はてなキーワード: かもめの玉子とは
遠野から国道107号、もしくは340号を南下するとたどり着くのが住田町。ここは東日本大震災の時に大船渡と陸前高田をバックアップする基地として活躍した。そもそも住田、大船渡、陸前高田の3地域は合わせて"気仙地域"として扱われていることも多い。
340号と107号は途中で合流する。合流したところにあるのが世田米(せたまい)地区で、ここから再び107号が分かれて行くのが大船渡、340号が行くのが陸前高田。行き先によってどちらに行くか分かれるキーとなる町ではある。住所的にはここと上有住(かみありす)を押さえておけば観光的にはなんとかなる。
上有住は釜石線の駅名になっているが、上有住の集落中心地はこの駅の周辺ではない。もし列車のなかから上有住駅の外を見てとんでもない僻地だと思った人がいたら、上有住はそこまでの場所じゃないよ、ということだけは覚えておいてほしい。しかしこの駅も観光には重要で、上有住、いや住田で最も重要な観光名所がこの駅のそばにあるのだ。鍾乳洞である滝観洞。龍泉洞の整備された順路とはうってかわったヘルメット必須(貸してくれる)の観光スポットだが、経路最奥にはその名の通り滝が見えて、これがけっこう壮観。入口横にあるレストランでは滝流しそば</b.という名物があって、これがいわゆる流しそうめんのそばバージョンのような形で食べられるのでアトラクションとしても面白い。なおこのレストランには"滝流しカレー"もあるのだけれど、流石にカレーは流れてこない。岩に見立てたご飯にカレーを流すだけ。</p>
気仙地区には宮大工である気仙大工の伝統があって、その成果を見られる寺が世田米にある。満蔵寺。特にここの山門は必見。あと世田米には鶏の加工工場があって、ここが鶏の希少部位として"鶏ハラミ"を名物に仕立て上げている。若干悪意のある言い方をしたけれどもうまいのは確かで、世田米にある食堂を中心に何店かで鶏ハラミを使った料理を食べることが出来る。たぶん一番わかりやすい店は世田米は世田米でも国道397号(107号から途中で南に分かれて西に向かう)の町境にある"道の駅種山ヶ原"のレストランにあるラーメンだと思う。この他に豚肉も特産品として売りに出されていて、世田米市街地に近い側にある産直、イーガストすみただとこの辺がお土産で買って帰られる。ただこの店でもっと買うべきは上有住の菓子店お菓子工房eat+のシフォンケーキだけどね。
107号を東方向に行くと、大船渡にたどり着く。大船渡には岩手唯一の私鉄が今も走っているけれど、旅客運輸は随分昔に廃止されたので乗ることは出来ない。ただ貨物輸送は今でも1日10往復以上やっているらしいので、運が良ければ107号を走っている時に見られるかもしれない(ほぼ並走している)。市街地に入る前に長安寺という寺があって、ここの山門も気仙大工の手による。あまりに豪華なので伊達政宗が怒ったという逸話もある。大船渡市街地は盛駅周辺(最近盛岡駅をこう略する人が増えて非常に紛らわしい)と大船渡駅周辺に分かれていて、古くから栄えてきたのは盛駅周辺。津波被害も盛駅周辺はそれほどなかった。それもあって、最近の再開発は大船渡駅周辺を中心に行われている。駅の東側に"かもめの玉子"のさいとう製菓が運営する"かもめテラス"では工場見学(要予約)他ここオリジナルのお菓子が食べられたり作れたりするし、最近は魚の駅という海産物に特化した施設も生まれた。じゃあ盛駅周辺に何もないかというと、少し北に行ったところにあるイタリア料理店ポルコ・ロッソと、そこから路地を奥に入ったところにあるハンバーガー店The Burger Heartsの評判はいい。さらに南に行くと大船渡魚市場があり、ここのレストランは最近閉店してしまったのだけど、近くにある丸清食堂はよくテレビで紹介される。ここからさらに南に行ったところにある大船渡温泉は311後の開業だが、日帰り入浴も出来るし宿泊にもいい。
