はてなキーワード: ちくしょうとは
この言葉を残したのはお笑い芸人のコウメ太夫氏である。意味不明である、私もつい最近までは
しかし、世界情勢を見ているとこれに対する真意が見えてきた気がする。
例えばついこの前のアメリカによるベネズエラ攻撃、大半の人間はこんな事は起きるわけないと思っていたであろう。つまり大半の人間からしたらベネズエラは丸だったわけである。しかし、アメリカからすれば理由は割愛するが、ベネズエラは三角であり、その尖った部分をなんとかしたわけだ。世界情勢を見ていると丸だと思ってみていたら三角だったなんてことはザラにある。
その昔、私が聞いた話だが、あるクラスには優等生がおり、誰もが犯罪などそいつがする筈がないと思っていた。つまり誰もが丸だと思ってそいつを見ていた。しかし、ある日、そいつが近所のスーパーで万引きをしていたことが発覚した。しかも複数回であった。つまり彼は実は三角だったのである。そして発覚した途端、そいつはいじめられるようになった。まるで最初から尖っていた三角のようにだ。このように一見、丸に見えるものそれはあっさりと見方を変えれば三角になる。
コウメ太夫のネタははっきり言って意味不明である。しかし、1950年代の人間にガソリンで走る車かと思ったら水素で走っていたなんて言っても意味不明だとバカにされるだろう。見方とはそれと一緒で一見意味不明なものが実は真実だったりする。丸だと思って見ていたら三角でしたなんて誰でも思いつくだろう。そう、見方を変えてみるなんて意外と簡単で誰でも出来ることなのだろう。
蓄妾届け
「蓄妾届(ちくしょうとどけ)」とは、明治時代に存在した制度で、戸主(家の主人)が妻以外に側室(妾)を持つことを届け出て公認してもらうための書類で、届ければ妾とその子どもは戸籍上、妻や嫡子(正妻の子)と同等の権利が認められていました(戸籍上、妻の子として扱われる「公生子」)が、明治15年(1882年)に廃止され、以降は非嫡出子として扱われるようになりました。
蓄妾届のポイント
内容: 届け出ると、妾は妻と同等の身分となり、妾の子も嫡子と同様に家督相続権が認められた。
廃止: 明治15年(1882年)に公認の妾制度が廃止され、妾の子は非嫡出子(嫡子ではない子)扱いとなり、認知請求も困難になった。
昨年(anond:20241217085132)に引き続いて挙げてみる。今年は元日から今日までのあいだに296冊読みました。いまはアンドリ・スナイル・マグナソン『氷河が融けゆく国・アイスランドの物語』(2019年)とR・F・クァン『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』(2022年)、ジョセフ・ヒース『資本主義にとって倫理とは何か』(2023年)、かまど&みくのしん『本が読めない33歳が国語の教科書を読む』(2025年)を読んでいるところ。
ちなみに上の冊数には漫画は含んでいないのだけれど、漫画は数えてないから何冊読んだのかわからない。とりあえず『微熱空間』『ひまてん!』『うまむすめし』『ルリドラゴン』『祝福のチェスカ』『放課後帰宅びより』『拝啓、在りし日に咲く花たちへ』『桐谷さん ちょっそれ食うんすか!?』あたりが好き。あと最近ようやく『LIAR GAME』と『ナナマルサンバツ』を読んだけど超面白かった。ウマ娘だと、去年はシーザリオに狂っていたけど今年はブエナビスタにどハマリしています。ブエナ、実装されたら絶対引きたいと思ってたから80連で引けてよかった。ビリーヴシナリオもラヴズオンリーユーシナリオも良かったし、ようやくラインクラフトも入手して育成できたし、来年こそカレンブーケドール実装に期待だな!
