はてなキーワード: 嵩上げとは
(追記)
数文字読んで真っ当な共感かと思ったら、このおばさん子供いるじゃん。
何がわかるんだよお前に。
その瞬間だけをみても、性欲の発散先として素晴らしい価値提供をしている。
それ以降の文も読んだけど、読まなかったことにする。
決して共感者ではない
(追記ここまで)
25歳
彼女いた事ない歴=年齢−1
低身長
後輩の苗字が変わった。
幼馴染は三人で暮らすための家を買った。
妹は婚約者を連れてきた。
俺だけが、何も無い。
背伸びして車を買ったくらい。
年相応にステップアップしていくはずが、
うち数人は声をかけたらその日のうちにどこかへ遊びに行けるくらいの関係だった。
でも、それは、つまるところ、俺を異性として、オスとして見ていないからこその振る舞いであり、関係性なんだって気づいたのが最近。
それすら、今はもうない。
婚活をしようと思った、結婚を中間目標として、その間に「①人に好かれる」「②パートナーを作る」の2つ小目標とした。
自宅と職場の近くで開催される街コンなりパーティーを探してみた。
自宅近くでは趣味を共通点とした街コンがいくつかあったが、俺に大した趣味はないのでどれも参加できなかった。
職場近所では、学歴、職歴、年収、資格で厳密なボーダーを引かれた婚活パーティーがたくさんあった。参加費も一万円〜数万円くらい。
勤め先はマイナー業種(同業は日本にもう1社しかない)すぎて職歴もアウト。
年収はボーダーの倍か3倍以上あったけど、他をクリアしている人は3倍4倍5倍あるだろうからこれに意味はない。
と、参加資格すら持ち合わせていなかった。
企業団体が主催するハードルの高い交流は諦めて、自分なりに相手を見つけようとしてみた。
数少ない女友達、妹、姉に声をかけたが、にべも無く振られる。とりつく島もない。
俺が嫌われているなら状況は単純なんだけど、そうでなく、時々飯や近況報告くらいはする仲なので、「俺を知り合いに紹介したくない」ということなのだと思う。そんなに気持ち悪いんだな。
最後の手段(正確には最後から2つ目)で、セルフで見た目を整えてみることにした。要するにナンパを目指した。今考えてみると悪手も悪手だね。
これ書くのは辛いから一言で、「体型も顔も悪くて、どんな髪型、服装にしても全体としてブサイク」になった。
もちろん主観のみでなく、服飾のコンサルタントと美容師の判断も仰いだ。
誰が見ても微妙な反応で、はっきり何か言ってもらうのは申し訳なくて聞いていない。もうその反応が答えだから。
で、諦めた。
他人に何一つ価値を提供できない人間だとぼんやり気づき始めたので、これ以上もがくのは誰のためにも、もちろん自分のためにも良くないと思って。
もう少し早ければ振るまいなり見た目なりを治療して、勉強して資格や収入も嵩上げできたかもしれないけど、そんなもしもの話は今なんの意味もなくて後悔にしかならない。
結局、婚活すらしないまま、ただ自分が不出来だってことだけが明確になった。
二子玉川の堤外地に建つマンションが高値を付けてる事に嘆いて小字地図という面白いものを公開してくれた人がいる。
でもその事をまとめたtogetterではそれに対して間違ったり不適当なツイートばかり拾ってるので指摘するよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2381841
二子玉川には堤防の切れ目があった。陸閘ともいう。閘はパナマ運河などの閘門の閘で、板で締め切って水をブロックして水位を変化させるものだ。それが陸にあるから陸閘。
