渡名喜(Ⅴ)
フットライトの小径
渡名喜集落の村道1号線とその周辺は、夕方になると、フットライトでライトアップされる。毎晩、道は幻想的なイルミネーションで彩られるのである。その道を歩いて、2度目の食堂ふくぎへ。
まぐろの刺身とグルクンの唐揚げに泡盛が進む。「久米仙」1合。食後、近くの桃原商店で少し買い物をした。沖縄にしかない元祖ボンカレーを2箱買ってお土産に。
別荘にするなら
民宿に戻って、のんびり寝ころがる。テレビではなにか演っていたが、記憶にない。フェリーで読み始めた『里山資本主義』を飛ばし読みしていった。勢いのある本で、呑まれてしまいそうだが、「こんなにうまくいくものかなぁ?」という疑念がわき上がってこなかったわけではない。
早めに眠りに落ちた。が、いつものことで、目が覚める。トイレは別棟だ。1泊の民宿だから我慢できるが、仮に別荘とするならトイレは主屋に納めたいね。
↑↓夜明け
再会
26日早朝、3度目の食堂ふくぎへ。朝の光でよい写真が撮れる。島にお別れの時間が近づいている。しばらくして港まで歩いてった。出航30分前から土産物売り場が開く。モチキビ(雑穀米)や島のお菓子を買った。乗船時間が迫り岸壁におりたところで・・・あれっ、M係長さんではないの。
「どうにも気になったもので」
と係長は仰る。
内地でこういうことはまずない。わたしは文化庁の調査官でもなければ、奈文研の研究員でもない。ただの田舎教師だから、島の町並み保存になんの影響力ももっていない。ただ、個人の趣味として過疎地域の町並みをみてまわっているだけのことである。そんな見知らぬ並の人物をわざわざ見送りにきてくださる。
彼女は「なにもないところですけど、またおいでください」とわたしたちに語りかけた。わたしは『里山資本主義』の科白を思い浮かべた。
- なにもないところは、じつは宝の山なんです -
読みかけの新書本を、ささやかながら、彼女への礼物とした。
渡名喜では他人事ではない過疎の荒波を肌身で感じ、内地にはない大切なものを教えられた。 【完】