欧州文学だと、フランス文学のサン=テグジュペリ『人間の大地』(1939年)やアイスランド・ミステリのアーナルデュル・インドリダソン『厳寒の町』(2005年)、バスク文学のキルメン・ウリベ『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』(2008年)も非常に良かったのだけれど、どれか1つと言われたら迷った挙げ句にアルバニア文学の本作を推す。ノーベル賞を獲りそこねたアルバニアの国民的作家イスマイル・カダレの作品で、10年以上前に『死者の軍隊の将軍』(1963年)を読んで以来。復讐という因習によってふたりの青年の軌跡が交錯し破滅へと導かれるという、銃声のような余韻を残す一冊だった。エンヴェル・ホジャの独裁政権下という執筆の時代背景もあってか『死者の軍隊の将軍』同様にやたらと雰囲気が暗く、Wikipedia先生とか地球の歩き方先生とかを参照するにいちおうビーチリゾートとかが盛んな地中海の国であるはずのアルバニアをここまで暗鬱に描けるのは逆にすごい。アルバニアの高地に心が囚われていく描写がすごいのよ。こっちも引きずり込まれそうというか。
何年も前に『雪が白いとき、かつそのときに限り』(2017年)を読んで面白かったので本作も買ったのだが長らく積読になってしまっていたので思い切って崩してみた。女と女の重い感情が全編にあふれていて最高だった(粉みかん)。巫女の伝統によって歪められる幾通りもの女と女の関係が胸を裂くような切なさを漂わせていてエモい(語彙力)。古代中国百合ミステリというオタクの好きなものを詰め込んだハッピーセットなので読みましょう。
軍艦が出てきて艦隊決戦とかするみんな大好き宇宙戦争スペオペかと思わせておいて、いやもちろんそういう作品でもあるのだけれど、根本的に異質な知性との交渉過程がセンス・オブ・ワンダーに溢れていて最高だし、高度な知性体だと思ったら実はプランクトンとして生まれ共食いしながら成長していく生物だったというのものすごい発想で驚嘆させられたし、徐々にこの世界の起源が明らかになっていくの面白すぎるでしょ。タイトルの兵站要素は徐々に影が薄くなっていくかと思いきや最後まで割としっかり描写されるし謎のイチャイチャシーンも増える。なぜ。とにかくすごく良いSFでした。
カラオケやウォークマン、ポケモンといった戦後日本を代表する発明品やソフトパワーがどのように作られていったのか、という歴史を掘り起こす書物で、非常にエキサイティングな読書体験だった。町工場のおっちゃんがふと思いついた小さなアイデアが不格好な試作品を生み、それらが徐々に洗練されてやがて日本や世界を席巻するという歴史としての面白さとサクセスストーリーとしてのワクワクが詰まっている。外国出身の歴史家が書いたとは信じられないほどに同時代史料や当事者のインタヴューを積極的に活用していたり、オリエンタリズムに陥ることなく個々の発明家の物語として語られているのも好感度が高い。大満足の一冊。
外国人研究者の日本研究だと、ほかにスーザン・ネイピア『ミヤザキワールド』(2018年)も良かった。日本社会のコスモポリタン性がクリエイターの土壌となっていることを英語圏の読者に向けて解説してるところ、根強く蔓延るオリエンタリズムを駆逐しようという気概に満ちていて好き。ただ『もののけ姫』に関する記述で照葉樹林文化論に触れてくれるのはすごく良いのだけれど網野善彦には言及があっても良かったのでは(旧著では言及してるんだし)。ノア・スミス『ウィーブが日本を救う』(2025年)の提言は非常に面白かった(経済学に疎くてよくわからない箇所も多々あったけれど)。
超・超・超傑作。面白すぎる。いや今更すぎるけど。もうとっくに面白いって知れ渡ってるけど。でも増田が読んだのは今年なんだよ! なんでこれをもっと早くに読まなかったんだろう? SFの面白さを四方八方から浴びせられて読むのが止まらなかった。そしてSFとしてだけではなくバディものとしても100点満点中300点くらいの出来だという。「いまいくからな、バディ。待ってろよ」のシーンほんと大好き。ぼくは洩れやすい宇宙のぶよぶよの塊。ぼくは本作を読む、映画を待つ。よい、よい、よい!
