はてなキーワード: アナウンサーとは
日本はアメリカの植民地なんじゃないか、とふと思うことがある。けれどテレビをつけると、そこに映っている人たちはみんな、そんなことはまるで考えたこともないような顔をしている。政治家は「この国の未来」を語り、文化人は日本の良さを語り、アナウンサーやタレントは「私たちの社会」について当たり前のように話している。その様子を見ていると、どこか不思議な気持ちになる。
たしかに、日本は日本としてちゃんと動いているし、毎日の暮らしの中で「誰かに支配されている」と感じることはあまりない。街は穏やかで、生活も静かに続いていく。でもその一方で、大事なところではアメリカに頼っている部分があると聞くと、少しだけ心がざわつく。
テレビの中の人たちは、そのことをあまり口にしない。ただ、今ここにある日常をそのまま言葉にしているだけのようにも見える。もしかすると、それでいいのかもしれないし、深く考えない方が楽なのかもしれない。けれど、ふとした瞬間に「本当はどうなんだろう」と思ってしまう。
はっきりと答えが出るような話ではないのだと思う。ただ、テレビの中の当たり前と、自分の中に生まれた小さな疑問のあいだに、少しだけ隙間がある。その隙間をぼんやりと見つめていると、なんとも言えない気持ちになる。
たぶん、それは不安というほど強いものではなくて、どこか静かで、少しさみしい感じに近い。誰も大きな声では言わないけれど、心のどこかに引っかかっているもの。そんな感覚を抱えながら、今日もまたテレビを眺めている。
shi********
2日前
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>全員が等しくその状況なんだから、それが言えない人は まだ番組などの表に出てくるべきではないでしょう。 そうやってかばうことでこのアナウンサーの成長する機会を奪っているのではないか?
今日も自分は行列どれだけ待てるかと振られたときに平気で自分なら友達が待ち続けようとするなら解散とか意見を抜かしてたではないか。
dorawiiより
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憤りの話です。今更過去の話だと言われてもやっぱり許せないことがある。
本当になんで自分たちのせいじゃないのに、あんなに日本中からメディアから毎日罵られる世界で思春期や学生を生きてたんだろうって。
いま、その世代にあたるだろう人達が自己肯定感が低く、病気がおおいといわれてる。それでいつも思う。「多感な思春期を叩きまくったあなたたちメディアも原因の一つだよね?」って。
ネットで、twitterでバカッターとかゆとり笑とか、2chあそばれてたのは全然許せる。見なきゃいいし、そもそも個人の行いだから。
でもメディアは許せない。自分の都合では防げない、毎日目や耳に入る状態で罵られて、肩身狭くされて、個人が努力してもゆとりって世の中で罵られるようになって。
それって、多感な思春期にしていいこと?いい歳した大人が、小学生や小学生に上がりたての子供に対して。社会に出てからもあったよね。
一般家庭ってみんな度合いは違えど、機能不全家庭だったよね。きっと今もそうだけど、その状態に加えて何年間も連日メディアからのバッシングってどうなのかな?自己肯定感が育つかな?低くする理由にならないかな?
ゆとり教育そのものは、7歳くらいのころ4時間授業だったのが、土曜がなくなることにより5時間目や6時間目が追加された。同級生も私も午後には疲れて眠たがっていた。土曜も家にいることになったことは、親から「子供がいるせいで今までみたいに午前ゆっくりできない!」と面倒臭がられた。金土で分割してた学校の持ち帰り荷物が金曜全てに集中して、いつも小さい身体に大荷物だった。まあ施策自体もキツいとこあったけども、問題はそこじゃない。
あんなバッシングし続けてきたくせに、謝罪することもないメディアってなんなの?
自らの役職や会社がした行いが良かったか悪かったか、そんなことも振り返ることもない…。
アナウンサーもニュースもずっと嫌い、制作や会社の気風、そういう上から言われて仕事だからやってるっていっても。
そう言ったら、無罪で許されるの?
