「根性論」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 根性論とは

2024-12-07

ゆとり世代が一番まともだったという事実

ゆとり世代を叩いてた側が昭和の悪しきスパルタ主義として排除され

ゆとり世代の特徴と言われていた「仕事よりプライベート」「競争より協調」「根性論より合理性」といった考え方は世の中のスタンダードとなった

2024-11-29

anond:20241129094218

身近に妊婦がいなくて解像度が低いとどうしても根性論になってしまいがちなんだが、つわり入院は尿検査をしてケトン値ですぐにわかるぞ

あと元体重の何%が減ったかどうかも重要で、つまり試しに病院に連れて行くのはお前が言うようにありなんだけど、妊婦のつらいつらくないよりもっと数値的なもの判断するってこと

から思ったよりしんどくないけど妊婦検診に行ったら緊急入院とかもあり得るわけ

2024-11-25

anond:20241123134225

高学歴でも高IQでもダメな奴っているんだなぁ。

根性論バカにできない。

2024-11-22

anond:20241122095529

増田も『絵心がないと困る状況がわからない』って書いてるが、マジでこれで終わりだからだよ

まり、いつもの増田で、ブクマトラバ目的と、非科学的な根性論語りたい、承認欲求ガーだからだね

 

本当に仕事説明に使いたいんだもん!と強弁してもいいけど、

社内にひとつも参考にできるパワポ資料がないとか、本屋に行って無限にあるパワポ教科書(レイアウト集)や、

『はじめてのグラフィックレコーディング 考えを図にする、会議を絵にする。』などを伝えるに特化した本を探す気がないとか、

たぶん、絵の才能どうこう以前に横たわる問題があるんじゃないですかね?

 

とりあえず、仕事で絵を描く人でも資料を見たりトレスするよ?というのを下記記事を見てご理解頂けると良いと思いました

(どーせ仕事じゃなくてプライベートで絵を描いてすごーいって言ってもらいたいとかだと思うので)

取説イラストを14年描いているプロが、資料を見ずにイラストを描くとこうなる: デイリーポータルZ

https://dailyportalz.jp/kiji/torisetsu-illust-shiryo-nashi

2024-11-03

知能も遺伝運動能力遺伝美術能力遺伝、コツコツ積み重ねの努力ができるのも遺伝科学データの集積によって根性論ではどうにもならないところが明確になってきてしまっているけど今の子供はどう希望を持って生きればいいんだろうな

理想論では配られたカード勝負するしかないって諦めて受け入れて生きればいいんだろうけど

次の次の世代くらいかゲノム編集ベビー時代になっていく気がする

2024-10-31

公務員アラフォー係長職の番が回ってきたけど辛すぎる

ここが辛いよ

公務員なんぞ志望するようなカスみたいな人間性の部下が沢山来るよ

公務員試験に受かっただけなのに「俺IQ130ぐらいあるんすよね~~~」みたいに調子こいてるアホが部下だよ

・上は根性論世代から「俺が若い頃には100時間ぐらいの残業当たり前だったな~~~」とか抜かしてくるよ

コンプラが緩いことが前提のインチキ仕事の仕方ばかりしてきたツケが回りだして組織が完全に壊れてるよ

・最終的に全てが崩壊したツケを払わされる立場の末席として全てが降り掛かってくるよ

・もう辞めたいよ

・でも公務員経験しかないアラフォーの行く末を考えると辛いよ

ここがいいよ

コンプラが厳しくなって残業代が半分ぐらいはつくようになったか年収が600万円超えたよ

2024-10-26

週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ25選(改訂版)

anond:20241012181121週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ20

↑を書いた増田です 適当に書いた増田がしばらく見ないうちにブクマめっちゃ伸びてて派生増田もめちゃくちゃ出ててビビった。ただのおじさんの与太話にいろいろ意見をくれてありがとう

みんなのコメントの中には恥ずかしながら読んでなかった作品もあったくらいで、今週はネカフェKindle50%還元セールでいろいろ読み返してました

選考基準について少し補足すると、ジャンプという雑誌の在り方への影響度がとにかく重要だと考えてます。売上とか人気とか社会的影響考慮はしてますが、あくまで付随する要素に過ぎません。

ブコメやXで結構言及されてたのを見て思ったのは、選評を雑に書きすぎて自分の考える重要性が伝わってないところが多かったのと、20選だとさすがに網羅出来てないなということ。もともと個人的メモ書き程度に書いたものだったのですが、色々な意見を取り入れた25選にして、一人一作縛りもなくして、選評ももうちょい見栄えするようリライトしてみました。これが現時点でのベストだと考えているので、もう異論は取り入れません。

