はてなキーワード: 昆明とは
親には国公立大の学費を払ってもらい、月数万円の仕送りを貰っていたが別に太い実家ではない(と思っている)
就活は氷河期とリーマンショックの間の世代で大学を出て就職は普通にできたから運は良かった方だ
学生の頃にバイト代を貯めて韓国とタイに行き、日本と違う空気や文化やメシに触れるのが楽しかった
地方の安月給の会社に就職してからも通勤途中でよく読んでたのは海外旅行のweb記事で、それによく出てきたのが会社辞めて世界一周してる人たちのブログとかだった
なんだかんだ5年で会社辞めることになって、退職届出した時に貯金が250万ほどできており、ふと世界一周できるな?したろ!
行きたい所は3つだけ決めていたが、ルートは未定で、基本的に現地で次の目的地への交通手段を手配する感じだ
最初の目的地はネパールで、上海から昆明まで40時間超の長距離列車で移動し、そこから飛行機でカトマンズに入る
漫画版神々の山嶺を読んでエベレストを見たかったので、ベースキャンプへのトレッキングをした
4500mを超えたあたりからクソしんどかったが生のヒマラヤは鮮烈だった
そっからインドに行き、一ヶ月ほど時々腹を壊しながらカレーを食べつつインド人に騙されたり頻繁にボラれたりし、スリランカからシンガポールへ飛び、シンガポールから第二の目的地タイのバンコクへ陸路で移動する
その後ビザが必要なミャンマー以外のインドシナ半島各国を麺や焼き飯を食いながら一周し、次は西へ行きたいと氷入りのビールを飲みながら思っていたところ、マレーシア航空のドバイ行き格安チケットを見つけたので予約し、ドバイではオイルマネーの力に驚嘆し、世界一高いビルのブルジュハリファは入場料が高かったので外から見た
飛行機で紅海対岸の禁酒国家イランへ、イランは旅人には親切にしろと刷り込まれているムスリムの国なのでいい所だが、テヘランのバスで男にケツを撫でられる
後で知ったがゲイがバレると当地では死刑になるので外人をターゲットにするそうだ
イランは当時も経済制裁の影響でatmでのキャッシングが使えず、米ドルを街中で両替するのが面倒なことと、酒が無いので1週間くらいで出国することにし、バスを乗り継ぎアルメニアに抜けて飲んだワインはクソうまかった
当時まだグルジアだったジョージアはワインもうまいが料理がとてもうまい、元栃ノ心さんがワインの輸入するそうでがんばってほしい
シュクメルリが話題になったがヒンカリ、ハチャプリ、ほか名前もわからん料理などどれもうまかった
黒海沿いに移動して、パンがクソうまいトルコでカッパドキアとイスタンブールを回り、ボスポラス海峡を渡ってようやくヨーロッパへ入り、ブルガリアでヨーグルトを食べて元琴欧州鳴戸親方の生地ヴェリコタルノボを歩いた
ヨーロッパはさすがに文明的で、旅するのに快適であまり苦労した覚えがない
バルカン半島経由で北上し、ポーランドから船でスウェーデンに渡り、ノルウェーでサーモンを食うため北極圏の町トロムソに行き、魚屋で買ったサーモンとオスロで買っておいたスシライス(カリフォルニア米)を炊いて寿司を作って、ホステルで一緒になったドイツ人カップルに振る舞いながら500mlで1本700円くらいするシロクマのラベルの缶ビールを飲んでいたところ、オーロラが出たので見られたのは幸運だった
ノルウェーは物価が高すぎたためオスロ空港で出国前に2晩ほどベンチで寝てたら警備員に注意される
インドで知り合ったスコットランド人学生を訪ねてライアンエアーでオスロからエジンバラへ、夜ギグに行こうと言われて半地下のクラブへ連れて行かれる
さっきまで壇上でサックスを吹いてたシュッとした青年が普通にアンフェタミンを勧めてきてびびったが、すでにエールで酔っ払っていたので楽しかった事しか覚えていない
そこからメシと酒がクソうまいバルセロナへ飛び、夜な夜なバルでセルベーサを飲み、昼はパエリアを食ったりおやつにバレンシアオレンジをかじり、マドリードの安宿の屋上テラスの藤の椅子に座ってチーズとハモンで赤ワインをやりながらどこに行くか迷っていたところ、サウジアラビア経由エチオピア行きのチケットがあったのでアフリカに入り、大地溝帯に沿って南下し、ケープタウンまで陸路で移動することにした
