はてなキーワード: 事情とは
全部のいじめがそうとは言わないよ
なんかいじめの議論ってそこんとこいつも無視されてんのが気色悪いな〜って思うよ
俺が中学の頃にもクラス全員から嫌われていたカスのいじめられっ子がいたよ
別にこっちは仲良くしたくないのに無理やりグループの輪に入ってこようとするんだよな
仲良しグループで話しているところに割って入ってきて無理やり会話に参加しようとしてくる
「え、今その話ししてないんだけど?」
そういう不満が溜まって露骨に避けてもしつこくしつこく話しかけてくる
「俺たちはお前と仲良くするつもりはない」
「もう話しかけてくるな」
「普通に俺達はお前のことが嫌いだし気色悪いと思っている」
事情を説明しても先生は謎にいじめられっ子側に立ってそいつの空気の読めなさ、不愉快さは見て見ぬふりですよ
で、こういう事態になったらもうあとはいじめるしかないわけだよな
いじめられっ子が自発的に集団から離れるように仕向けるしかないわけ
話しかけてきたら「話しかけんな」「カス」「アスペかお前?」「アスペ菌がうつるから近寄るなよ」と罵倒する
馴れ馴れしくノートを借りようとしていたら「なんで貸さないといけないの?」って詰めてケツを蹴り飛ばしてしばく
そうやって自衛しないとこの手のカスはマジで話しかけてくるのをやめないわけ
少しでも同情して優しくしたらつけあがって不愉快なヘラヘラ笑いを撒き散らしクソみたいな話題を振りまき続ける
積極奇異型っていうんだっけ?こういうの
普通に孤独に過ごしてくれりゃいいのにわざわざダル絡みしてきやがる
そんなんだから悪意を持って集団から攻撃されて排除されるんだよなっていうケース、お前らのクラスにもあったでしょ?
みんなはそういうケースに遭遇したことないの?
優しい大人しいだけの人を積極的にボコボコにしていくケースはそりゃダメだよ
でも周囲を不愉快にさせるだけの存在を自衛のために遠ざけること
ひとつつけ加えておくと俺のクラスのいじめられっ子くんはその後クラスのとある女子にストーカー加害をしやがったからね
校門でその女の子が来るまで勝手に待ち続けて無理やり一緒に帰ろうとした
そんなことが繰り返されたから女子側も自衛のためにこのアスペ君を遠ざける努力をせざる得なくなったわけ
こういう自衛のための攻撃、排除もいじめる側が100悪いわけ?
この女の子は大人しくストーカー被害を受け入れなくちゃいけないわけ?
集団から露骨に攻撃されて初めて適切な距離をわきまえるカスをどう扱えばいいのさ
だからあらかじめ言っておくけど、おれはこの世界のだれかが、なにか悪いことをしたって言ってるわけじゃない。
この世界はクソじゃないし、いいこともたくさんある。
けど、会社とかなんとかってのはつくづく人を人として見てないって感じる。
そして、多くの人がそれを当たり前だとおもってる。
評価とか、規範とか、規律とか、意味わかんねーよ。いつも全力でやってるよ。
そんな状況が一日の半分を占めているってどういうこと?
働いてる人も意味わかんねーことを言ってくる。
相手は会話として喋ってるんじゃなくて、規範に則って喋ってるから、まるで意味がない。
規範って誰だよ?
「働くことに意味を求めすぎでは?職場の人間関係は割り切ってやればいいんだよ」
違う。人はどの瞬間でも相手を尊重すべきだ。尊重がない関係なんて地獄だ。
そう割り切らなくちゃいけない状況にあるなら、それはなにかがおかしい、っておれはおもう。
上手くやれないのは、ただ単に、おれが仕事のできない間抜けだからなのか?
会社は人を物のように扱って、おれはそれに屈服してる。
屈服してるなら、それは加担してるのと一緒だ。
いまの職場は十何個目かの職場だから、一般化とかじゃないとおもう。
すべてではなくても、ほとんどの場所が同じシステムを使って動いてるから、
ほとんどの場合働きづらいからって、職場を変えれば済むって話じゃないんだ。
今は耐えていればいつか変わるなんてのも幻想だとおもう。
これは沢山言われてることだけど、
「やるべきことをすべて終えたら本当にじぶんのやりたいことをやろう、なんてことは絶対にできない」
何かを終えたら、何かがやってくるだけだし、今を満足させるのを我慢して、未来に託すふりして逃げ続けてるだけだから。
民主主義ってなんだよ。
おれは「人間じゃない何か」に従ってる。
でも別に誰もわるくない。
この世界はクソじゃない。
日本のポップミュージックは、海外のものと比較して音を詰め込みすぎる傾向がある。
それは両方のヒット曲を聴き比べると、明確に差があることが分かると思う。
ではなぜそうした差が生まれたのか?