平気な顔でずっと罵り続けた職種は、コメンテーターより悪質だとおもってるんだ。
たまに擁護や同情する記事もあったけど、それって全部ネットの記事とか小さい派閥だった。まあ当時のメディアって総理おろしとかもやってたけど…。
そういうのも含めて、ほんと無責任で無責任でずっと許せない。ずっと嫌い。
当時の子どもたちをバッシングして、自己肯定感を奪ってお金もらって、無責任で。
最近の「自己肯定感の低い平成初期勢の病気率」みたいな特集見かけるたびに「お前も加担してただろ」って言いたくて仕方なかった。沸々と湧き上がる。あのころと同じ人が制作に関わってるとは言えないのにね。上の人なんて、もうとっくにしんでるかもしれないよ。
平成リバイバルどうのと見るたびに、世間から絵描いて漫画よんでたら犯罪者予備軍扱いだったり迫害だった時代のこととかも、思い出してほしい。あんな風に「ゆとり世代は愚か、バカ、あきれちゃう」ってずっと言ってたよね。
学校みたいな個人間なら「いじめたやつがわるい、地域環境が悪かった」で折り合いつくんだけど、メディアは違う。メディアは情報操作のできる世間で組織だよ。
人から自己肯定感を奪える十分な環境であったと自覚してるんだろうか、関与してた彼らは。憤りを感じる。きっと罪を自覚してほしいんだと思う。そんな日来ないのにね。
肯定感で苦しんでるゆとり世代が多いのは、親のせいだけじゃない。メディアも原因のひとつでしょって思ってるんだ。
この日記を書いたのは、誰かに叫びを知ってほしかったから。恨みが届いて罪の意識が芽生えたらいいのに向こうに芽生えることはないだろうから、せめて聞いてほしかった。それだけ
トロントの CTV News (民法ではカナダ最大手)に所属する
声と内容で信頼・人気を築いた
その後、現役引退するベテラン白人アナウンサーと交代する形でテレビの夜ニュースのアンカーに抜擢された(カナダのニュースでは毎日見る)
私はわりと高田選手すきなのだが、ただ、最近は分別ある発言というか、前もって用意した人生訓のようなことをインタビューでながながとはなすのはどうなんだろうと思う。
もっとなんというか作ってきたような作文ではなくて、実感のこもった話をしてほしかったけど、まあアナウンサーの技量もあるから、というところかな。
でも昨年は3勝してからあと逆転されたりして、そのあたり今年はどうだったのかとか聞いてほしかったなあ
それにしても高田選手がすごいのはセンターでケガがないことですね。国際試合まで出てるわけだからほかのプレーヤーよりも圧倒的に休む時間などはないはずだけどケガがないのはどういうことか。
日本一古く、おそらく世界でも2番目くらいに古い、「伝説の長寿番組」がある。
上場企業の終値をひたすら読み上げていくもので、15年以上前にアナウンサーの読み上げから合成音声になっている。
日本でラジオ放送が始まった1925年の3月から、戦中・戦後の数年の中断を除き、ずっと放送されてきた。
ネットで簡単に株化が調べられるようになってからは、この番組をまじめに聞いていたリスナーは皆無だったと思うけれど、それでもずっと放送は続いてきた。
しかし、ラジオ第2放送の終了と共に、いよいよ役目を終えることになった。
という訳で、これから聴こうと思う。
なお、1928年に始まった、日本で2番目に古い長寿番組、「気象通報」は、ラジオ第2からラジオ第1に変わって、これからも放送は続く。
nhkには平井という天気予報士がいるがこいつはいつも共演者のアナウンサーの名前を最初に呼ぶんだ。
そのアナウンサーと対話してるんだってスタイルを演出するための芝居だろうが、いかにも芝居臭くて鼻につく。
あと合理性がないのもムカつく。斉田もアナウンサーと一緒に出てるけど名前呼んでない以上名前呼ばなくても自然な流れとしては成立するんだよ。
無駄にアナウンサーが多いNHKの性質上毎度違うアナウンサーが出てくるわけでこいつはその都度共演者の苗字覚えてきてるのかって思えてそれが馬鹿げていてむかつくんだよ。
dorawiiより
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昔、ある美人アナウンサーが『82年生まれ、キム・ジヨン』だったかの韓国のフェミニズム文学へ寄せたコメントで「私にも私の地獄がある」というような事を言っていたのを読んで「……………………へェ〜?」と思ったものだった
申し分ない学歴で、健常者で、日本人の上位10%レベルと言ってよかろう美貌を持ち、女子アナとして成功している人間に地獄……………地獄か〜……………
他者の苦しみを誰かと比べて軽いだの重いだの言うことはできない
痛みとは個人的なもので、本人が耐え難く痛いのならばそれは絶対的に痛みなのだ