アフリカはどこの国も同じで当然黒人ばっかりでメシがまずく、衛生状態も治安も悪く交通機関もクソだが、ヤリまくって産みまくって死にまくるという原始の人間の生活を見られたほか、やたらと多い子供は汚いがかわいかった
あとサバンナは最高にきれいで、朝焼けの露に濡れた草原が輝く景色は忘れがたく、ライオンやキリンやゾウは動物園で見るのと全く違う美しさだった
ナミビア、ボツワナ、南アフリカはサブサハラの中でも経済が強いのでそれなりに文明的な旅ができたが、ナミビアの乗合バンのエンストはしょっちゅうで、止まったバンを乗客みんなで押しがけした
乗客同士で一体感が生まれて面白い体験だったが、ライオンのいるサバンナで夜中2時に止まった時はヒヤヒヤした
ケープタウンで久しぶりにうまいワインを飲みながら南米行きのチケットを探して、カタール経由ブエノスアイレス行きを見つけ、カタール航空の機内食のハーゲンダッツが久しぶりのまともなアイスクリームだったので感動して3個も食べた
アルゼンチンは肉とワインがメチャ旨く安いので、毎日安ワインを1本ずつ開けた
チリのワインも当然うまく、フロンテラというのが安くてお気に入りだった
このワインは日本でも飲めるが、やはり現地と味が違うような気がする
アルゼンチンやチリはバス網が発達していて、車内は三列シートが基本でゆったりでき、パーサーがいて食事やワインのサービスもあり快適だったが、普通に丸2日バス移動とかがあり広すぎである
南部パタゴニアの名峰フィッツロイやチリのパイネでトレッキングをして、道中一緒になった日本人女性に恋をするが思いは伝えられずそのまま別れた
この人とは帰国後たまに会ってメシを食う仲だが、一度冗談ぽく結婚しないかと言ったら、お前のような貧乏人とは結婚する訳ないと言われた
チリを北上してアタカマ砂漠の星空を見て、それから三番目の目的地ウユニ塩湖へ向かう
昔ポカリスエットのCMでビートたけしが立ってた鏡張りの景色で有名な所で、ちょうど日本の大学の春休みシーズンだったため、ウユニの街は日本人学生だらけでちょっと辟易したが、さすがに見渡す限り鏡張りの光景や遠近感の無くなるほど遠くまで広がる塩の平原はめちゃくちゃにきれいだった
そのあとペルーへ移動しマチュピチュに行ったが、すでに遺跡を腐るほど見ていたのでやや感動が薄かった
ペルーあたりからラムが安いので、全世界同じ安心安全のコカコーラを買って毎晩ラムコークを飲んでいた
バスを乗り継ぎエクアドルのグアヤキルに行き、ガラパゴス行きの飛行機を待つ
グアヤキルで数日滞在した安宿から15分くらい歩くと、カラフルな家がびっしり建つ丘があったので、ぶらぶらしていたらおばちゃんに呼び止められる
スペイン語はほぼわからないが、この先に行くと死ぬ的な事を言っているようで、あとで調べたらその先には有名なスラムがあった
別に一人で帰れるがおばちゃんの息子らしき人にホテルまで送ってもらう
グアヤキルは新婚旅行で訪れた日本人夫婦が強盗に遭い、旦那さんが殺された事件があった所である
ただしガラパゴス諸島は観光地のため、先進国並みに治安は良く、物価も同じくらい高い
アシカやウミイグアナがうじゃうじゃおり、進化論で有名な鳥のフィンチも数種類見てリクガメも写真に撮れたのでとても満足した
南米本土に戻って北上を続け、コロンビアのボゴタでオーパーツの黄金ジェットを見たが絶対あれは魚だと思う
このあたりで日本を出て1年少々経過しており、だんだん旅に飽きて働きたくなってきたので日本へ帰るチケットを探しはじめ、フロリダを経由してニューヨークから日本へ帰還した
成田の「おかえりなさい」のサインを見て泣きそうになり、缶コーヒーとコンビニのざるそばがうますぎて泣いた
使った金は約200万円、1年1ヶ月の旅だった
今はちゃんと再就職していい年になってしまい、結婚して子供ができたりして、出張以外でなかなか海外に行くことはないが、たまにあの頃は楽しかったなあと思い出す
これでシコれなくても俺は知らん
聞きたいんだが、この新型コロナ肺炎が話題になる前に武漢の名前を認知してた人いるー?
日本人の99%以上は知らなかったんじゃないの?