能では沈黙がいちばん緊張しているし、尺八は音と音のあいだに呼吸が流れ、雅楽に至ってはテンポという発想自体が曖昧で、音が空間に置かれていく。
前近代の日本音楽では、「何も起きていない時間」は欠落じゃなく、ちゃんと意味のある時間だった。
現代ではどうか。
日本のポップ音楽は、伝統音楽から地続きで育ったわけじゃなく、西洋音楽の完成形を途中から一気に輸入した。
しかも、そのとき一緒に入ってきたのは、宮廷や教会、労働歌といった社会的文脈じゃなく、拍子や和声、構造といった「技法」だけだった。
西洋近代音楽は、拍が明確で、時間が前に進み、構造によって曲が運ばれていく。
その形式だけを制度と教育で取り込んだ結果、「音楽は止まらず進み続けるもの」という理解が強くなった。
ここで「間」は、共有された前提ではなく、不安や失敗の兆候として扱われるようになる。
ライブや放送、商業の場では、沈黙は事故に見えてしまうからだ。
日本語は母音が多く、英語のように子音でリズムを切ったり、溜めを作ったりしにくい。
その結果、隙間を作るより、音数で埋めるほうが安全になる。
さらに、日本のポップでは長いあいだ、メロディの複雑さや歌詞の情報量、転調や展開の多さが「技術力」や「親切さ」として評価されてきた。詰め込むこと自体がサービス精神、という感覚だ。(この辺りは、チラシデザインにおける情報の詰め込みとも関連していると思う。)
Vtuberをやっている人達は今そのVtuberをやる前に色んな職業をやっている事があり、それが前世と呼ばれている
普通にリアルの顔を出しての配信者だったりプロゲーマーだったり声優だったり芸能人だったりどれでもなかったり学生だったり無職だったり色々である
んでVtuberの中には今やってるVtuberの前も別のVtuberをやってたケースがある
そのケースの場合は割と前のVtuberのネタを触れたりするタイプもよくある
前にVtuber企業に所属してVtuberをやっていたけど今は個人勢Vtuberとして活動してる人達とかはとくに触れる事が多い
また企業勢Vtuberでも例えばあおぎり高校のVtuberとか以前やっていた別のVtuberに触れたりするケースがあったりする
他にも前世が声優だったりアナウンサーだったりの特定のプロの職業な企業勢の子がそこら辺の職業の話をする事も見掛ける
一方で前世が顔を出しての配信者の場合は触れにくい事が本当に多い
上記と比較して前世が触れられない傾向なのは顔を出しての配信者が自分の個人情報を曝け出しがちな所があるのも理由かもしれない
そう考えると声優活動とかは顔出し配信者よりは個人情報を隠す分だけ、前世が声優のVが声優活動に触れたりするのだろう
同じ企業に所属してるVtuber同士が前世でも顔出しの配信者として知り合いだったりすると
そこら辺を触れられたくないために同じグループのVtuberとして活動しててもあんまり話さなくなるケースを複数のVtuber企業で観測している
しかし「○○さんと○○さんは同じグループなのに何でコラボしないんだろう」みたいな事をXでよく言ってる人達に
「その2人は前世の配信者だった頃の話を穿られるのを恐れるようになったんだよ」と答えるのは良くない
下手したら誹謗中傷で捕まる
傾向の話はわかるんだけど、女がそういう風にしてるって話じゃないんでな
女がそういう風にしてるよ
これが本題な(上の女は上昇婚~くんと俺は別人だけど)
確かにさ、
そこで女に学歴で負けるのは相当やべー男だったという事情もある
よっぽど差がついて捨てられそうとかでもない限り男が気にするところじゃないわな
でも女が上昇婚を求めるのはもうちょっと本能とか性欲に近い部分なんじゃないの?
