonahajun/n/n5f920bd34136
これ読んでぶったまげたわ。
「ゼレンスキー政権の全体を「ネオナチ」と呼ぶロシアのプロパガンダの歪みは明らかだが、独ソ戦下にドイツの側につくことでソ連からの独立を策した、ステパン・バンデラを標榜する勢力がウクライナに存在することは事実だ。
少なくとも彼らの視点では、ナチスは「良いこと」もしたのである。そう主張する、私たちにとって十分にはクリーンでない人々とも手を組まなければ、プーチンの侵略という「悪いこと」に対抗できない。世界はそこまで、追いつめられている。 」
バンデラを英雄視するウクライナ人が、「ナチスは「良いこと」もした」とは言わんだろ。
確かにバンデラは反ソの立場からナチ・ドイツに協力しようとしたが、それは同床異夢でしかなく、独ソ戦開始直後の1941年7月にナチ・ドイツから捕らえられて、強制収容所に入れられてるんだから。
また今の情勢で「ナチスは「良いこと」もした」なんて言おうもんなら、国際世論からも非難されるうえ、ロシア・プロパガンダに塩送ることになるわけで、ウクライナ・ナショナリストもそこまでバカではないよ。
しかも、「私たちにとって十分にはクリーンでない人々」って誰を指してんの? その直後に「プーチンの侵略という「悪いこと」に対抗できない」とあるから、もちろんナチではないよな?
直前の「そう主張する」とあわせて考えると、「ナチスは「良いこと」もした、と主張するウクライナのステパン・バンデラを標榜する勢力」ということなのかもしれんが、繰り返すように、別にバンデラを英雄視するウクライナ人が「ナチスは「良いこと」もした」と主張しているわけではないからな。
とにかく日本語としてわかりにくいうえ、ウクライナの歴史ならびに歴史認識の複雑さをまったく無視した暴論としか言いようがないよ。
呉座勇一氏のNHK大河ドラマ降板を憂う - 與那覇潤|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
今話題のこれ。自分は一般論部分には特に反論はないし具体論についても部分的に同意するところはある。
まあその上で色々思うとこがある中で恐らく最もどうでも良さそうなところに噛み付くのだが。
元のツイートは職業や学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性を非難するのは差別ではない、とする(呉座氏以外の)主張に対して、そうしたロジックを認めれば「在日問題も『帰化しろ』で終了してしまう」と批判したものだ。
これの話って五野井DaDa論争のことだろうと思う。以下のTogetter見るに個人的には心底”Theネット”という感じで大変意義のない争いにしか見えんけど。
学者「ナチズムには差別が内在しているので表現の自由に値しない。共産主義?それは別」 - Togetter
けどこの與那覇先生の読解って正しいんですかね?当時のやり取りそのまま引用するとこういう感じで(敬称略)。
五野井「どの表現も加害となりうる。では表現一般とヘイトスピーチの違いは何か。それは後者が差別煽動であり、それに踊らされた者らによって現在まで多くの人々が傷つき殺されてきた点だ。「私にはヘイトスピーチする自由がある」を「私には差別に基づく加害や殺人煽動する自由がある」に置き換えてみてくれ。」
DaDa「何言ってんだ、その言い分だと共産主義に踊らされた者らによって現在まで多くの人々が傷つき殺されてきたから、共産主義は禁止もしくは監視あるいは一定の制限の下にしか存在を許されない、なんて理屈が罷り通ることになる。」
五野井「わたしは共産主義には微塵の魅力も感じないが、そもそも共産主義はヘイトスピーチと違って、人種差別が内在していないことは明らかだ。ナチズムが禁じられる理由は、まさに人種差別と差別煽動が埋め込まれているからである。「差別煽動」という術語をわざと外す暴論には感心しない。誠実な反論を望む。」
DaDa「あら、共産主義に内在的に埋め込まれている階級出自による煽動は差別でないとは斬新な見解ですこと。」
