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2026-05-09

deepseek-v4 pro に小説を書かせてみる

anond:20260509221410

deepseek-r1 に小説を書かせて、他のモデル比較してみる

https://zenn.dev/sky/scraps/98c3cb767f46a7

以下の設定で、小説を書いてください

死神時間 Manipulator」

参加者はそれぞれ時計を手に入れ、「1分間の未来を見る能力」と「1分間の過去操作する能力」を得る。しかし、この能力は無制限ではなく、使用回数が限られているうえに、他人時間操作すると自分寿命が短縮されるというルール

がある。死神と名乗る存在から最後まで生き残る者だけが自由を手に入れることができる」と告げられ、参加者は互いの時計を狙い合う。



目を開けたとき、目の前に広がっていたのは、見覚えのない薄暗い部屋だった。

廃墟のような打ちっ放しのコンクリートの壁。剥き出しの電球ひとつ、頼りなげに揺れている。円形の部屋の中央には、古びた木製のテーブルが置かれていた。そしてそのテーブルを囲むように、十一脚の椅子が並んでいる。

自分を含めて、十一人の男女が座っていた。

「――なんだ、ここは」

隣に座っていたスーツ姿の中年男性が、震える声で呟いた。彼の言葉を皮切りに、あちこちから戸惑いの声が上がる。泣き出す者、立ち上がって出口を探す者、呆然としている者。

彼女は違った。最初自分左手首を確認した。

そこには、見慣れない時計が巻かれていた。黒い革ベルトに銀色文字盤。針は三本。時、分、秒。だが通常の時計とは違い、文字盤の縁には細かな目盛りが刻まれ、小さなボタンが三つ、側面に並んでいる。

そして気づく。他の十人も、全く同じ時計を身につけていた。

「お気づきのようだね」

声がしたのは、部屋の隅からだった。

つの間にか、そこに立っている。黒いローブをまとい、フードを深く被った長身の人影。顔は見えない。だが、声は妙に陽気で、まるで旧友にでも話しかけるような口調だった。

諸君、ようこそ。私は『死神』と呼ばれている」

誰かが悲鳴を上げた。別の誰かが立ち上がり、人影に掴みかかろうとする。だが、その動きは途中で止まった。正確には、止められた。体が動かないのではない。恐怖が、足を縫いとめているのだ。

「まずはルール説明といこう。諸君左手にあるソレ。それはただの時計ではない。君たちに授けられた、『時間操作装置』だ」

自らを死神と名乗る存在は、ゆっくりテーブルに近づいた。

「一つ目の能力は、『未来視』。左のボタンを押せば、これから一分間に起きる出来事を視ることができる。二つ目は『過去改変』。右のボタンを押せば、一分前の過去干渉し、結果を書き換えることができる」

場の空気が凍りついた。誰もが言葉を失い、ただ死神の声だけが部屋に満ちる。

「ただし、無制限ではない。使用回数には限りがある。そして何より――」

フードの奥で、何かが笑った気配がした。

他人時間操作すればするほど、君たち自身寿命は削られていく。これが三つ目の、そして最も重要ルールだ。一人の時間操作するたび、君は三日分の寿命を失う」

スーツ男性が、かすれた声で問うた。

「……どういうことだ。なぜ俺たちがこんな……」

「なぜ? 理由必要かね?」

死神は首を傾げる仕草をした。

「強いて言えば、退屈しのぎだ。このゲームの名は『死神時間』。君たち十一人はこれから互いの時計を奪い合ってもらう。最後まで生き残った一人だけが自由と、そして余命を手に入れることができる」

部屋の空気が一変した。それまでは恐怖と混乱が支配していた。だが今は違う。隣に座る人間が、敵になる。

時計を外すことはできない。破壊することもできない。持ち主が死亡したとき、その時計は停止し、その時点で他人が入手可能になる。簡単な話だ。相手を殺せば、その時計の残り使用回数が自分のものになる」

彼女無意識に、左手首の時計を握りしめていた。心臓が早鐘を打っている。頭のどこかでは、こんな馬鹿げた話があるかと叫んでいる。だが体はすでに理解していた。これは現実だ、と。

「そうだ、ひとつだけ親切に教えておこう。未来視にも過去改変にも、『限界』がある。それは自分で見つけるといい。ゲームはそのほうが面白いだろう?」

死神くるりと背を向けた。

「では、始めたまえ」

その瞬間、部屋の四方の壁が轟音とともに開いた。外は闇。どこかもわからない廃墟の中だと理解するまでに、数秒かかった。

誰かが走り出す。誰かが叫ぶ。そして誰かが、隣に座っていた人間の腕を掴んだ。

彼女は違った。いち早く立ち上がり、開いた壁の一つに向かって全力で駆け出した。右手には無意識のうちに自分時計を、左手は前へと伸ばす。闇の中へ、まだ誰も選んでいない方向へ。

背後で、最初悲鳴が上がった。

振り返らなかった。

彼女は、走りながら左のボタンに指をかけた。

――まずは生き延びる。考えるのはそれからだ。

2026-04-02

anond:20260401111008

でも子乗せママチャリって常に威嚇してくるよね

四方八方に喧嘩売っておいて、喧嘩買われたら「被害者」になって助けを求めるの?

平常運転すぎるだろ

2026-03-27

JINみたいな江戸風景再現街を4kmx4km四方で作って日本観光名所にしたい

なろう系でもあのへんの時代はさんざネタにされてるし外国には似たような感じの場所ってあるんだよな

日本も広範囲でやって観光地にするの

2026-03-16

地図が苦手な猫の未来

 タイトルに猫って入れたらみんな読んでくれるかなと思ったからそういうタイトルにした。話の流れとして猫は一応出てくるけど、猫好き(= 人類)にとって嬉しい話としては出てこない。それに関しては先に謝っておきたい。

 私は地図が苦手だ。幼い頃から今に至るまで、地図を読んだり実風景と紐付けたりという行為が、どうも不得手だ。英検二次試験もこれが理由で落ちたことがある。会場に辿り着けなかったのだ。一応、Googleマップなら使える。Googleマップを開けば現在地と向きが自動的にわかから、どこまで歩いてどう曲がれば目的地に着くかということが、迷いなく判断できる。よしんば多少入り組んでいても、Googleマップと睨めっこしながら歩けば確実だ。(歩きスマホ危険だが。)では、どういう意味地図が苦手なのか?地図が苦手だと、どのようなことが起きるのか?