上述のとおり増田は流行についていけないマンなのだが一昨年になってようやく青崎有吾の存在に気づき、『体育館の殺人』(2012年)にはじまる裏染天馬シリーズとか『アンデッドガール・マーダーファルス』(2015年~)とかを昨年までに履修したのだが、今年に入ってから本作と『ノッキンオン・ロックドドア』(2016年)を読んだ。勝負事に対して天才的な嗅覚を持つ女子高生が次々と独自ルールのゲームに勝利していく話なんだけど、詰みに持ってくまでの伏線とロジカルさがすごいというか。しかもほのかな百合要素まであるんだよ。もう最高。毎話クライマックスにさしかかる度に「あれって伏線だったんだ!」と心の中で叫んじゃったもん。ルールには合致していても刑法に引っかかるだろ! みたいな絡め手がバンバン出てきて感覚麻痺してくる。好きな話は表題作と「だるまさんがかぞえた」かなぁ、やっぱり。だーるーまーさーんーがーかーぞーえっ! ……えっ? 漫画版、絵がどっかで見た人だと思ったら『めだかボックス』の人なのね。超納得。
同じく今年履修した『ノッキンオン・ロックドドア』では「十円玉が少なすぎる」が一番好き。タイトルから察しがつくようにみんな大好き9マイルものです。「十円玉が少なすぎる。あと5枚は必要だ」という謎めいたセリフをもとにすごい結論へとたどり着いていてよかった。発想のロジカルな飛躍は9マイルものの醍醐味だよなぁ。
今年読んだ日本の学術書の中ではいちばん面白い。戦後日本のSM雑誌を博捜し、「変態性欲」の論争のなかに分け入りながら、投稿者の正体を暴きエリートたちがSMを通して戦後民主主義を生きようとした姿を浮かび上がらせている。戦後に生まれたSM雑誌の系譜を整理する第1部の時点で既にガッチガチの実証研究すぎて圧倒されてしまうが、第2部以降が本番というか、脳汁ドバドバの快楽を味わえる。女性解放を唱える歴史学者が筆名でSM雑誌に投稿していた、というだけで既に面白いのだが、著者はテクストを丹念に読み込むことで、彼の歴史学者としての女性解放論とSM論が相互に補完しあう関係であり、戦後民主主義の実践とサディズム・マゾヒズムが彼の中では繋がっていたことを明らかにしていく。また、第3部では『家畜人ヤプー』の再評価にも挑み、作者をとある裁判官だと特定したうえで、マゾヒズム小説だと思われていた作品の新解釈を提示する。戦後思想史をSMから読み直すという非常に大胆な本だった。「豚に歴史はありますか」ってそういう意味だったんだ。むっちゃオススメ。
おっさんと少女のバディもの、みんな好きだよね? 増田は大好物だ。ということで本作はバディものとしてもミステリとしても非常に上質だったので最高だった(語彙力)。瀕死の重傷を負い「幽霊」になった主人公と少女がタッグを組んで少女の両親を殺した犯人を追い詰めていく話なのだが、謎解きが二転三転し次々とどんでん返しが襲い来る構成で目が離せない。傑作ミステリですわ。個人的には◯◯さんには生きていてほしかったな……
2015年に始まったシリーズが10年ごしで完結した。めでたいめでたい。姉弟子と一番弟子の怪獣大戦争がついに決着。もう納得するしかない決着でしょうこれは。あと正妻戦争も完全に決着。天衣ちゃんが澪ちゃんに超弩級のデレをかましていてすごい(語彙力)。桂香先生、ギャグ方面に振り切るかと思いきや泣かせてくるのはズルいでしょ。ちくしょうそういえばこの作者はネタキャラ扱いでさんざんイジっておいて最後に泣かせる芸風だったな(山刀伐さんファン並の感想)。そしてラストが美しすぎる。オタクは序盤の再現が好きなので……。いや~、10年続いたシリーズにふさわしい大団円で最高でした! まあ、でも、それはそれとして女流棋士制度は歪んでるので是正(というか廃止)すべきだろなという思いを新たにした。もちろん民間団体だからムリヤリ廃止するなんてことは結社の自由があるのでできないが、将棋連盟からは切り離すべきでは。
