はてなキーワード: コスモポリタンとは
anond:20241213001612の補足編(多分続くので1とした)である。
こんな話題に食いつく人などいないと思ったが、いたので嬉しい驚きだった。今回はコメントを見てみたいと思う。あとやっぱりヴィルトゥオーゾ系の曲はまた別に七選作ろうと思う。超絶とパガ超パガ大が別にあるとはいえ、演奏会用練習曲集1つとノルマの回想だけではさみしい。
前期のブコメ。ちょっと笑ったが、実はリストの両親のスペルはListである(マジ)。
ピアノソロ曲じゃないけど、リストのピアノ協奏曲第1番を聴くと過度にゴージャスでなんか笑えてくる。フリードリヒ・グルダのチェロ協奏曲を聴いたときの笑いに似た感じ。
トライアングル協奏曲(命名はリストの政敵エドゥアルト・ハンスリック)ねw スター時代の曲だが、実は循環形式を大々的に活用した野心作で、ピアノソナタ ロ短調の前段階にあたる曲の一つという。
今はやるのか。前期編でうかつに音楽史上の重要性はバッハやベートーヴェンに劣ると言ってしまったのだが、音楽史上重要な作曲家というのは、ナショナリズムが時代様式となった近代以降現在までの歴史認識の上で成り立っていることが多い。バッハが再評価されたのはドイツ・ナショナリズムの高揚なくしては考えられない。ベートーヴェンだってそうだろう(彼の曲にはフランス革命への共感という要素が強くあるが、一方でドイツ民族の古典の頂点とみられている)。リストはナショナリズムの歴史認識からは扱いにくい。リストが音楽史上最も評価されているのは新ドイツ派の旗手として、特に交響詩様式を確立させたことであり、紛れもなくドイツ・ナショナリズムの文脈だ。ピアノの表現技法を著しく拡大させたという点については、扱いが薄い。ピアノは楽器の王者だが、一方で知名度の壁を貫通して義務教育レベルまで到達してくるピアノ曲がどのくらいあるか。タールベルクをはじめとして同じような貢献をした19世紀のヴィルトゥオーゾたちの名前はピアノ史を詳しく調べなければ出てこない。
リストの両親はドイツ系だが、ドイツ・ナショナリズムに含めにくいオーストリア人※でしかも当時のハンガリー生まれ(ということはハンガリーではリストは少数民族になる)、生活はパリでフランス語話者とつかみ所がない。ショパンもパリで活躍したコスモポリタン的な人物でほとんどの曲がピアノ曲だが、生まれも育ちもワルシャワからそう遠くない近郊地帯といっていいと思う。何よりポーランド分割に憤り、ロシア皇帝のお誘いを断ってでも「亡命ポーランド人」であることを貫き通した生き様は、ナショナリズムの歴史認識に乗せやすい。彼の「革命」(op. 10-12)などが記憶されているのも多分にそのせいのはずだ。
※オーストリアを支配するハプスブルクの支配は多民族帝国(チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、ルーマニアetcの「民族の牢獄」と呼ばれた)なのでドイツ・ナショナリズムによる国家統一は不可能である。歴史上「大ドイツ主義」が挫折したのはそのせい。
そう言い出したので慌てて西園寺公望が止めたという話がありますけど本当なんでしょうかね。無理を言ってでも連れて来てくれれば、日本の音楽界も違ったものになっただろうになぁ。
巡礼の年イタリアはチョ・ソンジンが最高だった。ダンテで涙出た(リサイタルで聴いた)けど、音源は出してないんだ。。。/ロルティも好きです。
浜松ピアノコンクールライブの映像があるがやばい(https://www.youtube.com/watch?v=_nG3CyuNC00/このライブ録音のCDがほしい)。本当に15歳だったのかこの人(結果は優勝)。