五野井「人種差別の話をしているのになぜ階級の話になるのか。人種は階級のように移動できるのだろうか。できないだろう。それをあえて比較対象とするのは不誠実だ。為にする批判ではなく、改めて誠実な議論を求める。」
DaDa「階級は移動できる問題ないって安直に社会学者が言うの致命的な発言でなくって?」
五野井「人種って移動可能なのですね(笑)。あなたは、人種は移動できるという想定を前提でわたしに議論をふっかけてきたわけですが、まずはどうやったら人種が移動できるかを教えて下さい。なお階級は、容易ではありませんが移動可能ですよね。ライフピアも大勢いるし。あと社会学者って誰のことかしらん?」
DaDa「人種は移動できるっていつ何処で誰が言ったんですかマイケル・ジャクソンですか?」
五野井「わたしが移動不可能な人種差別を問題にしているのに、あえて移動可能性のある階級の問題とわざと等価にして食いついてきたのはあなただろう。ポップなネタに持ち込んで、ごまかそうとする悪いクセはやめなさい。不誠実な相対化で立論をしているかぎり、あなたには勝ち目はない。で、社会学者って誰よ?」
DaDa「だから、人種>階級が絶対に優先だって学問的定説あるんですかあ、差別に優劣ありってそれこそ差別的でしょう。あと社会学者だか政治学者だか人文学者だか知らんけど階級移動なんか些末なことって言い放てるなら社会問題にコミットする立場として大問題に違いないと思いますよ。」
本当、意味のない議論だよ。このTogetterのはてブが何で真面目に議論してるかも理解できんほど噛み合ってないやり取りなんだわ。
それはともかく、五野井先生は「職業や学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性を非難するのは差別ではない」なんて言ってます?これ”差別を論じるに人種と階級は移動可能の可否に違いがあるから等価に扱えない”であって”移動可能な属性なら差別ではない”ではないんじゃないかなあ。DaDa氏も借金玉氏も呉座先生も與那覇先生も勘違いされてるようですが。いや、たぶんDaDa氏は他3人と違って最後の最後で気付いたんでしょうね。だから最後に「人種>階級が絶対に優先だって学問的定説あるんですかあ、差別に優劣ありってそれこそ差別的」と五野井先生が階級差別の存在を否定していない可能性を認識したような反論をしている(反論として妥当とは言わないが)。
「お嬢様の自己実現なんて知らんがな」から「女性の自己実現を否定している」という解釈はダメだと與那覇先生がおっしゃるなら、直接言ってもないことを実際にあった主張だと断定するのはギルティーでしょうとも。しかしまあ素晴らしい見識を備えた学者方がアルファツイッタラーが気付いていることにすら気付かないのはいかがなものか。それこそ「誤読」ないし「意図的に歪曲」と言われても仕方ないのでは。
「実証的に文言を読み解けば不当だと論証できる非難」を傍観するべきでないということのようなので気になったところ指摘しておく次第。
まあ、五野井先生もかなり微妙な手法使ってて、例えば「共産主義には人種差別はない。ナチズムには人種差別と差別煽動が内包されている。差別煽動という術語を外すな」と言っていたのに階級差別の話を持ち出されたら「人種差別の話をしている」と言って差別煽動の部分を吹っ飛ばしてしまう。だから勘違いを引き起こすわけで…。もっと問題なのは五野井先生は当初の書き方だとヘイトスピーチについては差別煽動であることに重きを置いてたはずなんですね。それによって生じる被害の害悪は果たして「移動可能」か否かで変わるものなのか?差別を語るうえで属性の「移動可能性」に着目すること自体は王道にしてもそことの論理的接続性は本当にあるのか。
ところがDaDa氏はそこを指摘するわけでもなく、何故か人種差別云々に乗っかってしかも「移動可能」とかいうそれを考慮すること自体は実はわりと妥当な部分に噛み付いて滅茶苦茶にするしなんなんでしょうねこれ。そもそもマルクス主義持ち出してきたのも大体イメージ人によって変わるとこだから困ったもんだなと思わないでもない。