もちろん「同じ女として」と言えるところもある
容姿を値踏みされ、評価されることや性加害の対象になること、「女子」として侮られ続けることなどは美人でもブスでも関係ない
同性の中でもヒエラルキーが低くなり、一軍女子から見下され、親には憐れまれ、オシャレな店で奥まった席に通され、酔っ払いに顔を覗き込まれて「うわっ、ブスだった!(笑)」と言われ、存在を軽んじられ、そのくせナメられるので痴漢やおじアタックの被害は普通に受ける
さらにバカで低学歴で親にも自分にも金がなく地方出身で家族関係も悪く発達障害で精神疾患のある女(私)の地獄の生活は、女子アナの文化的で美しき地獄とは程遠いものがある
そう、美人の地獄は美しいがゆえにみんなが観たがり、耳を傾けたがり、エンタメにもなるが、ブスの地獄などしみったれててどうしようもないがゆえに、誰も興味はないのである
フェミニズムにおいてみんなが共感し合うヒールが何やら、セクハラが何やら、ブスはそれを口に出すことも許されない
「どうせ女捨ててるんだから好きなの着れば?」と言われるのが関の山なのである
実際ブスはスカートなど滅多にはかない
幼少期スカートをはいたら笑われた記憶がトラウマなので、自らを女として装うことができないのである
それでいて「女らしい格好をすればいいのに」「化粧も満足にできないのか」とケチを付けられる
まんこで金は稼げねえのに(仮に稼げたとしてブスはリスクとコストを考慮するとあまりにも割に合わない)まんこから毎月大量出血して迷走神経反射が起こるレベルの生理痛に見舞われる
おっぱいで金は稼げねえのにタダで鷲掴みにしていく性犯罪者はいる
シスターフッドとかフェミニズムとか言ってるリベラルな人々は大抵高学歴で、表に出てる場合は整った容姿をしていたりして、文筆なり何なりの能力があり、魅力があり、SNSだとかで承認を受けている「持ってる側」であったりするが、ブスな上に何もない人間はアカデミックで高尚な話にはついていけず、彼女らに繋がることすらできないのである
ある日、ガザで子ども達が凍死したニュースをスマホで読んでいたら、道を歩いている親子連れの4、5歳ほどの子どもが、あらん限りの声を振り絞り、「グミ買うって言ったじゃあああん!!!ゔぁぁあ!!!」と号泣していた
ガザの子どもを襲った飢えと恐怖と寒さは想像を絶するが、グミを買ってもらえないのが悲しい子どもの悲しみも別に偽物ではなく、親子ともども良い服を着た世田谷の子どもはグミを買ってもらえないことが本当にとても悲しく耐えがたかったのだろう
だから、高学歴で要領良く生きる能力にも恵まれた美人の地獄というのも本人の中に実在はするのだ
それを思いの軽いのと比べてはいけないのだと、頭ではわかっているのだ
こういう事書くと「自己肯定感低すぎ〜ブスだって楽しく生きられる!心がおブスじゃダメッ」みたいなレスがつくことがあるが、自己肯定感が低く根暗にならざるを得なかった人間がなぜそうなったかを想像できないならその口を縫い合わせておけと毎度思う
ミソジニーをこじらせた弱男どもは憎い女、しかもブスなんぞに共感されたくなかろうが、望んだわけではないのに歪まざるを得なかった悲しきモンスターとして私は彼らに共感を禁じ得ないよ
アマプラと違ってdアニメは解約すると視聴履歴や設定なども消えるので、これ見たよって記録を残しておきたいと思った。
これを見るためにdアニメに入った。アマプラとネトフリにはなかったからね。
殺人事件の推理みたいなのは一部あるが殺人事件が起きるわけではない、日常系ミステリー。
知らんがなといった些末なことを推理することもあるし、自作自演で謎を作ったりもする。
「氷菓」部分は最初の5話だけ。1話完結のものと、「氷菓」のように数回にまたがる話が混在する。
絵に後の「響け!ユーフォニアム」や「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」っぽさがある。同じ制作会社だとキャラクターデザインや作画監督が違っても似てくるものだろうか?
ミステリー、登場人物が皆賢いかミステリーに詳しい。本心を隠すように芝居がかった喋り方をしがち。ミステリー読まんから知らんけど。
ラノベ、やれやれ系主人公があれこれ考えを巡らせがち。ラノベも読まんから知らんけど。
中の人的には奉太郎とえるは「ファイアーエムブレムif」のリョウマとカムイだな。えるは独り言まで丁寧語というのもカムイと共通している。
前期のEDに草。なんでヒロイン2人が宇宙のような空間に浮いている謎のオブジェの上で、寝間着姿?でまどろんでいるのか。
見ることができてよかった。原作がまだ完結していないらしいけどアニメの続編は作られないんだろうか?