有名なラ・カンパネラはパガニーニ練習曲に含まれる曲。改訂を経て、軽薄だけどわかりやすく演奏効果の高い第3稿を決定稿としたリストは時代を見抜く目があったと思う。
いつも見ております。おかげさまでピアノ協奏曲のオレイニチャク盤に巡り会いました。ありがとうございます。
※コメントしたアーノンクールこと「コスモピアニスト」氏はショパンとラヴェルのCDのレビューを大量にHPに書いている(https://www.asahi-net.or.jp/~qa8f-kik/index.html)。
ショパンの元カノとマリーとの関係をぜひkwsk(もはや音楽関係ない。いや、むしろ音楽性に影響があったとか?w) あの時代の作曲家界隈のドロドロネタで本が書けそうですね。
サロンにありがちなドロドロした人間関係の方がもはや興味あるの分かる。正直私にはちんぷんかんぷんなので誰かマリーに焦点当てた本書いてくれないか。
え?入れたけど
学生時代にエステ荘の噴水を弾いて大人になりローマ近郊のエステ荘の噴水を見に行きました ^_^ https://maemuki.hateblo.jp/entry/2013/01/26/005305
リンク拝見しました。10年以上前にこの記事読んでました。実はこの記事を読んで本格的に「エステ荘の噴水」に開眼しています。そんな人が逆に読んでくださって本当に嬉しい。
話題についていけないならとっとと負けを認めればいいのに
言及でついた※から。後者の下についてるコメント(前者の反論?)がいうように勝ち負けの問題ではないから好きにやれば良い。それよりたったこれだけしかないんですか? もっとあるでしょ。MIDI音源で作ってる人も含めて。ピアノ編曲の善し悪し含めて知らん奴に布教してくれたら最高や。
が言う通りだと思う。
リストは手が大きい。彼の曲は日本の小柄な女性ではいくら手を広げても弾けない曲がある。そしてその曲の美しさよ。どうやっても届かないあの美しさに悔しさと羨ましさで恍惚となってしまう。
ロルティやペトロフ、あるいはヴォロドスのようにその恵まれまくった体から繰り出される力強い響きと(特にロルティは)恐ろしく繊細な音色のコントロールを見ると確かにそうだなあと思う。でも、ノ・イェジンのように、小柄な体で「ノルマの回想」を弾いている人もいる(映像あった/https://www.youtube.com/watch?v=gostiJcVod4)。小柄な日本人女性ピアニストがリストの曲に果敢にチャレンジしている動画も結構ある。昔何かのコンクールでリスト編の「ギョーム・テル」序曲を弾き出した勇者がいて驚いたことがあったが、その人も女性だった(多分これだったかな?/https://www.youtube.com/watch?v=GRYLy8O3VIQ)。アムラン同様大変なテクニシャンであるスティーヴン・ハフも痩身小柄な体型をしている。何度かコンサートに行ったが「ダンテを読んで」では顔を真っ赤にして渾身の力で演奏していた。多分手や体が小さいなりにやれることはあるのだと思う。日本人が無理してドイツ人のような歌唱法を真似して喉を痛めるみたいな話を声楽をやっていた人から聞いたことがあるのだが、似たような問題なのかな。
(追記)
anond:20241213202638 で以下のような有難い指摘があった(リストがハンガリー人としての意識からLisztと綴ったという旨)。なるほどと思うと同時に、自分の話は出典が思い出せなかったので、消しておいた(できれば何か出典があると助かる)。
マジャル語ではszの綴りで/s/を表すので
単なるsはマジャル語で/ʃ/になるから。
Listだとマジャル語読みでリシュトになってしまう。
それと多分同じ人だと思うが、ハンスリックの上の名前はまったくの誤記で、こちらも感謝する。訂正しておいた。
(再追記)ウォーカーの本でしたか! ありがとうございます!!!