そのうえで聞くが、武漢ってどのぐらいの広さか知ってる?人口が1千万人いるっていうのはさんざん報道されたと思うが…。
で、現在その武漢が閉鎖されてて、増田はいまの武漢と同様の状態に「日本全体が」なる、って言ってるわけだが。
日本に来る中国人観光客の99.999999....%以上は武漢以外から来てるわけじゃん?
諸々考えると
の前に、
「武漢以外の中国の別の都市も今の武漢みたいな状態になる」のを見ることができるはずじゃない?
武漢にはけっこう大きなハブ空港があって、移動先トップ3は国内だと北京・上海・昆明か深圳なのね。国外だとアメリカ・タイ・日本なの。
なぜ中国国外で初めての新型肺炎の患者報告がタイだったのか、よくわかるね。
と言うことは、次は北京・上海・昆明か深圳がどうもなんか閉鎖されているっぽい…といううわさが漏れてくるはずだ。
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2010年11月28日 ー パキスタンは温家宝に150億ドル期待ー
パキスタンの人は,個々には優秀な人が多い。昔のイスラマバードのJICA事務所でも,彼等を重く使っていた。事務所に入ると,ずらりと窓側に並んだパキスタン人スタッフが立派な髭を蓄えて悠然と座っている姿を見ると,一見,日本人スタッフが使われているような錯覚に陥る。私たちをパキスタン北部の辺境に案内してくれたパキスタン人スタッフは優秀で,かなり突っ込んだ議論が出来る。
雪の降りそうな初冬だったが,パキスタンの山奥深く分け入って,雪に霞む村落を眺めていると,人口1億を超すパキスタンの構造が見えてくる。どこまで入っても人が住んでいる。チトラルを見上げるところまで入ったが,最後は泊まるところを捜して,一軒家を見つけ,電灯のないところで長靴を履いたまま一晩,眠られぬ夜を過ごした。帰途,スワット平野のホテルが,随分立派に見えたことだった。
この間,殆ど女性の姿を見ることはなく,途中ですれ違っても,顔を見せずに隠れて去って行く,イスラマバードに帰ってきて,顔を見せて颯爽と歩いている女性を見ると,こちらが恥ずかしいような錯覚に陥る,あの平和なスワット平野は,今はアルカイダで厳しい状態が続いているという。イスラマバードのホテル、奥さんを現地で亡くした日本人観光客に会ったが,奥さんは唐天竺を求めて来られた,幸せでしょう,と慰めてあげたことだった。
それほど奥の深いパキスタンであるが,しかし一方で,政府官僚の傍若無人,無法な社会に戻ると,思わず印象は一変する。北西辺境州で州政府と中央官庁が頭から対立していて,日本のODAの訪問も,その対立の前では忘れ去られる。結局あるプロジェクトの協定書に署名が出来ず,ペシャワールからイスラマバードに引き返したが,救急車が来るたびに,おい,サインを求めて追っかけてきたぞ,と冗談を言っていた。
帰国の空港についてパキスタン航空のチェックインカウンターに行くと,チケットの再確認の欄がペンで書いてある,無効だという。何を言っているのか,と大げんかをして手続き進めたが,単独出張のOECFの方は,結局載せて貰えなかった。当時はビジネスクラスで,機内に乗り込むと,軍人らしきグループが席を占めている,席のない軍人はパイロットの横に潜り込んでいる,彼等を載せるために,我々のチケットを無効にしようとしていた。
アフガニスタンの問題が起こってから,米国を初め西側諸国はパキスタン支援を強化して行き,日本もODAでこれを支援する姿勢にあったが,JICAの緒方理事長もあるインタビューで,パキスタンは我々は入れない,と難しい治安問題を語っていた。しかしパキスタンは,無尽蔵とも言えるような中国の資金攻勢に完全に征服されかかっている。結局,ミャンマーやスリランカ,カンボジアのように,心も売り渡す状況にある。
パキスタンのザルダリ大統領は,3ヶ月に一度は必ず北京に行く,と宣言して,北京で幹部に会って貰えないときは,雲南省の昆明や上海に回って,中国企業との会談に明け暮れている。パキスタンは電力不足で,政府は国民を宥めるために大規模ダムの推進を喧伝しているが,なかなか資金が集まらない。それでも,中国の企業によるダム建設の約束が進んできている。原子力も含め,中国はそこまでパキスタンを支援出来るのか。