1.ハレンチ学園 作:永井豪 1968年創刊号 - 1972年41号

月2回刊で始まった少年ジャンプ創刊号わず10万5000部しか出なかった。その9年前のサンデー創刊号が30万部、マガジン創刊号20万5000部だったことを考えると、その始まりが実に静かなものだったことがわかる。

そんな中、大家永井豪が描いたこ作品の絶大な人気がジャンプの売上に大きく貢献したことは言うまでもないが、それ以上に重要なのは、この時点で「読者が面白いと思うことなら何だってやる」という編集部方針は明確であったこである

過剰ともいえる性描写教職への徹底的な批判からなる本作は、当時の基準でも極めてラディカルで挑発的な作風であり、批判に晒され続けた。しかし、競争原理に基づき、常に読者の方を向いた雑誌を作るという編集部意向が、この作品を存続させた。後に「アンケート至上主義」という形で現代まで続くことになるジャンプの強固なアイデンティティは、本作の成功とともに形をなしたのである

2.男一匹ガキ大将 作:本宮ひろ志 1968年11号 - 1973年13号

頭文字D湾岸ミッドナイトのようなクルマ系のマンガが下火になったのは、若者が誰もスポーツカーに乗らなくなったことが原因のひとつであるという。頷けるところもあるが、じゃあ不良、ヤンキー番長と称されるような若者なんてもっと絶滅危惧種なのにどうして彼らをカッコいいものとして描くマンガは何作も出続けているんだ?東リべのような大ヒットも未だに出ているのに。

思うに、我々の脳には義理人情、泥臭さ、そして熱さを欲する部位が生まれつき備わっているのだ。そしてこうした要素を最も効果的に表現しうる分野が不良漫画であると見抜いたのは本宮ひろ志最初であった。

ストーリーは完全にご都合主義で、キャラクター一貫性もまるでない本作は、しかし「男の強さ」を描くという一点のみにおいて全くブレることはなかった。どんなに反社会的人間でも、腕っぷしと強靭精神と仲間への思いやりさえあればクールに映るという価値観は、フィクションにおいての(もはや誰も意識すらしなくなった)お約束として今なお残り続けている。

3.こちら葛飾区亀有公園前派出所 作:秋本治 1976年42号 - 2016年42号

ジャンプ国民マンガ雑誌とみなされる要因はどこにあるだろうか?40年間一度も休載することなく駆け抜けた秋本治デビュー作は間違いなくその一つであろう。

当初は型破りな警察官両津勘吉ドタバタを描くコメディとして始まった本作は、その時代サブカルチャー政治経済情勢を積極的に取り込むことで、高度経済成長期以降の近代化していく日本風景を余すことなく取り込んだ作品となった。

浮世絵江戸庶民たちの風俗を映し出す史料であるように、こち亀が織りなす物語昭和から平成にかけての日本人の最大公約数的な心象風景を巧みに映し出した。いまや日本から失われつつある中流庶民日常を、我々は全200巻からなる亀有の小さな派出所日常にしみじみと感じ取るのだ。

4.リングにかけろ 作:車田正美 1977年2号 - 1981年44号

もともと硬派なボクシングマンガとして始まった本作は仁義兄弟愛をベースにした極めて現実的作風で、決して圧倒的な人気作とは言えなかった。しかし、あしたのジョー下位互換になるくらいなら無茶苦茶やってやる、という判断のもと路線変更し、過剰さと大袈裟さを極めたことで人気を博し、史上初の最終回巻頭カラーとして、ジャンプ史にその名を刻むこととなる

───という、教科書的な本作の功績だけが、本リストに入る理由ではない。重要なのは本作が男一匹ガキ大将(=根性と漢気)、侍ジャイアンツ(=超人能力)の要素を意識的に再生産していることである車田正美を源流として、ジャンプ的な文脈を後世の作品が重ね合わせることでより濃くしていく流れが明確になる。我々の知るジャンプは全て車田正美以後なのだ

5.コブラ 作:寺沢武一 1978年45号 - 1984年48号

時代作家に比べ、寺沢武一デビュー作の視座は群を抜いて高かった。スペースオペラ世界観から引用した本格的なSFアイデアの数々。高い等身で描かれ、まるで映画のようなポージングセリフ回しで魅せるセクシーな男女たち。幾度もの休載はさみつつも、本作はユーモアとカッコよさと強さをコブラという一人の男の中に共存させるという偉業を成し遂げた。