それこそ男が若くておっぱい大きい女が好き、みたいなね
勿論年上好きや貧乳好きもいるけど、傾向としては男はそういう感じだよ
それは認めるしかない
社会規範じゃなく本能レベルで求めるって説は説得力はかなりあると思う
https://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/2601/21/news023.html
働き方改革というと、「一律に労働時間を短くすること」だと短絡的に理解されがちだ。しかし本来は、多様な働き方を許容しつつ、健康や生活がきちんと守られるような制度設計を行うことが目的のはずだ。
介護や治療、学び直し、副業といった事情を前提にした「変則的だけれど継続可能な働き方」は、現状ではまだ十分に制度として整っているとは言い難い。
たとえば、ダブルワークを前提とした働き方は、どこまで制度的に想定されているだろうか。介護や通院と仕事を両立する場合も、実際には現場の工夫や本人の努力に委ねられているケースが多い。制度として支えるというより、「なんとか回している」という印象が強い。
また、子どもの事情で早退や欠勤が多くなる社員の業務を、周囲の社員が善意で補っている職場も少なくない。それ自体を否定したいわけではないが、それを「支え合い」という言葉で常態化させてしまう仕組みは、本当に健全なのだろうか。善意に依存した状態は、長く続けば必ずどこかに無理が生じる。
働き方改革を時短勤務の話に矮小化してしまうと、こうした多様な働き方や、それらが同時に存在することを前提にした「連結」の制度設計には、なかなか目が向かない。結果として、問題は個人の事情や努力の話に押し戻されてしまう。
働くことを「資本家による搾取との闘争」として捉える視点が重要であることは確かだ。一方で、働くことを通じて成長したり、自己実現を感じたりする人がいることも事実だろう。どちらか一方を正解として押し付けるのではなく、強制されない形で多様な価値観が共存できる余地を残すことが大切だと思う。
だから必要なのは、多様な働き方を可能にする制度設計と、多様な働き方をしている人たちが無理なく協働できるようにする「連結」の制度作りだ。その両方があって初めて、働き方改革は機能する。
正直に言えば、かなり綺麗事に聞こえるかもしれない。それでも、自分自身が何らかの事情で特殊な働き方をせざるを得なくなったときに、「辞めて転職する」以外の選択肢がある社会は、やはり望ましいのではないかと思う。
メディア対応とか人間的なコミュニケーション能力では榛葉さんは玉木より上だが
自民はその点さすがに平均レベル高いっつーか高市だけじゃなく片山、小泉、茂木・・・と政策の顔役がバランスよく分散してるよな
れいわは山本太郎引退で終わった感あるが、国民民主も何らかの事情で玉木が退いたら終わるっぽい
若手だと森洋介はそこそこ手応えある感じなのかな?
週3で、時給は2,000〜3,000くらい。
手取りは年間で230〜250万くらい。
ボーナスはあるが少ない。
労働時間で割ると時給は1,300円くらいになる。
ラウンジと比べると時給の差が大きい。
風俗なら、時給が6,000〜10,000くらいになるらしい。
条件が良ければ、数年続ければ1000〜2000万くらい貯めることも理屈の上では可能そうだ。
投資は詳しくないが、NISAやインデックス投信は複利で増えると聞いた。
元本がある方が効率が良いらしい。
身体には期限があるので、選択肢として考えるなら早い方がいいのかもしれない。
実際どれくらい現実的なんだろうか。
裏送り(うらおくり)とは、放送のネットワークを通じての番組配信(ネット番組)において、キー局が自局で放送しているものとは別の番組・番組素材を系列ローカル局に送ること[1]。または、その番組・番組素材自体。
「オンエアされている裏で別のやりとりを行う」ためにこの名がある。ローカル局側では裏送りの素材を受けた状態を裏受け(うらうけ)[1][2]と呼ぶ。
概説
テレビ番組・ラジオ番組において、裏送りは、次のような場合になされる。
生放送の報道番組などで、各局送信の番組素材をキー局がリアルタイムに編集・放送する場合[3]
全国ネットの番組を放送中、キー局のみが、同一時刻に全国ネットとは異なる番組を放送する場合
全国ネットの番組を放送中、特定の系列ローカル局が、同一時刻に全国ネットとは異なる番組を放送する場合
裏送りには、一般的な中継放送同様、光ファイバー回線や人工衛星回線などが用いられる。裏送り・裏受けに用いる回線は放送に用いられる中継系統とは別に構築される。スタジオや副調整室以外での裏送り・裏受け回線は中継放送同様「臨時回線」と呼ばれる。
系列ローカル局において、番組編成上の事情で、送られてきた番組を同時刻に放送せず、あらかじめ素材をもらって全国時間より前倒しで放送する(先行ネット)、あるいは裏送り素材を自局で収録しておき(裏録り[1])、遅れた時間帯に放送する場合(遅れネット)も、裏送り・裏受けが行われる[4]。
まず、18歳から29歳の女性を、定期的な収入のある男とランダムで中出しセックスさせる法案を作ります。
週2回中出しセックスを必須とします。半年経っても出来なかった場合は、チェンジですが、どちらかの子か分からなくなると困るため、
子どもが出来た場合は、男は養育費を払うことになります。ちなみに銀行口座から毎月強制的に引かれる法律です。
払えない場合は禁固刑になります。10年の禁固刑です。自身の肝臓を売ってでも必死にお金を用意しましょう。
子作りに成功した男女は一緒に生活する必要はありません。別に愛は無いからです。
また子どもを産んだ女性には3000万円が国から支払われます。子どもを大学まで行かせる義務が生じます。
特別な事情には配慮しますが、基本的に行かせることが出来なかった場合は禁固刑となります。10年です。
この私としたことが……迂闊だった。この事実を知らずに一か月近く過ごしていたとは。年末のどさくさに紛れて大事件が起こっていたことも知らずにのんきに冬の日々を過ごしていた。これだから油断はできない。天地を揺るがす大事件だ。
毎月28日販売のケンタッキーフライドチキンのキャンペーンセット『とりの日パック』の内容が変わっている!!!