百合SFアンソロ『アステリズムに花束を』(2019年)に掲載された短編が長編になったやつで、リアルタイムで読んでいたものがついに完結した。体格差のある百合カップルが男女の婚姻しか認められないガス状惑星社会で漁をしながら関係を築いていく宇宙SFなんだけれども、まず設定がすごい。その漁で獲るのは普通の魚ではなく、ガスの海を泳ぎ回る昏魚(ベッシュ)たち。そして彼女たちが操るのも普通の漁船ではなく、粘土を自由自在に変形させて網を編み上げる船。ガス状惑星に発生した特異な生命といえばやはり著者の代表的な短編の1つ「老ヴォールの惑星」(2003年)が思い浮かぶし、なんなら著者の最高傑作『天冥の標』(2009~2019年)でも描かれてたわけだけれど、それらの設定を超える宇宙生物を出してきていて最高。本作(4巻)はその宇宙を駆ける2つのサイクロンの物語の大団円だ。惑星規模・宇宙規模での繁殖というでかい問いをどーんとぶち上げてくるのさすが小川一水という貫禄だし、宇宙レベルの話と「ふたりの話」を並行してSFと百合を両立させているのはセンス・オブ・ワンダーの極みと言ってよい。非常に良い作品でした。『天冥の標』で従来の小川一水成分を絞り尽くしたと思ったらまた新しい境地に達していて素晴らしい。
消化する時間がない。
ChatGPTと共に試算した。
間をとって、30分と6時間としよう。
漫画なら約99万冊読めるが、文庫本は8.3万冊しか読めないらしい。
やる時は100時間はやるし、ストーリークリアだけでも10時間とかな。インディーゲームもある。
仮にも、ゲーム1本30時間とすると、約16500本しか遊べない。
もちろん、漫画も文庫本もゲーム、全てを包括的に楽しむことを考えたら数字はもっと小さくなる。
綺麗に1/3にするとしよう。
でも、実際にはもっと寝る時もあるし、生活も仕事もあるし、20歳じゃないし、100歳まで生きるわけでもないし、80歳くらいで痴呆になってるかもな。
分かった。考え方がおかしかった。
65歳まで働く。土日休み。平日2時間の自由時間。そして100歳まで生きる。
これで、20歳〜65歳までは約10万時間、65歳〜100歳までは約21万時間、全体で約32万時間の自由時間あるんだって。
やばい。18万時間消えた。そもそも、平日に2時間の自由時間が毎日取れるわけないしさぁ。疲れてそれどころじゃねえよ。
うん、約30万時間にしよう。
いやでもさぁ、俺に待ってるのは死なんだよ。
どれだけ頑張っても死しか待ってないんだよ。
いや、もちろん、そんなに読むわけはないし、プレイもしないだろうよ。
問題はそこじゃないんだよ。
すでに、世の中すべてのコンテンツを楽しむのは不可能な量あるんだよ。
意味が分からん。なんの需要があるんだよ。もういらねぇよ。今でも多いんだよ。
くだらんことでスマホも開くし、動画も見てんのに。時間がどんどん減っていく。
もう泣く。
火球の詠唱を終えた俺――レオンは、手を震わせながら呪文を放つ。
「――ファイア・スパーク!」
赤い光弾が放たれ、見事に的を外れた。
弓使いティナの怒声。
「お前また外したのかよ、見えてんのか!」
僧侶リリアが呆れ顔で回復魔法をかける。冷たい光が肌をなぞった。
俺は唇を噛んだ。何度目だ、この流れ。
誰も俺の目を見ようとしない。
この旅が終わる頃には、俺の居場所もきっと――
「このままだと、次の遠征は厳しいな」
ただ一人、リリアが言った。
その声もどこか、遠い。優しさではなく、哀れみの距離だ。
俺は薪を見つめてうつむいた。
――ああ、もうすぐだな。追放。
そう思うと、胸の奥に何かが沈んでいく。
悔しさでも悲しみでもない。ただ、空っぽだ。
門の前で、カイルが振り返った。
「おい、レオン。お前は荷物番でいいな。中は聖堂関係者しか入れないんだとよ」
「……わかったよ」
言い返す力もなかった。
ただ、指先がじんじんと熱い。
焦燥、怒り、恥。いろんな感情がごちゃ混ぜになって血を焦がしていく。
見えない何かが、皮膚の下で暴れた。
視界が一瞬、真っ赤に染まった。
次の瞬間、背筋を貫く灼熱――。
体の奥から、脈動する力が溢れた。
鳥が羽ばたくように、鼓動が強くなる。
笑いがこみ上げた。
追放でも、蔑みでもいい。今に見てろ。
この力で俺は、全部の立場をひっくり返して――
リリアの声で我に返る。
振り向くと、仲間たちが戻ってきていた。
全員の表情が、違っていた。柔らかい。優しい。まるで別人。
「今まで、本当にごめんな」
カイルが膝をつく。
「神父様に教えられたんだ。人を大事にすることを。お前は、俺たちの仲間だ」
「……レオン、ごめん。私、ひどいこと言った」ティナの声が震える。