登場人物も読者も無垢10代の少年でなくてはならないという近視眼的な幻想と、ジャンプ作家絶対コンスタントに週刊連載をしなければならないという既成観念を、葉巻を加えた気障な宇宙海賊サイコガン──精神力をエネルギーに変えるアイデア寺沢が生み出したものだ──は易々と破壊したのである

6.キン肉マン 作:ゆでたまご 1979年22号 - (週プレNEWSで連載中)

リングにかけろ確立したバトルマン路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品。いわゆる「友情努力勝利」という実際にはジャンプ編集部の誰も公言したことのないらしいパブリックイメージ単独で築き上げた。にもかかわらず、本作は国民作品とはみなされておらず、犯罪的なまでの過小評価に甘んじていると言わざるを得ない。マジでなんで?絵が下手だから嶋田SNSの使い方が下手だから

キン肉マンマンガとしてではなく文化的重要なのだと主張する類いの人間がいるが、そいつらの目と脳にはクソしか詰まっていない。ゆでたまごは絵の巧拙クオリティ関係しないことを証明し、あらゆる世代の男たちにマンガ熱狂する勇気を与え、信じがたいほど面白い作品を描いた。この作品を嫌う人たちもまず冷静になり、理解しようと試みるべきだ。

7.Dr.スランプ 作:鳥山明 1980年5・6号 - 1984年39号

鳥山明訃報を聞いた日、Kindleで買ったまま放置していたDr.スランプの1巻を読んでみた。久しぶりに読む本作はきっと悲しいほど古く感じるだろうと思っていたが、実際のところiPadの画面に映るペンギン村の住人達は今も新鮮味をもって感じられた。

本作は後にDBドラクエで知られることになる鳥山明がその才能の枝葉を伸ばし始めた作品である───と書けたらどれほど楽だったろう。枝葉どころかこの時点で大樹の幹である

言語以前の本能領域に鋭く迫り来る現実味を携えた絵は存在するが、そうした絵を毎週16ページのマンガで成立させる人間鳥山明以外には存在しなかった。頭の中にBlenderが入っているかのような立体的なデフォルメは、我々の住む現実世界とは違うところにもリアリティというもの存在しうることを示し、「マンガのための絵」であった劇画調を衰退させる最大の要因となった。

8.キャプテン翼 作:高橋陽一 1981年18号 - (キャプテン翼WORLDでネーム連載中)

Jリーグ創立の流れを生み出したともされる本作がサッカーマンガ界に残した遺産はなにか?もしかたらこのような問いの設定自体が誤っているようにも思える。高すぎるキャラクターの頭身、大真面目に繰り出される荒唐無稽な技の数々が目をくらますかもしれないが、高橋陽一が一貫して表現たかったのはひたむきな少年たちが織りなす爽やかな青春であって、こうした要素は他作品にも見られるものだ。彼がサッカーという題材を選んだのは単に「野球マンガはありふれているから」という理由だ。本作は期せずしてサッカーマンガというジャンルの中心に祭り上げられたに過ぎないのだろう。

それでも、我々はこの巨星に感謝するほかない。この作品が無ければサッカーを始めていなかったであろう日本中、いや世界中の少年たちが、みな大空翼という一つのアイコンに夢中になっていたのだ。マイナースポーツひとつに過ぎなかったサッカーメジャークラスに引き上げ、軍国主義に基づく根性論を相対化し、ひたむきにボールを追いかける楽しさを私たちに初めて教えてくれたのはこの作品だったのだ。

9.北斗の拳 作:武論尊原作)、原哲夫作画1983年41号 - 1988年35号

元増田を書いたときブコメ欄は「ぼくのはじめてのジャンプ」にまつわる涙なしでは語れない思い出たちで溢れかえったわけだが、はてブに入り浸る層の平均年齢を考えれば当然のことである

自分のようなおじさんにとって涙なしでは語れない系マンガの筆頭に位置するのが北斗の拳である1980年代中盤というのは、親しみやすいポップ路線と男臭い劇画路線がちょうどクロスオーバーする時期であった。今のメインストリームがどっちかは言うまでもないが、自分にとっては線が太くてむさ苦しい絵柄こそが少年ジャンプ原風景だった。

強くてカッコいい大人の男が弱肉強食戦場で己の命を懸け闘う...そんなジャンプ初期から続く系統の最高到達点かつ袋小路が本作である。このようなマンガ流行時代は二度と来ないとわかっているからこそ、特別な輝きを放ち続けるのだ。

10.きまぐれオレンジ☆ロード 作:まつもと泉 1984年15号 - 1987年42号

かわいい女の子を見るためにマンガを読む者と、そうでない者がいる。どちらがいい悪いということはないが、少なくとも創刊してしばらくのジャンプは前者に見向きもしない雑誌であったのは確かだ。うちには高橋留美子はいないんだよ、といった具合に。