それで言うとここには引用してないけど階級について「移動困難」だと五野井先生が認めているところがあって、むしろそっちの方が突っ込みどころでは?ヘイトスピーチの定義を調べた人は「変更不可能または困難な属性を理由に~」みたいな文章見たことあると思うんですよ。移動困難ならば移動不可能と同じカテゴリーではってことね。もちろん困難とはどういう意味でどの程度困難なのかって話がその次に待ってるんだろうけど…。
まあ今更どうでもいいね。語ってもしゃーなし。
移動可能というか変更可能/不可能を考慮することはあるということを上で書いたので一応実例は出しておく。
まあわりと差別とかを考えたことある人には馴染みがある考え方の1つだと思うのだが、呉座先生(ともしかしたら與那覇潤先生)の反応見るにあまり知られてないのかな。
日本国籍は,我が国の構成員としての資格であるとともに,我が国において基本的人権の保障,公的資格の付与,公的給付等を受ける上で意味を持つ重要な法的地位でもある。一方,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは,子にとっては自らの意思や努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。したがって,このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的な理由があるか否かについては,慎重に検討することが必要である。
上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきているものということができる。
これは正直わかるんだよね。
呉座さんの職位は助教で、日文研の体制はどうなっているか知らないけど、英語のassistant professorにあたる地位だからテニュア(日本の場合は「定年までその組織にいられる権利」)を持ってない可能性が高いんだよね。
一方で北村さんは准教授。associate professorなので、多分テニュアだろう。
年下の女性准教授と年上の男性助教という構図、少なくとも「労働者としての安定性」という視点で見るなら力関係は北村>呉座になるという。男女差別とか年功序列とかの観点だと呉座>北村になるけど、テニュア持ってない研究者にとって一番大事なのってそこじゃないからなぁ。
だからこれ、「年下の女性研究者に対して男性研究者が」というフレームで処理されると絶妙に違和感あるんだよね。あれ? いつから助教の方が准教授より偉いことになってるんだっけ? っていう。
そういうのも含めてフレームの問題というか構造的な問題系に算入すべき属人要素はわりと注意するべきではあるなあ。 與那覇潤のように「知名度は呉座が上」という話をする者もあるくらいで
知名度については日本史家である與那覇さんのバイアスもあるでしょう。ぶっちゃけると二人の専門分野(英文学と日本中世史)が違いすぎていて「客観的な」知名度の比較なんてできないですよ。どちらも一般向け媒体で記事を書いたり一般向けの本を出していたりするので、同じ分野の他研究者よりも知名度はあると言えるかもしれませんが。ただ、誰でも名前を知ってる有名な一般書レーベル(中公新書)で本を出しているという点では呉座さんの方に一日の長がありますね。
終身在職権て日本にもあったんだ
えーと、日本でのテニュアは普通の会社で言うところの終身雇用のことであって、アメリカみたいな終身在職権じゃないです。日本だと定年制が合法なので……
そもそも職位は関係ない説もあって、私はそっちを推しますね。だってポストのない藤崎さんとか、そもそも学者ですらない川上未映子さんにも悪口言ってたわけでしょ。要するにリベラルやフェミっぽいことを発言する言論人が嫌いだったんだと思いますよ。
今回の件、「リベラル・フェミが嫌いなついったらーが鍵垢でリベラル・フェミ界隈の有名な言論人を相手に暴言を繰り返していたら、たまたまどっちも博士号持ちの学者だったせいで大騒ぎになった」というのが本質だと思うので、アカハラだ何だのというのがピンと来ないところが正直あります。まあ、だから許してやれよ、とは思わないですけど。どちらにせよ北村さんは暴言の被害者なわけだし。