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はてなキーワード: 文化系とは

2026-04-22

男女四人組の思い出

最近、男女四人組のあるVTuber動画にハマっている。VTuberは年を取らないから、彼らは永遠に大学生放課後のようなたわいのない会話をやりとりし、失ってしまった青年期の幻影をきらきらと見せ続けてくれる。しかしあるときふと、思い出したのだが、私もかつて男女四人組放課後を遊んでいた。それは学生期よりもはるかに昔、私が小学生の頃だった。

いつから四人組になったかは覚えていないし、いや、ずっと四人組でつるんでいたわけでもなく、何となく仲のいい男子二人と女子二人が時折ユニットコントのように遊んでいた、というようなものだったと思うが、あまりに昔のことすぎて確実ではない。ひとつ覚えているのは、理科実験室での席替えを我々四人だけが拒んだということだ。我々は四人揃って磁場が出るので、席が近いこのままにしてくれと頼んで、何故かあっさりそれが受け入れられた (寛容な学校だった)。小学六年の時の運動会の、四人五脚もこの四人組で出た。四人のうちわたしを含む少なくとも三人はド文化系だったのに、何故かクラスで二番目に早いチームだったから、本当に何かが出ていたのかもしれない。しかし、四人で実際に何を遊んでいたのかというと、今となってはほとんど思い出すことができない。

男二人、女二人の四人組であったわたしたちの間に、少なくともわたしの知る限りでは、ロマンチック雰囲気ひとつとなかった。一度、ひとりの男子わたし教室裏に呼び出して、何か神妙な顔で切り出したことがあるが、お前はオスマン・サンコンを知っているか、という問いだった。明らかに世代ではなかったが、サブカル全般に通じていたわたしは当然知っており、「いっこんにこん」「さんこん」というやり取りを交わし、彼は小躍りしながら教室に帰って行った。

もう一人の男子とは小学卒業後も細々とやり取りが続いた (わたし中学受験東京に出たので、基本的同級生たちと疎遠になった)。わたしは一度彼を中学文化祭に招待して、アニメ版デビルマン主題歌歌詞ってなんか変じゃねという話題で盛り上がった。SNSでも繋がった彼はその後ケモナーになり、TLに時折大量のセンシティブケモ絵を垂れ流していたので、申し訳ないがミュートさせていただいている。でも、ごくたまに飛んでくるリプライには、国語の授業で阪田寛夫の詩をラップアレンジして披露した、小学生にしては非凡な当時のセンスがいまだに光るのを見る。

女子の一人はわたしオタクの道を案内したひとであり、当時わたし彼女師匠姉御か、とにかくそう呼んでいた。彼女はただひとり、わたしと同じ速度で話す女子だったから、わたし孤独にならずに済んだのだった。小学六年生にしてすでにテニプリ同人パラレルファンタジー漫画を描いていて、それはあまりに新しい世界だった。結局わたしテニプリにはハマらなかったが、三歩歩けばテニプリ腐女子にぶつかる学園中等部に進学したから、それは優れた先取り教育でもあった。

無駄感傷に満ちた、あまり記憶曖昧なこの文章を書きながら、わたしは彼らにもう一度四人で会いたくてこれをしたためているのだろうか、と思う。それが叶わないかVTuber動画をぼーっと見ているのだろうかと。でも、もし同窓会なんか開いて、久々に会った一人が、「子供の小受伴走で大変でさ〜」とか切り出したら、テーブルをひっくり返してしまうかもしれない。むしろ、この文章がいつか三人の誰かに届いて、わたしが当時のあなたがたに今も感謝していることが伝わればいいなとだけ祈りのように思う。当時明らかに発達に偏りがあったわたしが、小学校高学年の難しい時期を乗り越えることができたのは、あなたがたという、少し変わったものたちの居場所があったかなのだと。偏差値のような数字の力場に引き摺られることな中学受験を終えられたのは、地に足つかない遊び場が残されていたかなのだと。そうして、同じように難しい時期を迎えている今の子供たちにも、そのような居場所があることを願ってやまない。

2026-02-03

募集Youtubeで聴けるおすすめラジオ配信

最近Youtubeラジオ配信にハマっていて、おすすめを書くのでみんなのおすすめも教えてほしい

【ありっちゃありスパーク

オモコロ編集長こと原宿さんと、イラストレーターの室木おすしさんの2人のラジオ番組

番長く聴いているラジオ番組で、かなり長いシリーズもの(400本以上投稿されている)

2人のおっさん小一時間しゃべるだけだが、生活の話とか子供の話とかちゃんと聞くと身に染みる話が面白い

あと、名物企画「いる人」と「あの事件」っていう視聴者から募集した投稿企画もあって、たまに神回があるものいい

ただ最近2人とも売れてきて編集の手を抜き始めたので、そのうちガチ投稿忘れとかやらかしそうでワクワクしている

  

【ぽこピーのゆめうつつ

vtuberとして活動するぽんぽこと、謎のキャラクターピーナッツくんの2人で運営されているラジオ番組

この2人は兄妹(ピーナッツくんが兄)で、実は活動自体は長め

Youtube自体は6,7年前からvtuber黎明期からずっと見ているので、勝手ながら親戚がやっているラジオ番組だと認識している

でもたまにぽんぽこが言ってる内容がマジで共感できなくて、ムカついてスマホをぶん投げたくなるが、それもまた面白さの一角を担っている

  

【ぽのりょんトン】

シャニマス声優でおなじみ黒木ほの香さんと前川涼子さんがパーソナリティラジオ番組

チャンネルスタジオ運営しているので、いわば声優ラジオに近い

昨年の秋ごろから始まったばっかりで、投稿数が少ないが、2人の掛け合いが面白い番組

ただ、2人とも声色が似ていて、ちゃん文脈を追っていないと「今のどっちだ??」となる

  

  

  

みんなのおすすめも教えてほしい

駄文乱文失礼しました。ではでは。

  

  

  

追記

皆さんコメントありがとう

教えてくれた配信聴きながら読んでます

以下所見です

ウェザーロイドポン子

ウェザーニュースのお姉さん方はちょこちょこ見てます

駒木結衣さんのチャハーン事件とかとても好きだし、辞めちゃったけど大島璃音さんのダンゴムシ事件かめちゃ笑った思い出ある

ポン子もかなり昔に星座占いの「かに座!」の部分だけ切り抜かれてネットミームになってたの思い出した

ガチャピンが透過してたのもぽん子の配信だっけ??

DGS

こういうラジオ番組を探してたので超助かる

しか結構シリーズじゃん!

早速最新話から聴いて笑っています

やっぱり2人ともプロ中のプロなだけあって、音声がめちゃ聞きやすいし、全然無音の時間がなくて凄い

・MonsterZMate

昔見てました

コーサカさんの喋りって、他の人には真似出来ない特殊技能だよね

曲だと「Live your life!!」が好きです

・舞元力一

力ちゃんの空昼ブランコはちょこちょこ聞いたことあったけど、舞元力一はあんまりいたことない

今度ちゃんと聞いてみます

ニュースオモコロウォッチ!