最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。
フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれた作曲家。リストはハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリで成功を収めた関係上フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノの表現可能性を著しく拡張したからだ。膨大なリストのピアノ作品から7選ではきついので、リストの活動時期に区切って7選ずつということにした。
クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的、内向的な音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。
リストのピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパンの場合作品数は200強。単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソン、アシュケナージ、横山幸雄も作ってますね)、レコード会社の企画モノで複数のピアニストを起用して制作されることもある。横山氏みたいにぶっ続けの連続演奏会を開いてしまうことも不可能ではない(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。
しかしリストの場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数のピアニストを起用しているNAXOSのリスト・ピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない(もし完結していたら教えてください)。その点で単独でリストのピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリー・ハワードのCD(Hyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせて99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能/https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。優れたピアニストであるハワードでも、短期間に、といっても10年以上あるが、大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワードの全集を推薦するわけにもいかない。とはいえ、ハワードのおかげで取り敢えずリストのピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。ハワードのCDを一巻ずつ紹介している古くからのサイトがあり、本当に頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。良くない演奏もバシバシ指摘している。
リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲の理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風を意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽の場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リストの場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマールの宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着けて作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのもの。父を失って本格的にピアニストとして稼がねばならなくなり、大スターになっていくが、仕事ばかりで事実上の奥さんとは破局する。そして後年の恋人カロリーヌと出会い、ヴァイマールの宮廷楽長に就任するまでだ。
作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲の区別にとって大事になる。しかし、リストの作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリスの音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)である。Wikipediaにもサール番号順のリストの作品一覧があるので参照されたい。
彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品。リストはハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラム(NAXOS全集20巻)は未聴。パガニーニの影響を受けたあとの改訂版(24の練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。
2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版)
タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体はこちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔のサバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リストも熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響を可能な限りピアノで再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者の演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニ・ベルッチ(CD未所持)は公式YouTubeに演奏動画をアップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスしやすいだろう(録音は一番良い気がする)。
3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版)
1828~34年に欧州でコンサート・ツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂的ファンを獲得した。リストもパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品からの編曲だ。ヴァイオリンの技法をピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章の編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニの原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲は24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。
かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympiaの再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏の非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフの演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベルな演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。
困ったことにペトロフの映像は中々手元を写してくれない。ニコニコ動画で「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフがカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。
4. 旅人のアルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺:ヴェネツィアとナポリ」(1859年改訂版)
ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界を代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リストは1834年頃からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダルは芸能人の特権。
特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的なパリ帰国も挟みつつ)スイスやイタリアへの旅行に順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。
旅人のアルバムは、スイス旅行で見聞きした風景や民謡をモチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景や芸術作品から受けた霊感を表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。
旅人のアルバムはほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹の小説中に登場したせいでクラシック音楽のCDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである。巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドス(SONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リストの最高傑作の一つである「ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマ問わず色々いる。
5. ベッリーニのオペラ「ノルマ」の回想 S.394(1844年)
幻想交響曲もそうだが、リストの作品の多くを他作品の編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかもいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。
今ならフィリペツの映像(https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾ、マルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスのベンジャミン・グロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。
40年代に作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサートで披露して喝采をさらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種。リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風。特に「ため息」は有名でよく弾かれる。
第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。
スイス、イタリアでマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリストは演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。
41~43年の夏にリストとマリーはライン川の中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院で子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたもの。シャルルマーニュの武将ローラン戦死の誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞:https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数のヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年のバージョンをアンスネス(EMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードもライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。
華麗なオペラものやシューベルトの歌曲の編曲(魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。
> 過去10年間で、私を左派から右派へと押し上げたいくつかの重要な出来事がありました🧵
ヒラリー 2016
バイデン2020
トランプ2024
次の 10 の例を調べて、それを詳しく見てみましょう。
https://x.com/wildbarestepf/status/1812590490916925626
MeToo運動が熱を帯びてきた。アジズ・アンサリ事件は私にとって転機となった。アジズのキャリアは、最悪のデートのせいでほぼ破壊された。
MeToo運動が推進された熱狂は、しばしばニュアンスや適正手続きを欠いており、不安を募らせていた。
人間の相互作用の複雑さや、それぞれの状況の公正な評価の必要性を無視して、より広範な議題のために個人の評判を犠牲にしているように感じました。
(編注)Metoo運動、フラワーデモ運動は冤罪を発生させている。寺町東子、東京第一弁護士会はその冤罪を作り出すことを推奨し、いまだに撤回すらしていません。このように性犯罪、セクハラ、DVは寺町東子のような弁護士の金儲けの手段となっているのです。性犯罪被害者団体もいまだに撤回していない以上その正体は性犯罪被害者団体ではなく人権ビジネス団体です。このような団体の主張を霞が関に入れることはできないというべきでしょう。
衛星打ち上げから火星の植民地化の可能性まで、イーロンのスペースXでの取り組みは、環境保護論者や左派の規制機関からかなりの反対に直面している。
スペースXの活動に関連したアザラシや鳥類に対する抗議は、科学と探査における画期的な進歩の可能性を覆い隠しているようだ。
革新と進歩を重視する者として、イーロンのビジョンに対する左派の抵抗は逆効果で息苦しいと感じる。
左派のジェンダーアイデンティティに対する立場、特に男の子が女の子になれるという主張は、私の生物学の理解と矛盾している。
生物学を副専攻していた私は、科学的事実を無視していることに不安を感じた。
この問題は、左派が経験的証拠よりもイデオロギーを優先するというより広範なパターンを強調しており、それは科学的誠実さに対する私のコミットメントと深く共鳴した。
(編注)まず性自認などは性別と全く関係ありません。また性別は男性、女性、その他の3つしかありません。これが生物学的な結論です。これ以外は非科学的な主張であり、到底社会で受容する必要がないものです。