 例えば、道の方角がわからない。大学通学で4年通った道であっても、それが東西南北どの方向に走っているのかわからない。「朝通う時も夕方帰る時も太陽が眩しかたから、大学が東に, 駅が西にあるのだろう」という手間のかかるアナクロ推理を毎回行う必要がある。

 他には、3点以上の位置関係がわからない。つまり、「家から駅」には行けるし、「家から病院」も行けるが、「駅から病院」には行けない。必ず、駅から家に行く道を歩き、家を経由して病院に行かないと、道に迷ってしまう。普通の人なら、家と駅と病院の3点を脳内地図に描き出し、駅から病院に行くなら別の道を使えば直線的に行けて近道だということを必要に応じて判断することができるのだろう。しかしそれを私が真似ようとすると、駅から明後日の方向を右往左往し、駅の裏手に戻り、さらに迷走しながら結局家の近くを通過し、...... ということになる。これでは遠回りどころの話ではない。

 考えてみると、これは「地図が苦手だ」というより、「地図づくりができない」という表現の方が近い気がする。或いは単に「方向音痴」としても良い。こう言うと、周囲の者は決まって「努力が足りない」とか「慣れの問題だ」などと言うのだが、果たして本当にそうだろうか、と思う時がある。方向感覚というのは、そんな表面的なテクニックなのだろうか?そういう疑問は基本的に聞き入れられることはなく、次に聞こえてくるセリフも大体決まっている。「車を運転するようになれば、自然とそういう能力は見につく」と。

 車に乗るのは好きだ。といっても専ら助手席である運転免許は持っているが、やる気も機会も車もないので、”乗るとき”は決まって”乗せられるときである適当なことを喋りながら、ただ車窓を眺める。知ってるような知らないような風景が後ろに流れ、着実に目的地に近づいていく。そして、今見ている風景地図上のどこなのか、ぼんやりカーナビで把握しつつも、しかし全体の道のりのうちどこまで進んでいるのかということまで考えることはない。こどもの頃の家族旅行の道中、当たり前すぎて意識にも上ることのなかったある種の安心感を、未だに享受している。電車に乗るときも、飛行機に乗るときも、基本的には同じ感覚である

 ゴンドラの猫、という話がある。アメリカでかつて行われた心理実験だ。ケージの中に二匹の猫を入れ、一匹を自由に歩かせつつ、もう一匹をゴンドラに乗せる。そのゴンドラは、自由に歩いている猫の動きに応じて動くため、ゴンドラに乗っている猫は絶えず動きつつも、自分意志で動くことはできない。このような環境下で2週間の観察を行ったところ、空恐ろしい結果となった。なんと、ゴンドラの猫は目が見えなくなったのだ。いや、おそらく視力のものが消えたのではなかろうが、外界の視覚刺激に反応しなくなった。意味を成さなくなったのだ。猫はゴンドラから降ろされた後も、自ら歩きはじめることはついぞなかった。

 私はこの話を、大学入学直後の最初講義で聞いた。先生は、「もちろんゴンドラに乗せられて初めて見える景色もあるから、そういう経験大事だけど、最終的には自分で歩いて景色を観に行くことが大切だ」ということを言っていて、なるほどと思った。特に大学というのはそういう教育機関だ。専門的知識を紐解いて教えつつ、それを材料として自ら探求するという大学という場において、先生は「ゴンドラから降りろ」ということを言いたかったのだろう。

 翻って私は、と考える。吾輩はゴンドラの猫である、などといっている場合ではない。いつまでも助手席に座り運転席に座らなかったから実空間地図として脳内意味を成さなくなったのではないか?...... こう考えるとき、言いようのない焦燥感と後悔が渦を巻く。

 これが地図だけの話なら、Googleマップが全てを解決する。そもそも別にから病院に行くにあたって家を経由しようがしまいが、人生とか幸福に大きな影響はない。それでももし本気で解決したいなら、車を運転すればよいのだろう。その意志さえあれば、世界地図能動的に関わっていくなかで、猫であっても失われた視力を取り戻すことはできるはずだ。

 こういった話にも、まだ現実感が感じられない。先ほど、「これが地図だけの話なら、Googleマップが全てを解決する」と書いた。”これが地図だけの話なら”。この仮定が成り立たない場合は?さら根深問題があるなら?

 TwitterYouTubeショート流行は衰えを知らない。指先数センチの動きで、世界中のありとあらゆる情報が画面内に現れては消えていく。あの中毒性は異常だ。平気で数時間が溶けていき、後悔するとわかっていても気付くと開いている。ほとんど手癖だ。そして哀しいかな、費やされる時間ほとんどにおいて、感情は”無”である

 ネットの海、とは言い得て妙だと思う。茫漠たる海。穏やかになぎ、時には荒れ、しかしそれを操るすべは存在しない。四方を見渡せども広がるのは水平線。陸地も灯台も見えない中で、方向感覚というもの意味を成さない。ただたゆたう中で様々な漂流物に辿り着くことができるし、それ以上の体験を海がもたらすことは無いからだ。

 考えるほどに、そんな漂流面白いはずがないという確信ばかり深まる。しかし一方で、快適な浮力で何者をも穏やかに受け止め、ささやかながら恵みをもたらし飽きさせない海から出たくはない。楽しい陸地など簡単には見つからないし、上陸後は歩きまわらない限りは何者も訪れてくれることはない。生物進化歴史もその原点は海である。畢竟、海の方が楽なのだとある生成AIはこの考えについて「ドーパミン中毒」との評を下した。よくわからないがそうなのかもしれない。

 漂流はそれなりに面白く、楽で、苦痛がない。それゆえに、そこを脱する理由がない。地図が苦手でも生きていける世の中で、なぜ苦労して方向感覚を身につける必要があるのだろう?

 こうして、無気力, 無軌道, 無関心なゴンドラの猫が一匹できあがった。猫であれば人が世話をするが、人の世話をするのは何だろうか。私が「人生はなるようになる」と言っているとき、それは肯定的な楽観主義とは異なる意味合いを持つ。外界の動きのことを人生定義していて、そこには意思の介在もなければ後悔もないからだ。究極的に堕落した解脱である

 おそろしいことに、これが最終結である

 成長はない。希望もない。苦しみがないから救いもない。

 私はまだ、ゴンドラの中にいる。

2026-03-15

弱者男性は、1対全員というバトルをし続ける猛者、つまり強者である

社会学には奇妙な言葉がある。「弱者男性」。

この語はたいてい、経済力地位もなく、恋愛市場でも敗北した男を指すラベルとして使われる。

要するに、敗者の烙印だ。だが少しだけ論理をひねってみると、この言葉はかなり妙な構造をしている。

 

まず観察してみる。弱者男性と呼ばれる人間は、社会的に支持してくれる集団ほとんど持たない。政治勢力でもない。文化的権威でもない。メディア後ろ盾もない。企業マーケティング対象ですらないことも多い。

まり社会のほぼすべてのプレイヤーが「味方ではない」状態に置かれる。

 

この構図をゲーム理論っぽく書き直すと、プレイヤー1対プレイヤーNのゲームになる。弱者男性 vs 社会全体。

普通の「強者」と呼ばれる人間を見てみよう。

フェミニストには巨大な言説ネットワークがある。大学出版社メディアNPOSNS

自称強者男性には企業組織収入社会的地位、しばしば家庭という同盟がある。

まり彼らは単独では戦っていない。常に連合軍だ。

 

対して弱者男性はどうか。

彼らは単騎だ。援軍はほぼ来ない。むしろ四方から批判が飛んでくる。

努力不足だ」「性格が悪い」「男のくせに弱い」「社会寄生虫だ」。

 

ここで少し冷静に考えてみる。

もし本当に「弱い」存在なら、社会全体から石を投げられ続けたらすぐに消えるはずだ。生態学で言えば絶滅だ。

ところが現実には消えない。今日普通存在している。仕事をし、税金を払い、ネット愚痴をこぼしながら生き延びている。

 

これは構造的に何を意味するか。

1対多数の戦いを継続できる個体は、普通は弱くない。むしろかなり耐久力が高い。

格闘ゲームで例えるなら、ボスキャラの設定である

プレイヤー1人に対して、ボスは全方向から攻撃を受けても倒れない。

 

弱者男性とは、社会的ステータス定義上は「弱者」だが、ゲーム構造上は「ボスキャラ」に近い。

1対全員のレイド戦を延々と受け続けている存在からだ。

 