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/8dcca4b728b41d489edf51d436796fd92753fc2b
今まではオリジナルチキンが5つで1100円だったセットが、オリジナルチキン4つとナゲット1つ(5ピース)で1250円のセットに変更されている! はっきり言おう。改悪だ。KFCでナゲットを食べたがってるやつはいない。KFC公式は「バラエティー豊かになってリニューアル!」などと謳っているが、そんなものはお為ごかしだ。当然、チキン界隈はこの変更に荒れている。
まあ……事情はわかる。確かに、旧来の「とりの日パック」はかなりお得だった。今やひとつ310円で販売されているオリジナルチキンを5つで1100円で販売するのは、単純計算で450円のお得さ、パーセントにして30%弱の割引だ。一方で、リニューアル後のチキン4+ナゲット1で1250円の販売は……定価だと1720円のところを1250円で販売するため470円の得! というのは完全にペテン。ナゲット5ピースの定価が480円というのが大いなる諸悪の根源なため(マックのナゲットは290円だぜ)、このリニューアルは実質的な値上げなのである。ナゲットなんてオリジナルチキンに比べればカスみたいな存在だからな。そもそもケンタッキー・フライド・チキンでなんでチキンナゲット食うんだよ。こいつが消えても誰も悲しまない。忌むべき存在、呪われた子だ。
しかし……まあ、値上げに対してあんまりうだうだ言いたくはないわな。だって不景気だし、物価は上がり続けているし、企業もずっと同じ値段で物を売るわけにはいかないという事情は察することはできる。俺だって、あんまりこんなつまらないことは言いたくないよ。これがただ別の企業の別のセットだったらこんなことは言わなかったさ。ただ、ただな、KFCのとりの日パックの改悪だけは許せねえよ! こっちにはそのブチギレに至るだけの理屈がある!
まずは基本のおさらいだ。KFCのオリジナルチキンには5つの部位がある。ドラム(脚)、キール(胸)、ウイング(手羽)、リブ(あばら)、サイ(腰)の5つだ。それぞれ特徴があって、味わいも食感も違う。すると、"あたりはずれ"が出るよな。私にとってサイは当たりでキールはハズレだ。それ自体は仕方ないというか、むしろ私に言わせれば「KFCはランダムガチャ商品だと思って買え」である。しかし、例えばランチでKFCに入って……オリジナルチキン2つとポテトのセットを頼んだときに、それがキールとドラムだったときのことを想像してみろ? "怨恨"だからな。
一時期……「KFCのチキンは買うときに部位の指定ができる」というハックが話題になったこともあるよな。注文時に「〇〇の部位にしてください」と言えば対応してもらえるというテクニックだ。しかし……まあ、やりたくないじゃん。どう考えても店員さんへの負担じゃん。私はデブだけど、善良なデブでありたいよ。だからKFCを注文するときも、わざわざ部位の指定なんてしないよ(そもそもモバイルオーダーだと指定とかもするタイミングないし)。好きな部位が食べたいときは、部位の指定をするんじゃなくて、5つ買います。5つ買えば5種類がそれぞれひとつづつ入って提供されるのだから。
そう、これが問題だ。ケンタッキーは5つで1セットなのだ。オタク・グッズでいうところのコンプリートセットだ。逆に言うとそうでもしない限り自分が望む部位のチキンは確実には手に入らない。これがどういうことかわかるか? 俺はチキンの脂身を食べに来ている。サイを食べに来ているんだ。それなのに…今後は「とりの日パック」を購入したときにサイが手に入る保証がなくなったということだ! オリジナルチキン5→4の変更には、そういった重大な意味があるのだ。怖いよ。俺は怖い。KFCの箱を開けるのが今から恐怖だ。だって……そこにはサイがないのかもしれないんだから! これはもはや基本的人権のひとつ「安全に生きる権利」をはく奪されたといっても過言ではないんじゃないか?