全て聞いています

誰か冒頭の原宿さんの奇行だけをまとめた動画を作ってくれ

匿名ラジオ

ちょこちょこ聞いています

先日8時間くらいの超長い回が投稿されて、心の準備ができていなくて聞けていません

好きな買いはARuFaさんがワールドイズマインの冒頭だけ歌って、よねを歌わないやつ

・おつかれさんご

ンゴちゃんトークセンスマジで天性そのもの

ただあまりキラキラしすぎてて、親戚の子供と遊んだ時みたいにエネルギーを吸い取られる

  

      

みなさんのおすすめまとめ

自分用に記録しておきます

振り分け間違ってたら教えて

質問への回答

Q:YoutubeラジオとかMVじゃなく音楽聴くのってどういうこと?

めっちゃ素人考えだからあほなこと言ってたらごめんだけど、音声だけのデータと違がって黒塗り画面でも動画データになるからその分だけ通信料って多くなったり重くなったりしないの?

  

A:通信量は普通Youtube動画と変わらないので、当然ながらギガを食います

学生時代は少しでも容量を減らすために最低画質の144pに設定して画面ガビガビのまま音声だけ聴いていました

今は大人になったので、つよつよプラン契約してどこでも快適に映像も音声も聴けてますが、プランが貧弱な方は家で端末にダウンロードするとか、それこそradikoを使うとかなんらかの対策を講じる必要があります

2026-01-05

anond:20260104175029

ニワカオタクかいうと叩かれるけど、知識とか思想もなく推し文化による金と労力をいくら積んでそのコンテンツ奉仕たかオタク村の自尊心だけで動いてるタイプオタクが多くなったよなとは思う

思想がないわりにプライドが高いもんだから体育会系文化系の悪いところだけを足した悪癖というか

2025-12-30

誇り高き田舎者であれ

https://anond.hatelabo.jp/20130809115823

上記文章を読んで色々考えた。

 元のエントリより論点はズレてしまうのだが、東京で働くいち田舎者としてこんな奴・こんな考え方もあるということを書きたい。

 

高学歴低学歴で人を分けた場合、私の家族地元の人は確実に低学歴だ。私も漏れなく、一族で初めて四年制大学に進学した人間である

 

だが、地元には、高学歴低学歴だけでは括れない、東京地方二元論だけでは語れない価値があると私は考えている。

 

以下、東京田舎という言葉が出てくるが、あくまで私の体験したn=1の東京田舎の話です。

 もしあなたの知っている場所と異なった場合申し訳ない。

 

私の地元日本海側のど田舎にある。集落四方が山に囲まれて、交通量が少ないので信号すらなかった。

 通っていた小学校は全校生徒が70人弱だった。今は統廃合されて、通っていた小学校はもうこの世界から名前が消えてしまった。

 

小学校田舎すぎて少人数クラスになり、先生指導が行き届いたのか比較的賢い学校だった。

 田舎なのにやたら成績のいい子ども達がいると話題になり、関東の大きい大学教育学先生研究しにきたほどだった。

 私の小学校同級生が14人しかいなかったのだが、そのうち3人が旧帝大に進んでいる。(私は国立大に落ちて私立に行きそのメンバーには入れていないのですが…)

 定期的に周辺で熊や猪が出て、集団登下校が義務付けられていた地域学校で、だ。

 サピックス日能研もない地域で遊んで勉強していた子たちが、田舎すぎて逆に賢くなっていた。

 先生に気軽に絡めて質問もできるので、みんながゲーム感覚勉強をしていたのもあったのかもしれない。

 私が後に勉強エンジョイ勢になって大学院まで行ったのもこの時期に下地が作られたと思う。

 そんな地域もあったということを知ってほしい。

 

そして、私の地元田舎なのだが、田舎ゆえに一つでかいカードがある。

 親が地域伝統工芸職人なのだ地元ではそこまで珍しくない職業だ。

 詳しく書かないが、親が歴史ある工芸職人をしていたので田舎に住みながらとんでもなくでかい文化に接していた。

 職人として知見を広めるために親が美術館博物館に行くのにもよくついて行っていたし、色んな工芸美術知識を親から聞いていたので、よく言う「文化資本」的格差東京で感じることがそんなにない。

 それに、地元では小規模ではあるが車で20分くらいのところに美術館はあったし、車で1時間(田舎では普通単位)で県庁所在地に行けたので、そこにはもっと大きな美術館がいくつもあり、そちらも大きな文化拠点になっていた。

 

家族に話を戻すが、親戚がみな佐官大工和菓子・別の伝統工芸など職人オンパレードだった。

 そして兼業農家も多かった。

 

彼らは職人と言っても、アーティストではなくブルーカラーな人たちだ。

 学歴という基準では、彼らは低学歴になってしまうだろう。

 

 だが、彼らは大学に行っていない・行くという環境にないだけで馬鹿ではない。むしろ賢い。

 賢くなければ職人業というビジネスをしっかり営むできない。農業だってそうだ。

 なので私は、ブルーカラーに類される職業の人たちを学歴がないからといって話の通じない人たちと断じることができない。

 それに、日本産業を支えているのは彼らのような人たちなので、とても下に見たりとかはできない。もちろん、中には変な人もいるとは思うけど…。

 このことを知れていることも、私が田舎(というより社会の下のほうなのかも)で育って良かったという一つのポイントだ。

 

文化面でいうち、田舎のものにも文化がある。

 というより、里山文化かもしれない。

 日々山や川を見ていると、それぞれが気候に合わせて美しく形を変えていくのは、上京するまでの18年間一度も飽きの来ない風景だった。

 山にはこんな動物がいて、木の実があって、山菜があって、木があって…という知識家族に教わった。

 山の保ち方、間伐の仕方、川での魚の獲り方も教わった。

 

地元自然人間歴史と深く関わっていて、そんな中で生まれ民話もたくさんあった。

 地元地域には日本史に出てくるような人や事件が関わっていたこともあり、地域の人に話を聞いたり地域研究本を読むと、時間の軸を深く辿ることができた。

 小学校勉強エンジョイ勢になっていたので、そういう地域勉強はとても楽しかった。

 

私は多分そんな環境があったか文化のものに興味を持って、大学大学院でも詳しくはぼかすが文化系の研究をしていた。

 ちなみに、私は案の定実家が細いので大学大学院に行くために数百万の奨学金を借りています。機会格差って最悪だよな! 

 こういった点に関しては、政治絶対もっと頑張ってほしい。

 

それでも、自分の熱中できる研究対象を見つけられたのは自分の育った環境があったからだ。

 今はエンタメに関わる職に就いているが、それも田舎で美しい風景を見て、楽しく勉強をして、家族から文化を学んだからだと思う。

 

ただ、そんなにアツい文化があっても私の育った集落は本当に本当に人間陰湿だった! 