大船渡市の東側は平成の大合併までは三陸町という自治体だった。ここも昭和に吉浜、越喜来、綾里という3つの町が合併して出来た町で、それぞれ特産の海産物が違っていてそれぞれ有名という特色を持っている。特に有名なのは吉浜のアワビか。まあこれらはどれも海中にあるので前述の施設のどこからで料理もしくはお土産用に買うほうが身近だ。越喜来はいくつか見どころがあって、小石浜駅は少し前に恋し浜と駅名を変えて三陸鉄道が少し長めに停車するようになったし、甫嶺駅のそばには岩手では珍しいダイビングツアーショップがあって三陸の海に潜れる貴重な体験が出来る(密漁を気にしてか陸中海岸では水中メガネとシュノーケルのセットすら持ち歩くのに躊躇する風土なのだ)。ちなみに大船渡は牡蠣が旨いが、その中でも赤崎の牡蠣はデカくてうまい。ただこの辺一帯が春先の山火事で大被害を被ったのはけっこう痛い。
45号をさらに南に行くと、末崎半島に分かれる道がある。以前の大船渡観光地は宮古における浄土ヶ浜のようにこの末端に集中していて、大船渡が最も推していた碁石海岸はこの半島の端っこにある。それ以外にも大船渡が北限(いろいろ条件つけて)の椿を展示している世界の椿館とか、311以前の津波被害についても展示のある大船渡市立博物館とかもこの半島に存在する。
そう言えば大船渡が漁港として最も誇っているのがサンマの水揚げで、その影響もあって新しい御当地グルメとしてさんまラーメンがある。これの特色兼困ったところとして「サンマを使っていればその形態は問わない」というものがあって、まあ食べ歩いて比べる楽しみがある一方、さんまラーメンと言って一言で言えるものでは亡くなってしまっている。ただ、個人的には107号の長安寺付近にある黒船という店の秋刀魚出汁ラーメンが好き。
大船渡南側の峠を越えると陸前高田だ。おそらくテレビで何度も見たことがあると思うが、陸前高田の市街地は完全に津波にのまれて一部の建物以外はなくなってしまった。さらに当時の市長は再建にあたって市街地全体を嵩上げすることにしたので、現在の市街地は完全に311以降一から作り直された場所である。御当地歌手・千昌夫が多額の出資をしたキャピタルホテル1000も当初の場所とは全く別の場所に建っている。ただ、国道45号が海沿いを走るあたりは嵩上げが行われておらず、ほぼ道沿いに震災遺構が数多く残っている。大船渡側から順に、下宿定住促進住宅、タピック45、国道から少し離れるが米沢商会、そして奇跡の一本松、気仙中学校。事前予約があればガイド付きで中に入れるところもまだあったはずだが、まあ入らなくてもどこまで津波が来たかはそれなりに見えると思う。なおそれが非常にわかりやすかったタピック45前のガソリンスタンド看板は移転で撤去された。
奇跡の一本松。陸前高田の観光スポットはここ周辺に整備されている。現在の道の駅はこの一本松を見るための駐車場として整備されたフシがあるし、そもそも道の駅の中に津波伝承館が併設されていて、ここは正直奇跡の一本松以上に必見のスポット。なお一本松は元から一本松だったわけではなく、ここには松林があった。その松林を復興させるために松の植え直しが行われたので、50年後にはそういう逸話込みでここが名所になるかもしれない。
復興された市街地はアバッセたかたというショッピングモール周辺。この東側、市民ホールのそばにある四海楼が佐々木朗希ゆかりの店ということになっていてテレビでも何回も紹介されたが味はよく知らない。個人的には西隣にある熊谷の担々麺に何度もお世話になっているし、一時盛岡に移転した居酒屋俺っちが陸前高田に復活して営業しているのはいいことだと思っている。
