竹原
マッサン燃える
生口島からフェリーで三原に移動しました。そこから最後の目的地の重伝建「竹原」までは20分あまり。昭和57年12月16日に国の選定を受けた町並み保存地区です。いきなり大勢の観光客にでくわしました。広島県建築士会ご一行です。その案内をしているのがH島大学M教授であることを察知して、教授は、その団体との距離を常に測りながら行動されました。なにせ敵の大将は、HなMですからね(性格はSらしい)。
竹原は「マッサン」の故郷として盛り上がっています。そういえば、摩尼寺コンサートの夜、アイラのボトルをタクヲさんに空っぽにされた先生はキアラのマダムにニッカの「フロム・ザ・バレル」を要望されたそうです。しかし、ニッカはみんな売り切れでした。
↑町のシンボル「普明閣」には上らず・・・前夜で体力消耗??
竹原は江戸時代から明治・大正・昭和とそれぞれの時代の優れた建造物が複合しつつ軒を連ねています。最古の町家は元禄4年(1691)年の建造といいますから、相当なものですね。デザイン的には、妻入、平入、長屋型、高塀をもつ屋敷型など多種多様な町家が建ち並びます。
先生がしみじみ吐露されていましたが、初期の重伝建選定地区はやはりラベルじゃなかった、レベルがちがうんですね。個人的に残念だったのは名物の瓦そば(↓)が食べられなかったことです。また、酒蔵の蕎麦屋は建築士会ご一行の貸し切りで、蕎麦通の先生は頭を抱え、結果、漬け物を買ったのでした。
ようやく重伝建シリーズもお仕舞いですね。年内に擱筆できて良かった。えっ、まだある? (ユート)