 そこに関しては、東京のような人が多すぎて他人への関心を薄くせざるをえない地域が本当に楽に感じる。

 

かつて、私の父が重い病気に臥せった際、集落で噂になると尾鰭がついて嫌なので、絶対に口外しないよう家族で気をつけていたのだが、どこからか父の入院の話が漏れ集落中に広がってしまった。

 気を遣うふりをして私たちの家にやってきて、直接父の病状を聞いてくる全然親しくない人までいた。

 

父親はその後死ぬのだが、その後も父の死についてヒソヒソ言われて、当時11歳の私はこの世界は本当にクソだと思った。

 他にも、私が上京・進学・就職したことも色々言われているらしい。他人への興味が本当にすごい。

 地元にいた頃は外の世界を知らないので、人間陰湿ということが脳みその奥まで刻み込まれしまった気がする。

 私が地元を離れた理由は主にここにある。

 

補足すると、田舎にはもちろんいい人もいる。

 だが残念だがらマジョリティは、上記のような噂好きで目立つ人や出来事積極的に関わって言いふらす人たちだった。

 

人の陰湿さについては、もちろん東京でも一つの街に定住したらきっとしがらみはあるのだろうけど…

 恐らく私の故郷ほど「うちらの家は江戸時代から付き合ってます! うちは昔は地主だったのに小作人の家のあんたはそんな態度でいいのかな?」レベルのしがらみはそんなにないのではないか

 

それでも私は地元のことを「資本も娯楽も何もない最悪な場所」とは全く思わない。自分形成した場所からだ。

 だけど大都市価値観、東京絶対とする価値観ではきっと理解されないのだろうなーとなかば諦めている。

 なので東京出身の人の前では「羨ましいです〜」と言うのだが、それは半分くらい本当で半分嘘である

 

なぜなら田舎自然文化陰湿さの中で自分は育ったので、自分文化素養と反骨精神は多分都会では育たなかったと思うからだ。

 東京資本的な豊かさには憧れるものの、そもそも東京や他の大都市で生まれていたとしたら性格は全く違っていたと思うし、今の自分が好きなので、「東京に生まれたかった」とはそこまで思わない…

 

あと、東京の人は地方が豊かだという言説にすごく敏感な気がする…ので、ポーズでも「私は田舎者なので憧れの東京で来れて嬉しいでやんす」という態度でいたほうが楽だ。

 (この前Xでバズっていた「東京の人は車がないのにシャトレーゼなどのチェーン店をどうやってハシゴするのだろう」みたいなポストに、東京の人がやたら攻撃的に言い返していたのがなんか印象に残っている…。

 基本的東京の人は、地方のほうが優れている側面がある可能性もあまり認めない傾向にある気がする)

 

こんなに言ってしまっているが、前提として私は東京のことが大好きだ。

 好きだから働いているし、何より仕事研究趣味生活などあらゆる面で圧倒的に機会が多い。出会う人も多様だ。

 これは私の地元ではとても太刀打ちできないことだ。

 だから私は東京にいられて幸せだし、この場所にしがみつくし、しばらく居続けると思う。

 ただ、たまに自分が芯から東京出身みたいな言動をとりかけてハッとする瞬間がある。

 

 私のような東京で働く田舎者東京世界観に合わせすぎて、自分故郷否定するときがあると思う。

 東京感覚が間違っているのではなくて、ただ、自分形成しているもの拒否してまで東京で生きなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。

 

 私は、地元は最悪な面もあるが、全然最高なところもあったと断言できる。

 夕方雄大な雲の流れ、雪の降った朝の空気、眠れない夜に聴く川の流れの音、一生懸命「ホーホケキョ」を練習するうぐいすの声、初夏の稲穂の上を通り抜ける風、祖母からぽつぽつと語られる昔話、父と山で採ったびわの味、職人である家族の美しいてさばき…これは私は自分故郷で生まれ育ったから得られたものだ。

 

そんなに地元否定しなくてもいいです。

 多分「嫌なことがあったか地元から離れたんです」という人も多いとは思うのだけど…あなた形成した場所をすべて否定するのは苦しくはないですか。

 

私は地元陰湿人間が大嫌いだったので、そんな人たちや出来事のことは肯定しません。

 でもそんな経験が私を形作っているのも事実だな…と思う。

 よくも悪くも自分のことを形成しているのが地元だなと感じます

 

私は田舎者であることを自分の中に留めておいて、東京で働く中で多様な視点をもっていたいと思う。

 商品を全国で売っている自分会社では、絶対必要視点から

 仕事以外でも、東京にいる人とのコミュニケーションでこの視点があって良かったなと思うことはままある。東京は多様なバックグラウンドを持つ人の集合体からね。

 

だけど、私がこんな文章を書けるのも、東京に出て、高学歴に類される大学に行き、高倍率とされる企業に入って、東京で生きていける程度の余裕があるから、ということもあるかもしれない。

 そのグロテスクさについては、また考えなければいけない。

 

それでも、やっぱり私は田舎者である自分否定しきれないし、できないと思う。

 

長くなっちゃってすみません

ここまで読んでくれた方で、地方出身の人がいたら、最初から東京にいるように振る舞い消費する過程過去自分経験は全部上書きしなくてもいいと思います

 あなた構成したもの地元のどこかにあるなら、それは抱きしめてほしい。

 

 だから地元を出た元田舎者の皆さん、どうぞ自分田舎者であることに誇りを持ってくださいね

2025-12-16

anond:20251213113852

文化系の女、マジで産廃。女自体が半人前の存在なのに、その半分くらいの能力しかない。下手すりゃ小学生低学年男子いか

2025-11-29

俺は非モテ陰キャけどギャルに告られても断らなきゃなという話

俺はよくいろんな地方へ旅に出るが、なんやかんやその土地文化系/サブカル/陰キャ/芋系/オタク女子を見るのが大好きなんだろう。

だって新卒の時に配属された人口数万の地方都市(一応ショボい大学はあるんだけど)ではそういう女子を見かけないからね。これは人口比だけじゃ説明出来ない。「都会には文化がある」かはさておき「かわいい陰キャ女子」ならたくさんいるってことくらいは言ってもよかろう。

だって別に最初からそういう女子が好きだった訳じゃない。

高校入学の頃に一軍女子癒し枠的なヤツにベタ惚れしていたこともあって、人生で唯一俺に告ってきたクラス嫌われ者オタク女を好きになれなかった後悔(損した感)からそういう女子をどうにか好きになろうと自らを"調教"してきた節はある。

でもそれとは別にからAKBやらの美人顔の区別がまるでつかなかったし(嵐は多少いける)、大体同じだろとしか思わない。最近なんか顔面加工写真ばっかりでさらに似たり寄ったりだからワケがわからんし、写真どころか写される身体の方を弄るヤツも増えた。

これもグローバリズム弊害ってヤツなんだろうか?

きっとそれは地方都市に住みつつ国内地方旅行を繰り返す自分の趣向とも似て、商品として磨かれていないものを敢えて楽しむ趣向と自分の前にある陰キャ女子を楽しむ趣向が共通していないはずがない。

(ほら、よくマンガの話で「美男美女の方がブスよりも無個性的で描きやすい」ってあるじゃん?)

そして、俺は陰キャ女子を見る時に自分にも陽キャ価値観に膝を屈することなく女と楽しく付き合っていける(例えば「たのピク」のように)可能性がある(あった)ことを"確認"しているわけだが、「文化がある」都会で陰キャ女子を見るということはそこそこの確率で男連れシーンを見ることを通じての"確認"にもなりえる。

別に陰キャ女子が俺みたいな陰キャ男子と付き合ってる分にはやきもち妬くだけだからいいんだけど、陰キャ女子消費社会の頂点(そんなものがあるとして)に繋がるアルファオスの部類にメロついてるのを見た日にゃ「裏切りだ!」としか思えない。

ちなみに新左翼系の文献を読むようになってからは(竹内洋造語癖か小山晃弘的マルキシズム趣味かもしれないが)「階級裏切り」と呼ぶことにした。

俺はなるべく誠実でありたい。

俺は中学生の頃インターネットの「リア充爆発しろ!」的なノリに(別に面白いとは思わなかったけど)期待していて、非モテ連帯を信じて革命的非モテ同盟クリスマス粉砕デモの隊列に加わろうとしていたが、どうも連中が「ネタ」でやっているらしく失望した。

何よりも許し難いのは常日頃「リア充爆発しろ」とか宣っておきながら恋人を作ると見せつけたら匂わせたりする連中のことで、そりゃあ「リア充〜」は恋人が欲しい気持ちの裏返しなんだから恋人を作ること自体は認められるべきだが、それにしても見せつけるのは「階級裏切り」じゃないか?というか、自分が吐いた唾に対して不誠実じゃないの?