住田町からの国道340号は陸前高田の西端を通って45号につながる。そのつながる直前のところに発酵パークCAMOCYがあって、地元の醤油屋さんが運営する食堂を始め、ほぼ全ての店が発酵をテーマにした商品を扱っていてここは寄るべき。この裏に最近復活した旧吉田家住宅は気仙大工の技を津波を経て復活させた建物で、今のところは無料で見られるので是非見ておくべき。気仙大工の話を事ある毎にしてきたが、資料館そのもの、というか伝承館もあってこれは陸前高田の東側にある。この伝承館の裏(もちろん車で行くべき)に展望台があって、ここの眺めはたぶんこの近辺で一番いい。陸前高田東側には他にも陸前高田のソウルフードならぬソウルドリンク"マスカットサイダー"を作っていた神田葡萄園があるが、ここでのこのドリンクの製造は2年ほど前に終わっている。ただこの商品そのものは地元のスーパーが引き継いだので今でも買うことが出来る。あとどうも孟宗竹の自生の北限がこの辺らしく、東側、広田半島には岩手ではあんまり見られない竹林がけっこう頻繁に見られるんだが、まあこれは外から来た人には珍しくもないか。
そう言えば陸前高田の地酒に酔仙という酒があって、ここが出している雪っ子というにごり酒は10月から出荷になる。これがうまいがアルコール度数がけっこう高いので危ない酒でもある。なお陸前高田の会社だが、酒蔵は大船渡に移転になった。見学は要予約だが無料で可能。
昔進研ゼミかなんかの、各地の名産品が書いてあるような日本地図のポスターが家にあった。山形ならさくらんぼ、愛媛ならみかんとかそういう。東京には何も書いてなかったような気がする。
それで親父に「東京って何もないのな」って言ったら「江戸前鮨とか……あるだろ」とか返されたような気がする。
江戸前鮨ってなんだよ。鮨は鮨だろ。って思った。
未だに東京の名産品といえば、立川のうどか檜原村の舞茸くらいしか思い浮かばない。それも立川の天ぷら屋くらいでしか食った事ない。そういうローカルなのを挙げ出せばキリがない気もする。
おれは名産というからには土地の特性と必然的に結びついていて欲しい気持ちがある。土地の特性とまではいかなくとも、その産業のパイオニアであるとか。そしてその名産はその土地でしか食べられないものであって欲しい。
かもめの玉子だって今どき物産展に行くまでもなくネットで買える。
551は冷凍やってないらしいから物産展とかがないと買えんけど。それだって会社の裁量一つではあるし。
漁港が近い所の新鮮な海鮮、くらいなら良い線は行ってそう。でも良いモノは全部都市部に回るなんて話もあるらしい。本当かどうか知らんけど。
水が良い土地のそばだとかワサビくらいなら、まあ確かに名産だ、アイデンティティ足りえるものだって思える感じがする。
でもより視点を広げて、例えば日本の名物は天ぷらです、スシです、というとなんというか素材頼り過ぎじゃね?って感じもする。テンプラ粉まぶして揚げました。酢飯に生魚を乗せました。それだけで?料理人はキレるかもしれんし技術がどうのとか言い分はあるんだろうけど。
それよりはもっとこう、四川の麻婆豆腐だとかの方が「名産」って感じがする。山椒だか花椒だかをふんだんに使うという土地柄はありつつ、技術的にも凝っていて「文化」って感じがする。
まあなんにしても積極的に楽しもうとしなければ世の中は割とつまらないので、いざ観光に行けばそういう事はあまり気にしないようにする。浜松の餃子がフツーだろうが、離れた土地で名産とされているものを食べて「観光してる感」を楽しむ、その場を楽しもうという気持ちが大事な気がする。
でも心の奥底では本当にそこでしか食えないものを食って、本当にそこでしか買えないお土産を買って帰りたいなあって願望もまたある。良くも悪くも、流通が発展して高度に情報化した今やそれは難しいことなのかもしれんけど。
私は日本大好きですがこれはどうかと思う。(BBC流あいさつ)
神戸と違って、いつまでも被災地なんだろうなぁ。70年たっても戦後とか言ってるのと同じように
the48the48のコメント 2017/03/06 15:35
http://b.hatena.ne.jp/entry/325623993/comment/the48
16.7メートルの津波は、ちょうどこの高さ―― ヤフーが出した防災広告に絶賛の声 - ねとらぼ
http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1703/06/news092.html
この記事への衝撃のファーストブクッマでいきなり被災地ガーと言われて、ガツンと頭を殴られた思いがあります。
これじゃあ150万円おごりおごられでいじめではなく電気消したのに光らないとバカにされるのも世間では本音なんだろうな、と。
「もはや戦後ではない」(1956年)、終戦から11年。NYが9.11を克服したと言われた[要出展]『クローバーフィールド』(2008年)は7年。
短いようで長かった6年、楽しかった運動会。小学生も卒業しますわ。
被災地増田からちょうど広告で取り上げられている大船渡市の現在を報告しますと。
2011年の4月に小学校に入学した子が卒業間際の今年度(2016年)はじめて校庭を使うことができた(校庭に仮設住宅があり使用できなかった)。
災害公営住宅が全戸完成し、市内の仮設住宅が今年度末で全て撤去になる。
仮設商店街が借地期限を迎え取り壊しになる中、土地整備が終わった地区に本設の商店街施設を鋭意建設中。
JR大船渡線は鉄路での復旧は諦めてバス専用路線のBRTになり数年経過。
こういった状況です。
当初から10年単位での復興計画でしたが、広域の災害のため建築土木の資材とマンパワーが足りず、時間がかかるようです。
コンクリから人への流れで建設会社の廃業が進み人手が減っていたタイミングだったのもあります。
瓦礫で埋まった道路を最初に掘り出してくれたのはショベルカー持ってた地元の土建屋さんなので、
年度末で道路掘り返してんじゃねーぞ、とイライラする事も最近は少なくなりました。
義援金、支援物資、ボランティアはもちろん、直接的な支援をされていなくても、公共工事や被災者支援などには税金が使われており
それはすなわち国民の血税でありますから、国民の皆さんに足を向けては寝られません。太平洋に足を向けています。
海外からの支援も多く、市役所の車両とか三陸鉄道の車両とか、○○国の支援と表示されています。
復興工事の方や、公務員の応援職員も全国から継続的に来ていただいています。
神戸の「希望の灯り」は分灯されて隣市、奇跡の一本松の陸前高田市にともされています。
直接、間接のご支援本当にありがとうございます。
衰退地域である三陸沿岸への税金投入のコスパについては自分でも疑問に思う面はあるのですが、それはそれとして。
「かもめの玉子」さいとう製菓の専務がビデオカメラ回して発災時の事務所内から高台に逃げて街が飲まれるまでを撮った映像。
https://www.youtube.com/watch?v=jbvBsgoEAe0
チリ地震津波もあったので大丈夫です、再建しましょう。の旅館経営おじいさん。
http://www9.nhk.or.jp/311shogen/
http://www.nhk.or.jp/morioka/archives/anohiArchives.html
NHK仙台局の津田アナは自身も被災して「被災地からの声」(東北地域で放送)のキャスターを努めています。
岩手局に一時居て今は東京あたりに行った魚住アナは浅野温子の息子。支援物資で貰ったレンズ豆は火が通りやすく美味しいけど、
レンズの形だからレンズ豆じゃなくて、レンズ豆が先にありレンズ豆型だからガラスレンズがレンズという名になったんですって。(豆知識)
(br)
結論としては、避難場所とそこまでの経路を確認しましょう。防災用品を確認しましょう。