https://maps.app.goo.gl/DKKV4c1kefy3BVSE9
余談だがこの道は結構重要な道で、江戸時代の矢倉沢往還(青山通り大山道)だった。真っ直ぐ行って多摩川に出たところに渡船(二子の渡し)があったのだ。川を渡って崖を上ると二子の宿場に着く。
ここは瀬田村の一部で、スレッドで指摘されている通り、瀬田村の字堤外と呼ばれる無人地帯であった。
こんな辺鄙な所だったが、渋谷からほぼ路面電車の玉川電鉄が開通し、その終点の「玉川」という駅が出来た。この路線は溝の口を目指しており道路橋の二子橋を走る事になっていたのだが、その二子橋がまだ出来ないので暫定の終点である。
すると交通が便利になったので人が訪れるようになった。そして多摩川沿いに料亭が立ち並ぶようになった。当時の料亭は料理だけじゃなくて芸者遊びとかそういうの込みの業態である。
ここは瀬田村堤外とロクな地名ではなかったので、対岸の二子と駅名の玉川をとって「二子玉川」と呼ばれるようになった。
元々瀬田の崖の下には殆ど人が住んでいなかった。出水リスクがあるからである。堤防は基本無いか、霞提である程度の出水を前提としていた。そこに人が住み始めたら危ないに決まっている。また鉄道が次々開通すると他の低地にも人が住むようになる。
そして以前から洪水危険地に住んでいた住民と新住民が「堤防を作ってくれ」という陳情をするに至り、近代的な連続堤で多摩川を封じ込める、という工事がなされる事になった。二子橋の開通が遅れたのも堤防の工事を先行させる為である。
だがこれに反対をする者も居た。その一つが二子玉川の料亭業者達で、堤防で目隠しされたら商売上がったりだ、と言うのである。
そこでここの料亭地域ではこの地域を川の中に取り残す形で堤防が築かれる事になった。
しかしそれだと料亭群に行くのにいちいち堤防上りが必要だ。そこで堤防に切れ目を入れて先のリンクの陸閘を2つ作る事にした。一か所縦のスロットが見えるが、多摩川の水位が上がる時はここに板を入れる。それだと水圧で折れてしまうので、水防活動で後ろ側に土嚢を積みまくって抵抗力にする。これを角落しと言う。
料亭だけの場合は万が一の場合は逃げれば良いし、自分たちで了承した事だし建て直しすれば良い。だが昭和に入ると戦争があり料亭どころではなく全て潰れてしまった。そして戦後の復興と経済成長で宅地不足となり、この危ない土地は売られて住宅地として転用されてしまったのである。
長らくこのままだったがもういい加減何とかすべしという事になり、あいも変わらず新堤防に反対する住民も居たが話をまとめて、住宅と川の間に新堤防を作る事になった。2008頃から事業スタートし、数年で堤防は完成した。何しろ何もない河原に堤防を作るだけなので工事は早い。
ところがだ。2019年に台風19号が暴れ狂うと、新堤防は機能していたのに一体は浸水して泥まみれになってしまったのだ!何故だ!?
https://maps.app.goo.gl/uQur4hgpRZnac7tB7
左側に囲い板が立っているが、これは慌てて工事を開始した為で、但し堤防はまだ出来ていない。右を見るとタワマンがあるが野村不動産のプライドタワーだ。幾分土地嵩上げされていてこの土地の危険性は認知しているものと思われる。
こっちに堤防が無いので、ここで泥水が自由に溢れ出し、それが駅の下側を通って堤防工事完了地帯に入り込んで浸水被害を出してしまったのだ。なんでこうなったんだ?なんで駅の北側は工事しなかったんだ?
何故駅を挟んで片方は堤防工事完了、もう他方は手つかずとなったか?