中国は,ミャンマーにインド洋への進出拠点を求め,スリランカに手を差し伸べて,資源ルートの開発を進めており,最近は,ラオスを経てカンボジアに至るルートも開発している。パキスタンはそれこそ中国にとって,インド洋進出への第2のルートなのである。カラコルムハイウエーは実質中国が開発したものだが,中国領の新疆ウイグル自治区jからこのルートを経て南下が可能である。
これに,南西部のグワダール海港を繋げば,立派なエネルギー回廊が完成するわけで,この意図はパキスタンの利害とも一致している。パキスタンは,イランからのガスパイプライン完成が一つの夢であるが,協力が出来そうな雰囲気であったインドへのパイプライン延長は,結局,パキスタンへのインドの警戒と米国が,イランとインドとの繋がりを警戒して反対に回り,結局インドはイランからのガスパイプライン構想から離脱した。
中国の温家宝首相が,この12月半ば,イスラマバードを訪問する。今日のパキスタン紙の記事では,パキスタン外務省が殆どの関係省庁に文書を回し,至急,中国との間で結ぶべきプロジェクトの協定書を準備せよ,と要請した。それはエネルギー問題と道路建設が主題で,電力では,タールの石炭火力,チャシュマの原子力,インダス川上流にある大規模ダムなどで,パキスタンは150億ドルに上る支援または投資を期待している。
パキスタンが特に重要視しているのは,中国の意図に沿ったエネルギー回廊の完成である。それは,中東の目の先に位置するグワダール港の整備,グワダールからケッタまでの道路整備,これをアフガニスタン方向とカラコルムハイウエー方向に連携する道路の整備,そうして究極は,イランのガスをイスラマバードを経由して中国の新疆ウイグル自治区に繋ぐことである。パキスタンも,身も心も中国に売ることになる。
パキスタンの電力事情は厳しい,長期に亘って計画停電が続いている。政府は,大ダムが出来れば問題は解決する,もうすぐだ,と国民を宥めようとしているが,大規模ダムがそう簡単に出来るわけはない。それでも今日のパキスタン紙は,電力の関する目標値を詳しく記事にしている。出所は,国家送電網公社NTDCの資料のようである,折角だから,ここで順を追って数字を拾っておきたい。
政府は2011年末の発電設備を,22,697MWとしており,これに対応するピーク需要は,21,705MWである。このピーク需要を満たすために必要な発電設備は,2,7131MWで,不足分は,4,434MWである。2012年には,ピーク需要は,2,3441MW,必要な設備は,29,301MW,不足は5,513MWに広がる。2013年には,ピークは25,306MW,設備計画では,26279MW,必要設備は31,633MW,不足は5,354MWである。
.同じように,2014年では,ピーク,27438MW,計画は,29,405MW,必要は,34,298MW,不足は,4,893MWである。2015年では,ピークは29463MW,計画は,33,630MW,必要は,36,929MW,不足は,3,199MWである。2010年時点の現状は,設備が,19,246MW,有効出力は,17,779MW,夏期の有効は,14,840MW,冬季になると激減,12,482MWである。
WAPDAの水力設備は,6,444MWであるが,夏期には,6,250MW,更には冬季には,2,300MWに落ちる。GNCOSの設備は,4,829MWで有効は,3,580MWであるが,夏期には,2,780MW,冬季には3,222MWに落ちる。IPPは,設備が,7,911MW,有効が,7,695MW,夏期には5,750MW,冬季には,6,900MWである。レンタルは,約60MWである。
明日から,黄海に於ける米韓軍事演習が始まる。中国の警戒に対しては,米国は一応公海上,として強硬の構えである。今後,南シナ海や東シナ海の制海権に対して,どの様な示唆があるのか,注目するが,中国で建造中の空母が完成すると,話は一変するのか。ベトナムにしても,マレーシアにしても,フィリッピンにしても,インドネシアにしても,目の前に中国の空母を見ながら,石油生産を行うことになるのか。
昨日も書いたが,中国に言いたいのは,北朝鮮,ミャンマーに対して,彼処までコミットしながら,北朝鮮の核,北朝鮮の砲撃,北朝鮮の拉致,ミャンマーの核開発などに対して,何も言えないのか。返って中国の弱腰を追求する必要がある。説得できないなら,中国もグルなのか,と言われても仕方がない。そんなに弱腰なら,経済的支援や目に余る投資を止めるべきだ,という世論が興るだおる。