アニメ制作がテーマの作品だからアニメ化に非常に向いていると思う。
アニメを作るというと絵を描く方向に行くものだが、高校生の身で金森氏のようなプロデューサー的な役割を徹底できる人間は稀有だよなあ。
変なOP。売れ線とは違う画風。テーマがアニメ制作という真面目さ(なお主人公達は学校を騙してアニメ制作を行い収益も得る)。これはNHKアニメっぽい。知らんけど。
これも大ヒットしたので一度は見ないといけないのかなあと思っていた作品。
正直この作品のすごさがわからなかった。私の感性が悪いんだと思う。
フレンズが人型でありながら動物準拠のことしかできない設定を忠実に守っている、とか?
少人数で作ったからとか?
ラストバトルでフレンズが集合するのもグレンラガンみたいにありきたりだなあと何か冷めてしまった。
美少女キャラ(少女ではない)がリアルな画風の仕事アニメに転生した件。な感じ。
時々美少女アニメの文法が顔を出す。エンゼル体操や「どんどんドーナツ」の掛け声など。美少女アニメはほとんど見ないから知らんけど。
アニメを見て物事を完全に理解するのは危険だが、これ以降に見るアニメのスタッフロールの解像度は上がった。
作画監督の人あんな感じの仕事をしているのかな〜などと思いを馳せるようになった。
メインキャラ5人の一部より木下監督や本田の方が出番が多く表面積がありキャラと印象が強い。
矢野、髪の色と声と頼れる先輩部分が「響け!ユーフォニアム」の吉川優子だった。
期待よりずっと面白かった。当時はてなでも話題になっていただけのことはある。
こういうネームドキャラが大勢登場する作品を好きになることが多い。
劇場版だけアマプラにあったので、SHIROBAKO見たさに見たことがあった。
キャラをすでに知っていると楽しさが全然違う。そういう意味でTVアニメ版を見ているのが前提ではあったように思う。
昔見た内容は部分的に覚えていた。
「変な話〜の人の会社に2人で殴り込みに行くとき、もう1人は誰だっけ?興津さん?」みたいな。
(殴り込み先は「変な話」茶沢ではなく、今作では茶沢は「変な話ナイスショッ」のセリフ1つだけ)
最初に車のシーンから始まるのも覚えていたけど、乗っているのが宮森だと思ったら記憶違いだった。記憶ってあてにならんね。
金髪ツインテやゴスロリの社会人がいる世界なんだ、と思ったのは覚えている。
新キャラの宮井、あまり活躍していない気がする。外部のプロデューサーで制作側ではないしほとんどのシーンで表面積の大きい上司と一緒についてきているからか?
急に歌うミュージカルは嫌いではないよ。今まで携わったアニメのキャラ達やアンデスチャッキーがエンゼル体操などをしながら背中を押してくれるってシーンだからね。
野亀先生、作品をエロアニメにされがち。そうさせる何かが野亀作品にあるのだろうか? そのエロアニメの監督が、TVアニメ版で演出として雑な仕事をして指摘されると逆ギレして勝手に降板したスタジオタイタニックの薬師寺笊良(ざるよし…?)じゃないか。出世したなあ。
最後の「真・第三飛行少女隊」の文字の意味もTVアニメを見ていないとわからないことであった。
月は頭はいいのに変にプライドが高く自己顕示欲が強いから破滅したね。
隠れることに余念がない吉良吉影も杜王町から出ていくのは負けを認めるようで嫌だと変にこだわったから身を滅ぼした。
李牧、怪しさしかない外見で交戦中の敵将に数騎でスマートに近づいて暗殺とかできるのかよ。言っといてやできるんやったら。
少数の飛信隊が馮忌を討ち取るときはもう少し人数を要したし馮忌のところにたどり着くまで必死だったぞ。飛信隊もあのとき敵陣の中で長く戦った割には死んでいないけど。
キングダム、最終回っぽくないことが結構ある。あれ、次回は?っていう。
いきものがかりのOPは血みどろの戦争がテーマのキングダムとは相性が悪いと思う。
「疾(はし)れ 疾れ とまらないで 踊れ 踊れ 夢の果てで」と歌っている間敵兵を斬りまくって血飛沫を上げている。
ちょうど「ザ・ロイヤルファミリー」放送中のタイムリーな時期であった。
馬を見にきたのに、人間の下ネタや魅力を感じないヒロインやこの画風のセクハラ描写などを序盤10話近く見せられて「人はええ。馬はどうなんや」という心境だった。
人間キャラの多くがアニオリだというので、よくもやってくれたなと。下ネタがそれほどなく真面目な飯富先生は好感が持てた。
睨み合いや同じカットを何度も繰り返すなど、尺稼ぎが目に付く。総集編もある。悠長だよな。放送枠に余裕がありすぎる昔のアニメだからか?