せめて俺は階級的に誠実でありたい。

この場合、誠実であることの証明は"やせ我慢"でするのがいいだろう。

まり俺は"階級の敵"、一般的ギャルと呼ばれる女

(それも性的魅力に溢れる)から求愛されても断固断るべきなのだ

年齢的な理由もあって非処女もイケるようになった俺がそれでも陰キャ女子が雑にセックスした話を嫌うように、いつか俺を好きになる陰キャ女子に「コイツ本当は陽キャ女子が好きなのに妥協しているのか?」と疑われるような過去を持たないように生きていたい。

(誠実でありたいので言うが俺は童貞は捨てた)

しかし、俺はタイトルにも書いた通りモテない。

モテいからチョロそうな陰キャ女子を狙ってんだろ?とお思いの読者もいると思うが、現に陰キャ女子とも付き合えてないんだから、それは虚しい「努力」でしかない。

そしてギャルと付き合っていない現状が"主義"を貫いた(例えば冷戦期の日共党員だったかがわざわざ東欧のショボいおもちゃ子供に買い与えていたような)ためであるという証明不可能だ。

読者は皆それは単なる非モテの結果だろうと冷笑するだろうし、俺もそう思う。

デジタル回路が「0」と「1」のどちらを示すかによってデータ表現することが主流な現代において「0」であり続けることに積極的意義だとか「強度」を見出すことは難しい。

からこそ浅羽通明ゼロ年代に出した『昭和三十年代主義』で「確かに清貧積極的に選び取られた価値観ではないが、だからこそいいんだ」(曖昧)と書きゼロ年代昭和ブームに期待してみせたのだろう。

そして俺もまた「0」か「1」の世界で「1」であり続けなきゃならない圧に膝をちょっと曲げ「ギャルと付き合わない」主義を自嘲し、内実はともかくとりあえず「1」ではあるところの国内地方旅行(動いている)で美人などとは違い「0」では言い表せないほど多様な陰キャ女子を見かけて(見つけている)喜ぶしかない日々を送っている。

2025-10-14

関西人関西人による関西人のための万博

なんか成功した万博みたいに浮かれてるけどさ、東京では万博の話なんて本当にたまにしか話題に上がらなかったんだわ。なんか文化系のブス女(ほぼ日とか好きそう系)がやたら万博万博イキってるイメージだっただけで、普通東京人はわざわざ万博なんて行かなかったんだわ。結局関西人関西人による関西人万博で終わった哀れな万博でしたね。

2025-10-10

anond:20251009195502

一時期派遣金融系の大企業にいた事があったけど、社内恋愛への導線が凄かったな

社内には学生のようなクラブ活動があって自然部署外の交流ができる土壌があり(スポーツ系だけじゃなく、活け花や絵画といった文化系もあった)、

社内誌の編纂ボランティア活動等を通した横の繋がりも作りやす

社員だけ割引のお洒落栄養バランスの取れた社食があってランチ会も頻繁に行われ、

何つーかカルチャーショック

こんな環境正社員として働いていたら社内結婚も容易だろうと思った

みんな身元は確かだし、わざわざロマンス詐欺やらヤリモクやらの危険を冒してまでマチアプや結婚相談所に入るよりも余程効率が良い

結婚相手大学時代までに見付けるのがベストではあるけれど、そこで失敗したとしても大企業に入ればリカバリーのチャンスがあるんだね

そりゃみんな必死大企業就職を目指す訳だわ

もっと新卒正社員就職した人達にとってはこれが当たり前で、そうじゃない職場というのがそもそも想像も付かないんだろうなあ

多分官僚も同じような環境なんだろうし、政策を決めてる人達もそうだから

自然にしてても結婚相手が見付かる前提で、少子化対策として子育て支援ばかりに力を入れるんだろうな

2025-10-04

中学生時代って楽しかたか

もちろん、楽しいこともあったが、基本的にはつまらなかったね

まず主観的問題。俺は狂っていた。机を投げ飛ばしたり、改造エアガンの自慢話をしたり、ハグメタルかいサイトを見てインスタントカメラからスタンガンを作ったりした

から狂っている人間楽しいはずがないという観点が一点

もう一つは、周囲の人間もクソだったこ

俺は「シュートを決めるぜ」的な体育会系から、ジミーズの一員だと言われていた

この体育会系による差別で、俺は好きでもないスポーツ部のバレーボール部に入った、なぜなら文化系部活をするといじめられるから

だが、俺は3年間、球拾いだけをしていた。だから最後試合ではキレて「殺せ!」という掛け声で応援をした

あと俺よりも上級生の連中は、不良ばかりだった。気に入らない人間に対して暴力を振るうようなのばかり

教師もクソだった。漢字書き取りとかい不毛宿題大人になっても役に立った試しがない)をサボっただけで、職員室の床で宿題の残りをさせられる

俺がてんかん修学旅行で迷ったとき教師は俺を「おいバカ、なんでこんなところにいるんだ」というし、七宝焼きを作ったときも「おいバカ、さっさと作れよ、迷惑になるだろ」などと言ってきた

このような中学時代が楽しかったわけがない

2025-09-25

anond:20250924190655

記事に加えて、文化系おすすめのお店

●BOOKNERD

インディペンデント書店のはしり

盛岡市山口市をNYTで紹介したクレイグ・モドさんの『kissa by kissa』や盛岡出身歌人くどうれいんさんの書籍を発行したりもしている。

https://booknerd.stores.jp/

●光源社

材木町というところにある。宮沢賢治好きならおすすめ

カフェがあって、くるみクッキーが有名。

2025-08-31

anond:20250831185901

commentatorHeader

成川彩

韓国在住 文化系ライター

2025年8月30日9時17投稿

視点江川さんご指摘の通り、国民の関心は動機の解明だと思います。すでに報じられていることも多いですが、真偽が分からないこともあるので、やはり最終的に裁判を通して知りたいです。これまで報じられている内容からは、教団と被告との関係が極めて希薄だとはとても思えません。希薄だと言うなら、母親宗教学者証人尋問によって、国民の納得のいく形で希薄であることを主張してほしいです。韓国でも旧統一教会政治家不正疑惑に関して捜査が進んでいます山上被告母親が教団に多額の献金をして生活破綻したことと、旧統一教会資金力、政権との癒着。つながっているようにしか見えません。