また、性自認などという他人から認識できないもので性別が決まるというは極めて異常です。これを差別というのは完全に差別の定義を誤っています。そしてさらに言うとならば「女性」とは何かという肝心の女性の定義がありません。
私らしくとかどうでもいいのです。まず女性とはなにか、一切答えられないのです。ジェンダーという社会のせいとか言うものは自認とは今度は関係がないのです。
新たな視点:レックス・フリードマンのポッドキャストに出演するジャレッド・クシュナー
私の政治的志向の変化は、レックス・フリードマンのポッドキャストに出演したジャレッド・クシュナーの影響をさらに受けた。
クシュナー氏がアブラハム合意について語るのを聞くことで、主流メディアではあまり報道されなかったり、誤って伝えられたりしていたトランプ政権の成果について新たな視点が得られた。
この認識により、私はこれまで精査せずに受け入れてきた物語に疑問を抱くようになった。
> 2020年にトランプ政権の仲介でアブラハム合意ができ、イスラエルは周辺の中東諸国と一気に国交回復や和解が進んだ。
ハマスの10.7のテロの理由はひとえにこれをぶち壊すことだった。
https://x.com/GruessGott2018/status/1804425221308584412
左派が「多様性、公平性、包摂性(DEI)」の取り組みを重視し、「警察予算削減」運動と相まって、目に見える反響をもたらした。
サンフランシスコのような都市では犯罪が増加しており、盗難が横行しているため、店舗の必需品が施錠されている。
これらの展開は法と秩序の崩壊を反映しており、より安全で公平なコミュニティという左派の約束と矛盾している。
イデオロギーと現実世界の結果との乖離がますます明らかになり、問題となってきた。
(編注)日本でもクルド人との衝突が発生し、また、観光できた中国人が落書きする等治安が悪化しています。にも拘わらず、警察と裁判所の予算は増えていません。公務員はどんどんやめています。これを改革と言っているのですから日本人は帆なのです。DEIはオワコンなのはこの1枚の写真ではっきりしています。もはやアメリカ人でDEIが素晴らしいなどと発言することはあり得ないでしょう。
https://x.com/bennyjohnson/status/1812487522267652129
https://x.com/MatchPoiint/status/1812488154634412117
バイデン政権の混乱したアフガニスタンからの撤退は私にとってもう一つの重要な要因だった
急いで避難したため、13人の米軍兵士が悲劇的な死を遂げ、多くのアメリカ人とアフガニスタンの同盟国が取り残された。
高官が責任を問われることなく説明責任が果たされなかったことは、無能さと人命軽視の懸念すべきレベルを浮き彫りにした。
(編注)撤退は突然でなんの準備もなく、極めてずさんでした。それを覆い隠す日米の報道で日本人が語っても意味がありません。
COVID-19パンデミックへの対応は誤った情報と高圧的な命令に満ちていた。当初は科学を信頼するように言われたが、物語は変わり続けた。
ワクチン接種義務化が課され、国民の大きな反発と分裂を招いた。
その後のワクチンの有効性と副作用に関する暴露と反対意見の抑圧は不信感を募らせるだけだった。
パンデミックへの対応は公衆衛生よりも管理に重点が置かれるようになり、私は左派からさらに遠ざかることになった
(編注)反ワクチンという表現は極めて悪質で、ここで行っているのは反mrnaワクチンということです。なお副反応は誤った単語で副作用が正確です。ここでもごまかししかしていない。
左派がアイデンティティ政治に執拗に焦点を当てていることは、ますます不快なものになってきている
政策や社会問題の主要なレンズとして人種、性別、性的指向を常に強調することは、より実質的な議論を妨げている。
これは分裂的な戦術のように思われ、団結と進歩を促進するのではなく、社会の亀裂をさらに生み出すものである。
(編注)このアイデンティティポリティクスとは、デタラメな単語です。簡単に言うとポリコレです。LGBTのいびつで不必要な優遇を日本でも押し付けられています。当事者が必要としていないのが現実です。これも公金チューチュースキームです。コロンブスの炎上のように言いがかりしかつけてこないのが現実です。そのような言いがかりをつけられる意味は全くなく、極めて不当なものです。あのような炎上は取り締まられるべきでしょう。
またこのような反差別界隈は日本も同様に人々を分裂させるだけで全く意味がありません。
ボディポジティブ運動は善意から始まったが、問題のある方向に進んでいる。
コスモポリタンのような雑誌の表紙に病的な肥満の女性を取り上げ、それを「健康的」とラベル付けすることは、公衆衛生に害を及ぼす。
この有害な物語は社会基準を変え、肥満に関連する深刻な健康リスクを無視して誤った健康感覚を助長している。
科学と事実に基づく情報を重視する人間として、医学的真実に対するこの露骨な無視は、私を左翼から遠ざけるもう一つの要因でした。
(編注)デブとブサイクを優遇するのは完全に異常です。ルッキズムとか言うのはあほです。なぜなら、健康かどうかはある程度外見に現れるからです。
バイデン大統領の最近の討論会や公の場での発言は憂慮すべきものだ。彼の頻繁な言葉のつまずき、混乱の瞬間、そして身体的な弱さは、彼が完全にコントロールできていないことを示唆している。
バイデン氏が討論会で固まり、首尾一貫した主張をするのに苦労するのを見ると、彼の能力を保証していた左派の欺瞞が強調された。
自由世界のリーダーがこのような状態にあるのを見るのは残念で恥ずかしいことだ
私の政治的進化は、一連の具体的な出来事と認識によって形作られ、左派から遠ざかってきた。
MeToo運動における個々の事件の誤った取り扱いから、左派による革新への抵抗、生物学の無視、混乱した外交政策の決定、そして彼らの政策の具体的な結果まで、これらの経験は私の視点を全体的に変えました。
より中道的または右寄りの視点を受け入れることは、常識、愛国心、そして建設的な進歩へのコミットメントへの回帰のように感じられる。
@RobertMSterling
@DavidSacks
@theallinpod
のような人や、反発にもかかわらず執拗に懸念を表明してきた他の人たちにも声を上げます。私の視点の変化はあなた方のおかげであり、私は頭をさげます。🫡
生まれる前の戦争の責任なんかしらねー、とか言ってるやつが真顔で怒ってたりして面白い。
表現の自由戦士も一部では懸念を表明しているのもいるが、おおむね批判的。
ああ、あと日本の戦争責任に関して、海外からの批判を内政干渉だとか言うやつが、顔真っ赤にして動画を批判してるのマジうける。
いや、論理的な整合性なんて実際は口でいうだけで、単純に「お気持ち」ベースなんだろうけど。
あと、天皇はローマ教皇のようなものというのも、無理がありすぎる比喩だよ。実権はないが宗教的権威をもつみたいな事を言いたいんだろうが、そもそも血統による天皇と選挙による教皇の違い。キリスト教というコスモポリタン志向のそれとあくまでエスニックな神道では話が違う。
そもそもローマ教皇は教皇領という国家の元首であって実権がないわけではない。ローマ問題とかしらないの?
宗教的な権威も天皇とは比べ物にならない。むろん権威という言葉の定義にもよるけど法王が「賀茂川の水、双六の賽、山法師、これぞ我が御心に叶はぬ物」ってローマ教皇では考えられない。というかカトリックが異端やギリシア正教へどんな態度かくらいは朧気に聞いたことない?
あとイタリアはムッソリーニではなく、ヴィットーリオ・エマヌエーレIII世が、という意見もあるけど、ムッソリーニはWWII期を通じて、解任後もイタリア社会共和国の元首として1945年の4月まで。
それに対して日本の総理はWWII勃発以後だけでも安部米内近衛東条小磯鈴木と変わってるのでかろうじて3年弱の東条ならどうにかレベルじゃね?