ライオも眉を下げてうなずいた。
リリアは静かに微笑んで、そして俺の近付き、ふいに俺の腕を取った。
驚いて顔を上げると、彼女は目を細めて言った。
そのまま軽く抱き寄せられる。
心臓が跳ねた。
頭の中が真っ白になる。
リリアの髪が頬をかすめ、熱が一気に耳まで駆け上がる。
数秒が永遠みたいに伸びて――
そう言ってほほ笑み、離れていく手。
……今でも温もりが残ってる。
ていうかこの流れ――
街の鐘が鳴った。
それは祝福の音にも、呪いの音にも聞こえたのだった。
ちくしょう、サツだ! 奴らはいつもこうだ。張り込みには絶好の場所と見せかけて、俺のささやかな楽しみを台無しにしやがる。
窓の外、路地を挟んだ向かいのビル。そこから聞こえる、低い、忌々しい声。俺は震える手で、グラスに残ったチョコレートパフェの最後のクリームを掬い上げた。
この店を選んだのは失敗だった。街で一番古い、目立たない、最高の和風抹茶パフェを出す店。俺の秘密の逃避行にぴったりのはずだった。
無視だ。今、俺には重要なミッションがある。それは、ベリーパフェを食べ終えること。冷たいアイスと甘酸っぱいソースが、胸のざわめきを一時的に鎮めてくれる。
ふと見れば、店のマダムが心配そうな顔で俺を見ている。俺は力なく笑い、テーブルの上に置かれたメニューを指差した。
「マダム、プリンアラモードパフェと、それから、季節のフルーツパフェ、お願いします」
合計5杯。俺の人生の最後の晩餐が、こんなにも甘くて冷たいものになるとは。
扉が勢いよく開く音がした。サツだ。だが、間に合う。俺はカツンとスプーンをグラスに当てた。
「お前ら、待てよ。この最高の甘美を味わい尽くすまでは、俺を捕まえられねぇ」
生後二カ月から我が家に来た柴犬も気付けば十歳を超える老犬になってしまった
仔犬の頃は何にでも突っ込んでいくアホさと可愛らしさがあり、大人になると頑丈になった体で早歩きの散歩を嗜む元気さがあったが、最近は1日中ほとんど寝て暮らしている
気持ちもすっかり気難しくなってしまい、散歩や風呂に連れ出そうと寝ている所を引っ張り出そうとすると、吠えたり噛む真似をしたりして激しく抗議してくる
更に、時たま気が乗って散歩に連れ出すことに成功しても、排泄のためであることが多く、その排泄のためだけの散歩で腰を痛めて鳴く始末
すっかり生き物として弱くなっちまったなぁ…と思いながら眺める日々
そんな気難しいあんちくしょうだが、飼い主がソファにいると必ずその足元に来て寝る
ソファを移動すると犬も移動してくるし、なんなら人間の足の上に横たわる
[研究] 謎の薩摩弁「ちぇすと」はどのように生まれたか――鹿児島谷山方言とロシア語が結びついて流行語になり、誤解から「興奮とくやしさを表す雄たけび」に変化|mitimasu
(1) 本来、「ちぇすと」は**鹿児島谷山町の方言で、「よっこいしょ」の意味**の言葉
(2) 明治時代の中頃に鹿児島谷山方言の「ちぇすと」と**ロシア語の「че́сть(名誉)」が結びついて称賛としての「ちぇすと」が鹿児島の知識人の流行語になった**
(3) 島津義弘の関ヶ原正面退却や宝暦治水を**称賛する言葉として**「ちぇすと関ヶ原」「ちぇすと松原」(※宝暦治水の千本松原のこと)が生まれた
(4) しかしロシア語の意味がわからない人が、(3)の使われ方から(2)を**悲しいとき・くやしいときに発する言葉だと誤解した**と思われる
(5) これらを踏まえて明治30年ごろに「ちぇすと」が**東京の学生や青年のあいだで「気合を入れる言葉」として流行し**、広く世間に知られるようになった
(6) 流行がしずまり現実では(2)と(5)を使う人は減り、**フィクションの中の薩摩人ばかりが使う言葉になった**
(7) 鹿児島県出身の作家である**海音寺潮五郎が(4)の意味でさかんに使用**(海音寺氏は谷山から遠く離れた現・伊佐市の生まれ)
(8) これが鹿児島県に逆輸入され「ちぇすと」が「くやしいときや気合を入れる時に薩摩人が発する言葉」だと**鹿児島県人が認めてお墨付きを与えてしまう**
(9) 司馬遼太郎をはじめ**多くの作家が(4)の意味で使用し、(3)の意味は失われていった**