部位は5種類だから単純計算で……20%の確率でサイが手に入らない。ロシアンルーレットだってシリンダーに弾が込められている確率は6分の1なのに、それ以上の確率で死が訪れる「とりの日パック」など……もはやビッグ・ギャンブルでしかない。楽しい食事の時間のはずが、生きるか死ぬかの大勝負だ。これに怯えて店頭で言うか? 「すみません、チキンの部位をサイにしてください」などと。私の後ろに並んでいるデブも同じことを言ったらどうなる? 私の前に並んだデブもサイを所望したらどうなる? 頼むカーネル・サンダース……早く目を覚ましてくれ……少しくらいの値上げはいい。だからチキンを5つにしてくれ。私を善良なデブのままでいさせてくれ……。
即席チーム対元即席チームの因縁対決(後半)
(直接的な因縁はない)
サブキャラの地元系チーム※に活躍の場が与えられてるのを見るとウキウキする
※S4の各メンバーのチームとかそういうの
ストーリーによく絡んでくるのがリーダーだけか、よくてサブリーまでであとの2(3)人は若干影薄め
◼️直近の試合(左が勝ち)
S4対Xブラッド
◼️準決勝に出るチーム
S4か新バンカラ
セオリー通り(?)に展開するなら、決勝はブルー対マルノミ 一択…のはず
◼️決勝予想
・イエローグリーンまたはS4を下して優勝、というのは無さそう(決勝が初期チーム同士ということはなかろう)
・新バンカラクラスチームも全員倒したことがあるので(→S4状態)あまりなさそう
・対ミツアミは、なくはなさそう
◼️なんらかの事情で3組残っちゃってトリカラマッチが始まったりしないかな?とも思うけど
これを数ヵ月後に読み返すのが楽しみ
私は体力があまりない方で、定時を過ぎると頭も体も動かなくなる。
でも職場では「みんな残ってるのに帰るの?」「責任感がない」って視線を浴びる。
一度、上司に「体力的に残業が難しい」と正直に伝えたことがある。
返ってきたのは「仕事とはそういうもの」「業務命令って知ってる?」という言葉。
ああ、この会社は社員の事情や限界なんて、最初から考える気がないんだって突きつけられた気がした。
結局、残業できる人だけが「真面目に働いている」と評価され、残業できない人は最初から評価の対象にすらならない。
これって能力の問題じゃなくて、仕組みとして弱い立場を切り捨ててるだけだと思う。
創価学会の方から「20万円の仏壇(家具調仏壇やコンパクトな仏壇)」についての提案を繰り返し受けるのには、主に宗教的な考え方と、入会へのハードルを下げるための配慮という2つの側面があると考えられます。
かつて、伝統的な仏壇は数十万〜数百万円することも珍しくありませんでした。そのため、「信心を始める=高い買い物が必要」という心理的な壁を感じる人が少なくありません。
本質は「本尊」にある: 創価学会の教義では、大切なのは箱(仏壇)の豪華さではなく、中に入る「御本尊」への信仰心であるとされています。
「20万円程度からでも十分立派なものが用意できる」と伝えることで、経済的な負担を心配している相手を安心させようとする意図があります。
現代の住宅事情(アパートやマンション)に合わせ、場所を取らない小型の仏壇が推奨される傾向にあります。
いわゆる「家具調仏壇」や「ブック型仏壇」などは20万円前後で手に入るものが多く、それらを具体例として挙げている可能性があります。
学会員にとって、知人に信心を勧める(折伏)際、相手が「お金がかかるから無理」と断るのを防ぎたいという心理が働きます。
「20万円なら、趣味や家電を買うのと同じ感覚で始められるのでは?」という、彼らなりの親切心やハードルの低さのアピールとして繰り返されている側面があります。
創価学会では、仏壇は「仏壇店(学会員向けの専門ショップ)」で購入することが一般的です。20万円という数字は、そうしたショップで扱っているエントリーモデルの相場を指しているのでしょう。
placeinsuns サラッと書いてあるがすごいな。通報した人は住居侵入罪で逮捕、更に亡くなっていた方もこの住居の住民ではない。暴行痕がある。
原文は
通報した男性が室内にいたため、府警が事情を聴いたところ、この男性の住居ではないことが判明。同日午後2時ごろ、住居侵入の疑いで男性を現行犯逮捕した。この部屋には別の高齢男性が住んでいたという。
だから、"通報者とは"別の男性がこの部屋に住んでいた、という意味でしょ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASV1M3GV7V1MPTIL00MM.html