2025-08-11

体育会は滅ぼせ!なんて鼻息荒くしている人たち

吹奏楽部なんかも大概どこも酷いですよ

文化系も体育系も酷いっていうのは、そういう社会に適合するように教育された結果ですね

体育会系新入社員

下っ端のうちはめっちゃいいけど自分より下が出来た途端に後輩轢き殺しマシーンみたいになる奴が一定数いるのが厄介。

あと身内相手にはしっかりしてるけど取引先みたいな外部に関わらせた途端とんでもない挙動をしたりする。

文化系とか帰宅部系とかは1年目からやばい奴はやばいとわかるので予め隔離できる。

2025-08-08

運動部体育祭死ぬ気でやってもらうから浪人してもらう前提だから

「高3夏より前から受験勉強に本腰入れる奴とかキッショいカスから






こういう方針の県立名門進学校、どの地方(特に九州)にも必ずあるけど戸塚ヨットスクールとか昭和受験少年院とかと同じノリとしか思えない。

このご時世もっと軽蔑されていいと思う。

文化系キャラ普通にイジりの建前で実質的イジメられるし。

運動部ガチ勢体育会女子でたまにクッソ性悪DQNタイプいるじゃん

タイプの男はというと、同じ運動ガチ勢系で筋骨隆々ツーブロみたいな。

一方で、例え顔面が美形だろうとジャニーズ系ホスト系をクソ気持ち悪くて吐き気がする生物として見下げ果ててるタイプ

文化系覇気がない陰キャ男子に対する悪感情言わずもがなって感じの。


それでいて、運動ガチ勢ツーブロ彼氏がいようともタイミング次第で浮気平気でするし、

結構酷い振り方で乗り換えたりするような薄情さで。



で、根本的にお金大大大好きで物欲超強くて、体育会女子のくせにそのへんを自分で掴み取るって意思が謎に弱くて

結婚するならIT社長っしょ笑」

みたいに世の中と異性を舐め腐るとか、

金が絡むと謎に底辺高校バカJKみたいなチンパン感出してくる感じのさ。




あいう女って悔しいけど途轍もなくチンポに響くよね。

2025-08-07

体育会系のシゴキでチンコ舐めさせられるとかは別に普通だよ。

ホント文化系のやつらはどんだけ温室なんだよな。

金銭のやり取りの有無を問わず数多の素人女とSEXしてきた

多分100人超えてる。

で、自分がどんな属性の女にめちゃくちゃ興奮するのか分かってきた。

ガテン系女子元ヤン貧乏そうなシンママだ。

これどういうことなんだろう。

自分童貞フェイス陰キャ文化系丸出しなのにもかかわらずだ。

anond:20250807154828

中高部活で多少年下と関わったけど文化系ののーんびりした部活だったしそんなに感じなかったな~

2025-07-28

anond:20250728072020

きっと同じ文化系からしたら、こんなに羨ましい生活してる人はせめて中身はスカスカであって欲しいというささやかな願いを踏み躙ってくる非の打ちどころのなさだね

2025-07-24

同期の女がお局まっしぐらなんだが誰か助けてくれ

はじめに

女性と書かずに"女”と書いたのは撒き餌みたいなものから無視して読んでほしい。ADHDだかDHだかしらないが、まぁこっちも読んでってくれよ、そんなに長くは無いからさ

内容としては良くある話。会社という、共同体で働いている以上、一定数湧いてくるであろう、"評価に繋がらない業務"。

要は、雑用だ。ゴミ出しでも、掃除でも、電話対応でも、業者への対応でもなんでも適当なモノを思い浮かべてもらって構わない。


それは、そんな評価に繋がらない業務を頑なにしない、フリーライド野郎への積もり積もった愚痴だ。せいぜいおもしろく脚色しつつ書いてみるから、笑い話のひとつとしてでも読んでほしい。

よく聞く働きアリの話じゃあないが、フリーライド野郎なんてのはどこにでも湧いてくるし、自分だってなにかしらに知らぬ間に乗っかっているってことはあるだろう。ただ、そのクソ野郎を許容できるか?は、共同体の規模によって不快に感じるラインは変わってくると思う、特に社員数、数十人のような我々零細企業には。

そして、助けてくれとは書いたが、この女を助けようという気概は全く無い。むしろ地獄に落ちてほしいぐらいである。

うんこちゃん

さっそく本題に入りたいが、いかんせんこれからずっと”女”では心苦しい。

そのために、読んでくれる諸兄への親しみを感じてもらえるように、以下、”うんこちゃん”としたいと思う。こうすれば、書き手の溜飲も少しは下がるというものだ。


さて、その”うんこちゃん”がどういう人格かというと、自分が損をするのが絶対に許せないタイプ。かつその閾値がとんでもなく低いクズという人間である。加えて、とにもかくにも自分大好きちゃん、といったところだろうか。

昨今、こんなこと言ったらボロクソに叩かれるだろうが、女性という人種は(顔面醜美関係なしに、)少なからず、そういう部分があるというのは理解している。

だが、コイツは輪にかけて酷い。相当に甘やかされて育ってきたのだろうなというレベル自分に利害のあることなら派手に騒いで他人を巻き込むことも構わないが、他人が困っていても利害が絡まなければノータッチ、しれっとしている、といったぐあいだ。


例えるのが難しいが、中2ぐらいの思春期の娘が、性格はそのままにイイ歳(相応に、イイ歳だ。)して社会人やってる、といったところだろうか。これは書き手主観なので、差し引いて聞いてもらいたいが、細かい仕草がいちいち演技がかっていて、大げさなのも非常に腹立たしい(もちろんフルボイスだ、加えて鼻歌まで聞こてくる。きっつー)。


適当エピソードがあった方が説得力があるとの思うので、なるたけぼかして書くが、人事異動関係うんこちゃん業務が増える旨を面談で伝えられた際に、月N万円の昇給(1万とかそんな可愛い額では無い。そして、年収ではない、月収である。頂き女子にでもなった方が良い。)を社長要求する、と堂々と公言していたときはさすがに引いた。

もちろん、現在業務うんこちゃんにとって過剰であってオーバーワークに陥る故あっての要求……なんてことは全くなく、毎日余裕の定時退社をキメてくれている。


唯一、まともな点といえば、顧客への対応だろうか、ここが終わっていたらお察しなのギリギリ社会人ではあるといえる。


百歩譲って、顔面が良いとか、愛嬌があるとか、単純に若いとか、なにかしらあればまだ救いがあるのだが、特に言及しないことで察して欲しい。天は二物どころか一物もあたえないこともある、きっつー。


そんなうこちゃんだが、外ヅラは良いのか、運良く弊社の面接を潜り抜けて、そうだな、1,2年はまともなフリをしていたと思う。たが、あるタイミングから、タガを外れたフリーライド野郎の傾向が見え始めた。


程度の差こそあれ、多少、手を抜く範囲ならまだ許せるのでは?なんて、意見も聞こえてきそうだが、自分が損をしたくないの閾値が下がるところまで下がっているコイツは、その手の雑用は一切しない。なにより、うんこちゃん部署の後輩が転職していく、という実害も発生している。

直接問うたことは無かったが、新人代謝も少ない中小企業で、対して年齢も変わらない、ただ先に入社していただけの先輩にデカイ面して雑用を全部押し付けられたら、資格でも取るなりしてさっさと辞めてやろうという思考になるのも、容易に想像できるというものだ。


そして最悪なことに、うんこちゃん上司にあたる人間が、創業者親族で次期社長候補のひとりである

その上司も、能力はあるけれど、モラル的な概念は薄いので、うんこちゃんはこれに上手く取り行って、私は専属秘書ですから。みたいなツラをしながら仕事をしているのが日常である。うざったいことこの上ない。

悲しいかな、うんこちゃん業務専門性があって、余人に代えが効かない業務だったり、他人の数倍も業務をこなしている…ようなことは全く無い。

これが、まっとうな社会人なら、業務態度に問題があれば、上司諌めるなり、人事評価フィードバックされたりするだろうが、悲しいかな、わが零細企業にそのような”ふつう”は存在しない。