きまぐれオレンジ☆ロード申し訳程度の超能力要素を除けば、一貫して思春期男女の甘酸っぱい三角関係に焦点を合わせ、かわいい女の子日常が描かれているだけだ。それのなにがすごいのか?別にすごくはない。ただ、エロくもなく大したギャグもなく荒唐無稽な展開もないふつうの男女の日常需要があることに、誰も気づいてない時代があったのだ。

まつもと泉は早くに体調を崩したこともあり、これ以降影響力ある作品を生み出すことはできないままこの世を去った。それでも、彼の鮮やかなトーン使い、歯が浮くようなセリフ回し、そして"かわいい女の子"以外に形容する言葉が見つからない鮎川まどかキャラデザを見返すたび、これをジャンプでやってくれてありがとう、と思わずはいられない。

11.ドラゴンボール 作:鳥山明 1984年51号 - 1995年25号

鳥山明が死してなおこの先何度も繰り返される問いだろうが、ドラゴンボールよりもワンピナルトの方がどれほど優れているのだろうか?そしてその答えを誰もが知っているのは何故だろう?これらの問いに対してどんな議論がなされようともすべて的外れ無意味である。それはこの作品が頂点だからだ。

鳥嶋和彦意向により、本作はバカげた後付けの設定や引き伸ばしをせざるを得なかった。それでも、マンガ金銭を生み出す道具と見做す人間たちのあらゆる商業的な意図を超えて、本作はそれ以前、以降に掲載されたあらゆる作品を軽々と凌駕する金字塔となった。

11年に渡る孫悟空冒険をもって、鳥山明日本マンガ文化世界最高のものであるという事実を叩きつけ、自身手塚治虫赤塚不二夫つげ義春萩尾望都藤子F不二雄、高橋留美子と並び立つ歴史上最高のマンガ家の一人であることを証明したのである

12.聖闘士星矢 作:車田正美 1986年1・2号 - 1990年49号

車田正美リンかけ過去ジャンプ作品再生産を初めて試みたと述べたが、それを自分自身作品でやった人間も車田が最初であった。自身のやりたいことを詰め込んだ男坂が衝撃的なまでの不人気に終わった反省から、彼は自身の原点に立ち返りつつもよりスケールを拡大した再生産をやることを決めた。

彼はギリシャ神話宇宙子供向けと大人の女性向け、劇画プラモデルといった要素を交互に行き来しながら、自身が積み上げた様式美世界前人未踏領域まで押し上げた。聖闘士に同じ技は二度通用しないが、我々読者は何度でもこのパターンを欲してしまうのだ。

13.ジョジョの奇妙な冒険 作:荒木飛呂彦 1987年1・2号 - (ウルトラジャンプで連載中)

ある一定世代人間からは、ジョジョという作品はいつも巻末に掲載されている時代遅れな絵柄のつまら作品という評価が下されることがあり、そこには50%事実と、50%の誤った認識が含まれている。

荒木飛呂彦の絵柄が彼の見た目と同様あまり本質的な変化がないことについてはその通りだ。だがいくら彼より本誌での掲載順が上であろうと、革新性・才能・実験精神という点で彼より優れた人間果たして何人いただろう?

幽波紋と、理不尽能力値のインフレを伴わないバトル描写は、彼が残した功績の中で最大のものであるキャラクターが持つ能力を、作者の演出の道具として使うのではなく、自律したキャラクター同士の駆け引き領域に落とし込むことに成功したのだ。

我々はフィクションの中での整合性を厳しくジャッジすることに慣れっこになっているが、それに耐えうるものを初めて生み出したのは荒木だった。彼以降、マンガを読む行為は絵と吹き出し表現された作者の脳内世界をくみ取る作業ではなく、自律したキャラクターたちと同次元に立ちその思考を辿るものとなった。荒木は真の意味で我々をマンガ世界に誘ったのである

続き→anond:20241026155213

2024-10-25

承認欲求」の仕組み、わかっちまった

承認って「できたねー」とか「えらいねー」とか言うことだと思ってるヤツ

浅っせぇ浅っせぇ浅っせぇわ

もっと頭使ってもらわねーと困るから俺様が気付いちゃったこと書くわ

ホコリ被ってる頭のスイッチ入れて読めよ

 

人間誰でもイイ事したい

聖職者だろうが、犯罪者だろうが、誰でもイイ事したい

下半身の話じゃねぇぞ

誰でもイイ事したいんだ、一人残らずな

犯罪者は悪いことしてるじゃねぇかって?