高校を中退して10年が経った。不登校というやつだ。どういうわけか俺が中退してからも何かと面倒を見てくれるやつがいて、今度そいつが結婚する。そいつはそいつで俺と同様に異常な家庭で育てられていたのだが、そいつはそこから抜け出すために「普通の人生」(実際には全く普通でなく社会の上流にいないと不可能とされる)を自身の執念と努力によって獲得しつづけてきたという点で俺とは圧倒的に違っていた。だからストレートで修士まで行って典型的なJTCに入ったし、お相手とは院生時代から数年の交際・同棲のすえ別れることもなく結婚した。この調子だと数年以内に男女の子どもができてマイホームを建てて子どもたちは私立の進学校から旧帝大か悪くても早慶以上に行って最期は愛妻や子や孫に見守られながら安らかに息を引き取ることだろう。少なくともそれを目指すはずだ。これまで意識的にそうしてきたように。
さて俺はというとその間ずーっとヒキニートである。20年前に両親が離婚してからはずっと母親に養われてきたが、この人はなんというか、雲母坂まりなちゃん家のタッセルとコンブチャ母みたいな感じであり、そんなだから常に金は無く、祖父の遺産をつぶすことでどうにか暮らしている。その祖父が死んだときに青山で買った喪服が唯一持っている礼装で、たしか店員が「結婚式にも使える」ということをしつこくアピールしていた。しかしさすがに黒ネクタイというわけにはいかないだろうから買わねばならん。
買わねばならんというのは式に出席するならの話だ。そいつが「普通の人生」にどれほどこだわってきたかは俺がまだ学校に通っていた頃からずっと聞いてきた。その点においてこの度の結婚はとても喜ばしい。祝福できる。ただ、だからこそ出席するからにはこちらも「普通の人生を歩んでいる人の学生時代からの普通の親友」でいる必要がある。今の俺にそれができるか?無理だろう?しかし、かといって欠席するとどうだろう、「この人は前々から予定空けといてねと念押ししつづけてきた学生時代の親友にすら結婚式に来てもらえないような人なんだ」と思われやしないか?
ここで「そんな普通の人生を歩んできたやつなら学生時代の友人なんてほかにいくらでもいるだろう、お前1人いなくなったところで気にしねえよ」という考えが浮かぶかもしれない。しかしよく考えてほしい。そんな中わざわざ俺とつるみつづけていたのだ。何故だと思う?しかも聞くところによると高校時代のイツメンはほとんど海外に留学していて日本にいるのは俺ともう1人くらいしかおらず、そのもう1人というのも親の介護でそれどころでなく出席できないというのだ。大学の友人は知らんが、とにかくかなり強めにお願いされている。これは祝儀で少しでも回収しないといけないという事情もあるのだろうが、ほんとうに呼べる友人が少ないのではないか?
実際そいつは在学中から数えるともう15年以上本当に良くしてくれている。異常家庭話で盛り上がれる稀有な存在であり、それはもしかすると向こうにとってもそうなのかもしれない。「タッセルとコンブチャ母みたいな感じ」というのはそいつの親にもいえる形容であって、離婚していない分むしろより近いとすらいえる。だから祝福したいという気持ちはある。ここで欠席することで関係を悪化させたくないというのもある。しかし、俺は「普通」をできない。結婚式なんて参加したこともない。いとこの結婚式にも呼ばれなかった。これは呼ばれなくてよかったと思っている。一応母親にも聞いてみたら、母親も結婚式に出席したことがないという。本人もデキ婚で式なんか挙げていない。その結果生まれたのが俺なので迷惑な話である。
それはさておき、YouTubeで結婚式の流れを調べようとすると式を主催する新郎新婦側向けの動画ばかり出てきて招待されるゲスト側の流れが全然分からない。検索するとたいていトップにゼクシィが出てきて「答え」を教えてくれるが、それ以前のもっと根本的なところが分からないのだ。俺が「普通」をやりたくないのは演技に耐えられないからだ。一般論として、繁殖行為はクソ喰らえだと思っているし異性とクネって結婚とか気色悪くて吐き気がする。社会性をエミュレートするにあたって誰かが結婚したり出産したりしたら形式的に祝意を表するというのは分かる。「おめでとう」5文字を唱えて終わりというだけならまだ2,3日寝込む程度で済む。普通の結婚式なんてのはその卑しい社会性とやらを結集させたようなものであり、とても耐えられる気がしないのだ。どうすればいい?ゼクシィにはそこらへんも書いてほしいよな。
https://x.com/tsuda/status/2013087808416829629?s=46&t=m0EXJSjLezh3AQX5_uZarQ