性善説に基づいているといえばちょっとは格好もつくだろうが、要するにうんこちゃんのようなクズ培養されるには理想的環境というわけだ。うんこだけに。


なにより最悪の中の最悪なのが、我が零細企業のような年功序列ありきの古い体質では、その上司が次期社長になるのは目に見えている。

すると、どうなるだろうか?基本、文化系部活所属していたお前らはてなーでさえ、少し想像しただけで理解し、ヘドが出るだろう。

そう、もともと鼻につかない奴だったけど、「彼氏部長になったが最後、周りの部員に対してあからさまに態度がデカくなるマネージャー誕生であるOMG。最悪だ。終わっている。


ロビンダンバー宗教起源で言うには、共同生活の人数には、明確な上限があるらしい。共生ストレスに耐えうる限界の人数ってやつだ。それが閾値を超えると、共同体は分裂せざるを得ないし、より厳格な教義ルールが作られる。

古今東西、どの組織にも倫理的に許されないフリーライド野朗はいて、共同体の人数が定員を超えると、そのクズは体のいい贄として柱に吊されたり、分裂した共同体に追い出されてたりするワケ。

長くなったが、要するに今まで暗黙の了解で成り立っていたものが、フリーライド野郎のおかげで崩壊しかけている。

togetterのクソみたいなまとめでありがちな町内会ゴミ出し問題(苦笑)になっているということだ。


賢明な読者諸君は、小さい企業なら社長との距離も近いだろ。社長はどうなってんだ社長は、と問いただしたくもなるだろうが、社内コンプライアンス配慮(笑)してか、元々事なかれ主義なこともあって、社員業務姿勢にはノータッチである。なんなら謎の配慮(笑)すらあって、うんこちゃん積極的仕事を振るのをさけているフシすらある。こんな様子であって、うんこちゃんには、大概舐められていて、前述したような巫山戯た要求を突きつけられる始末である


こんな世の中舐め子ちゃんが、蔓延っているのは本当にうんざりしてくる。理屈が通じない訳では無いが、利害が絡まないとやってるフリで通すだけなのでなおタチが悪い。どうしてこんな特大のクソが聖域化しているのか、誰も何も言わないのか。最近は、書き手主観おかしいのかと首を捻るばかりだ。パートとかアルバイトなら許容できるレベルだと思うが、いっちょ前に正社員からクビも切れないし、いよいよ救いがない。


人生経験豊富(笑)はてなー諸君よ、知恵を恵んでくれ。間違ってもお前らがやることは、「職場女性うんこ呼ばわりするような輩とは一緒に仕事したくないな」とかしたり顔コメントすることじゃあないからな、だから鼻で笑われるんだよお前らは

2025-06-22

VTuberアングラ文化を扱えるか?──月ノ美兎秘宝館騒動に見る「文化非対称性

はじめに

2024年6月VTuber月ノ美兎による「秘宝館」を訪れた動画が公開され、話題を呼びました。しかしその後、訪問である八潮秘宝館の館主が抗議のブログ投稿し、両者の間に大きなすれ違いがあったことが明らかになります

この件についてはすでに多くのファン観測者が「どちらが悪いのか」を語っていますが、本記事ではその問いを超えて、「文化文化の衝突」という構図から捉え直します。

月ノ美兎動画と館主の抗議

動画は「秘宝館秘宝館ネモフィラ秘宝館」という流れで構成され、月ノ美兎がいくつかの秘宝館を巡る内容でした。その中で八潮秘宝館の館主にインタビューを行い、来場者の様子も撮影されています

しかし、6月20日、館主がブログ問題を指摘しました。主な主張は以下の通りです:

動画撮影・音声録音が事前申請なく行われた

• 来場者に無断で撮影を行った

メールでのやりとりや態度に誠実さが感じられなかった

• 「個人で来ている」とされたが、実質的に商用利用だった

これに対して、月ノ美兎側はX(旧Twitter)で謝罪文掲載動画は非公開となり、編集を加えたうえで再公開する旨が伝えられました。

表面的な謝罪では見えない、文化的非対称の本質

このやりとりの多くは「誤解」「不手際」「コミュニケーション不足」として消化されがちです。しか本質的には、**まったく異なる文化コードを持つ二者が、同じ空間に立ったことによる“文化的摩擦”**に他なりません。

VTuber文化特性

VTuber特ににじさんじ)は、以下のような構造で成り立っています

キャラクターによる演出レイヤー構造

中の人情報は非公開が前提

仮面のまま現実世界接触することが可能

ファン文化もそれを暗黙の了解として支持

一方、秘宝館のような施設は:

実名実在の顔で運営される

• 来場者のプライバシー空間の「空気」を重視

信頼関係は「対面性」「実在性」からまれ

このように、VTuber文化匿名性を前提とし、秘宝館文化は“生身”を前提とするという、根本的に非対称な文化構造にあります

ファンの過剰な擁護が摩擦を深める

今回、ファンの中には「月ノ美兎謝罪したのだから、これは単なるすれ違い」「館主が過敏すぎる」といった声も多く見られました。

しかしそれは、文化の違いを“善悪”で断じることで、相手文化理解しようとしない姿勢助長してしまます

特に問題なのは

VTuber謝罪免罪符という風潮

• 「文化非対称性」を自覚せず、取材される側にすべての配慮押し付け傲慢

• 「触れていない場所には理由がある」という直感を軽視する態度

「誰もやってない=おいしいネタ」ではなく、「誰もやらない=文化理由がある」という視点を、ファン自身も持たねばなりません。

VTuber実在文化踏み込むことの構造リスク

特に月ノ美兎のように「誰も触れない領域」にあえて切り込むスタイル演者は、次のような構造リスクを抱えます

仮面のまま“裸の文化”に触れるという非対称性

取材される側にだけ情報提供や慎重な配慮を求め、自らの情報は守るという一方的な構図

• 「中の人を明かしたくないから、その点は配慮して」というお願いが、取材相手文脈では“信頼を拒否する態度”に映る

これでは、フェアな取材文化対話は成立しません。

今後の活動必要な転換とは

今回の件を経て、月ノ美兎という存在が“アングラ文化語り部”として活動を続けるには、以下のいずれかの方向が必要になるでしょう。

1. にじさんじ内での番組化(構成スタッフ主導)

• 本人はナレーション企画監修に専念し、実地取材プロスタッフに委ねる

• たとえば「月ノ美兎文化探索室」といった冠番組形式

仮面を維持したまま、文化との距離を保ちつつ取り上げる構成可能

2. VTuberとしての活動を縮小し、文化活動へ転身

レイヤーを脱ぎ捨て、文筆家・ライター批評家として生身の表現に移行

Quick Japanオモコロ的な土俵で、取材編集文章アングラ文化を扱う

自由度と信頼の対価として、キャラクター保護を手放す必要あり

3. にじさんじ全体で「文化演者制度設計」を見直す

• 今後も類似演者が現れるなら、「VTuber文化を扱う場合レギュレーション」を明文化する

おわりに:レイヤー文化実在文化共存できるか?