犯罪者だと社会に決められちまったカワイソウな奴らは、社会にイイ事してると思われなかっただけだ

犯罪者もイイ事してるんだよ、めっちゃ狭い範囲に対してな

ガキを殺しまくったヤツも居たな、あれは他人も、未来自分も切り捨てて今の自分だけスカッとしちゃったわけだ

サイコパス野郎でも自分にはイイ事してただろ?破滅的だけどな

しかもな、それが本当にイイ事である必要すらねぇんだ

やりたいと思ったり、イイ事だと思ったことをやった時、良し悪しに関わらず人は満足しちまうもんなのさ

まぁ本当にイイ事をしなきゃいつまでたっても地獄が続いてくんだけどな

 

なんで承認必要なんだ?

そもそも本当にイイ事なら承認なんて必要ねぇんだよ

じゃあなんで世の中怪物だらけなんだ?って話だ

これはな、お前らが二つほどビョーキからだと思うぞ

まず一つが、カネがないことだ

ある時借金全然できなくなった時があったんだがな、詳しくはググれ

要するにみんなカネが足りなくなったんだよ、そのせいでな

みんなカネを使わず対策したフリするようになっちまったんだわ

収入は目減りし、根性論で無理を押し通してを続けてきたんだろ

新しく上がってきた問題なんかそっちのけ、今までやってきた事以外できないよなぁ

間違ってるってわかってて、やらなきゃならない拷問だよなぁ

人間が群れで生きて身につけてきた本能に反してんだわ

無理やり「承認」してもらわなきゃやってられないだろ?

もう一つが、ワルイところ探しだ

俺様ちょこっとだけ勉強したんだわ、ガラにもねぇ

合理の権化、アメちゃんのことをな

ステイツじゃ、できないヤツを叩くことなんか時間無駄なんだって

できないやつを虐めるのなんかバカのやることって叩き込まれ

できるやつはみんなでリスペクトしよーぜって雰囲気らしいんだわ

映画館でスゲー映画たらみんなハイになって叫び出すのはそういうことらしい

お前らワルイところ探し大好きだろ?

マスコミ閣下槍玉にあげたカワイソウな奴を再起不能になるまでボコボコにするの大好きだよな

物事がイイか悪いかなんてお前らの大半がこれっポチ自分で考えてないって証拠だろうよ

叩いてイイぞってサイン出してもらって合法リンチしてんだもんなぁ

お前らにとって人の評価は悪いことしてないかどうかの一点だけなんだろ

本当にイイ事しても評価されないんだからイイ事する奴なんか増えるわけねぇーじゃん

ワルイ奴がいた方がお前らは好き勝手言って気持ち良くなれるもんなぁ?

総じて言えることは、「イイかワルイかなんて自分で考えろ」ってことだ

考えずに金使ってるから現実を歪めてゴミを売る連中が幅を利かせてるんだろうよ

ノータリンどもが合法犯罪で集めたカネなんかはした金にもならんがな

そいつらだけ儲かって真面目なイイ仕事のできる連中はますますカネがなくなっていくのがクソだわ

まぁとにかく、自分で考えれば承認なんか必要ねぇんだ

 

じゃあどうすればイイか

承認なんか必要ねぇーと吐き捨てたが、キズの舐め合いには必要ないと言うだけの話だ

承認必要なのは、本当にイイ事をしようとして頑張ってる奴らさ

でもそいつらに上辺だけ承認しても意味がない、お前らに認めてもらうためにやってるわけじゃねぇから

中身までちゃんと話を聞くんだよ、そいつがどんなイイ事しようと思ってるのか引き出せ、考えろ

そうすれば、そいつの考え方を素直にリスペクトできることもあるだろうし、共感できることもあるだろうさ

逆に、自分視点から見たら改善点が見つかることもあるだろうよ

イイところはいいと言う、変えるべきところは指摘する、これだけの健全なやり取りが必要なんだよ

なぜならイイ事をしようとする奴らが孤独すぎるから

正しいことをしようとしても、周りからはなんでそんなにガンバっちゃってんのと腐されるだけだしな

自分を信じて努力するしかないわけだが、限界はある

群れで生きてきた習性が、凄まじい同調圧力をぶつけてくるんだわ

から、イイ事する奴は承認してやるんだよ

上から目線でなく、それはイイ事だと言ってやるだけでとんでもない力になる

面白くもない芸人マネして何でもかんでも否定する奴は今すぐ死ね

実力のある奴の養分に生まれ変われや

そうしたら俺様がヨシヨシしてやるよ

2024-10-23

やっぱイラスト上手くなるには数こなすの正義だよな。

YouTubeでも売れてる絵師はみんなそう言ってる。売れてる人ほど根性論でとにかく描け!と言う.