多摩川は青梅から下流は国土交通省が管理し、この辺は京浜河川事務所が管轄する。
ところが、駅の北側で野川が合流しているのだが、この野川の管理をするのは東京都であり、建設局第二建設事務所が管轄なのだ。そしてこの堤外地帯の駅の北側は野川に接しているのだ。
つまり、長年の懸念だった堤外地問題を解決するために住民の合意を取りつけ、国の方は急いで事業化して堤防を完成させた。それから10年近くが経つのに、東京都の方はちゃんと連携せずにほけーーとしていて事業化していなかった。そこに巨大台風が来たので野川に逆流してこんな被害が出てしまったのである。
野川沿いには堤外地を避けた旧堤防と連続する堤防がある。新堤防を延長してこの国道246の下で堤防に接続する必要があるのだが、堤防合流地点付近にはスペースが足りず、家が建つ土地を買収する必要がある場所もある。また、二子橋の橋桁は低い場所があり、https://maps.app.goo.gl/MoH89VVFBWFW7jWBA
堤防高に支障する。これはこのままだと橋桁に当たった水が横に流れて堤防を削ってしまう。そういう事どうすんの?なのだが、どうせ何もやっておらん筈だ。
余談だが二子橋は架け替えられていないのでアスファルトの下に玉電のレールが残っていると思われるよ。
堤外と言う字が付けられていた場所に住むのにリスクを考えて居ないのはマズイ、というのは確かにそう。
だが字が堤外だから住んではならないと書いている人は昔と今の治水を混同している。
昔は河川が氾濫するのは云わば当たり前だった。だから堤防を築くのだが、今と違って霞提など、切れ目があってある程度の氾濫を許容する設計が多かった。また堤防を造る際も、今のように流路を封じ込めるものではなく、流路からかなり離れた場所に造る事が多かった。河川は蛇行するのが専らなので、その蛇行の外側という離れた場所に堤防を作った。その堤防で守られていない所は全て「堤外地」だ。そこでは洪水では家も田畑も沈んでしまう。
笹目村や戸田村などの埼玉側は堤防が流路から1km程離れているのが判るだろうか?
一方、東京側は堤防そのものがない。これは東京側は台地の崖から1~2km程の所を川が流れているから、狭い地域を堤防で守るのはコスパが悪いって事でそのままなのだ。
これら全ての土地が堤外地である。洪水では田畑も沈むし、集落もなるべく作らない。家を建てる場合は微低地を選んで嵩上げもする。でもそれでも浸水は免れないし死ぬ人も居た。
二子玉川付近だと霞提もこの辺は余りなく、低地には住まない、瀬田や溝の口の高台に住み耕作地には歩いて通う、という生活様式だった筈だ。すると「堤外」と名づけられた字以外も全て堤外地である。
今この地域が危険なのは、先に説明したように堤防工事で外されてその時に堤外地となった為だ。字が付けられた時分の事ではない。だからこの堤外地の字が「堤外」であるのは偶然でもあるわけだ。大正の治水が原因で堤外の字が付けられたわけではないから。
なので話の種や潤滑剤として字 堤外の事を言うのは良いのだが、それが決定要因であるかの様に語る人は、近代とそれ以前の治水の違いや、それによる堤外地の扱い、感覚を混同している。
~~~長くなったので続く その2 https://anond.hatelabo.jp/20240612183016
「AIで死者を“復活”」の件、死者に人権はないという趣旨のブコメが散見されるのだけども、だからといって死者の尊厳は破壊し放題かというとそうでもないので、若干のメモ。
刑法230条(名誉毀損)① 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
まず刑法において、虚偽の事実を摘示した場合には死者についての名誉毀損罪が成立する。その保護法益は①遺族の名誉であるとする見解、②死者に対する遺族の敬愛の感情であるとする見解、③死者の名誉であるがその性質は公共の法益であるとする見解、④死者個人の名誉であるとする見解が対立しているが、多数説は④説に立つとされる(条解刑法 第4版補訂版(有斐閣,2023)230頁)。いずれにしても名誉毀損罪は親告罪なので(刑232①)、死者の親族(6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族(民725))または子孫の告訴(刑訴233①)が必要である。なお、侮辱罪(刑231)は死者については成立しない。