この一触即発の東アジアの状況の中で,フィリッピンのアキノ大統領が韓国からの5万人のフィリッピン人の避難を受け入れて欲しい,と言っている。これは面白い問いかけである。まだ起こっていない状態を材料に,日本に踏み絵を迫ったような感じ。広くフィリッピンの看護士を受け入れる体制に日本はあるが,本気かどうか試されることになる。5万人を日本国内で自由にするのか,出来るのか,日本にとっては難問である。
▲バングラデシュの軍事・政治・経済の保護国はインドから中国へ移行していた
バングラディッシュにとって1971年独立戦争の折、力強い味方はインド、敵はパキスタンだった。バングラディッシュという国名は「ベンガル人の場所」という意味、旧名は「東パキスタン」。パキスタンはパシュトン人の場所、という意味だからベンガル人からみればとんでもない話だ。バングラディッシュにとって「敵の敵は味方」だからインド、その背後の米国もつよい味方の筈だった。
独立達成から四年間、中国はバングラディッシュを独立国とは認めなかった。そして三十八年の歳月が流れた。
パキスタンは中国と緊密な軍事同盟のままであり続けた。インドは中国との敵対関係を緩和し、経済交流を始めた。いまやインド商人が大挙して中国に買い付けに行っている。そしてバングラディッシュの首都ダッカには五万人規模のチャイナ・タウンが出来ている。バングラディッシュに進出した中国の繊維企業が百万人のバングラ女性をミシン工として雇用している。繊維製品のクォータ(数量制限)を回避するため、アパレル産業はつぎつぎと中国以外の国へ移転するためである。
さて問題は中国海軍力の突出である。ミャンマーの沖合ココ島に中国は軍事レーダー基地を租借し、インド海軍の監視所を設置した。同様にバングラディッシュの港に軍事観察基地を租借する思惑がある(ジェイムズ財団発行『チャイナ・ブリーフ』、09年7月22日号)
1975年に中国はバングラディッシュと国交を開いた。矢継ぎ早やの友好条約は経済関係の緊密化、ソフトローンの貸与、文化交流そして、軍事技術供与へと至る。同時期にバングラディッシュの新世代の間でマオイストが跳梁跋扈した。
北京は「あのマオイストは中国と関係がない」と言い続けた。ネパールに出現したマオイスト政権、それ以前から武器はバングラディッシュのマオイスト経由でネパールに流れ込んでいると観測されていた(実際に小生もダッカ大学で構内そこら中に毛沢東のポスターを目撃した)。
2006年、中国はバングラディッシュ軍に大量の武器を供与したが、そのなかには65の対空砲、地対空ミサイル114基。戦車T―69,T-79。さらに兵員用の機関銃。くわえて中国は2012年までに122ミリ砲、155ミリ砲も供与する。これらは「友好価格」にて中国から供与される。
中国海軍とバングラディッシュ海軍との合同演習も行われ、艦発射ミサイル、砲艦、ヘリ搭載駆逐艦などがベンガル湾に勢揃いした。チッタゴン港の港湾拡充工事を中国が引き受ける手はずとなった。
パキスタンのグアィダール港は深海、将来は中国の原潜、空母寄港も可能。スリランカのハンバントタ港もしかり。そしてチッタゴンも。
1977年からはバングラディッシュ空軍にジェット戦闘機も供与されはじめ、中国はF7,A5のほか、F-7BG16機を供与した。
インド軍高官は、バングラディッシュ国内に中国の観察基地が貸与されると、インドの北東部に位置する空軍基地(バグドグダ基地にミグ21。ハジマラ基地にミグ27,テズプール基地にはスホイ30が展開されている)が、レーダーによってたちまち中国軍に掌握される危険性があるという。かくなればベンガル湾からアンダマン海にかけては「チャイナ湾」となりうる。
軍事力ばかりではない。資源戦略と濃密にからむのが中国の軍事力拠点の拡大とシーレーンの拠点確保という動きに繋がる。西側が制裁しているミャンマーへ中国の異常接近は前から指摘されてきた。
ミャンマー沖合海底に眠るガス田開発はシノペックが応札し、また同海域はバングラディッシュの領海と重なる微妙な区域だけに、両国は中国の調整を望む。ガスのパイプラインはミャンマーから2806キロ。年間120億立方メートルのガスを雲南省昆明へ輸送する。2012年完成予定。石油パイプラインは1100キロ、日量40万バーレルを運ぶプロジェクトだ。昆明からミャンマーへのハイウエィ900キロ。これをバングラディッシュのチッタゴンへと繋ぐ。ここまでの動きを地政学的に俯瞰するなら、すでに南アジアは中国の軍事力影響圏に入っていることが分かる。