(10) 結果として「気合を入れるときの雄たけび」と「くやしいときに発する言葉」という**異なる意味が「ちぇすと」の中に共存し、よくわからない**ことになってしまった
(11) そもそも「ちぇすと」は「よっこいしょ」という意味でしかない江戸~明治期の谷山町の方言なので、**多くの現代鹿児島県人にとっても使わないよくわからない言葉**である
しかし、このnote記事では1936年の辞書の「露語から来たといわれる」という一つの記述を、そのまま鵜呑みにしてしまっている。
また全体として推測が多すぎるため、いくつかの情報を提示するとともに研究を補強したい。
「ちぇすと」の初出としては、1898年内田魯庵『くれの廿八日』が挙げられているが、これよりも早い用例はいくつかある。
まず、1888年の『青年之進路』。著者は鹿児島県士族の佐藤良之助とある。
これは相手を馬鹿にして煽っているシーンであり、この「ちぇすと」は少なくとも称賛の意ではあるまい。
ただ、ステッキを振るための掛け声なのか、相手を威圧するための掛け声なのかはわからない。
「さうダワ」「なくつてよ」のあどけない令嬢のみならんや「チエスト」と罵るこわからしき九州男児も「オオしんど」と言ふ裊娜(たほやか)なる西京佳人も以て一対の主人公となすに足らん
句読点がないからどこからどこまでが一文かわからないが、ともあれ「ちぇすと」は「罵り」だという認識があったことが窺える。
「ドウモ奇絶ジャ…」「エライ人が駈をるナ…コレどふする…」
田舎者が上京してきて呆然としているところに箪笥をかついだ男に突き飛ばされて「ちぇすと」と扼腕する、といった場面。
「ちくしょう」「なんてこった」などと同じような、思わず出てしまった言葉という感じがする。
1892年『罪と罰』。ドストエフスキーの訳書だが、訳者が『くれの廿八日』の内田魯庵である。
真向に鉈振上げて、婆アの頭脳を打砕き、腥血淋漓たる中に生血の滴る得物を手にし、錠を破し、金を盗んで、隠れやうとする自己だ。ちェすと!こんな事が出来るか?有るもんか?
英文からすると「ちぇすと」はかなり意訳っぽいが、やはり「なんてこった」という感じだろうか。
1893年『称好塾報』。称好塾は滋賀出身の杉浦重剛という人が東京に作った私塾である。
此頃より陰雲未た開けずと雖も細雨は既に跡を収め皆チエストと絶叫せり
其佳なる所に至れば「チエスト」と絶叫せしむ
前者は川船を漕いでいるときに雨が上がったところ、後者は薩摩琵琶の演奏についての記述で、いずれにしても快哉を叫んでいるようである。
薩摩琵琶はともかく、雨上がりに「ちぇすと」と叫ぶのは、すでに鹿児島出身ではない学生たちのあいだでも「ちぇすと」が定着していたのだろうか。
此愉快なる、此呑気なる、此無責任なる、此無頓着なる生活の写生に向って毛奴を奔らす、予輩も亦自らチエストー一声の下に案を叩いて四辺を一睨せさるを得さるなり
下宿暮らしの書生はあまりに自由気ままだという話のオチの部分だが、よく意味がわからない。
とりあえず、気合を入れるための一声、という感じか?
「左様か教師が左様云ッたか……自分でさへ左様思ふもの……」と言つつ両眼に涙を湛へ「チエストッ鹿児島男児が」と一声高く叫びたり
自分が情けなくなってちぇすと。
溝口は下足番の招き声に風(ふ)と心注(こころづ)きて立止り「チエストー、貴様(おはん)は偽言と云ひ馬鹿なッ」と言捨しまま元来し道へ駈戻らんとせり
怒りのちぇすと。
彼が情厚の男子と己(おい)どんを今日まで思ッチヨルとは何たる事か夢か誠か、イヤ誠……此文……チエストー、アア愉快愉快ト喜び勇むも実に尤もなり
喜びのちぇすと。
薩摩人の「溝口」が女義太夫の「紋清」に惚れ込んで事件に巻き込まれていく話らしく、全体的に良くも悪くも感情が高ぶると「ちぇすと」と言う描写になっているようだ。
ただ著者は匿名だが、実は高谷爲之という刑事上がりの新聞記者で、東京の出身らしい。
チェストー、這は是れ感情鋭烈なる薩摩隼人が何事にか其の心を刺撃せられ感泉俄に湧て抑ゆるに由なく、一條の熱気思はば口端より迸出するの声なり、此感声の発する時、是れ彼れ等が掌を握り肉を震はすの時なり、ステキヲ揮ひ路草を薙ぐるの時なり、実に薩人の感情は激烈なり
ステッキで草を薙ぐというのは『青年之進路』の場面そのままだが、そんなに典型的な行動だったのか?