刑法はこの他に死体損壊等罪(刑190)等の"墳墓に関する罪"によって死者の身体を保護している。死体損壊等罪は、死者に対する社会的風俗としての宗教的感情を保護しようとするものであるが、近年では、死体等に関する死後にも残る死者の人格権を保護法益と解する見解もあるとされる(前掲条解刑法561頁)。なお、名誉毀損罪と異なり親告罪ではない。
ではこれら刑法犯以外の場合には死者はフリー素材なのかというと、民事の不法行為として、死者の冒涜が遺族の感情を害したとして損害賠償を認められたケースがある程度ある。
たとえば東京地裁平成23年6月15日判決・判例時報2123号47頁は、ロス疑惑に関し2008年に米国で逮捕された三浦和義がロス市警留置所内で死亡した後、産経新聞が掲載した記事(犯罪被害者遺族が三浦を犯人と断定して書いた手記をそのまま掲載したもの)が、遺族の故人に対する敬愛追慕の情を受任限度を超えて侵害したとして、産経新聞社およびYahoo!Japanに損害賠償を命じている。
また、最近話題になった岡口基一裁判官(当時)がレイプ殺人の裁判例を紹介した事案においても、被害者の尊厳がこれ以上傷つけられることのないよう願う遺族の心情が不法行為法上も保護に値する人格的利益であるとして、その侵害について損害賠償を命じた(東京高裁令和6年1月17日判決)。同判決は、この心情の要保護性を導くにあたって犯罪被害者等基本法を参照している点も注目に値する。上記のロス疑惑報道損害賠償事件があるので、故人が犯罪被害者であることが賠償を認める要件ではないが、犯罪被害者の冒涜についてはより賠償を導きやすいといえそうだ。
これらの民事裁判例はいずれも、死者の尊厳そのものを保護しているわけではない(死者に発生した損害賠償請求権を相続人が行使するものではない。権利侵害行為が死後に行われている以上、当該死者が損害賠償請求権を取得することはないからだ。)。
けれども、遺族の敬愛追慕の情を媒介にして、死者を侮辱する行為についても民事上の制裁の対象となりうるといえるだろう。
なお、敬愛追慕の情が法的保護に値すると言える範囲は必ずしも明らかではない。故人の配偶者であっても両親の敬愛追慕の情を害して良いということにはならないだろうし、故人の尊厳そのものではなく身近な者の心情が法益とされているとなると故人本人の同意も必ずしも免罪符とはならないが、不法行為法上の違法といえるのは受任限度を超えた場合に限られるので、冒涜行為の主体が(破綻していない)配偶者であるとか故人の同意があったといった事情があれば、両親その他の親族の受任限度が嵩上げされると考えて良かろう。
あれは静岡県でも西部(浜松〜掛川)の人達に愛されてるお店で、長澤まさみがテレビで言って人気に火がつくまでは県内でもそんなに並んだりはしなかったし、中部・東部の人間にとっては割と縁遠い存在だった。今もセントラルキッチンからの配送距離の問題で出店エリアが限られてて、それで希少性が出てるというのもあるんだろう。
並んでる理由は:
③県外勢の来店が嵩上げしてる(特にインター・バイパスそばの店舗は県外ナンバーめちゃ多い)
が複合して行列ができてる感じ。俺はさわやかのハンバーグは挽肉が絹挽きすぎて好きじゃないけど、あそこまでレアなハンバーグを衛生管理徹底してあれだけ安価に出すチェーン店は、確かに珍しいとは思う。でも、街中の店はランチタイムやディナータイムを外して行くと行列なんかせんでもフツーに食べられるよ。
男子学生と女子学生を、学生時代の学業や研究内容、ペーパーテスト、面接のうちの簡易的に単純に数値化できる評価項目だけで並べていくと、上位は女子学生ばかりになる。業界としては旧態依然の男ばかりの業界なので、実際にそんな極端な採用ができるわけではなくバランスが悪すぎるので、男子学生の数名に下駄をはかせることになる。