というか、大日本帝国憲法はまさに天皇主権で、ドイツ帝国憲法以上の権限が天皇にあったんだよね。理論必然ではないが、君臨すれども統治せず、に親和性のある天皇機関説も当時は排撃されてたしね。本人がどう思ってたかはともかく、あの憲法でイギリス式の君臨すれで統治せずは厳しいんじゃないかな?
大日本帝国憲法には内閣総理大臣の規定もなく、憲政の常道もあくまで慣習にすぎず、天皇への権限が集中されてたのである程度コントロールできてた元老がいなくなったらやすやすと陸海軍にハックされた感じかね?
まあヴィクトリア女王が無くなった1901年生まれでベルリンの壁が崩壊した1989年と30年以上前に死んだ人がまだ「歴史」にはなってないし、正直、日本の対応も、宇の対応も、戦後の国際秩序を無視してると取られても仕方ないんじゃない?いや、無視するぜ!ってどこかのプーさんみたく息巻くつもりならいいけど
海上保安庁 2177億5345万7000円
警察庁 3420億8472万9000円
環境省 3459億4527万4000円
NHK(連結) 7547億7700万円←←←←←←←←←←←←←←←←←
日テレ 509億円
フジ 118億円
テレ朝 155億円
東京スカイツリー 650億円
新国立競技場 1490億円
ユニバーサルスタジオジャパン 2150億円
新国立競技場(ザハ案) 2520億円
NHK新社屋 3400億円←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←
1位 アブラージュ・アル・ベイト・タワーズ 1兆5000億円
3位 アップル・パーク 約5000億円
4位 リゾート・ワールド・セントーサ 4930億円
7位 NHK新社屋 3400億円←←←←←←←←←←←←←←←←←←
はえ〜すっごい
俺が思うに、育休給付金は原資が雇用保健にあるのに育休だけ貰って復帰せず退職したことの道義的な不信感が1つ。
それに加えて彼女の職業が民間の平均に比べてかなり高所得のNHKの女子アナだったという事実に対する反感が1つ。更に付け加えればNHKの育休規約では育休中でも給与額の50%は保証される。恐らく所得がこの女子アナの給与額の5割に満たない国民は無数にいるだろうな。
そして今回の件で俺が思い出したのは去年に起きた妊婦加算の凍結の件。
妊婦加算は妊婦を診療することに対して消極的になりがちな医療機関に対してポジティブな診療を促す為の加算だったわけだが、まあ当然妊婦を中心に猛烈な批判が起こって結局自民党の厚労部会長の小泉進次郎までマッチポンプで駆り出され、結果として妊婦加算を凍結させる事態にまで陥った。
あれは直接民主主義的に政治が動いた事例だったと思う。国民の不満や怒りに対して与党が反応せざるを得なくなったわけだ。
だからさ、今回の女子アナ育休問題も国民が気炎を吐いて怒りの声を政治に届ければ、こういう育休制度のフリーライドみたいな事例が今後起きないように何らかのアクションが政治主導で起こるかもしれないよな。
年収1000万越えで庶民が到底雇えないベビーシッターを余裕で雇える富裕層が庶民がその少ない給料から泣く泣く支払ってる雇用保険が原資の育休で6年間も休みその間に庶民にとっては夢のまた夢の三人もの子供達をぬくぬくと産み育てたなんてぶっちゃけすげー腹が立ってる人もいるよな?
ならさ、この現状を変えられるかもしれないとしたらどうする?
青山アナの件は終わってしまったことだから仕方ないけどさ、この問題のある育休制度の網目を小さくすることで、今後に渡って二度と第2、第3の青山アナを産み出さずに済むとしたら?
国民1人1人の怒りが集結すれば、妊婦加算が凍結された様に、育休制度をより現実のニーズにあった素晴らしい制度に改善できるかもしれないんだぜ?