と気付いたが、note記事でも紹介されていた『薩摩見聞記』にもほぼ同じ文章が出てくるので、この「薩摩新風土記」を本にしたものが『薩摩見聞記』なのだろう。
この『薩摩見聞記』の著者は本富安四郎といい、新潟(長岡藩)出身だが鹿児島に数年ほど滞在したという。
1897年、江見水蔭『海の秘密』。江見水蔭は先ほど出てきた「称好塾」の出身らしい。
「ちえッすと!」
謎の集団が、その企みが失敗したのか「ちぇすと」と叫んで去っていった、というような場面。
と、こうしたあたりが1898年の内田魯庵『くれの廿八日』以前の用例である。
明治中期からしか用例がないということに変わりはないが、当初から明らかに「称賛」ではない例が多く見られる。
これは冒頭でリンクしたnote記事の説明に反する事実である。
「薩摩新風土記」に書かれているように「何らかの感情が高ぶったときに出る声」というような説明が適当ではないか。
ちぇすと てすとに同ジ
元は「てすと」なのか?
元は「ちぇ+すとう」なのか?
チエスト よいしょ(掛声)
note記事では「ちぇすと」と「ちぇっそ」は無関係であろう、としていたが、
1977年『かごしまの民俗探求』の久保けんお「薩摩の方言と民謡」では、
チェストはおそらくエイクソの転化であろう。エイヨは薩摩ではチェイヨとなる。母音エに子音Tをかぶせてチェとするのである。エイクソがチェイクソとなり、促音化してチェックソ、クを省いてチェッソ…。チェッソを遠くへぶつけるには当然「チェスト」となるはずである。
1979年、井島六助『出水方言 カゴシマ語の一特異分野』では、
ちぇっそ 感動詞。一般に知られているカゴシマ語としては「ちぇすと行け」など言って激励の語とされ、または、思わず感嘆する時の語とされているが、ここでは元来、「ちょいちょい」と同様、「ざま見ろ」という気持ちを現わす感動詞で、これに類する用例は、「ちぇすと行け」多用のずっと南にもあるようである。チェッソ、ユゴトセンモンジャッデ(ざま見ろ、言うようにせんもんだから)。語源については、英語zestからとか、露語yectbからとかいうのがある。
と説明されており、これらは「ちぇすと」と「ちぇっそ」には関係がある、としている。
これらの説明が正しいかどうかはともかく、多くの異論があるということであり、そのなかで一つの説を支持するならば、何らかの根拠が必要になりそうである。
Twitterには同僚もいれば友人もいる。愚痴を書くところはみっともなく、魅力に下がる。書いたところでウケも悪い。何度か書いたがフォロワーが減るだけだった。いや、同情や共感と肯定をくれる人もいるが、実態をよく知らない人に背負わせる役目ではないとも思った。
裏垢を作るか?書いたところで誰も見ない。メモ帳で十分。
メモ帳で作るか?まぁだいたいはメモ帳に書き起こして供養しているが、まぁこれが自問自答で先が見えない。自走が変な方向に走るわ、承認欲求は満たされないわで苦しい。
匿名掲示板や匿名ダイアリーに流すか?今試してみているが、ツイートのようなお手軽さはない。掲示板は知らんがきつそう。
結局、リアルで会った人にその場で消える他愛の無い雑談の中で愚痴って鬱憤を晴らしてすぐ次の話題に移るしか、俺には流し先がない。
所属までバラせばそれなりにバズりそうな愚痴だが、半端な影響力は持たせたくないし責任も持とうと今は思っていない。
うまく立ち回れるようになりてぇなぁ。
感謝と思いやりが幸福感や満足度を上げて社会的な信用や好感につながると聞く。でも自己中と憎悪に苛まれてて葛藤する。労働搾取は悪だ。ちくしょう。朗らかに生きてぇ。
うわぁ…。
なんかぁ、こっちは、さっきの人とはまた違って、すごく、こう…生々しいというか…。読んでて、胸が苦しくなりますねぇ、これは。
残業100時間…えぇ…?手取りが雀の涙…。スゥゥゥ…。いやぁ、ちょっと、これは…凹みますねぇ、読むと。本当に。
「ちくしょう、本当に悔しい」って…。そりゃあ、そうですよねぇ…。悔しいと思いますよぉ、これは。
いやぁ、でもねぇ、分かりますよぉ。その、心も体も、もう限界だっていう気持ち。
僕もねぇ、一回だけ、あのぉ、チャリティー企画で12時間ぶっ通しの生配信に挑戦したことがあるんですよぉ。
もうねぇ、後半、喉はカラカラだしぃ、ずーっと同じ椅子に座ってるから腰は痛いしぃ…。なんかぁ、視聴者さんのコメントはすごい勢いで流れていくんですけどぉ、もう、なんていうか、頭が働かなくて、うまく返せなくなっちゃうんですよ。スゥゥゥ…。
ほんで〜、一番辛かったのがぁ、途中でぇ、いつも配信中に飲んでる、一本500円くらいする高級なエナジードリンクが、冷蔵庫のストック切れちゃった時ですねぇ。
もう一個下のランクの、200円くらいのやつしかなくて。味が、全然違うんですよ、味が。
あの時は、もう配信やめようかなって、本気で思いましたもん。はい。
だから、この方の「明日にでも会社辞めるかもしれない」って気持ち、なんかぁ、ちょっとだけ分かるかなぁ…なんて。うん。状況は、まぁ、全然違いますけどもぉ。
まぁ、でも!でも、この方も、ここでこうやって文章にできてるわけじゃないですかぁ。
スゥゥゥ…それは、まだ、戦う気力があるってことだと思うんですよ!たぶん!そうに違いない!