そういうアファーマティブ・アクション的な、社会の構造に阿る形でうっすら性差別をまとった配慮によって入社した男性社員が、優秀に育たないわけでもなく、それなりに使えるヤツになったり、あーあやっぱり駄目だなぁどうするべか、と色々な方向に変化していく。会社が用意している教育環境や配属が上手くいかなかったせいなどもあるわけで、社員自身だけの責任に帰するつもりはまったくなく、そして「できるヤツ」になったり「ダメなやつ」になったりする比率に、大きな性差は無いようにも思う。個人的な観察による観測範囲ではあるが、まぁ、せっかく実力ではない部分で嵩上げしたのだからもうちょっと、知識を得る努力でどうにかできる分ぐらいは、どうにかなってほしいよな、という気は正直しないでもない。
米国で用いられているアファーマティブアクションは、社会構造的に不利な条件にある人種や性別に関しての配慮ではあるが、本邦においては逆。
https://anond.hatelabo.jp/20200731233907
上流に大量にダムを作って、嵩上げに嵩上げを重ねた堤防に守られていて、浚渫に浚渫を重ねて利根川では塩水が逆流してくる始末
自然に住みやすくなっているわけではなく、お前たちがそこに住んでること自体が超高コストのお荷物集団なんだわ
典型的なのが大東水害訴訟で、記録を読むごとにあんな危ないとこにきったねー家建てて沈んだら訴訟って世も末かよと思うわ
それをなんとかするために住道駅前みたいなことになってるんだよ
お前の地元だって例外じゃない、沈んだら絶対に大東と同じことになるって俺が保証してやるよ
ダム反対派みたいな言い方をするなら、単なる排水路以上のものではないおぞましい人工物の河川政策なんかやめて、お前の地元が事実上の遊水地になって毎年沈むことを許容してくれれば、河川環境も守られるしみんながハッピーになれるんだわ
いやさ別にお前みたいな考え方は珍しいわけじゃないよ
80年代までの建設省から県庁へ出向でやってきた連中がこういうこと地元で放言して大炎上して数年で帰っていったというのを沢山聞かされた
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=713
甲村: ダムが中止と決定した時,直轄ダムでしたが,県の部長として「まず地元へ説明に行って来い」と言われ,私が地元の水没者の方々に謝罪に行きました。すると水没者の人は「わしらは別に反対してなかった。村長が反対していた。わしらこそ(ダム中止の)被害者だ」と言うのです。「昔だったら、木を売れば金が入ってきたのに、今では木を売っても大した金にもならん。それにダムが出来るのできちんとした道路も期待した。辺りは携帯電話の電波も通じない」
こういう声が本当にあったとして平然とそれを公言しちゃうサイコ野郎だらけだから「国の政策の失敗をダムで沈めて隠そうとするつもりか!」って更なる大惨事になって下っ端が公道で土下座するような羽目になってたそうだ
あれ若手が周辺の人間が見てるような行動上でやると”効く”感じがあって良いらしいな
そういう建設省のダメなとこを表面的にせよ改めてくれたのが河川局長だった近藤徹さんだと伺っていて、いわゆる反対派という人たちは滅多クソに嫌ってるのはなんでなのか増田にはよくわからんので霞が関の事情に詳しい方は教えてください
民主党の事業仕分けの話が蒸し返されていて思い出したんだけど、日本の右翼と左翼の公共事業へのスタンスに違和感がある
スーパー堤防は地面を嵩上げするために川沿い300mも住んでいる人たちを一時的にでも立ち退かせる必要がある
ダムは山の中に作られるから人数は少ないだろうけど、そこに住んでいた人たちは二度と戻れなくなる
個別に見たらいろいろあるだろうけど、全体的に見るとこういう公共事業には右翼のほうが積極的で、左翼が反対している
右翼は保守、左翼は革新と名乗ったりするけれど、多くの人に住み慣れた土地を離れさせるのを保守、個人の感傷のために変化を拒むのを革新とは言わないんじゃないの?
なんで逆になってるの?