ここで何もしないのは勿体ないと思うなぁ。
後半部分で雇用保険と書くべきところが介護保険になってたから訂正したょ。
あと俺はミソジニストでも富裕層や女子アナへのルサンチマンを燃やすKKOでもない博愛主義者のコスモポリタンだから。
意見者にネガティブなレッテルを張って意見を封殺するはてな流全体主義で殺すのは止めてください😿
追追追記♪
なんかタイトルのフリーライドが誤用だって鬼の首取ったみたいにブクマカが連呼してるから書くけどそんなん知っとるわ。
逆に君達は増田の仕組みを全然知らなそうだから特別に教えてあげるけど、ここでは誤用だろうがなんだろうがインパクトのある扇情的なタイトルをつけないと全然伸びないんだよ。
この内容だって最初は全然違うタイトルで投稿してたものを後からより訴求力のあるタイトルに改稿したんだよ。
既に伸びきった増田に手垢のついたブコメをつけるだけの簡単なお仕事をしてるブクマカ達には到底理解できないのかもしれないけど、こうしてプチ炎上する増田を書くのも意外とそこそこの技量と胆力がいるんだよ。褒めてくれてもいいんだょ?
つーか俺は俺の心の中のポル・ポトをまだ5%しか解放してねーのにブコメはすでに憤怒一色に染まってんのな。お前らそんな様子だと俺が残りの95%を気まぐれに解放してたらもう二度とブコメできないねぇ……状態になってたぞ(汗)
つーかそもそも青山アナって誰だよ。興味ねーよ宇垣アナのおっぱいにしか興味ねーんだよ。
後書き
ここだけの話俺はこういうブクマカの反感を買うような増田を定期的に投稿してるんだけどさ、たまにこうしてプチ炎上してはぶっ叩かれてるんだよな。
そしてお前らが俺を好き放題に腐しているブコメを隅から隅まで目を通していくんだけどよ。
そうするとなんか心臓の下の所が急激に冷えていって下腹の辺りが凄い重苦しくなってくるんだよ。
それがなんか凄い癖になる感じなんだよな。
だから本当の話こうやって構ってくれるブクマカ達にはすげー感謝してるんだよ。
青山アナの子供達が元気な大人に育って全員健康優良高額納税者になって日本の格差社会を更に助長させていってほしいと強く願ってる。
ただなぁ、お前らブクマカ共は猫も杓子も「沢山子供を産んでくれてありがたいです♥️」みたいなブコメばっかりつけやがって。ちょっと卑屈過ぎるぞお前ら!?どうしたっ!?野菜食えよ!!!
お前らこそ頑張って沢山子供作れよ!
幸せになってくれよ!
美味しいもの沢山食べろよ!
じゃあ俺はもう寝るけどさ……
トランプ政権が2000億ドル分の中国からの輸入に対して10%の関税を課すことを発表した。
私は、リベラルのコスモポリタンであり、根っからの自由貿易論者だが、今回ばかりはトランプ政権の政策を支持したい。
欧米は、中国が経済成長したら民主化すると信じて、中国の経済成長に手を貸してきた。
ところが、現実には、中国は民主化するどころか、むしろ増長して、自分の権威主義的な価値観を世界に広めるべく、
言ってみれば、中国は国家レベルの「反社会的勢力」なのである。日本では、暴力団との商取引は厳しく禁じられている。
ならば、国家レベルの反社会的勢力に対しても、同様の態度で接するべきではないか。
世界は、中国との貿易から手を引きべきだ。日本企業は、中国大陸から退去すべき。
「儲かるから反社会的勢力と付き合っても構わない」というなら、日本で暴力団の覚せい剤ビジネスに手を課すのと何ら変わらないと思うべきだ。
しばらく前の話。同僚が韓国のことをえらく悪く言いだした。最初は聞き流していたんだけど、あんまりにも根拠不明のことをガンガン言い募る。コスモポリタンを自認する自分としては、たしなめざるを得なくなって、「その話、根拠なんなの?ソースちゃんと確かめてる?」って訊いた。するとその同僚はあろうことか「増田さん、在日ですか?」と明後日の方向で、息巻いて来た。まあどちらでもいいんだけど、うちの親が言うには我が家は第30代敏達天皇の後裔らしい。なので(笑)論点も外してる上に、事実からも遠い反応なのだが、見当はずれな反論に再反論しても議論は深まらないのでヘラヘラと流した。
