ナカグスク


みんなにありがとう!
58回めの誕生日を迎えております。
アマゾンの大きな箱が届いて、注文もしてないのに、なんだろうと開封すると、ゼミ生一同からのバースディ・プレゼントでした。ありがとう。どうしようもない教師ですが、今後もなんとか支えてやってください。
この年末、息子がよくしてくれましてね。お年玉をはずんでやろうと思います。ゼミ生諸君にも何か考えます。


感想文に触発されて
12月11日(木)の歴史遺産保全論で「史跡と名勝」という講義をした際、平城宮東院庭園の仕事を紹介した後、毛越寺庭園のスライドを1枚さしこみ、わたしはこうコメントした。
毛越寺庭園と自分が関与した平城宮東院庭園を比べて、どちらが優れた
史跡整備かと問われれば、わたしは躊躇なく毛越寺庭園だと答えます。
毛越寺庭園は「復元」という介入を完全に排除することで大成功を納めた例外的な遺跡整備である。裏返すならば、日本の遺跡整備で成功した例などほとんどなく、平城宮ですらその例に漏れないとわたしは思っている。毛越寺は、発掘された遺構を露出し、池に水を溜め、陸に芝生を張るだけ。その結果、訪問者はその場所が潜在的に有する「地霊のオーラ」を体感できる。




そんな話をして、ブリーフレポートを回収すると、ある女子学生が「沖縄のグスクでも、そういうオーラを感じました」と感想を書いていた。その学生は、わたしの講義をすべて受講している数少ない一人で、成績も秀逸であったものだから、感想文が妙に頭にひっかかったのである。
グスクを訪れたことはもちろんある。ただし、どのグスクなのかは覚えていないし、さほどの印象を私の五感に残していない。しかし、初めてナカグスクを訪れ、かの女子学生が記した感想はただしいと唸った。


ナカグスクは毛越寺と同じく、「復元」を完全に排除している。城壁をはじめとする遺構を固めて、あとは芝生を張るだけ。それでこれほどの迫力が生まれるのは、盛土や復元建物で「廃墟の力」や「地霊のオーラ」を封じ込めていないからであろう。遺跡のなかに胡散くさいものはほとんどない。英国の中世城郭遺跡に比肩する風景がそこに発現している。
季節は冬に至り、ツワブキ(石蕗)が満開になっていた。訪問した26日の午前にはツワブキ祭がおこなわれたと聞く。黄色い花は太陽の写し絵のようだ。


ひめゆりの塔
わたしは政治的な人物ではない。ただ、今回の沖縄訪問については、いくぶん政治に関心をむけていたことを吐露しておこう。沖縄の人々が日本全体の世論とは真逆の方向で動いていることの深層に少しでも接近してみたいと思っていたのである。
そのこともあって、最終日に「ひめゆりの塔」を訪れた(↓)。恥ずかしながら、はじめての訪問である。ひめゆりの塔の下に隠された鍾乳洞=防空壕も史跡であり、訪問者に地霊のオーラを発し続けている。
詳細は割愛するが、ひめゆりの塔を訪れることで、沖縄の人びとの気持ちの奥底にあるものを少しは理解できたかもしれない、と思うに至っている。


緊迫化する国際情勢のなかで沖縄は過剰な負担を強いられている。そうなるべき地理的位置にあることは誰もが承知しているが、だからといって、県民の気持ちを踏みにじる形で事業を進めてよいわけではない。衆議院の絶対的多数を占める与党が、沖縄の新しい体制と話し合いを拒否するなどもってのほかだ。いま一度話し合いからはじめてほしい。