https://anond.hatelabo.jp/20190704095800
さるwebライターが紹介した方法は本当にお金をガッツリ稼いでいる人向けの指南だと思う
なるべく税金を払いたくないと思ったら、払わないことが一番の節税である
サラリーマンのように強制徴税される立場の人は真似できないので悪しからず
そして青色申告をする。今はマネーフォワードなんかがあるから楽だ。
やるべきことは大雑把に3つ
2.年金は限りなく支払わず、督促状が来たら「延滞金つきで」支払う
3.口座に金は残さない。
税務署に突っつかれる人は経費を大量に使う人ではなく、売上をごまかす人
そして売上が高い人だ。
在庫を持つような業種じゃないから、銀行に振り込まれるお金が売上だ。
それでも売上をごまかすと税務署は許さないというから、その点は嘘を書かない。
売上は1000万は絶対に超えないようにする。
超えそうになったら1-2ヶ月休んで働かない。
そうすることで税務署からは「旨味のない相手」と思われることになるだろう。
脱税して怖いのは訪問なのだろうが、あまりにも売上が少ないと訪問したところで取れるものはないし
2については国民年金は支払うのだが、徹底して引き伸ばす。
やりすぎて口座差し押さえを食らったこともあるが、払えば解除される。
なぜこんなことをするのかというと、税務署を撹乱するためである。
年金事務所が口座を差し押さえるということは、口座情報は役所に把握されているということ。
当然、預金残高や年金をどの程度延滞しているかだとかの情報も残っているだろう。
だから延滞料金が1000円だとしても払いたいと思わないだろう。
そこをあえて払うことで、「ずさんでだらしがない自営者」と思わせられるわけだ。
実際僕の口座は売上が入るたびに引き落とされて保険やクレカ引き落とし以外の費用はないし
おまけに延滞付き年金を払うどうしようもない自営業者なのだということがわかる。
果たしてこんな輩を訪問したり、警告したり調査しようと思うだろうか
3はすでに申し述べたとおり、口座情報は完全に把握されているので
そこの中に貯金などが一切なければ取れるものはないと判断されるだろう。
そんなわけで、マネーフォワードの履歴には領収書のない使ってもいない項目を足すことができる。
概ね500~800万程度の収入に対して、年金と所得税数千円、住民税数万と健康保険料という税金だけ払っている。
年間で200万かぐらいの税金が自分の交遊費や趣味に消えて、楽しく生きれている。
ただし制限もあって、高級車や家などはもちろん買えないし
用途不明を演出するために現金支払いを主にして、タンス預金しかできない。
株も派手にはできない。
表向きのアフィつきブログなんかを適当にやっていれば税務署対策にはなる。
批判されているふるさと納税はやったこともあるが、すぐに辞めた。
帳簿上は経費を無限に嵩上げできるわけで、3-6割の値打ちの商品を割高で買う必要はないだろうからだ。
税務署からすればだらしない経営者という判断になるだろうとも思う。
ちなみに住んでいる事務所兼自宅も築数十年のボロアパートだ。多少広くはあるが。
ITの進歩で丸裸になる日がくるかもしれないが、日本の政府に限ってそういうことはないだろう。
現金貯金もドルなりユーロでしていればいいが、家事や泥棒も怖い。
本当に税務署が来たら手を上げて許しを乞えばいい
利用できることは利用するべきだし
政府に見下され置き去りにされている人たちが
それでも善良であろうとするのは滑稽に見える。
と思うのだが、どうだろうか。
科学技術予算にAI重機を使ってトンネルを作ったらトンネルの工事まで科学技術予算みたいな形で統計破壊が進む昨今。
昔は、王様が言うもの、あるいは教会が言うものは絶対的に正しいという考えだった。
そもそも絶対的に正しいものというものさし自体がない。それでも何らかの正しさを元に正しいことを選び判断しないとならない。
だから、権威を作り、その判断のもとに動くということで、王様や教会の言うことが絶対的に正しいという前提のもとに社会を作っていった。
その中で、出版というものが生まれ、いや、教会より聖書のほうが正しいんじゃね?と教会否定が始まった。ルターによるプロテスタントの起こり。
ついで、明確、分析、総合、枚挙をなしたものを積み重ねて正しいものを作っていこうというのが始まった。デカルトによる科学の起こり。
初めは自然科学だけだったが、統計や、各種社会科学理論、法理論の積み重ねで、社会学にも科学が入っていった。
近年、新自由主義の小さい政府化が叫ばれ、その元、国が関与するのは良くないという理屈のもとに、国が関与している様々な分野の予算削減が叫ばれている。
だが、大学基礎研究はその次の科学技術、そして産業の礎でもある。
だが、「権威が正しい、権威が今までやってきたほうが正しい」と言いたいがために、
統計で嵩上げして「国は金を出している」と取り繕う。「国はやることをやっているがうまくいかないのは、現場が非効率で能無しだからだ!」と権威が正しいという形にしたいがために。
しかし、データの改ざんなぞ、科学に対する背徳でしか無い。明確の根源が崩れる。「権威が正しい」には出来る。
強いのは文部科学省公務員、弱いのは大学研究者。強い奴は無謬で、弱い奴が誤っているから正さないとならない。改ざん故にそう主張できる。