浜田さんはレギュラー出演者ですが、下記で語ったような文脈での話なので(僕とは見解が違えど)「論外」の話をしたとは思っていません。指摘されている問題すべての項目について自分自身の考えははっきりとありますが(いまの闘争的でまったく相手の事情や文脈を組んで建設的に話せる人が去ってしまった)Xで個別に語ることではないかなと思ってます。
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同感。
今とはマーケティング事情が全然違っててニンテンドー64をリアタイで楽しんでたのはほぼ小学生以下の低年齢層だから
とあるインフルエンサーが運営しているオンラインコミュニティ内で仲良くしていたメンバーが立ち上げたコミュニティで(いわば、スピンオフコミュニティ)。
メンバーは70人くらい。アクティブ10人くらいで、話の合うやつばかりだったんだが、自分の主観ではたった一人のメンバーがそれをぶち壊しにしたのではないかと思っている。
・他人を下げまくる。
・俺はすごい、俺を褒めろアピールが凄い(直接的には言わないが
・絶対に謝らない
・正論で指摘すると黙る、逃げる。
・外面は良い。自分もオフ会で会った時は、ただのイケメン陽キャだと思っていた
・コミュニティ内での実力者(某界隈でちょっとした有名人)にとにかく取り入ろうとする(実力者の投稿にも、我先にレスし彼との会話を独占する)
・言うことがコロコロ変わる。変わることを全くいとわない。
彼とはコミュニティ内で知り合い数年の付き合いになるが、最初は「素敵だな~。こんな人がいるのか。頭の回転も速いし陽キャだし、天性の陽キャってこういう奴のことを言うんだな」と思っていた。
オフ会でそれはより確実になったのだが、ただオンライン(テキストチャットなど)では、上記の特性がモロに出まくるから「あれ? あれ? なんだこいつ?」と思っていた。
でも、口もうまいし、屁理屈もうまいから、いつもやり込められていた。
世の中にはこういう人もいるのか。俺には勝てないや。世の中にはいろんな人がいるよなと思いながらも、コミュニティの投稿で時間を溶かし、そして彼のある種暴走を止める人はいないのか・・と思いながらも1年、また1年と過ぎていた毎日だった。
そして諸処の事情により、スピンオフコミュニティが立ち上がることになった。
その時、彼はそれまで、我々の派閥をさんざんに叩いていたくせに、突然「よろしくなっ!」とコロっと態度を変えてやってきた。
思えば、そこで彼をブロックしておくべきだったのだが、コミュニティの主は彼を入れてしまったんだな。仕方ない。俺だって当時はわからなかった。
そこからは、2chの無自覚な荒らし(詳しくは調べてくれ)よろしく、冒頭にあげた行為のオンパレード。メンバーが一人またひとりと疲弊していった。その時も自分は「どうしたらこいつを止められるのか」ハッキリとした解決策はわかっていなかった。
ただ、一人また一人と彼に対して声を上げ、その都度一瞬黙るものの、またすぐ復活する。
テキストチャットメインということもあるが、彼はどうしても会話の整合性が取れない。片手間で文字を打っているかのように、会話に心がこもっていないし、冒頭にも言ったように会話がコロコロ変わるから、どう対応していいかわからないことが何度も何度もあった。
自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の存在を知ったのはこの頃である。
「まんま、こいつじゃん!」と驚いてしまった。それから、NPDについて調べ、精神科医の動画なども見てからは、彼を今までとは違う形で見ることができ、怖くもなくなったのだが・・・
もう時すでにお寿司という感じで。
コミュニティでアクティブに発言する人間は減っていき、彼だけが、昔と変わらず焼け野原となったコミュニティ内でよくわからない鳴き声を出し続けている。
今日も。
彼はおそらくこの状況に気付いてないんだろうな。
youtubeのコメントに「NPDはやばい、小中レベルの企業コミュニティなら破壊される」いうものがあったが、あれは同意である。
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の教義には、日本を「エバ国家」と位置づけ、韓国に奉仕すべき存在と定義する考え方や、最終的には天皇をも凌駕する権威を教祖に置くという構図が含まれていると報じられています。これらは、日本の国体観や、伝統・主権を重んじてきた保守思想とは、根本的に相容れない側面を有しているように思われます。
本来、愛国心や伝統を重んじる日本の右派・保守層にとって、こうした教義を持つ宗教団体と密接な関係を持ち、選挙支援や秘書派遣といった形で便宜を受けてきた自民党議員の行動は、「国益を損なう行為」、あるいは「売国的」と評価されても不自然ではありません。
実際、先日実家に帰省した際、愛国的立場から自民党を支持してきた親戚(30代)が、現在もなお強い自民党支持を続けていることを知りました。この点に違和感を覚え、彼がこの問題とどのように折り合いをつけているのかが、個人的な関心として生じました。
2022年の安倍元首相銃撃事件以降、旧統一教会と自民党議員との関係が広く知られるようになったにもかかわらず、保守層の間で決定的な自民党離れが起きているようには見えず、一定の支持が維持されているように見受けられます。
彼らの内面では、この明確な矛盾をどのように処理し、どのような「納得のストーリー(論理的整合性)」が構築されているのでしょうか。
自民党を支持する保守層が、その根底にある「国体観」や「天皇観」と真っ向から対立しかねない旧統一教会の教義を知りながら、なぜ依然として支持を維持できるのかという疑問は、極めて鋭い洞察に基づいたものです。
この「論理的な矛盾」を彼らがどのように内面で処理しているのか、保守層のアイデンティティや政治的リアリズムの観点から、いくつかの「納得のストーリー」を整理して解説します。
日本の保守層、特に長年自民党を支持してきた人々にとって、旧統一教会との接点は、教義そのものではなく「反共産主義」という政治的立場において形成されたという認識が根強くあります。
冷戦時代の名残り:かつて共産主義の脅威が現実的だった時代、保守層にとって共産主義は「天皇制の打倒」や「伝統破壊」を企む最大の敵でした。その敵に対抗するために、同じく強力な反共を掲げる団体と手を組むことは、当時の文脈では「毒を以て毒を制す」的な現実的判断として正当化されました。
優先順位の付け替え:彼らの内面では、「教義の内容」よりも「共産主義(あるいは現代のリベラル勢力)への対抗」という共通の敵を叩くことのほうが、優先順位として高く設定されている場合があります。
30代という比較的若い世代の保守層であれば、よりドライな「政治的リアリズム」に基づいて判断している可能性があります。
「利用している」という自負:彼らの多くは、政治家が教団に「支配されている」のではなく、選挙の票や人手として「利用しているだけだ」と解釈します。つまり、自民党が教団の教義に染まったわけではなく、あくまでも権力維持のためのツールとして付き合っているに過ぎない、という捉え方です。
代替選択肢の欠如:現在の日本の政治状況において、国防、経済、皇室の伝統を守るという価値観を体現できるのは自民党以外に存在しない、という「消去法的支持」が働いています。「一部に問題はあるが、自民党が崩壊すれば日本の国益そのものが危うくなる」という論理が、矛盾を上書きしてしまいます。
日本をエバ国家とする教義や天皇への不敬とも取れる教理については、心理的な「切り離し(コンパートメント化)」が行われます。
「末端の極端な話」としての処理:教義を「カルト特有の突飛な教理」として冷ややかに眺め、実社会や実政治に影響を及ぼすほどのものではないと過小評価する傾向があります。
「日本の保守政治家は教義を信じていない」という確信:自分が支持する政治家が、まさか本気で「日本が韓国に奉仕すべき」などと考えているはずがない、という強い信頼(あるいは思い込み)があります。これにより、教義と政治行動を完全に別物として処理します。
敵の敵は味方:この問題を激しく追及するのが野党やリベラル寄りのメディアである場合、保守層は本能的に「自民党を攻撃するための政争の具」であると警戒します。
過剰な攻撃への反発:メディアの報じ方が「自民党=悪」という単純な構図に偏るほど、支持層は「保守派への不当な弾圧」や「宗教の自由への介入」といった文脈に読み替え、かえって団結を強めるという心理的リアクタンスが働きます。
ご親戚のような方が抱いている可能性が高い「納得のストーリー」を言語化すると、以下のようになります。
確かにあの教団の教義は受け入れがたいし、関わりがあったことは褒められた話ではない。
しかし、それはあくまで過去からの付き合いや選挙事情という「泥臭い現実」の一部に過ぎない。
それよりも重要なのは、中国の脅威や北朝鮮の問題、そして国内の左派勢力から日本を守り、皇室の伝統や経済を維持することだ。
これらを実現できる現実的な政権担当能力があるのは自民党しかない。教義の問題で自民党を倒すことは、結果として「真に日本を壊す勢力」を利することになり、それこそが真の「売国」である。
このように、彼らにとっては「小さな悪(教団との接点)」を許容することが、「大きな善(国益の保護)」を守るための苦渋の選択、あるいは大人の現実主義として整理されているのです。