そんなことがあってしばらくした盆休みの午後、福音書を読んでいたら、既視感を覚える記述があった。ヨハネの福音書の7章辺りにニコデモって男が登場する。この男は当時のユダヤ人の貴族が集まるサロンの会員で、そのサロンではイエスがえらくヘイトを集めている。理由は、漁民や小役人らと徒党を組んだ田舎者(イエスはエルサレムから3日くらいの道のりのガリラヤ出身)の大工が、生意気にも貴族たる自分たちの既得権益に何やら悪影響を及ぼしているってことだ。そのサロンでの、イエス問題を議題にした会議の最中、あまりにもイエス憎しで結論ありきな議論に嫌気がさしたニコデモは「あんまり予断で話をせずに、本人呼んで話聞いた方がよくなくない?」と発言する。すると「お前、在日?ガリラヤ出身??」みたいな明後日の方向の言いがかりの総攻撃をうける。記述はそこでおわっているが、おそらくニコデモは話す気なくしてヘラヘラしてたんじゃないかなと思う。
国際卓球連盟(ITTF)は昔っから自らの競技の「政治利用」にわりと積極的な組織だ。
国際問題の調停を、競技を通して、かなり踏み込んだ立場でやろうとするとこがある。
ITTFは第一次大戦後、国際的融和ムードが支配的だった1920年代半ばに創設された。
初代会長はコスモポリタン的人物で、「スポーツを通して国の垣根を無くしたい」と公言。
40年以上にわたって在職し、組織の基底的な思想を決定づけた。
たとえば創設以来、世界選手権においては長年にわたって、表彰台での国旗掲揚・国歌演奏は行わないものとされていた
「紳士淑女の友好的遊戯」という競技的ルーツへの自負もまた、融和を尊ぶ姿勢を醸成した。
対日感情の極めて悪かった第二次大戦直後の1949年、いまだ占領下にあった日本の再加盟を、
国際競技団体としていち早く認めている。
「スポーツを通じて世界をつなぐ」積極的行動モデルとして結実させようとしたのが3代目会長の荻村伊智朗。
会長在任中は、91年世界大会に最初の統一コリアチームを実現させた他、
地球ユース選手権にてイスラエル・パレスチナ両国のジュニア選手に共同で宣誓させる等々、
末期がんによる死の一週間前にあってなお、病身を起こして会場に駆けつけた。
その後も国際的緊張の当事者同士を共に組ませて国際親善大会をしたりと言ったことを継続的にやっている。
またたとえ、国際的承認を十分に得られていない地域の協会であっても、
火中の栗を拾うことをあんま恐れない。
たとえばWikipediaの『コソボの国際競技連盟への加盟』の項を見れば、
2011年に当時の会長も「ピンポン外交は次の時代へ入った」とコメントしたように、
「競技の政治利用」すなわち「外交的融和を目指して自らの競技を積極的に活用してく」ことは、
ITTFにとっては継承されたレガシー、自覚的ミッションのおもむきすらある。
そこら辺を踏まえた上で、例の件について言うと、
まず先だって出された板門店宣言にスポーツの合同チームの結成が盛り込まれていた、という背景があり、
競技団体として、こういった特例を認めた場合の今後への弊害を考えることになるんだろうけど、
現実問題、ここまでの歴史的条件が揃って、大会開催期間とタイムリーに重なるということはそうそうあることではない。
前例化したとしてもそれを以ってなし崩しにはなりにくいと思われる。
そしてコソボ承認の件もそうだが、国際問題に先陣切ってコミットすることを恐れない連盟の体質。
むしろ今後に続くであろう統一チームの流れに先鞭をつける機会を、
わざわざこのような特例措置を用いてまで自分たちが最速で提供することに、
使命感とか陶酔とか覚えててもおかしくない。いやまあ偏見だけど。
選手たち当事者には、やっぱりアンフェアじゃないの、という権利は正当にあると思う。
しかし現時点で報じられる限りでは女子日本代表に動揺はないという。
日本卓球協会側も「スポーツを通した世界平和を目指している」「歓迎したい」とか受容的コメント。
本音は、とか言い出したらキリはないが、卓球界に長年育まれてきた感覚ではこんなものかもしれない。
卓球界では過去に複数回、統一コリアチームが結成された前例があり、心理的に受容の土壌もある。
それに実際、日本女子の実力から言えばことさら動揺する必要もない。
んなこと言ってると91年大会の中国みたいに足元すくわれるけどな!
今回の合同劇が卓球界の受け継いできた流れのひとつの結実だとするなら、
荻村の母国である日本が真向からそれを受けて立つのも、ある種の本望、度量の見せどころ--なんて言うのは