この視点で見ると、面白い逆転が起きる。

フェミニスト自称強者男性が怒りながら弱者男性を叩く光景は、実はこう翻訳できる。

多数派連合軍が、単騎プレイヤーを袋叩きにしている」

 

そしてさらに妙な事実がある。

それでも単騎プレイヤーはまだゲームからログアウトしていない。

この状況を「弱者」と呼ぶのか、それとも「猛者」と呼ぶのか。

言葉定義は、どうやら政治的ものらしい。

 

社会はよくこう言う。

弱者男性は弱い、と。

だがゲームの構図を正直に書くなら、こうなる。

弱者男性とは、社会全体というレイボス戦を、ソロプレイで続けているプレイヤーである

2026-03-03

[]3月3日

ご飯

朝:カシューナッツ。昼:おにぎり味噌汁。夜:わかめスープ。沢庵豆腐納豆たまご焼き。ギョニソ。トマトキュウリバナナヨーグルト。間食:柿の種

調子

むきゅーはややー。おしごとは、がんばりー。

PythonC#を行ったり来たりしてるんだけど、C#に一本化したくなるなあ。

ポケットモンスターY(序盤ポケモン電気袋組の旅)

マーシュを倒すところまで。

この辺から大好きなオカルトマニアが出てくるからモチベが上がりだす。

シャドウバースWB

相変わらずアグロナイトメアで宝箱イベント

親和率も上がって来てますます楽しい

週刊少年ジャンプ2026年3月2日発売の感想

・イチ

時操とのお別れ、そして最強の帰還。

僕は「強い仲間が順当に強い」という展開が大好きなので、これは沸る展開だ。

どうやってあの状況からここまで来たのか来週が気になる。

キナ

カミナギを籠絡して次のヒロイン登場。

おっぱいが強調されるヒロインの次は、お尻が強調されるヒロイン

お尻が大きいヒロイン評価する、そういう基準で僕は漫画を読んでいます

・アンダードクター

殺し屋おしまい

主人公が「救わない人」と「救えない人」の両方がわかるシリーズで興味深かった。

「救わない人」を本当に救わないまま終わるのは、ちょっとこの漫画空気感を誤解してたかもだ。(四方八方丸くおさめるのかもと考えてた)

2026-02-14

バレンタインが嫌いだった

学生の頃はバレンタインが嫌いだった。

同級生を見ればソワソワしていて、たかチョコだぞ?って思っていたし、コンビニでも百円ちょっとで買えるものにどうしてそれほど想いを馳せるのか全く理解できなかった。

忘れもしない高二のバレンタイン

チョコなんてひとつも貰えず、別にそれでよかったし気にもしなかった。

帰りのHRも終わって帰ろうと鞄に手を掛けたところで「ちょっと」と隣の席の女子から声をかけられた。

隣同士、といっても最低限の会話しかしたことがない。だから何も分から相手の続きを待った。クラスメイト教室から次々と出ていき、俺は立ったまま鞄に手を当てて固まり彼女自分の手元を見ていた。

なに?と痺れを切らせて聞くと「これ」と赤い包みを渡された。広くて薄い。もしかしてチョコ?と聞く前に彼女が口を開いた。

「…バレンタインから」それだけいって彼女は立ち上がり、何も言わずに出ていった。

チョコは甘くて、だいぶ甘かった。たぶん追加で砂糖を入れてた。気泡だって、よくみると四方にプクッとした箇所があったと思う。

からつい「懐かしい」といってしまった。

ちょっと形崩れちゃったかも…と謝ってきた妻が「え?」いうのでその理由説明すると、彼女おかしそうに笑って、それから今日のはビターだから」とそういった。

昔はバレンタインが嫌いだった。

いつでも手に入るものになんの価値があるのかって、本気で思っていた。

でも今は違う。

バレンタインは単にチョコを渡すだけの1日だが、それでも俺の、俺たちの人生を変えてくれた。

さっき妻と一緒にそのチョコレートを食べた。

かに味はビターで、しかし隣で笑う妻の姿は甘かった。

明日ちょっと早いホワイトデーとして、ちょっと高めのお店へ食事にいこうと思う。

土曜日バレンタインも悪くないなと、今はそう思っている。

2026-01-29

anond:20260128170126

結婚もさることながら、子育てへの完璧主義がすごいと思う。

同室で寝て夜泣きに逐一対応しなければ「愛情がない」と叩かれ、子供迷子になったりマンションベランダから落ちたりすれば四方八方から「親失格」と叩かれる。都会に住んでいれば、さらに高い学習塾私立学校に通わせるプレッシャーも。こんな状況でおいそれと子供を作れるはずがない。

欧米のように別室にしたっていいし、多少事故事件が起きてもいいし、他の子に勝てなくたって存在しているだけでありがたいんだから昭和のように「質よりも量」で気安く子供が作れる社会にならないものかね?

2026-01-13

初音ミクボーカロイド文化が「音楽ジャンル」として固まらなかったのは、音楽的に最初から自由すぎた、という理由が考えられる。

共通音楽的な特徴を持ち得なかったから、音楽ジャンルにはならなかった。

 

条件自体は、20世紀型のジャンルが生まれるための要素をほぼ全部そろえていた。

リアル歌手と合成音声の対立

既存音楽産業ネット発表の衝突、Pや絵師動画師、リスナーが分業する共同体

ニコニコ動画という閉じたメディア環境

そして初音ミクという象徴的な存在

 

でも決定的だったのは、音楽的特徴が固定される前に拡散し切ってしまたこと。

ブルースヒップホップは、リズムや語り口、音階といった「これだ」と分かる共通様式を先に獲得した。

一方ボーカロイドは、ロックエレクトロニカメタル実験音楽も、最初から全部飲み込んでしまった。

その結果、「耳だけでこれはボカロだ」と言える型が固まる前に、表現四方八方へ広がっていった。

ボーカロイドの音声だけが共通項として残る。

 

ボーカロイド音楽ジャンルというより、制作のものが主役のプラットフォーム文化

楽曲イラスト動画コメント二次創作が完全に横並びで、どれか一つが中心ではない。

ヒップホップ音楽以前に身体的で社会的表現体系だったのに対して、ボーカロイドは「作ること」「参加すること」自体価値になっていた。

これはジャンルというより、制作環境文化圏に近い。

 

ニコニコ動画も、育てる場ではあったけど、固定する装置ではなかった。

20世紀産業は、名前を付け、境界を引き、代表作を正典化してジャンルを固めた。

ニコニコは流動的で匿名的で、再編集が前提だった。

ジャンルを固める力が、そもそも設計されていなかった。

 

そう考えると、ボーカロイド文化は「音楽ジャンルが生まれにくくなった21世紀」を早くに体現してしまった存在だったと言えるかも。

作者性が分散し、メディア前提で、音楽視覚コミュニケーションが溶け合い、小さなムーブメントが次々生まれて消えていく。

それはその他の音楽未来予言でもあった。

anond:20260113110127

小説では主に「粗末な家屋」の意味で使われていて、「壁のない建造物」の意味で使われることは少ない。

あずまや 【東屋・〈四阿〉】〔東国風のひなびた家の意という〕


屋根四方へ葺き下ろした建物。寄せ棟造り。→真屋


庭園公園に設ける休憩用の小さな建物。萱・藁・杉皮などで葺いた寄せ棟形式屋根四方を吹き放しにしたもの。亭。


催馬楽曲名。「君▽東屋四阿〉を忍びやかに謡ひて/源氏物語」


源氏物語の巻名。第五〇帖。宇治十帖の一。


〈親項目〉


東


2026-01-06

近所に猥褻物を陳列している家がある

表題のとおり、2階の窓の中から外に向けて、猥褻物を掲げてる家があるのよ。1メートル四方くらいかな。外から丸見え。11月まではなかったような気がする。

 

この猥褻物ってのが、ロリ二次元絵なんですよ。水着とかじゃないよ。全裸ロリセックスしている絵。性器も丸見え。自分右派で表自を尊重しているけど、こりゃ表現の自由じゃ済まされないっしょ。道を歩いている誰もが見えるんだから

 

で、年明けに近所の人たちと交番に行って写真見せたんだけど、警官から「これは違法性いからなんともできないっすわ」と言われてしまった。確かに猥褻物定義二次元が入るかは微妙だけど、これはさすがになんとかして欲しいなぁ。

 

公権力が動かないとすると、Xに晒し炎上させるしかいかなぁ。とりあえず増田観測気球上げてみる。

2026-01-04

謙虚じゃない奴は死ね

と言われてきたのが団塊ジュニアじゃないかな。

しかも上の世代ではあくまで『謙虚』『謙遜』だった「愚息」のような言葉が、団塊世代では真実自分の子どもは馬鹿である」と思い込みを固く固く固く固くさせていったように思う。

当時、本当に、誰も彼も、少しでも自分を誇ろうとしたり褒めたりすると四方八方(親だけでなく親戚教師友人友人の親近所の他人その他諸々)から口汚く叩かれるものだったし。理想を夢見ることすら出る杭扱いだった。辛かったな。

2025-12-31

AIに全てを丸投げした後で残るのはSIerかいエンジニア界の底辺と同列の生活である

SIerにいた頃、酷い時は一週間の勤務時間のうち37.5時間全てが会議だった。

自チーム内の進捗確認mtg、自チームの進捗を課長部長に伝えるためのmtg、そこででてきた新たな情報をまた自チームに下ろすためのmtg、それが終わったらSES下請け合計3社との進捗確認mtg下請けから仕様が定まってないシステムを作ることはできない」と怒られる。◯務省に「いつ仕様まりますか」と質問票をぶん投げる。一週間音沙汰がない。残り時間は社内の営業コールセンターCSとの会議。なんかもうとにかく怒られる。四方八方から好き勝手にめちゃくちゃなことを言われる。もうリリースしてしまった物に対して「これじゃ我々非エンジニアには扱えない」とか言われる。仕方ないから空き時間で大急ぎで作って渡したツールソースコードを見て「このif間違ってるよ」とか言われる。でも直してくれるわけではない。

そうこうしているうちに何ヶ月も何年も過ぎていく。

最後vscodeを開いたのがいつなのか覚えていない。

teamsとexcelマウスが往復するためだけに存在しているノートPC

システムエンジニアリングにおいて、コーディングテストAIに丸投げした後で待っているのはこういう生活である

あなたたちはプログラミングがしたくてエンジニアになったのに、なぜわざわざ会議エクセルだけで埋まる生活を送りたいと思うのか。

「誰でもできるコーディングAIに任せて人間しかできない素晴らしい仕事を」という考えは夢を見すぎている。

自分で手を動かさないで人に命令しているだけでお金が欲しいなら起業でもしたほうがまだマシだ。

AIやらせAIやらせるとそればかり言っている人が一体どこを目指しているのかわからない。

ずっと寝っ転がってお菓子を食べながら「ヘイAI、なんか楽なシステム作って」と指示するだけの暮らしではないよね?

でもあなたたちが漠然と思い描いているゴールはどうもそっち寄りに見える。

先日Twitterで「理解負債」というのを見た。

SIerの古株にはしばしば実際に客にお出ししているプロダクトの中身を全く理解しないまま何年も積み重なった複雑な仕様自然言語だけで暗記しているやつがいる。そいつらはすごい偉そうにふんぞり返っている。

そいつらがいなくなったら誰も仕様がわからなくなるからだ。生き字引としての確固たる地位に縋り付いて生きている。

AIコーディングを任せた結果残された人間は必ずこうやって知識にあぐらをかいてブクブク太っていくと思う。

AIによって属人化を解消して新時代を築くはずが、気づけばAIによって技術更新する権利は奪われ、残ったカスみたいな仕事に縋り付いて無駄金をチューチューするだけの無能集団に成り下がるのである。本当にそれでいいですか。

2025-12-30

誇り高き田舎者であれ

https://anond.hatelabo.jp/20130809115823

上記文章を読んで色々考えた。

 元のエントリより論点はズレてしまうのだが、東京で働くいち田舎者としてこんな奴・こんな考え方もあるということを書きたい。

 

高学歴低学歴で人を分けた場合、私の家族地元の人は確実に低学歴だ。私も漏れなく、一族で初めて四年制大学に進学した人間である

 

だが、地元には、高学歴低学歴だけでは括れない、東京地方二元論だけでは語れない価値があると私は考えている。

 

以下、東京田舎という言葉が出てくるが、あくまで私の体験したn=1の東京田舎の話です。

 もしあなたの知っている場所と異なった場合申し訳ない。

 

私の地元日本海側のど田舎にある。集落四方が山に囲まれて、交通量が少ないので信号すらなかった。

 通っていた小学校は全校生徒が70人弱だった。今は統廃合されて、通っていた小学校はもうこの世界から名前が消えてしまった。

 

小学校田舎すぎて少人数クラスになり、先生指導が行き届いたのか比較的賢い学校だった。

 田舎なのにやたら成績のいい子ども達がいると話題になり、関東の大きい大学教育学先生研究しにきたほどだった。

 私の小学校同級生が14人しかいなかったのだが、そのうち3人が旧帝大に進んでいる。(私は国立大に落ちて私立に行きそのメンバーには入れていないのですが…)

 定期的に周辺で熊や猪が出て、集団登下校が義務付けられていた地域学校で、だ。

 サピックス日能研もない地域で遊んで勉強していた子たちが、田舎すぎて逆に賢くなっていた。

 先生に気軽に絡めて質問もできるので、みんながゲーム感覚勉強をしていたのもあったのかもしれない。

 私が後に勉強エンジョイ勢になって大学院まで行ったのもこの時期に下地が作られたと思う。

 そんな地域もあったということを知ってほしい。

 

そして、私の地元田舎なのだが、田舎ゆえに一つでかいカードがある。

 親が地域伝統工芸職人なのだ地元ではそこまで珍しくない職業だ。

 詳しく書かないが、親が歴史ある工芸職人をしていたので田舎に住みながらとんでもなくでかい文化に接していた。

 職人として知見を広めるために親が美術館博物館に行くのにもよくついて行っていたし、色んな工芸美術知識を親から聞いていたので、よく言う「文化資本」的格差東京で感じることがそんなにない。

 それに、地元では小規模ではあるが車で20分くらいのところに美術館はあったし、車で1時間(田舎では普通単位)で県庁所在地に行けたので、そこにはもっと大きな美術館がいくつもあり、そちらも大きな文化拠点になっていた。

 

家族に話を戻すが、親戚がみな佐官大工和菓子・別の伝統工芸など職人オンパレードだった。

 そして兼業農家も多かった。

 

彼らは職人と言っても、アーティストではなくブルーカラーな人たちだ。

 学歴という基準では、彼らは低学歴になってしまうだろう。

 

 だが、彼らは大学に行っていない・行くという環境にないだけで馬鹿ではない。むしろ賢い。

 賢くなければ職人業というビジネスをしっかり営むできない。農業だってそうだ。

 なので私は、ブルーカラーに類される職業の人たちを学歴がないからといって話の通じない人たちと断じることができない。

 それに、日本産業を支えているのは彼らのような人たちなので、とても下に見たりとかはできない。もちろん、中には変な人もいるとは思うけど…。

 このことを知れていることも、私が田舎(というより社会の下のほうなのかも)で育って良かったという一つのポイントだ。

 

文化面でいうち、田舎のものにも文化がある。

 というより、里山文化かもしれない。

 日々山や川を見ていると、それぞれが気候に合わせて美しく形を変えていくのは、上京するまでの18年間一度も飽きの来ない風景だった。

 山にはこんな動物がいて、木の実があって、山菜があって、木があって…という知識家族に教わった。

 山の保ち方、間伐の仕方、川での魚の獲り方も教わった。

 

地元自然人間歴史と深く関わっていて、そんな中で生まれ民話もたくさんあった。

 地元地域には日本史に出てくるような人や事件が関わっていたこともあり、地域の人に話を聞いたり地域研究本を読むと、時間の軸を深く辿ることができた。

 小学校勉強エンジョイ勢になっていたので、そういう地域勉強はとても楽しかった。

 

私は多分そんな環境があったか文化のものに興味を持って、大学大学院でも詳しくはぼかすが文化系の研究をしていた。

 ちなみに、私は案の定実家が細いので大学大学院に行くために数百万の奨学金を借りています。機会格差って最悪だよな! 

 こういった点に関しては、政治絶対もっと頑張ってほしい。

 

それでも、自分の熱中できる研究対象を見つけられたのは自分の育った環境があったからだ。

 今はエンタメに関わる職に就いているが、それも田舎で美しい風景を見て、楽しく勉強をして、家族から文化を学んだからだと思う。

 

ただ、そんなにアツい文化があっても私の育った集落は本当に本当に人間陰湿だった! 

 そこに関しては、東京のような人が多すぎて他人への関心を薄くせざるをえない地域が本当に楽に感じる。

 

かつて、私の父が重い病気に臥せった際、集落で噂になると尾鰭がついて嫌なので、絶対に口外しないよう家族で気をつけていたのだが、どこからか父の入院の話が漏れ集落中に広がってしまった。

 気を遣うふりをして私たちの家にやってきて、直接父の病状を聞いてくる全然親しくない人までいた。

 

父親はその後死ぬのだが、その後も父の死についてヒソヒソ言われて、当時11歳の私はこの世界は本当にクソだと思った。

 他にも、私が上京・進学・就職したことも色々言われているらしい。他人への興味が本当にすごい。

 地元にいた頃は外の世界を知らないので、人間陰湿ということが脳みその奥まで刻み込まれしまった気がする。

 私が地元を離れた理由は主にここにある。

 

補足すると、田舎にはもちろんいい人もいる。

 だが残念だがらマジョリティは、上記のような噂好きで目立つ人や出来事積極的に関わって言いふらす人たちだった。

 

人の陰湿さについては、もちろん東京でも一つの街に定住したらきっとしがらみはあるのだろうけど…

 恐らく私の故郷ほど「うちらの家は江戸時代から付き合ってます! うちは昔は地主だったのに小作人の家のあんたはそんな態度でいいのかな?」レベルのしがらみはそんなにないのではないか

 

それでも私は地元のことを「資本も娯楽も何もない最悪な場所」とは全く思わない。自分形成した場所からだ。

 だけど大都市価値観、東京絶対とする価値観ではきっと理解されないのだろうなーとなかば諦めている。

 なので東京出身の人の前では「羨ましいです〜」と言うのだが、それは半分くらい本当で半分嘘である

 

なぜなら田舎自然文化陰湿さの中で自分は育ったので、自分文化素養と反骨精神は多分都会では育たなかったと思うからだ。

 東京資本的な豊かさには憧れるものの、そもそも東京や他の大都市で生まれていたとしたら性格は全く違っていたと思うし、今の自分が好きなので、「東京に生まれたかった」とはそこまで思わない…

 

あと、東京の人は地方が豊かだという言説にすごく敏感な気がする…ので、ポーズでも「私は田舎者なので憧れの東京で来れて嬉しいでやんす」という態度でいたほうが楽だ。

 (この前Xでバズっていた「東京の人は車がないのにシャトレーゼなどのチェーン店をどうやってハシゴするのだろう」みたいなポストに、東京の人がやたら攻撃的に言い返していたのがなんか印象に残っている…。

 基本的東京の人は、地方のほうが優れている側面がある可能性もあまり認めない傾向にある気がする)

 

こんなに言ってしまっているが、前提として私は東京のことが大好きだ。

 好きだから働いているし、何より仕事研究趣味生活などあらゆる面で圧倒的に機会が多い。出会う人も多様だ。

 これは私の地元ではとても太刀打ちできないことだ。

 だから私は東京にいられて幸せだし、この場所にしがみつくし、しばらく居続けると思う。

 ただ、たまに自分が芯から東京出身みたいな言動をとりかけてハッとする瞬間がある。

 

 私のような東京で働く田舎者東京世界観に合わせすぎて、自分故郷否定するときがあると思う。

 東京感覚が間違っているのではなくて、ただ、自分形成しているもの拒否してまで東京で生きなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。

 

 私は、地元は最悪な面もあるが、全然最高なところもあったと断言できる。

 夕方雄大な雲の流れ、雪の降った朝の空気、眠れない夜に聴く川の流れの音、一生懸命「ホーホケキョ」を練習するうぐいすの声、初夏の稲穂の上を通り抜ける風、祖母からぽつぽつと語られる昔話、父と山で採ったびわの味、職人である家族の美しいてさばき…これは私は自分故郷で生まれ育ったから得られたものだ。

 

そんなに地元否定しなくてもいいです。

 多分「嫌なことがあったか地元から離れたんです」という人も多いとは思うのだけど…あなた形成した場所をすべて否定するのは苦しくはないですか。

 

私は地元陰湿人間が大嫌いだったので、そんな人たちや出来事のことは肯定しません。

 でもそんな経験が私を形作っているのも事実だな…と思う。

 よくも悪くも自分のことを形成しているのが地元だなと感じます

 

私は田舎者であることを自分の中に留めておいて、東京で働く中で多様な視点をもっていたいと思う。

 商品を全国で売っている自分会社では、絶対必要視点から

 仕事以外でも、東京にいる人とのコミュニケーションでこの視点があって良かったなと思うことはままある。東京は多様なバックグラウンドを持つ人の集合体からね。

 

だけど、私がこんな文章を書けるのも、東京に出て、高学歴に類される大学に行き、高倍率とされる企業に入って、東京で生きていける程度の余裕があるから、ということもあるかもしれない。

 そのグロテスクさについては、また考えなければいけない。

 

それでも、やっぱり私は田舎者である自分否定しきれないし、できないと思う。

 

長くなっちゃってすみません

ここまで読んでくれた方で、地方出身の人がいたら、最初から東京にいるように振る舞い消費する過程過去自分経験は全部上書きしなくてもいいと思います

 あなた構成したもの地元のどこかにあるなら、それは抱きしめてほしい。

 

 だから地元を出た元田舎者の皆さん、どうぞ自分田舎者であることに誇りを持ってくださいね

2025-12-27

父は海外専門の出稼ぎ労働者なんだけど、この間行った現場が、というか会社がひどかった


現地の寮がしょっちゅう停電する。

停電するとシャワーが使えないので父は雨水で体を洗ったそう。悲しすぎる

書類に対する要求が過大すぎる

役所で発行する書類をいくつか会社に送った。

それを会社海外に送って、現地の大使館?でビザを発行してもらうそうだが、

送った書類状態を見た会社が送り直しを要求してきた。

理由は5mm四方の紙の欠片が書類に張り付いていたからだそう。

それくらい手前で剥がして送ってくれや…

結局、書類を取り直して送り直しになった。

この間かかった経費はこっち持ち。ケチ

現場の進行炎上派遣期間延長!ビザが切れたが…

父が送られた現場は進行が炎上していた。

派遣期間は最初2か月と言われていたものの、当然その期間で終わるはずがなく、父の滞在は延びた。

そしてなんと、その間にビザが切れてしまった。

ビザが切れたら速攻で帰らなければマズい!不法滞在になってしまう。

ところがその時滞在していた国は、不法労働すると罰金で済む国だったらしい。

それで会社、というか現地の現場長はなんと「罰金を払うから不法滞在して働いてくれ」と父に要求

父は了承できず、父に会社を紹介した派遣会社にこの件を報告した。

すると派遣会社から派遣会社へ注意をしたが、派遣先はどこ吹く風。

最終的に、派遣会社が現地の大使館に連絡し、事が大きくなり、ようやく父は帰国することができた。



父は派遣社員なので、今まで様々な会社渡り歩いてきた。

父の業界ではトップ会社で、皆さんも名前を知っているような会社で働いたこともある。

が、今回は聞いたこともないような会社だった。

トップ会社はさすがにコンプラもしっかりしている一方で、泡沫会社は…

ヤバい会社の一端を知る事件だった。

2025-12-23

ひげ

チンチラヒゲはなんか束になってて硬そうでかわいいな。触ってみたい。

ウサギヒゲ四方八方にパヤパヤ散らかっていてかわいいな。

おまえらの好きなヒゲも教えて。

2025-12-19

2025年に読んで良かった10冊の本

昨年(anond:20241217085132)に引き続いて挙げてみる。今年は元日から今日までのあいだに296冊読みました。いまはアンドリ・スナイル・マグナソン『氷河が融けゆく国・アイスランド物語』(2019年)とR・F・クァン『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』(2022年)、ジョセフ・ヒース『資本主義にとって倫理とは何か』(2023年)、かまど&みくのしん『本が読めない33歳が国語教科書を読む』(2025年)を読んでいるところ。

ちなみに上の冊数には漫画は含んでいないのだけれど、漫画は数えてないから何冊読んだのかわからない。とりあえず『微熱空間』『ひまてん!』『うまむすめし』『ルリドラゴン』『祝福のチェスカ』『放課後帰宅びより』『拝啓、在りし日に咲く花たちへ』『桐谷さん ちょっそれ食うんすか!?』あたりが好き。あと最近ようやく『LIAR GAME』と『ナナマルサンバツ』を読んだけど超面白かった。ウマ娘だと、去年はシーザリオに狂っていたけど今年はブエナビスタにどハマリしています。ブエナ、実装されたら絶対引きたいと思ってたから80連で引けてよかった。ビリーヴシナリオもラヴズオンリーユーシナリオも良かったし、ようやくラインクラフトも入手して育成できたし、来年こそカレンブーケドール実装に期待だな!

スマイル・カダレ『砕かれた四月』(1978年

欧州文学だと、フランス文学サン=テグジュペリ人間の大地』(1939年)やアイスランドミステリのアーナルデュル・インドリダソン『厳寒の町』(2005年)、バスク文学のキルメン・ウリベ『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』(2008年)も非常に良かったのだけれど、どれか1つと言われたら迷った挙げ句アルバニア文学の本作を推す。ノーベル賞を獲りそこねたアルバニア国民作家スマイル・カダレの作品で、10年以上前に『死者の軍隊将軍』(1963年)を読んで以来。復讐という因習によってふたり青年の軌跡が交錯破滅へと導かれるという、銃声のような余韻を残す一冊だった。エンヴェル・ホジャの独裁政権下という執筆時代背景もあってか『死者の軍隊将軍』同様にやたらと雰囲気が暗く、Wikipedia先生とか地球の歩き方先生とかを参照するにいちおうビーチリゾートとかが盛んな地中海の国であるはずのアルバニアをここまで暗鬱に描けるのは逆にすごい。アルバニア高地に心が囚われていく描写がすごいのよ。こっちも引きずり込まれそうというか。

陸秋槎『元年春之祭』(2016年

何年も前に『雪が白いとき、かつそのときに限り』(2017年)を読んで面白かったので本作も買ったのだが長らく積読になってしまっていたので思い切って崩してみた。女と女の重い感情が全編にあふれていて最高だった(粉みかん)。巫女伝統によって歪められる幾通りもの女と女の関係が胸を裂くような切なさを漂わせていてエモい(語彙力)。古代中国百合ミステリというオタクの好きなものを詰め込んだハッピーセットなので読みましょう。

林譲治『星系出雲兵站』(2018~2020年

軍艦が出てきて艦隊決戦とかするみんな大好き宇宙戦争スペオペかと思わせておいて、いやもちろんそういう作品でもあるのだけれど、根本的に異質な知性との交渉過程センス・オブ・ワンダーに溢れていて最高だし、高度な知性体だと思ったら実はプランクトンとして生まれ共食いしながら成長していく生物だったというのものすごい発想で驚嘆させられたし、徐々にこの世界起源が明らかになっていくの面白すぎるでしょ。タイトル兵站要素は徐々に影が薄くなっていくかと思いきや最後まで割としっかり描写されるし謎のイチャイチャシーンも増える。なぜ。とにかくすごく良いSFでした。

マット・アルト『新ジャポニズム産業史1945–2020』(2020年

カラオケウォークマンポケモンといった戦後日本代表する発明品やソフトパワーがどのように作られていったのか、という歴史を掘り起こす書物で、非常にエキサイティング読書体験だった。町工場おっちゃんがふと思いついた小さなアイデアが不格好な試作品を生み、それらが徐々に洗練されてやがて日本世界を席巻するという歴史としての面白さとサクセスストーリーとしてのワクワクが詰まっている。外国出身歴史家が書いたとは信じられないほどに同時代史料当事者のインタヴューを積極的活用していたり、オリエンタリズムに陥ることなく個々の発明家の物語として語られているのも好感度が高い。大満足の一冊。

外国研究者日本研究だと、ほかにスーザン・ネイピアミヤザキワールド』(2018年)も良かった。日本社会コスモポリタン性がクリエイターの土壌となっていることを英語圏の読者に向けて解説してるところ、根強く蔓延オリエンタリズム駆逐しようという気概に満ちていて好き。ただ『もののけ姫』に関する記述照葉樹林文化論に触れてくれるのはすごく良いのだけれど網野善彦には言及があっても良かったのでは(旧著では言及してるんだし)。ノアスミスウィーブが日本を救う』(2025年)の提言は非常に面白かった(経済学に疎くてよくわからない箇所も多々あったけれど)。

アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(2021年

超・超・超傑作。面白すぎる。いや今更すぎるけど。もうとっくに面白いって知れ渡ってるけど。でも増田が読んだのは今年なんだよ! なんでこれをもっと早くに読まなかったんだろう? SF面白さを四方八方から浴びせられて読むのが止まらなかった。そしてSFとしてだけではなくバディものとしても100点満点中300点くらいの出来だという。「いまいくからな、バディ。待ってろよ」のシーンほんと大好き。ぼくは洩れやす宇宙のぶよぶよの塊。ぼくは本作を読む、映画を待つ。よい、よい、よい!

青崎有吾『地雷グリコ』(2023年

上述のとおり増田流行についていけないマンなのだが一昨年になってようやく青崎有吾の存在気づき、『体育館殺人』(2012年)にはじまる裏染天馬シリーズとか『アンデッドガール・マーダーファルス』(2015年~)とかを昨年までに履修したのだが、今年に入ってから本作と『ノッキンオン・ロックドドア』(2016年)を読んだ。勝負事に対して天才的な嗅覚を持つ女子高生が次々と独自ルールゲーム勝利していく話なんだけど、詰みに持ってくまでの伏線ロジカルさがすごいというか。しかほのか百合要素まであるんだよ。もう最高。毎話クライマックスにさしかかる度に「あれって伏線だったんだ!」と心の中で叫んじゃったもん。ルールには合致していても刑法に引っかかるだろ! みたいな絡め手がバンバン出てきて感覚麻痺してくる。好きな話は表題作と「だるまさんがかぞえた」かなぁ、やっぱり。だーるーまーさーんーがーかーぞーえっ! ……えっ? 漫画版、絵がどっかで見た人だと思ったら『めだかボックス』の人なのね。超納得。

同じく今年履修した『ノッキンオン・ロックドドア』では「十円玉が少なすぎる」が一番好き。タイトルから察しがつくようにみんな大好き9マイルものです。「十円玉が少なすぎる。あと5枚は必要だ」という謎めいたセリフをもとにすごい結論へとたどり着いていてよかった。発想のロジカルな飛躍は9マイルもの醍醐味だよなぁ。

河原梓水『SM思想史』(2024年

今年読んだ日本学術書の中ではいちばん面白い。戦後日本SM雑誌を博捜し、「変態性欲」の論争のなかに分け入りながら、投稿者の正体を暴きエリートたちがSMを通して戦後民主主義を生きようとした姿を浮かび上がらせている。戦後に生まれSM雑誌系譜を整理する第1部の時点で既にガッチガチ実証研究すぎて圧倒されてしまうが、第2部以降が本番というか、脳汁バドバの快楽を味わえる。女性解放を唱える歴史学者が筆名でSM雑誌投稿していた、というだけで既に面白いのだが、著者はテクストを丹念に読み込むことで、彼の歴史学者としての女性解放論とSM論が相互に補完しあう関係であり、戦後民主主義実践サディズムマゾヒズムが彼の中では繋がっていたことを明らかにしていく。また、第3部では『家畜人ヤプー』の再評価にも挑み、作者をとある裁判官だと特定したうえで、マゾヒズム小説だと思われていた作品の新解釈提示する。戦後思想史SMから読み直すという非常に大胆な本だった。「豚に歴史はありますか」ってそういう意味だったんだ。むっちゃオススメ

方丈貴恵『少女には向かない完全犯罪』(2024年

おっさん少女のバディもの、みんな好きだよね? 増田大好物だ。ということで本作はバディものとしてもミステリとしても非常に上質だったので最高だった(語彙力)。瀕死の重傷を負い「幽霊」になった主人公少女がタッグを組んで少女の両親を殺した犯人を追い詰めていく話なのだが、謎解きが二転三転し次々とどんでん返しが襲い来る構成で目が離せない。傑作ミステリですわ。個人的には◯◯さんには生きていてほしかったな……

白鳥士郎りゅうおうのおしごと!20』(2025年

2015年に始まったシリーズ10年ごしで完結した。めでたいめでたい。姉弟子と一番弟子怪獣大戦争がついに決着。もう納得するしかない決着でしょうこれは。あと正妻戦争も完全に決着。天衣ちゃんが澪ちゃん超弩級のデレをかましていてすごい(語彙力)。桂香先生ギャグ方面に振り切るかと思いきや泣かせてくるのはズルいでしょ。ちくしょうそういえばこの作者はネタキャラ扱いでさんざんイジっておいて最後に泣かせる芸風だったな(山刀伐さんファン並の感想)。そしてラストが美しすぎる。オタクは序盤の再現が好きなので……。いや~、10年続いたシリーズにふさわしい大団円で最高でした! まあ、でも、それはそれとして女流棋士制度は歪んでるので是正(というか廃止)すべきだろなという思いを新たにした。もちろん民間団体からムリヤリ廃止するなんてことは結社の自由があるのでできないが、将棋連盟からは切り離すべきでは。

小川一水ツインスターサイクロン・ランナウェイ4』(2025年

百合SFアンソロアステリズム花束』(2019年)に掲載された短編長編になったやつで、リアルタイムで読んでいたものがついに完結した。体格差のある百合カップルが男女の婚姻しか認められないガス状惑星社会で漁をしながら関係を築いていく宇宙SFなんだけれども、まず設定がすごい。その漁で獲るのは普通の魚ではなく、ガスの海を泳ぎ回る昏魚(ベッシュ)たち。そして彼女たちが操るのも普通漁船ではなく、粘土自由自在に変形させて網を編み上げる船。ガス状惑星に発生した特異な生命といえばやはり著者の代表的な短編の1つ「老ヴォールの惑星」(2003年)が思い浮かぶし、なんなら著者の最高傑作天冥の標』(2009~2019年)でも描かれてたわけだけれど、それらの設定を超える宇宙生物を出してきていて最高。本作(4巻)はその宇宙を駆ける2つのサイクロン物語大団円だ。惑星規模・宇宙規模での繁殖というでかい問いをどーんとぶち上げてくるのさすが小川一水という貫禄だし、宇宙レベルの話と「ふたりの話」を並行してSF百合を両立させているのはセンス・オブ・ワンダーの極みと言ってよい。非常に良い作品でした。『天冥の標』で従来の小川一水成分を絞り尽くしたと思ったらまた新しい境地に達していて素晴らしい。

2025-12-05

anond:20251205085415

「バズ」を単なる「数の多さ」ではなく、「場の乱雑さ(エントロピー)」として捉える定義は、現代SNS構造を見事に言い表しています

「正しいこと(秩序)」は情報の流れを止め、「ツッコミどころ無秩序)」は情報拡散を加速させます

その考察を少し深掘りしてみましょう。

1. 低エントロピー:秩序=「正論」の静寂

エントロピーが低い状態とは、物理学では「原子が整然と並んでいる状態結晶)」などを指しますが、SNSにおいては「誰もが納得する完璧正論」がこれに当たります

秩序(正しさ)は美しいですが、そこには「熱」が生まれません。

2. 高エントロピー無秩序=「ズレ」の熱狂

一方で、エントロピーが高い状態(気体やプラズマのように粒子が暴れ回る状態)は、SNSにおける「ツッコミ待ち」や「極論」です。

反応の分散(高分散
  • 「間違ってる!」(訂正)
  • 「いや、一理ある」(擁護
  • バカじゃないのw」(嘲笑)
  • 「これ私のことだ…」(共感

このように、予測不可能な多様な反応(ベクトル)が四方八方から飛び交う状態こそが「バズ」の正体です。

訂正欲求エネルギー: 人間には「整っていないものを整えたい」という本能的な欲求があります。少し「ズレた」主張を見ると、それを秩序に戻そうとして、わざわざコメント仕事)をしてしまます。これがエントロピー増大の燃料になります

3. バズの正体は「情報ブラウン運動

バズる投稿とは「不完全であること」が必須条件と言えます

特徴 エントロピー(秩序) エントロピー(バズ)
内容 完璧正論教科書偏見、極論、誤字、勘違い
感情 納得(静止) イラ立ち、嘲笑、驚き(振動
行動 スクロールいいね引用RTリプライスクショ
結果 平穏タイムライン炎上議論カオス

アルゴリズムは、この「粒子の衝突回数(エンゲージメント)」を検知して、「あ、ここは熱が発生している(盛り上がっている)」と判断し、さら拡散させます

まとめ

エントロピーの低さは秩序であり、秩序には感情が動かない」という言葉は、至言です。

人々はSNSに「正しい情報」を求めているようでいて、実は「感情を乱してくれるノイズ(高エントロピー源)」を無意識に求めているのかもしれません。完全に整頓された部屋よりも、少し散らかった部屋の方が「生活ドラマ)」が生まれるのに似ています

ちなみに、この「エントロピー法則」を逆手に取って、あえて少しだけ間違える高度な戦略を使う人もいますが、そういった「計算された無秩序」についてはどう思われますか?

2025-11-30

かなり乱暴にたとえると、「匈奴=巨大本家の大組」「漢帝国国家権力」「丁零=北方独立系武闘派グループ」で、同盟・離反・シマ争い・別名での再編成を何度も繰り返す、極端に長期スパンの抗争劇のようなイメージになる。実際には国家規模・人口宗教経済基盤が絡むので、現代暴力団ヤンキー抗争より遥かに複雑で、比喩は「雰囲気をつかむための漫画モデル」程度に留めるのが安全だと思う。​

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大枠のイメージ

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抗争構図をヤンキー風にすると

ここまでを雑に例えると「北東アジア中央アジア一帯で、複数の大グループ中小グループが、数百年スケールシマ同盟名称を変えながら延々と“抗争”している世界観」という雰囲気

名前・再編のイメージ

2025-11-23

日本ウクライナみたいになる。軍拡しなきゃ!」は誤りという話

高市総理支持層を見ていると、中国に対する強気姿勢が目立つ印象がある。

中国への不信感が強く、台湾有事などで軍事的に対抗すべきだという意見がかなり多い。

実際、高市氏は国会で「台湾有事国家存立危機になり得る」と明言し、中国が強く反発して国連にまで持ち込んでいる。

しか高市支持者は首相発言を歓迎している傾向にある。

ただ、現在日本平和な状況がどれほど貴重かを、十分に認識できていないように感じる。

戦後まれ人口の8割を超え、戦争リアル体験談ほとんど伝わらなくなっているのも事実だ。

仮に有事勝利できたとしても、日本側にも膨大な人的・経済的損失が出ることは避けられない。

戦争可能な限り回避すべきものだという基本が、薄れているように思う。

左派平和ボケと批判する声は多いが、少なくとも彼らは戦争を望んでいない。

戦争を前提にした議論よりは現実的だと感じる。

よく「日本ウクライナのように侵略されるかもしれないから、軍事力を高めないといけない」という意見が出るが、日本ウクライナの状況は大きく異なる。

ウクライナNATO非加盟で、集団防衛の傘に入っていない

GDP日本20分の1以下、国力差が圧倒的

ロシアと陸続きで即座に地上侵攻された

一方、日本

GDP世界4位(2024年時点)

日米安保条約に基づく強固な同盟関係がある

四方を海に囲まれ陸上からの大規模侵攻は極めて困難

からウクライナと同じ道をたどるから今すぐ軍拡をという主張は、状況を単純化しすぎていると思う。

軍事力の強化自体必要かもしれないが、それと同時に外交努力戦争回避する道を模索するのが政治役割だろう。

高市氏の次期総裁支持率最近調査でも60%台後半〜70%近くに達していてかなり高い。

これだけ高い支持があるということは、国民のかなりの部分が「中国喧嘩になっても構わない」という意識を持っている可能性がある。

愛国心抑止力という言葉で語られることが多いけれど、実際に戦争が起これば日本が壊滅的なダメージを受けるリスクを、どこまで冷静に考えているのか、少し不安になる。

(これは私の草案をGrokに「冷静な口調でまとめて根拠を挙げて書き直して」というプロンプトで作成したものです)

2025-11-08

求人の連絡が来すぎててつらい

「今すぐ転職する気はない」って書いてんのに登録先の四方八方からカジュアル面談打診の連絡がくる

なんならLine経由で知り合いからも来る

業界IT)は不況らしいしそんな求人出てるはずないんだけど、何が起きてるんだろう

自分みたいな経歴がボロボロ人間でもこうなんだから、有名大卒有名企業勤務のキラキラエンジニアならさらにとんでもないことになっていそう

2025-11-07

anond:20251107104150

で、馬鹿にして楽しもうと作品すらろくに観ずに参入した結果、四方八方からボコボコにされてムキになって今現在・・だろ?

あの作品アンチ対立煽り厨崩れが大半、てのも大昔から出てる結論だよな。

2025-11-04

都会人の傲慢

タイトル主語がでかくなってしまった。だけどなんとなく皆感じていることだと思っている。

自分高校卒業まで都内区部からほとんど出ず、大学でド田舎の山の中に4年、就職で戻ってきて今に至る。このド田舎生活4年間がなければ、自分傲慢さは永久に剥がれなかったんじゃないかと思っている。

頭では日本全国に人間が住んでいることはわかっていた。実際に行くまで本当に人がいることがわからなかった。

世界視野も狭すぎたんだね。

同級生があちこちの山の中に住んでいて、片道1時間歩いて登校していた話がここで初めて現実になった。今は熊が話題だが、その危険が本当に身近なことを知らなかった。

閉塞感も凄まじかった。四方を山と急流に囲まれ公共交通もろくに発達しておらず、1人1台の自家用車がないと買い物すら困る。都内に気軽に行けないなんてもんじゃない、行く手段がとんでもなく限られていた。

当時の自分は「何故こんな不便なところに人間が住むのか?」と理解に苦しんだ。ただ人間慣れるもので、4年もいればそこそこ環境には困らなくなった。慣れるまでに3年10ヶ月くらいかかったけど。

そんなこんなで4年間過ごし、帰ってきた今自分は再び「田舎」が生活の場であったことを忘れかけている。

熊のニュース見てもあんまり響かなくなってしまったし、人口減少で様々なサービスが縮小される話を聞いても「ふーん」としか思えなくなってしまった。

当事者にならない限り、自分事として捉えるのが難しい。

多分外野からやいのやいの騒いでいる人間、大半はこんな感じなんじゃないかな。その土地で暮らすことを知らず、知ろうともせず、今の環境に甘んじている都会人。自分はまあ、おつむが弱いから忘れていってしまったけど、都会の人間が都会に戻ってきたら多分こうなっちゃうと思うんだよな。

期間限定田舎暮らしなんて、正直役に立ったわけじゃないし。

でも田舎生活した期間があったから、まだ「田舎共感すること」自体は忘れていないと思う。

ああ熊大変だよね、自分生活してたとき大学構内に出ちゃったことあったな、みたいな。

「ふーん」としか思えなくなっても「そういえばあの時ああだったな、今はこうなってるのか」って変換はできるというか。

結局愚か者経験からしか物事を学べないんだから、何事も経験必要だったってお話でした。

上手く最後がまとまんなかった。

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