月ノ美兎が得意としてきた「アングラ×VTuber」の表現スタイルは、にじさんじ黎明期であったからこそ成立していました。しかし今や、にじさんじはポップな大衆文化一角。“アングラに切り込む”こと自体文化矛盾を伴うようになってしまったのです。

ファンはそれを「独自性」や「勇気」として称賛する前に、

その行為がどんな文化を踏みにじり、どんな信頼を危険さらしているか自覚する必要があります

そして演者自身も、「表現したいこと」と「所属する構造」のズレを直視し、

次のステップを考える時期に来ているのではないでしょうか。

2025-06-21

サブカルおっさんは気難しくて頭がおかしい 委員長かわいそう

八潮秘宝館の件で委員長炎上している

委員長と館長お互いの言い分を読んだが、これは偏屈おじさんが難癖つけてる案件委員長被害者だった

今や絶滅寸前のアングラ文化系自営業おじさん(ハッタッショ率高)の

謎のマイルール抵触した結果、ゆるーく許可されていたはずの取材動画公開を

からちゃぶ台ひっくり返されたという話であった

昭和平成アングラサブカル系の生き残りはガキがそのまま老人になったような幼稚な人間が多い

更に社会性も低い上に、ノンポリサヨク思想悪魔合体した反社会的思想洗脳されているので、

一般人には理解しがたい振る舞いをする

今回の件、委員長たまたま躾の悪い犬に噛まれたようなもの

今後もめげずに絶滅寸前のクソサブカル搾取し利用するだけ利用していくべき

気持ちの悪いサブカルおじさんは大資本に客と養分を吸い取られて絶滅するべき

2025-06-14

anond:20250614122123

こうした勘違いをしてしまう人の心理だがこれは単なる知識不足や早とちりというだけでなく、もっと根深人間性質関係しているように思う。

一つは、世界シンプル理解したいという欲求だ。

人間本質的に「認知倹約家(Cognitive Miser)」であると言われる。つまり、できるだけ頭を使わずに、省エネ物事判断しようとする傾向があるのだ。複雑で多様な現実ありのままに受け止めるのは、非常にエネルギーがいる。だから私たちは、物事を「AかBか」「敵か味方か」「陽か陰か」といった単純な二元論の箱に押し込めて理解しようとする。

理系文系」という分類も、本来学問性質を分けるためのものなのに、

つの間にか「論理的人間感情的人間」「クール人間/ウェットな人間」といった、人格二元論にすり替わってしまう。

そして、そこに「体育会系陽キャ)/文化系陰キャ)」という、もう一つの分かりやす二元論が重ねられる。

こうして、「理系陽キャ」「文系陰キャ」あるいはその逆、といった極めてシンプルな(そして誤った)世界地図が完成する。複雑な現実を前にした思考停止であり、一種知的怠慢とも言えるが、そうすることで心の平穏を保っているのかもしれない。

2bitまでしか思考できないのかって言いたくなるが。

もう一つは、自己正当化他者へのラベリングという側面だ。

特に、「自分理系だ」というアイデンティティを強く持っている人の中にこの傾向が見られることがあるように思う。

理系思考こそが優れており、文系的な思考は非論理的で劣っている」といった、やや偏った価値観を持つ人が

自分たちとは異なる「文系」という存在理解するために都合の良いラベルを貼ることがある。

そのラベルとして、「文化系陰キャ)」は非常に使い勝手がいい。

あいつらは、俺たちとは違う。なんかよく分からないことをゴチャゴチャ言ってる、内向的な連中だ」。

そうやって相手を単純なカテゴリーに押し込めて見下すことで、相対的自分の優位性を確認し、安心感を得ようとする。

これは、相手個人として理解しようとする努力放棄に他ならない。

法学部国際弁護士を目指してディベートに明け暮れる学生も、商学部体育会主将を務めながら起業の準備を進める学生も、すべて「文系」という箱に放り込み、「文化系だよね」の一言で片付けてしまう。これほど失礼な話もないだろう。

とはいえ気持ちは分からなくもない

まず、先ほども触れたように、世間に流布するステレオタイプの引力はあまりにも強い。「理系オタクっぽい」「文系はチャラい」といった、雑ではあるが大衆に浸透したイメージは、誰の心の中にも少なから存在している。そして、「オタクっぽい」というイメージは、確かに文化系」や「陰キャ」といった言葉と非常に近い距離にある。この強力なイメージに引きずられて、「理系の対極にある文系は……あれ、でも文系もおしゃれなカフェで本読んでるイメージだし、それってインドア活動だよな……じゃあ結局、文系文化系ってこと?」というような、迷路のような思考に陥ってしまうのも、無理はないのかもしれない。

また、学問スタイル個人気質に、全く相関がないわけではない、という点も無視できない。もちろん、これは鶏が先か卵が先かの問題ではある。内向的性格から文学部を選ぶのか、文学部で学ぶうちに内向的になるのかは分からない。しかし、何時間も一人で図書館にこもり、文献と向き合い、静かに思索を巡らせるという行為が求められる学問(例えば、哲学古典文学)と、「文化系」的な気質との間に、一定親和性があることは否定できないだろう。

逆に、大規模な実験装置をチームで動かしたり、多くの被験者コミュニケーションを取りながらデータを集めたりするような研究分野では、ある種の外向性や協調性が求められるかもしれない。これは「体育会系」のカルチャーと通じる部分があるとも言える。

もちろん、これは極端な例だ。文系だってフィールドワーク世界中を飛び回る文化人類学のような分野もあれば、理系だって一人で黙々と数式と向き合う数学のような分野もある。だから学問気質安易に結びつけるのは危険だ。しかし、「何となく、そういう傾向はありそうだな」と感じてしま気持ち自体は、理解できるのだ。問題は、その「何となく」を、まるで確定した事実かのように一般化しすぎてしまうことにある。

結局

他者安易カテゴライズしてしまうのは、自分自身が何者であるかを説明する手軽な方法を求めていることの裏返しなのかもしれない。「俺は理系から、口下手なんだ」とか、「私は文系から数字は苦手で」といった自己紹介は、とても便利だ。自分個性欠点を、大きなカテゴリーに属することで説明し、免罪符にすらできてしまう。そうやって自分ラベリングすることに慣れている人は、同じように他人をもラベリングして理解しようとする。その行為が、相手多様性個性を削ぎ落とす、暴力的ものであるという自覚なしに。

まぁなにが言いたいのかというと、ベタ解像度上げよう、くらいの話しかできない

文系文化系陰キャ)と勘違いしている人」。この一見すると些細な言葉誤用は、その根底に、人間思考の癖や弱さ、そして社会蔓延するステレオタイプといった、根深問題を映し出している。

アホだなあ、と思う。でも、そのアホらしさの正体を突き詰めていくと、自分の中にも同じような思考の怠慢や、安易ラベリングへの誘惑が潜んでいることに気づかされる。私たちは誰しも、複雑な世界を前にして、分かりやす物語を求めてしまう生き物なのだ

しかし、だからこそ意識したい。文系の中にも、灼熱の砂漠で発掘調査をする考古学者がいる。理系の中にも、美しい言葉科学の魅力を伝える詩人のような科学者がいる。体育会系のノリでチームを率いる文系経営者もいれば、文化系の繊細さでミクロ世界を探求する理系研究者もいる。人間は、そんな簡単物差しで測れるほど、単純な存在ではない。

理系文系」も「体育会系文化系」も、あくま人間という多面的プリズムを、特定の一方向から照らすための、便宜的なスポットライトに過ぎない。一つの光だけで全体を理解した気になったり、異なる種類の光を混同したりすれば、見えてくる像が歪むのは当たり前だ。