逆に匿名アドバイスしてる自称絵師デッサンが〜パースが〜解剖学が〜とノウハウばかり語る。そいつらの実力はわからんので信憑性無し。

代わりに底辺絵師SNSを見てみると案の定ゴチャゴチャ高尚な理論を並べてる。最近AI批判に躍起になっているが。

結局、楽したいだけの言い訳だよね。

とにかくゴチャゴチャ考えんと腕が千切れるくらい絵描きまくれば上手くなるんだよ。

2024-10-09

体育会系文化部

広告代理店インターンキツすぎもう無理……みたいなツイートを見かけて、クリエイティブを全面に出しているような文化部でもゴリゴリ体育会系なノリってあるよなぁ、と思った

具体的には吹奏楽部演劇部

どっちも似たようなものではあるけど個人的には微妙に違うと思っていて、語弊を恐れずに言うなら吹奏楽部集団主義極北にある存在演劇部は強烈な個人主義盲目的な大義show must go onみたいなの)で束ねた集団

こういう文化部にある“体育会性”って、いわゆる「コッカラッス!」とか飲み会全裸芸みたいな豪放磊落ものではなく、とにかくねちっこいし陰湿

師弟関係に似た上下関係の強さとか、パワハラ紛いの精神論根性論創作美学哲学の名の下肯定されていることとか

運動部も先輩後輩の上下関係はしっかり叩き込まれるけど、それはどちらかといえばヤンキー支配構造に近いものであって、基本的には年功序列に従うと思う

一方文化部上下関係場合、年次の大小は元より、センスや才能というような個々人の実力差も力学の決定に大きく関わっていると感じる だからよく拗れる

エンタメメディア系の企業は概してこの側面を有しているので(とはいえ広告代理店営業部門なんかは単純に体力勝負だとは思う)、合わん人にはとことん合わん文化だろうな

2024-09-12

世の中にメンヘラの男多すぎない?職場ヒステリック中年男性多すぎ?

ヒス男を封じ込める術として結婚制度 家庭 なんすね

ヒス男さんに家庭という責任を与えて職場でのヒステリーを強制的に抑えないといけないんすね

しないと異常独身無敵ヒステリー仕事人間職場にのさばって崩壊するんすね 週7で働く仕事しか人生ない自己ヒステリー根性論無敵独身男性(≒パワハラ)が物量で昇進して勿論マトモな生活してる奴らはそんなんについていけないかヒスパワハラ職場支配されるんすね あと直接攻撃でなく間接的なナチュラルヒスから鈍感ノータリン下っ端や節穴最上司は普通に勤労でエライ!とか抜かしてマトモ人間がどんどん人権しぬんすね 勘弁してけ!

2024-08-26

昭和爺の精神論、令和キッズ効率主義って二元論になってっけどさぁ

効率的計画を立てて、その計画を実行するために精神論根性論努力するって考えにはならんのかな?

昭和精神論者は気合いだ根性だ!何も考えずひたすら頑張れ!と言い、

Z世代効率主義は「そもそも効率だし〜」みたいにやらない理由ばかり並べる。

どっちも良い所だけ取って、効率的方法計画して、後はひたすら努力根性で頑張れば良いだろ。

2024-08-20

共産主義は、進化と変革の原動力を、変革の担い手である主体」に求めすぎているのだろうと思うね。

連帯戦線、同志、団結これらの共産臭のするターミノジーは、その時代時代で、変革の担い手と目された人々へ向けられる。

古典的資本主義確立した時代に「労働者」という概念再構成したのが、たぶん最初かな。

日本共産党歴史をふりかえると、労働問題においても農民組合闘争においても、被差別部落問題にしても、変革の担い手自分たちに取り込むことに知らず知らずのうちに夢中になっていた。その力ずくなやり方への反発へも少なくなく、運動から離脱分派を促進していた。

結果として共産党は思想の核である労働者階級」すら満足に取り込めず、高度経済成長期が終わると、次第に、連帯ターゲット主婦とか消費者とか言い始めた。そうした社会階層に媚びを売るために、自らの綱領あいまいにしてブレた主張を繰り返しては運動の広がりが得られず、連帯の同志候補として次のターゲットを探してきた。