競馬アニメだから、「SHIROBAKO」で苦労していた馬の走りをずっと描き続けるわけだな。カスケードやツァビデルのような特殊なフォームの走りもある。
マキバオーは競走馬デビューしてからは熱血漢に成長し、血気盛んなライバル達も増えて正当派ジャンプ作品っぽくなってきた。修行回もマキバオーがこれで強くなるのだなあと思うと楽しめた。
有馬記念のゴール前のカスケードの幻影を追いかけるシーンでは、いつもの語尾の「のね」が封印されてマキバオーが精悍さが強調されている。
レースシーンが実際より長すぎるのは仕方がない。現実に準拠すると1600mのレースが1分半で終わってしまう。その1分半〜3分を2、3話かけて語ることになる。
フジテレビの競馬実況アナウンサーも「レース長いな……」と思いながら実況していたのではないかと想像する。
坂も高低差200mはありそうな坂をずっと登り続ける形になっていた。そりゃあ心臓破りでしょ。
今回は1期のLive2Dで作った歌い手のMVのようなOPではなかった。
世界ジュニアオーケストラ編で青野と佐伯のみが勝ち進んで他のキャラは脱落するものかと思いきや、案外小桜も山田も、顔も名前も知らない海幕オケ部の他のパートメンバーも生き残っている。海幕が全国一のオケ部とはいえ普通の高校の部活だから、音楽系の学校の生徒達が集まる場だと厳しいだろうと思っていた。
敦美先輩、OPで見たときの印象と違って腰が低かった。世界ジュニアオーケストラのメンバーからも外されるし。「君も来いよ。こちら側へ」と上から言う感じのキャラに見えた。髪型がおかっぱの男子なんてどう見ても只者じゃない。
土曜の夕方はいつも用事がありリアタイはしないので配信で見る。
開始はラストバトルの途中から。前回が俺達の戦いはこれからだって感じで終わったから。
OPの「THE REVO」は1期OP「THE DAY」と同じく「THE DAY HAS COME」の歌詞で終わる。
アニメのEDってあまり動きのないイメージ映像であることが多いけど、今回は1期からこれまでの出来事の描き下ろし高速ダイジェストになっていて見応えあり。サビに入るところが「未成年の主張」と重なっていていつも涙腺にくる。ついに完結するんだなあって感じ。
憧れのオールマイトから壊れたサポートアイテムをもらったときの爆豪の笑顔、いいよねえ。こんな笑顔はこれまで劇中では見せなかったと思う。あるとすれば子供の頃ぐらいか。
原作の431話はなかった。円盤の特典にでもなるのかなと思っていたのだが、これアニメが放送されるみたいだな。「2026年5月2日(土)夕方5:30読売テレビ・日本テレビ系全国29局ネット」で放送だって。
ネトフリからdアニメに移行する直前に、dアニメにない「ハイスコアガール」と「ピンポン」のどちらかだけを見ることにして「ハイスコアガール」を選んだのだが、結局どちらも後日dアニメで再配信されていた。
画風が癖強だった。実写映画はだいぶアクを抜いてスタイリッシュになっていたんだな。
実写映画ではやらなかったペコVSスマイルの決勝のシーンがある。
ペコの卓球が曲芸みたいに自由すぎて気持ちがいいけど、実際これぐらい動ければ世界で戦えるものなんだろうか?
見るものがなくなったらこれを見ようかと思っていた。170話はヒロアカ全部と大体同じくらいの分量。
持たざる者が特殊な力を得て、持てる者達の世界で活躍するという話はヒロアカと共通する。また、使える魔法の属性は1人につき基本的に1つだけという、能力者ものである点もヒロアカと似ているので、ヒロアカを楽しめた人はこの作品もおすすめです、かどうかは知らん。
世界観はファンタジーでありながらヤンキーや合コンという概念があるなど結構ライト。きっとハンバーグもあるんじゃないかと思う。
魔力量がヒエラルキーに直結、悪魔や精霊の力を自身に宿して強化、人命などの代償を払うと使える禁断の魔法、非人道的な方法で作られる隣の侵略国家の強化人間、北の寒冷地の悪の国家など、ファンタジー作品にありきたりな設定が多い。
主人公アスタはジャンプによくいる努力と根性マン。修行の後のイメチェンでは筋肉量が増す。
天才・イケメン・クールのライバルのユノが遥かに先を行く存在かと思えばアスタも負けておらず、意外とライバルしてくれているし共闘もする。
どちらも本気モードで翼が現れ剣で戦うようになるから見た目でも対になる。
ヤミ団長、黒髪で無精髭を生やして目つきが悪いのがヒロアカのイレ先と似ているなと思ったら声まで一緒だった。
ノエル、登場シーンの多くでツンデレをやり続ける。王族であることをアピールし続ける。「ベ、別に」と「私は王族よ」でできている。日本3大銀髪ツインテの3人目候補。
原作に戻らなければならないのでアニオリでは大きく話を動かせず日常系か当たり障りのない結果になりがち。
総集編も多い。2話連続で総集編をやるところはさすがに飛ばしてしまったよ。
アバンタイトルの30〜40秒が毎回お決まりのやつで、そこからさらに前回の回想が入るので、これも毎回スキップしていた。
重要なバトル回、1期OPの「ハルカミライ」を挿入歌に使いがち。
天元様のプレゼン助かる。原作をまだ読み返していないので雰囲気で読み進めていた部分はある。
アニメっぽくない表現手法がXで叩かれていて意外だなあと思った。「映画やりたければアニメ呪術廻戦ではなく映画でやれ」など。
通しで見るのも悪くなかったかもしれない。
親戚の世話のために人生を捧げることは十分あり得るのに、そこに恋愛感情を差し挟むことは必要だろうか?