次に誰かが「文系って文化系だよね」と言ったら、今度は「アホだなあ」と心の中で思うだけでなく、こう返してみようかと思う。「面白い視点だね。ちなみに、経済学部アメフト部主将やってる俺の友達は、君の言う『文系』に入るのかな?」と。そうやって、少しだけ世界解像度を上げる手伝いができたら、それはきっと、無駄なことではないはずだ。そしてそれは、自分自身が持つ見えない偏見から自由になるための、第一歩にもなるのだろう。

Fラン大卒バイト戦士ひとりごと0614

体育会系文化系という分類における文化系陰キャ)と勘違いしているやつがいてアホだなあと思った

先日、ネットとある記事を読んでいたら思わず「え?」と思う記述があった

文系って、やっぱり文化系っていうか、ちょっと陰キャイメージあるよね」

一瞬、頭がフリーズした。

彼の言っている「文系」と「文化系」が、私の頭の中でうまく結びつかなかったからだ。

数秒考えて、ようやく彼の思考回路理解した。

ああ、なるほど。

彼は「理系文系」という学問の分類と、「体育会系文化系」という人間気質の分類を

ごちゃ混ぜにしてしまっているのだ。

そして、その後者における「文化系」が持つ、やや内向的、いわゆる「陰キャ」的なイメージを、前者における「文系」全体に当てはめてしまっている。

正直に言って、最初に思ったのは「アホだなあ」だった

まりにも雑な括り方だし、乱暴ステレオタイプだ。

しかし、その一方で、なぜ彼がそんな突拍子もない(と私には思える)勘違いをしてしまったのか、妙に気になってしまった。

これは、単に彼一人の特殊思い込みなのだろうか。

それとも、意外と多くの人が共有している感覚なのだろうか。

そもそも、その二つは全く別の座標軸にある

まず大前提として、この二つの分類は全く違うレイヤーの話だ。

理系か、文系か」というのは、高校大学選択する学問分野の大きな括りのことだ。

ざっくり言えば、自然科学数学工学医学といった分野が「理系」。そして、人文科学社会科学法学経済学といった分野が「文系」。これは、何を学ぶか、どんなアプローチで真理を探究するかの違いであって、個人性格ライフスタイル規定するものではない。もちろん、学問特性個人思考様式に影響を与えることはあるだろうが、それは結果論に過ぎない。

一方で、「体育会系か、文化系か」というのは、個人気質所属するコミュニティカルチャーを指す言葉だ。

こちらは学問とは直接関係がない。

体育会系」と言えば、運動部代表されるような、上下関係がはっきりしていて、根性論やチームワークを重んじる、エネルギッシュで外向的なカルチャーを指すことが多い。いわゆる「陽キャ」のイメージと結びつきやすい。対する「文化系」は、文芸部美術部、吹奏楽部などに代表される、個人の興味や探究心、内面的な活動を重視するカルチャーだ。こちらは比較的物静かで、インドア内向的な「陰キャ」のイメージを持たれがちだ。

この二つの分類軸を並べてみれば、両者が全く別物であることは火を見るより明らかだろう。

これはX軸とY軸のようなもので、本来は組み合わせて四象限のマトリクスで考えるべきものだ。

理系体育会系工学部のラグビー部員とか、医学部のサッカー部員とか。ゴリゴリフィジカルを持ちながら、論理的思考も得意とする人たち。たくさんいる。

文系体育会系法学部の野球部主将とか、経済学部のアメフト部エースとか。チームをまとめ上げるリーダーシップコミュニケーション能力に長け、社会の仕組みにも明るい。こちらもたくさんいる。むしろ営業職などで大活躍するイメージすらある。

理系文化系数学科でチェスに没頭する学生とか、物理学科でSF小説を書きふける大学院生とか。知的好奇心の塊で、自分世界を深く掘り下げるタイプ。これもステレオタイプな「理系像」に近いかもしれない。

文系文化系文学部古文書を読み解くのが好きな学生とか、史学科で一日中博物館にいるような人とか。これもまた、一つの典型的イメージではあるだろう。

このように、四つの象限にはそれぞれ典型的人物像を当てはめることができる。

理系から文化系陰キャ)だとか、

文系から文化系陰キャ)だとか、

そんな単純な話では全くないのだ。

彼が言っていた「文系文化系陰キャ)」という図式は、このマトリクス存在を完全に無視した、あまりにも解像度の低い世界認識だと言わざるを得ない。

なぜ、そんな勘違いが生まれるのか

では、なぜ彼は、そしておそらく彼以外の一部の人たちも、こんなにも雑な紐付けをしてしまうのだろうか。

いくつか理由が考えられる。

一つ目は、言葉の響きとイメージ連鎖だ。

文系」の「文」と「文化系」の「文」。この共通する漢字文字が、無意識レベルで両者を結びつけている可能性は高い。人間は、意味よりも音や形の類似性物事連想することがよくある。「文」という字には、どこか「武」の対極にあるような、静かで知的イメージがつきまとう。「武」が体育会系なら、「文」は文化系だろう、という非常にシンプル連想ゲームが、頭の中で行われているのではないか

二つ目は、ステレオタイプ暴走単純化だ。世の中には、様々なキャラクターの「型」が存在する。特にドラマ漫画アニメといったフィクション世界では、分かりやすさが重視されるため、キャラクターはしばしば極端なステレオタイプとして描かれる。

たとえば、「理系天才」は、コミュニケーションが苦手で、白衣を着て研究室にこもっている、まさに「文化系陰キャ」として描かれがちだ。一方で、法廷ドラマの敏腕弁護士や、経済ドラマの熱血銀行員といった「文系」のヒーローは、弁が立ち、行動力がある人物として描かれることが多い。

なぜ文系陰キャ扱いされがちなのか?

こう考えると、むしろ文系陽キャ」のイメージの方が強まりそうにも思える。だが、ここで話はもう少し複雑になる。

おそらく、多くの人が「文系」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、

文学部史学科といった、人文科学系の学問ではないだろうか。

経済学部や法学ももちろん文系だが、より「文系っぽい文系」としてイメージされるのは前者だろう。そして、ひたすら文献を読んだり、思索にふけったりする文学部イメージは、確かに文化系」の活動親和性が高い。この「文系の中の特定イメージ」が肥大化し、文系全体を代表するイメージとして認識されてしまう。その結果、「文系文学部っぽい人たち=文化系っぽい=陰キャ」という、伝言ゲームのような連想が出来上がってしまうのではないか

三つ目は、経験の偏りと一般化だ。

人は誰しも、自分の見てきた世界世界のすべてだと思いがちだ。例えば、その人が通っていた高校クラス編成が、たまたま理系クラス大人しい生徒が多く、文系クラスは活発な生徒と静かな生徒が混在していた」という状況だったとする。その場合、「理系文化系寄り、文系もまあ文化系寄りかな」という雑な印象が刷り込まれしまうかもしれない。あるいは、自分の周りにいる数少ない「文系」の友人が、たまたまインドア趣味を持つ人ばかりだった、という可能性もある。その限られたサンプルから、「文系とはこういうものだ」という法則を導き出し、それを世の中全体に当てはめてしまう。これも、人間が陥りがちな思考の罠の一つだ。


https://anond.hatelabo.jp/20250614122405

俺がブクマしたんじゃねえ。誰だよまじで

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