あげくの果てには性的少数者、LGBTQを守る(田村氏)とか言い出して今日に至っている。


他方で、資本主義社会進歩史観共産主義のそれとは趣が異なる。

根っこには、社会ダーウィニズム的な、進歩への信頼というか期待がある点では、帝国主義共産主義も同根。

ただ、その実現が「強いもの」による自然淘汰によってなされると考えるか、闘争によってなされるかの違い。

「強い者」が先験的に理解されてしまうと、「弱い者」を排除してしまえばよい(優生学など)という発想になるし、差別の絶えない社会となる。帝国主義ナチズム典型

一方、一体なにをもって「強い者」かを人間は前もって知ることはできない、結果から判断するしかないとプラグマティックに考えると自由主義社会となる。理念ではなく、利害で集う社会はこの考え方から支持される。

先日、福岡支部のどなたかを除籍した日本共産党が今もって理解していないことの一つは、日本国憲法もつ表現の自由の考え方だ。

実は、憲法第21条の源泉は、「一体なにをもって「強い者」かを人間は前もって知ることはできない、結果から判断するしかないとプラグマティックに考える」自由主義の考え方を基礎としている。

これは、表現の自由をめぐる憲法判例のうち「思想自由市場」という考えから典拠をどんどんさかのぼってゆくと理解できる。

そうすると、20世紀初頭の連邦最高裁ホームズ裁判官の考えにつきあたり、そのホームズからパースプラグマティズムに行きつく。

そしてさらさらにさかのぼると、唯一正しい真理を押し付けてきたカトリックの猛威を振るヨーロッパ、お互い不寛容プロテスタント同士の修羅場ヨーロッパから逃れてきた巡礼始祖たちの考え方に行きつく。お互いに自分が正しいと言い切れないなかでどういう社会を構築するかを模索したところからアメリカ合衆国は始まっているので、表現の自由というのは、国の成り立ちを土台で支える重要な考え方だということがわかる。

雑にまとめると自由主義共産主義の違いは以下のような感じ。

政治体制言論自由進歩史観プレイヤー
自由主義どちらかというと放置蓋然的客観的多様性重視
共産主義どちらかというと統制的必然的主体一体性重視

同志の団結を迫りまくるという意味では、根性論とか暴力一定の方向に人々の顔をむかせ社会変革をしようという路線になりがちなのが共産主義

多様性を重視するあまり、どんなに社会が乱れようが差別根深かろうが、偏見による暴力を許容してでも自由に奉じるのが自由主義

日本共産党は、何かにつけ、ひとの横っ面を自分たちと同じ方向へ向かせたがるが、それは自分たちが嫌われて終わるだけというのは、これまでの歴史証明している。

ちなみに、私はいずれにしても暴力的なら後者を選ぶ。

日本共産党は、自らの綱領一言も書いていない、表現の自由意味社会プラットフォーム視点から今一度振り返るべきだと思う。

2024-08-11

悪しき根性論とか言うけど、全部根性じゃんねって思う。

痩せたいからとにかく走って飯を減らす!

売上を上げたいからとにかく片っ端から営業かけて熱意を伝える!

小手先テクニックなんかよりも根性で乗り越えるのが大事!みたいな。

一般的に良しとされない根性論っていうのはそういうのを指してるんだと思う。

目的に早く辿り着きたい気持ちが先行するあまり、実現に向けた具体的な方法論の効率性が軽視されてるっていう。

苦労は必ず報われるっていう誤謬めいた感覚ドグマ化して、他人にまで押し付けるようになる。それはまあ好ましくはないと思う。

痩せたいのならまず身体の仕組みを知って、その法則に則ってより効率的な痩せ方を研究して実践すれば良い。

そういう情報も今は体系化されてるのだから自分で編み出すよりもYoutubeなりで調べればなお効率的。

でもそれって方法論の話でしかなくて、じゃあそれを実践するやる気が湧かなかった時はどうすんねんっていう。そこは結局根性問題であって、どうやってそのやる気をロジカル調達出来ますのんっていう。もっと言えば実践以前に効率的な手法を探るのだってやる気は要るし。

無気力状態からどうやって根性を捻り出すのか。

気合いがなければ気合いで捻り出すんだよ!というトートロージーめいた対策では話にならない。

じゃあ根性論ではなくロジカル対策としては、適度な運動をするなり規則的な生活を送るなりして、健康的な身体を作ることが医学的な理屈からして効果的なのかもしれない。メンタルクリニックに行けば助言も得られるかもしれない。