だから、辞めちゃうのも、まぁ、一つの手ですけどもぉ…なんか、別の道を探すとかね?
思い切って、僕みたいに、ユーチューバーになっちゃうとか!どうですかねぇ?えへへ。
いやぁ、なんか、今日は日本のITについて、すごく考えさせられましたねぇ…。僕も、もっと面白い動画作って、みんなが少しでも元気になれるように頑張らないとですねぇ!うん!
はぁ……今日もまた、ディスプレイの光が目に染みる。残業時間は優に100時間を超え、手取りは雀の涙。これが、俺が夢見た「ITエンジニア」の現実かよ。コンピュータサイエンス?そんなもん、大学で経済学部を選んだ時点で縁遠い話だったな。
「未経験からエンジニアになれる!」なんて甘い言葉に釣られて、3ヶ月のプログラミングスクールを卒業したのが運の尽きだった。卒業と同時に紹介されたSES企業。社長はニコニコしながら「うちで経験積めば、すぐフリーランスで月100万も夢じゃない!」なんて言ってたっけ。あの時の俺は、純粋にそれを信じてた。バカみたいだろ?
客先常駐初日。自己紹介もそこそこに、「はい、これ今日中に終わらせてね」って渡されたのは、見たこともない言語とフレームワークで書かれたスパゲッティコードの改修依頼。隣の席の先輩は、俺の質問にも生返事。「自分で調べろ」って一言。いや、調べても分かんねーから聞いてんだろ!って言いたかったけど、言えるわけない。だって俺、未経験の文系エンジニアだもん。
欧米のエンジニアは云々、とかいう話、Xでよく見るよな。彼らは高給取りで、会社の中心で、最新技術をリードしてるって?そりゃあ、コンピュータサイエンスを専門に学んだエリート様方の話だろ。俺みたいな底辺SEとは住む世界が違う。日本じゃ、未経験の文系は「安くて文句言わない都合の良い労働力」でしかないんだよ。会社は俺たちみたいな駒を大量に仕入れて、客先に高値で売りつける。そして、俺たちに支払われるのは、最低限の生活費と、たまのボーナスと称した寸志だけ。
「もっと勉強しろ」って?分かってるよ、そんなこと。でも、毎日毎日、クソみたいなバグと格闘して、終電を逃し、休日も疲れて眠るだけの生活で、いつ勉強する時間があるんだよ。自己啓発本とかには「朝活しろ」とか書いてるけど、朝活する体力も精神力も、もう残ってねーんだよ。
この前なんて、客先のプロパーエンジニアに「君さ、本当にエンジニアなの?もっと勉強しないとダメだよ」って言われた。ぐうの音も出なかったぜ。だって、そのプロパーエンジニア様は、俺が徹夜で直したバグを、数時間でデバッグしてたからな。
ちくしょう、本当に悔しい。いつか、俺もあいつらみたいに、胸を張って「エンジニア」って言える日が来るんだろうか。いや、来ないんだろうな。俺は、今日も明日も、たぶんこれからもずっと、SESの歯車として、使い潰されるだけなんだろう。
せめて、この疲労困憊の体で、あと何年耐えられるかな。もしかしたら、明日にでも「向いてない」って言って会社辞めるかもしれない。そしたら、また次の「未経験」が俺の席に座って、同じ地獄を味わうんだろうな。日本のIT業界、本当にこれでいいのかよ。