少女漫画だから恋愛しなければならないのか。少年漫画のバトルのように、恋愛するのに理由はいらないのか。
「Time Flows Ever Onward」のアレンジが増えている。
作品の雰囲気は静かなのに時間は早く流れるから、勇者ヒンメルの死から29年が30年になってしまった。
やはり「Dragon Smasher」はアガる。
Xのインプレゾンビが人を騙すために言葉を操るフリーレンの魔族に例えられていたことがあったが、空虚さはそのままにAIで日本人の会話っぽさに磨きをかけたインプレゾンビが最近クソウザかったからか、今回は逆に魔族がインプレゾンビのように見えた。
少年少女が出会い、バンドを組んで、ちょっと悩んでいたり家族に隠し事があったりしたけど家族に話してみたら普通に受け入れられて、オリジナル曲でライブをやって盛り上がった。以上。
これで言い表せそうなほど平坦に感じた。
監督山田尚子だから奥深い何かが隠されているのか? 私にはそれは読み取れなかった。バトル作品ばかり見ているから多くを明示しない作品や少女漫画の繊細な表現が読み取れなくなるんだ。
音楽は毎度おなじみ牛尾憲輔。「ピンポン」、「聲の形」、「リズと青い鳥」、「サイダーのように言葉が湧き上がる」でも聞けるあの感じの音楽。
75話は「DEATH NOTE」や「みどりのマキバオー」より長い。1期だけ見て時間切れ。
内容はジャンプ連載アニメ化RTAだが、努力、友情、勝利の三本柱はやはりジャンプ作品。
「きみの色」も「バクマン。」も吉田玲子。「SHIROBAKO」にも関わっていたらしい。他に「猫の恩返し」、「聲の形」、「リズと青い鳥」、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」、「ブルーピリオド」、「平家物語」など、気づけば吉田玲子作品ばかり見ていることになる。
dアニメは、TVアニメなら昭和時代のものまでだいたいある感じだがアニメ映画はあまり強くない。アニメ映画はアマプラやネトフリの方がまだ見られる可能性がある。
dアニメに独占配信ってあるのかな?と思ったらちょうど「SHIROBAKO」の劇中劇がdアニメ独占配信らしい。劇中劇にはあまり興味はなかった。
2026年2月12日、平日午後の情報番組として長年君臨してきた「情報ライブ ミヤネ屋」が2026年9月末で終了することが、司会の宮根誠司氏により正式に発表された。番組終盤、宮根氏は約4分間のスピーチで視聴者やスタッフへの感謝を述べ、自らの言葉で番組からの「卒業」を伝えた。この発表は、2006年7月の番組開始から約20年という節目を迎えた長寿番組の終焉を意味する。
番組終了の第一報は、2026年1月28日に「女性セブンプラス」が報じた。関係者への取材によれば、宮根氏自身が読売テレビ側に「番組を終えたい」と申し出たことが発端だった。局側は必死に慰留したが、宮根氏の意思は固く、その後読売テレビと日本テレビの上層部との話し合いを経て、10月期の改編で終了することが決まった。
2月12日の生放送では、宮根氏は「この9月末をもって私、このミヤネ屋を卒業させていただく運びになりました」と述べた。フリーアナウンサーとして番組の終わりが来ることは覚悟していたとしながらも、「何度か卒業しようと考えたこともございます。そのたびに読売テレビはじめ、皆さまにありがたいことに慰留していただきまして、この20年まで続けることができました。本当に幸せ者です」と感謝の言葉を続けた。
宮根氏は局アナ時代を含めると26歳から37年間、63歳になる年まで月曜から金曜の帯番組を担当し続けてきた。この長いキャリアを振り返りながら、「信じられないくらい恵まれた環境で、テレビに携わらせていただきました」と語った。スピーチの最後には、「やめるのをやめたという可能性もありますので、その時はまたご報告させていただきます」と笑いを誘う一幕もあった。
「ミヤネ屋」は2006年7月31日、読売テレビ制作の関西ローカル番組としてスタートした。前身は金曜のみ放送されていた「激テレ★金曜日」で、これを月曜から金曜までの帯番組にリニューアルする形で誕生した。当初は午後の遅い時間帯からの放送だったが、評判の良さから徐々に放送地域を拡大していく。
2007年10月には関東と長野を除く全国ネットに昇格し、2008年3月31日からは日本テレビでも放送が開始され、完全な全国ネット番組となった。これは、2007年9月に草野仁氏が司会を務めていた「ザ・ワイド」が終了し、日本テレビが午後のワイドショーから一時撤退したことが背景にある。読売テレビが独自に育てた「ミヤネ屋」が、結果的にその枠を埋める形となった。
番組の特徴は、宮根氏の歯に衣着せぬトークと、関西弁を駆使した親しみやすい進行スタイルにあった。読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏、弁護士の野村修也氏といった論客とのやり取りも人気を集め、政治から芸能まで幅広いテーマを扱う情報番組として、平日午後の顔となった。
視聴率面では、2009年度から9年連続で関東・関西地区ともに通期の平均世帯視聴率でトップを獲得。20年間にわたり全国平均で5から7パーセント台を安定的に維持し、累計放送回数は4000回を超えた。近年はTBS系「ゴゴスマ」やフジテレビ系「旬感LIVE とれたてっ!」など他局の追い上げもあったが、コア視聴率では依然として同時間帯首位をキープしており、高視聴率を保ったままの終了となる。
宮根氏が番組終了を決断した理由として、複数のメディアが共通して伝えているのは、「新しいことに挑戦したい」という本人の強い意志である。関係者の証言によれば、2年前に還暦を迎えた頃から「安定にしがみつくのではなく、新しいことに挑戦したい」という思いを抱いていたという。2025年7月に番組が20周年を迎えたことが、その思いをさらに強くした。
宮根氏は1963年生まれで現在62歳。朝日放送に1987年にアナウンサーとして入社し、関西で人気アナウンサーとして活躍した後、2004年にフリーへ転身した。その際も40歳という節目で「一から出直す覚悟」を決めたとされ、今回も同じ心境で新たな挑戦に臨むという。
また、平日は大阪で「ミヤネ屋」、週末に上京してフジテレビ系「Mr.サンデー」に出演するという生活を15年間続けてきた体力的な負担も、決断の背景にあるとの見方もある。関係者は「年齢的にもいまが最後のチャンスと考えている」と語っており、宮根氏自身が番組の20周年という区切りを、自らのキャリアの転換点として捉えたことがうかがえる。
宮根氏は2025年7月の20周年の際、「平時は型にはまらず楽しく、もし大きな災害や緊急事態が起こったときはいちばん頼りにされる。そんな正体不明の番組であり続けたい」と今後の意気込みを語っていたが、この頃すでに大きな決断を胸に秘めていたとみられる。
「ミヤネ屋」の成功は、テレビ業界において大きな意味を持つ。地方局が制作する情報番組を全国ネットで放送するというスタイルは、現在では珍しくないが、その先駆者こそが「ミヤネ屋」だった。放送関係者は「番組の成功を見て各局がまねた格好。昼の情報番組に与えた影響は計り知れない」とその功績を評価している。
ただし、番組終了の裏では、後番組をめぐる読売テレビと日本テレビの複雑な関係も指摘されている。全国放送での月曜から金曜の帯番組は、地方局にとって貴重な枠であり、CMなどの営業収入も莫大だ。読売テレビ内では「ミヤネ屋」が全番組の中でも最大の収益源となっていた。
この枠をめぐり、日本テレビ側が「枠を戻せ」と主張する可能性も報じられている。かつて日本テレビは「ザ・ワイド」を終了させ午後のワイドショーから撤退したが、読売テレビが独自に育てた「ミヤネ屋」が成功を収めたことで、複雑な思いを抱えていたとされる。現在、後番組については未定とされており、今後の動向が注目される。
「ミヤネ屋」の終了により、平日午後の視聴率競争は新たな局面を迎える。現在、同時間帯ではTBS系「ゴゴスマ」が健闘しており、司会の石井亮次氏、フジテレビ系「旬感LIVE とれたてっ!」の青木源太氏と、宮根氏を含めたフリーアナウンサー三つ巴の戦いが注目されていた。最古参の宮根氏が退くことで、この構図は大きく変わることになる。
一方、宮根氏の今後については、現時点で具体的な発表はない。「Mr.サンデー」の司会は継続するとみられるが、新たな挑戦の内容は明らかにされていない。関係者は「40歳のときと同じ心境で一から出直す覚悟を決めている」と語っており、宮根氏自身がどのような道を選ぶのか、業界内外の関心が高まっている。
番組は2026年9月末まで放送を続ける。宮根氏は「残り半年ありますので、まだ半年頑張っていきたい」と述べ、最後まで視聴者とともに歩む姿勢を示した。20年にわたり平日午後の情報番組をリードしてきた「ミヤネ屋」が、どのような形で幕を閉じるのか、そしてその後の平日昼のテレビ界がどう動くのか、今後の展開に注目が集まっている。
一般論として語るには主語が大きいことは認めるが,日本国外で生活していると,どうしてもそう感じざるを得ない傾向がある.
その主因の一つを,日本語の音声学的,音韻学的な特徴に求めるのは容易だ.尤も私は専門外なので詳細は把握していないが,感覚的には日本語は口の先で発声し,英語は喉の奥から発声しているように感じる.これはあくまで主観であり,学術的見地では誤りかもしれないが.しかし,国内であってもアナウンサーや声優,俳優などの声は非常に聞き取りやすい.つまり,言語の特性以上に個人の意識による部分が大きいのではないか.
ここで「文字」を例に挙げればわかりやすい.声質そのものは,コミュニケーションの質に関係がない.プロの書道家による達筆な文字をアナウンサーや声優の声だとするならば,一般人の書く文字がそこまで美しくないのは当然だ.しかし,書道家ではなくとも「読みやすい文字」を書く人は存在する.それは,文字の区切りをはっきりさせる,誤読されやすい癖字を避ける,あるいは自分の癖を自覚して書き分ける,発色の良いボールペンを使う,といった相手への配慮の結果である.
自分だけがわかればいいメモ書きのような「みみず文字」や,極度な略字を使って正式な文書を作成するものはいないだろう.音声によるコミュニケーションも,全く同じアナロジーが働くはずだ.それなのになぜ,文字のコミュニケーションでは当然の意識ができる人が,音声になるとこれほど不適切になってしまうのだろうか.
これは,滑舌の良し悪しや,吃音の有無を指摘しているのではない.そうではなく,ハキハキと喋ることの重要性を理解していない人間や,社会性,社交性が低く,自分に自信を持てない人間が多いことの表れではないのかと思うのだ.声が通るか否かの分岐点はここにある.
例えば,大学教授の講義を思い出してほしい.彼らの多くはボソボソと小さな声で喋る.学生という聴講者に対して講義を行う「声を使ったプロの仕事」であるにもかかわらず,相手に届けるという意識が欠如しているのだ.
職場では愛嬌を振りまき,円滑なコミュニケーションのために発声を意識している人もいるだろう.しかし,ひとたびプライベートな実生活の場面になると,そこを意識できる人間は極端に少なくなる.
スーパーで目当ての棚の前に先客が数人いたとする.この時,「すみません」と声をかけ,商品を取った後に「ありがとうございます」と言えば済む話だ.しかし,これほど単純なことができない人がいかに多いことか.「すみません」と言ったかどうか判別できないほどの,独り言のような,あるいは「鳴き声」に近い微かな音を発するだけの人.何も言わずに腕だけ伸ばして横から撮る人.あるいは対人接触を極度に恐れて,人がいなくなるまで離れた場所で待つ人.待つにしても,無言の圧力をかけて「察してくれ」と言わんばかりの態度をとる人もいる.
伝えたいことがあるなら言葉にすればいい.それなのに,伝える努力を怠るばかりか,相手に「察しろ」と不可を強いる.なんと自分本位な振る舞いだろうか.
結局のところ,問題の本質は発声の技術ではなく,対人コミュニケーションを構築する意思が欠落している点にある.相手の視点に立ってコミュニケーションを取ろうとすれば,自ずと聞き取りやすい音量,速度,明瞭な発声になるはずだ.それができていないということは,厳しい言い方をすれば,他者への想像力を欠いた「コミュニケーション障害」の状態にあると言わざるを得ない.