でもそれをやる気力はどこから湧いてくんねんっていう。

根性だけではどうにもならないかもしれないけど、根性がなければお話にならない。

メンタルヘルスって、気合いがなければ気合いで気合いを引き出すというトンチの克服に直面してる気がする。歪な社会構造がどうのこうのという以前に。

別に心療内科へ行けばどうこうなるってもんでもないし、カウンセリングや薬で根性がモリモリ湧いてくるのなら社会問題になってもいないと思う。

anond:20240810154643

いいことも悪いこともけっきょく己の劣等感へと思考リンクしてしまう。

それはまあ「失敗の先取り」の一つの形態でしょうね。

自分の運や実力を信じてどこまでもポジティブでいられるならそれはそれで病的といえる。普通の人はそうならないように適度に自らを不安に浸す。上手くいってるのはたまたまでは?自分は本当は不運で無能なのでは?と。つまり逆説的だが不安に浸ることには精神安定作用がある

その安心作用依存すると最初からブレーキを踏むのが癖になる。自分ダメダメだ。でもそのことに気づかずに調子に乗るほど危険状態ではない。最悪よりはマシな現状だ。…そのように自分ディスカウントして自分を見失ってるわけではない自分」の最低のラインを死守することで、本当の最悪というものから自分を遠ざけておける気がする。

そういう思考の癖がついている。

しかしそういう思考パターンメカニズム自体別に重要ではない。なぜならクセはクセであって本質ではないから。

あらゆるモノに質量があり慣性が働くように行動や思考にも習慣性というものがある。ドカ食いをどうしてもやめられない人も、それはそういうパターンにはまり込んでしまったのであり生まれつきドカ食いを宿命づけられているのではない。

では思考の癖を剥がすにはどうすれば?というと言わずと知れた話で、訓練により別のくせをつけていくことしかない。

セルフディスカウントでないリアリスティックな物の捉え方考え方を。

しかしこれ言うは易いことであって、心を守るための悪い癖を脱ぐのは死の不安を生身で抱きしめることであり生存本能への挑戦です。

過食嘔吐とか自傷とかも反省したらすぐなおるとかありえないように。

からこそ近道はない。本能をなだめるために、例えばスモールステップを設定し小さな成功体験を積むとかのテクニックを思いつく限り駆使しつつ、結局は自分覚悟次第ということになるでしょう。根性論「だけ」では何も解決しないが、根性論抜きでもやはり何も解決しない。「自己改革死ぬ気でやらないと無理」身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ…というのはそういう意味でしょう。

とりあえずの「精神安定のコツは?」みたいな話にいきなりの叱咤激励というのもあれだけどどうせどっかで行き詰まってイヤでも勝負かけるしかなくなるのは予感してるのではないでしょうか?

2024-08-04

anond:20240803191239

自分もそうだし、やっぱり一定数(それも現代では無視できない数)の人はそう思ってるよな

このタイプの人たちにやれ働けだ子供を作れだ言っても結局当人を(なんなら子供なども)不幸にするしかない

半端な政策宗教じみた根性論で罰してくるのはやめて、もういっそ何も考えず楽しく生きられるように感覚を変える処置発明してくれよと思っちゃう ロボトミー手術みたいに

2024-07-25

anond:20240725145841

私は専業してるからn=1ですね

そうやって根性論に終始したか日本は衰退したんだよ腐れ老害

男女均等雇用も実現できない癖にしゃしゃるなよゴミ

anond:20240725134441

個人意思決定力だけで社会が変わるなら少子化にはならないんだよハゲ

女性キャリアを積めない社会構造こそ、男性優位主義の最たるもの

そこを無視して根性論に終始させたがる昭和チン害こそ女性活躍の足を引っ張り、日本を衰退させる根幹

女性に負荷を押し付け低賃金でやり甲斐搾取すれば済むと思っているアグリーホモソジャプオスが偉そうにしゃしゃるな首を垂れて死ね

2024-07-11

ゲーム会社ってだいたいこういうこと言うけど

日本場合中途採用時は業界の経歴重視なのであまり信じないほうがいい

タイトル開発に関わったことがなければゲーム会社的な精神根性論に合わない可能性があると判定されること多い

2024-06-11

保護司殺害の話だけど、

殺人弁護士ようがないけど、療育手帳だの知的障害だのが本当だとしたら、ヤンキー根性論で更生するような保護司対応できるんだろうか?

かなり疑問があるんだけど

そもそもボランティアという時点でラーメンハゲの話同様に、なんだかんだ報酬がない仕事無責任になる

災害支援までいかなくて、町のイベントボランティアでもそうだけど、なんか親切の押し売りみたいな人が来て対応に困ることが多い印象あるし、

保護司やってる人は地元の名士とか多い印象があって、まあいいことしてるというのは事実なんだろうけど、

同様に親切を押し売りする人もいるんじゃないかなあとどうしても勘ぐってしま

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん